休息の地時は丑三つ時。ザァと窓を叩く雨音で目が覚める。
喉の乾きを覚え、キッチンへと向かう。リビングにはカウチの上で小さく毛布に包まる一つの塊。
カウチは人一人十分な広さで寝ることができるはずなのに、その塊はカウチの隅で体育座りをしており、よく聞けばすぅすぅという寝息が聞こえる。
この体勢では体が休まらないだろうと揺すり起こすために手を伸ばす。
彼の体に触れる前、音は出していない筈なのに塊の中の住人は何かを感じたのかビクリと体を揺らし、紅い瞳をパッと開いた。まるで何かに怯えているように見えた。
「……」
「…っ!…アルハイゼンか。どうしたんだ」
「喉が渇いたから水を取りに来た」
「そうか」
「それより何でそんな体勢で寝ているんだ。横にならないとしっかりと休息は取れないだろう」
「僕は大丈夫だ、この体勢で眠ることには慣れているんだ」
「……そうか。起こして悪かった。おやすみ、カーヴェ」
「あぁ、おやすみ、アルハイゼン」
挨拶を交わし、キッチンに行き水を呷る。
本当はきちんとカウチで横になって体を休めて欲しいと伝えたかった。だが、言えなかった。
らしくもなく、臆病になっている自分がいる。自分にとって人生の分岐点とも言える出来事。
そう、忘れるわけがない、彼を言葉のナイフで傷つけてしまったというあの経験。
あの一件で彼と離別し、時間をかけてようやくルームメイトまで辿り着けたのに。
言葉一つで関係が破綻する可能性がある、俺たちの脆い関係に名前をつけるなら何が相応しいだろう。
そんな事を思いながら、今度はより一層注意を払い、音を立てないようにキッチンを後にした。
***
それから数ヶ月後。時は丑三つ時。カチ、カチと時計が静かに時を刻んでいる。
喉の渇きを覚え、キッチンへと向かう。リビングには毛布も掛けず、カウチに綺麗な金糸をばら撒きながら横になっている姿が見えた。よく聞けばすぅすぅと寝息が聞こえてくる。
ここで寝たら風邪を引くと声を掛けるために近づくが、起きる様子はない。
「……はぁ」
ため息をつきながら、その細い体の首と膝に手を差し込み、彼を抱え込む。
前よりは重くなったが、まだ軽々と持ち上がるその体に、明日の晩御飯のメニューはステーキを提案することにした。「君はそればっかりだな、バランスよく汁物もちゃんと食べろ」と小言が飛んでくるに違いないが、こうやってカウチから彼のベッドへ運んであげた、と恩を着せておけば、リクエストは通るだろう。
彼は持ち上げても起きることはなく、むしろ俺の体温を求めるかのように体を擦り寄せてきた。本当はこのまま俺のベッドに運びたい所だが今はまだその時ではない。
この家が安心して眠れる場所になったというだけで今は充分だろう。カーヴェの部屋に行き、彼をベッドの上に下ろす。布団をかけてその場を離れようとした時、腕を掴まれた。
「うぅん、あるはいれーん、ぼくは、まらのめるー」
彼は目を瞑ったまま、呂律の回ってない口で俺の名前を呼ぶ。夢の中の俺は君にどんな表情を見せているのだろうか。明日問いただしてみることにしよう。まぁどうせ覚えていないと思うが。未だ離されない手から伝わる体温がひどく心地よい。
「……はぁ」
本日二度目のため息をつきながら、彼のベッドに入る。カーヴェは寒かったのか、温もりを求めて俺に体を寄せ、腕を回してくる。どうせこれも覚えていないだろうから、抱きとめても許されるだろう。そう思い、彼の背中に腕を回そうとした瞬間。
「……すき、だよ 」
彼のその言葉に、伸ばしかけていた腕が固まる。「すき」なのは夢の中で飲んでいるであろう酒か、それとも。淡い期待に胸を膨らませながら、回しかけていた腕の中に彼をすっぽりと収めてみる。そうすると彼は俺の腕の中で「ふふっ」と笑い、また深い眠りへと落ちていった。
俺も眠りにつくため、目を閉じ、眠くなるまで無心に頭の中で素数を数えた。
***
「っ!?アルハイゼン!?」
「……うるさい」
翌朝。目覚ましにも負けないくらい大きな叫び声で目が覚める。君のせいで昨日は寝不足だ、と嫌味を言いたくなったが今は言わないでおく。代わりに、温もりを求め、少し離れて行ったカーヴェの体を引き寄せる。
「なんで君が僕のベッドにいるんだ!?もしかして君、柄にもなく寂しいと思って僕のベッドに入ってきたのか?」
俺が夜這いしたみたいな言い方が癪に障る。
君が誘ってきたというのに。これは自身の気持ちを自覚してもらうしかない。
「君は昨日、酩酊していてカウチで寝ていた。そのまま放置しても良かったが風邪をひかれ、仕事が出来ず家賃滞納に繋がる恐れがあると判断した。そして俺がわざわざ君をベッドに運んでやったんだ。そろそろ自分の酒の許容量を把握し、これ以上だらしない姿を見せないようにしてくれると嬉しいんだが」
「……っ君は一言も二言も多いな」
「ちゃんとベッドに運んでやったんだ、感謝はされど文句を言われる筋合いは無いと思うが」
「……ふん、もういいよ。……その……ありがとう」
「何?」
「だからありがとうって言ってるんだ!味をしめるな!……というか僕がベッドにいる理由はわかったけどなんで君までここで寝てるんだ?」
「それは君が……」
そこで少し言い淀み、少しだけ思考の海に身を投じる。
嘘は真実を織り交ぜると信ぴょう性を増す、だったか。それなら。
「……ベッドに連れてきた時、君は好きだと言いながら俺の腕を引っ張ってベッドに引きずり込んだからだ」
「っ僕が!?君に好きだと伝えた!?」
「あぁ」
さぁ答え合わせの時間だ。好きなのは誰か。
”伝えた”と言っている時点でもう答えは出ているようなものだが。
「……すまない、この気持ちは伝えるつもりはなかった。……直ぐにこの家を出ていくから忘れてくれ」
恐らく口角が上がっているだろうが、平然を装う。
「……それは出来ない相談ですね、先輩」
そう言いながら、先輩の唇におはようのキスをした。