秘め事がお似合い綺麗な恋愛をしているな、と思っていた。
綺麗というのは、純愛だとか、ロマンチックだとか、そういった類の意味ではない。その関係は外から見ていればあまりに中の見えない、その色恋の片鱗すら覗かせない淡白な姿形をとっていたからだ。
彼らと同じサークルに所属する自分がその関係を知ったのも、決して彼らと特別近い仲だからなどというわけではない。早朝、アルバイト先であるカラオケ店からの帰り道に、メルヘンなホテルから出てくる彼らと出くわしたのだ。繁華街とはいえ学生達がよく使う駅とは反対方向の、どちらかというと若者は近づかない場所だった。幾らでも誤魔化し方はあっただろうに、こちらに気づいた二人は顔色を変えることもなく、いつものように柔らかい笑みを浮かべて「おはよう」と声をかけてきた。あまりにあっさりとした反応だったから、いよいよ自分の下衆な勘違いではないかと思った程だ。ところがその一件を経てから二人は自分に対して少し打ち解けた態度を取るようになったし、同じ看護学科に在籍する片割れは時折そういう話題を振ってくるようになったから、自分の感じたことは間違いではなかったのだと、徐に理解させられた。
とは言え、その変化は自分に対する態度だけで、彼らは何かとゴタゴタしがちな大学生活の中で自分達の関係を匂わせることは一切なかったし、何も知らない大多数からしたら『同じサークルの同期』の域をでない二人だったろう。
綺麗な恋愛だな、と思った。彼らがそう振舞っているのは偏見を恐れているのか、それともほかの理由があるのかはわからない。けれど、不快には感じなかった。だから自分も誰にも口外せず、見守るーーというには少し離れた場所から、その関係が何者にも脅かされないよう、ただ密やかに祈っていようと思ったのだ。
◇
「あの娘、相思くんの近くに居られるとちょっと邪魔だな……」
だからだろうか。蘇芳がそんなことを口にしたとき、自分は内心酷く動揺した。綺麗な恋愛をする二人。淡白なもので包まれていて、どこか達観したような恋人たち。そんな彼らだから、まさかその片割れから、俗っぽい恨み言が発せられるとは思わなかったのだ。
サークルでよく開かれる、週末の飲み会だった。独り言のように呟いた蘇芳は俺の隣に座っていて、彼の恋人は少し端の方の席だった。今はトイレに行っているのか席を外していて、空いた席の横で、可愛らしい雰囲気の新入生が何やらそわそわしながら鏡を開き、念入りに前髪を整えている。ストーンのついた綺麗な長い爪がきらきら反射する光が、こちらまで届いてきて、色んな眩しさに思わず目を細めた。
「相思には専門外じゃないの」
「元々はストレートだよ」
思わず尋ねた自分の声に、返答が返ってくる。周りに聞かれやしなかったかと自分はひやひやしたが、蘇芳は何でもないように箸の先でサラダをつついていた。そんな仕草も、いつもの彼らしくない。そのあと暫く黙っていたが、彼は急に立ち上がると「相思くん大丈夫かな。ちょっと様子見てくる」とテーブル全体に声をかけ、座敷を降りて靴を履き始めた。新入生がハッとした顔で立ち上がり、「私、行きます」と後に続く。周りは二三言気遣う声をかけていたが、すぐに興味をなくしたようだった。蘇芳と彼女は二人、個室の入口で何やら言葉を交わしていた。どうやら彼女の方が蘇芳を止め、一人で行こうとしているらしい。勇気を振り絞っているであろう健気な様子に、なんとも言えない気持ちになる。不意に、それを見下ろす蘇芳の口許に笑みが浮かんだ。屈みこみ、彼女の耳元にそっと唇を寄せて何か語りかける。次の瞬間、彼女の顔がさっと青ざめた。固まる彼女の肩を優しく何度か叩き、蘇芳は一人で店の奥へと消えていく。「どうしたの?」「大丈夫?」暫くして、自分と同じく様子を伺っていたらしい女子たちが、動かない彼女の元へと足早に近づいていく。「何でもない……ごめん、応援してもらったけど相思先輩は駄目みたい」微かに聞こえてきた彼女の言葉。恋人がいる。蘇芳がそう言ったのならここまでの態度はしないだろう。自分と付き合っている。それも反応からして違うように思う。蘇芳と彼女の間に悪い空気はなかったし、最後は彼女を慰めるように肩を叩いていた。ならば、蘇芳が笑いながら口にしたのは……その言葉は……。喧騒が続く廊下の先を見つめる。胸がざわざわと落ち着かなかった。
◇
「彼女に何か言ったでしょう」
またか。と頭を抱えたい気持ちになる。
翌日、二限開始前の校舎裏。どうして自分は、よりにもよってこの二人の関係を知らざるを得ない現場に二度も出くわしてしまうのか。二人に気づかれないよう物陰に隠れ、鞄を抱きしめながら様子を伺う。
静かに問いかける声に対して、蘇芳の様子は普段通りで、含み笑いのようなものすら浮かべていた。
「相思先輩は男が好きなんだよって教えてあげただけ」
そして続いた予想と違わぬ答えに、今度こそ俺は頭を抱えた。これはこじれるぞ。そう思いその場を後にしようとしたものの、
「そうですか」
返答を聞いた彼の反応は、酷くあっさりしたものだった。本当にその内容を知りたかっただけのような、単調な返事。それどころか、そう相槌を打った横顔には次第に、呆れたような、それでいて慈しむような、不思議な熱のある笑みが滲んだ。
「嫌だったんだ」
「うん」
蘇芳も頷いて、それで終わり。彼らは肩を並べ、ただの同期の距離になって、予鈴の響く講堂の中へと消えていった。
壁に背をつけ、長々と息をつく。
相手だけを孤立させかねないことをわざと言ったりだとか、相手に好意を持っている他者に悪意を持って接したりだとか。そういうのはきっと良くない、彼自身にとっても、相互の信頼においても。お節介にもそんな説教めいたことを蘇芳に言おうとしていた自分が心底馬鹿馬鹿しく思えた。
綺麗に見えた彼らの恋愛は、やはり遠くから祈るに留めるに限る。どうか静かに、その関係に何者も脅かされないよう、本人達だけでよろしくやっていてくれ、と。
◇◇◇