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    tsuge_19

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    tsuge_19

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    『月が綺麗ですね』からはじまる雨想

     なんで好きになったのとか、どこを好きになったのだとか。そういうことは聞かれてもよく思い出せないけど、とにかく僕は、ふと気づいたら雨彦さんが好きだった。
     好きになった理由、には満たない、小さな事象なら、いくつか思い出せるところはある。涼しい顔をして、僕もクリスさんも、多分プロデューサーさんも知らないかもしれないところでたくさん努力してるところとか、僕たちが仕事の中で軽率な扱いをされたときに、それとなく、波風は立てないように抗議してくれるところだとか、目を離した隙にふと消えてしまう、その背中を捕まえておきたいと思ってしまった、だとか。
     そんなひとつひとつのプラスやマイナスを積み重ねていたら、いつの間にか、それは憧れのような何かを通り越し、恋になっていた。この人のことを一番知っているのは自分がいいって、そう思うようになっていた。
     それが恋なのかって言われると最初はよく分からなかったけど、ある日、雨彦さんが近くにきて、ドキドキしてしまった、から。
     
     とはいえ、その感情に気づいてしまったと同時に、僕はそれを、全部諦めてもいた。雨彦さんが、いろいろなものを飛び越えて僕のことを好きになるなんて、そんな都合のいい夢物語は、想像すらもできなかった。
     それに、心の赴くままに妙なことを言って、一番近しい仕事相手でもある雨彦さんとの間に亀裂が入るようなことがあれば、それはそれで、きっと僕は僕を許せない。
     しばらく放っておけばなくなるだろうし、もし無くならなかったとして、同じユニットで活動していられる間は一緒にいられて、ひとつのことに取り組めて、その姿を、とても近い距離で見ていられる。それだけでいいじゃんって、きっと、自分を納得させていた。
     雨彦さんのこと好きなんだーって分かったばかりのころは、ほんの一時的にどきまぎしちゃうこともなくはなかったけど、今なら顔や態度に出さないなんて造作もない。
     
     と、だから、今日。
     僕はきっと、油断してた。上手に隠し通すことができている自分に、きっと、慢心があった。
     
     今日は事務所の全員が参加したイベントの打ち上げで、珍しく居酒屋さんの宴会場みたいな部屋でみんなでわりと自由に飲み食いをしていた。お酒が飲める人たちはいい感じに酔っ払って、気づけば、そろそろお時間ですとなったらしくて。二次会へ行くだの行かないだのの話が、離れた席から聞こえる。さっきまで僕の前や隣にいた人たちはふと居なくなっていて、僕は烏龍茶片手にぼーっとしていた。
     そして、だから、僕と同じように話題の中心地点からは外れて、卓上のアルコールを片付けるように飲んでいた雨彦さんと、目が合ってしまう。僕と目が合った雨彦さんは、僕がひとりぼっちで可哀想だとでも思ったのか、おもむろに立ち上がって、僕の隣に腰を下ろした。向こうでは、二次会の店が決まったらしい。なんとなく、感覚的に、二人きりだって思った。
     お前さんは行くのか? って、雨彦さんは行った。主語がなかったけど、その視線の先には二次会について話し合っている人たちの塊があって、そのことだってすぐ分かる。僕はお酒も飲めないし、もう帰ろうかなと思ってはいたけど、一応、雨彦さんは行くのって聞き返す。
     雨彦さんは、そうさなあとか相槌を打ちながら、僕たちの背後にあった、大きい窓から空を見た。釣られて同じ方向を見ると、ビルの谷間に浮かぶ、まん丸の月が目に入る。
     打ち上げの空気に、今の、この、世界の隅っこにいるような感覚に、つい気が緩んだって言ったら言い訳だけど、この時の僕は、このくらいならいいんじゃないかなって。そう思って、ぽろっと言葉を零してしまった。ただ一言、ほんの少し。
    「月が綺麗だねー」
     それは、声に乗せてしまえばあまりに簡単なことだった。言っちゃった、って衝撃が少しだけあって、ほんのちょっと、居心地が悪くなる。
     気づかれないだろうからいいんだけど、やっちゃった、みたいな。体の中の血が、いつもよりも早く巡っているような気持ちがした。
     もしも、何か言われるようなことがあったなら。平然と、他意はないよって、そう主張できるように心を整える。実際、まん丸の月は今にも落ちてきそうで、それはそれで綺麗だった。
     やってみれば、言えちゃうものだなー。やったことないけど、記念受験ってこういう感じかもしれない。
     そんなことを考えながら、そろそろ何か言葉が返ってくるかなって、雨彦さんへ視線を戻す。と、なぜかすっかりまん丸になった二つの目が、じぃと僕をただ見ていた。
    「……雨彦、さんー?」
     それは多分、初めて見る表情だった。
     え、なに。僕、なんかした? さすがに、真意を気取られるようなヘマはしていないはずだった。なんだ。なに。急になんだって思われたんだろうか。いや、でも、別に、月が綺麗だねって、普通に言うじゃん。月が綺麗な時とかに。月が、綺麗なんだから。
     予想外の反応に、どうしたのって、声をかけようとする。
     かけようと、した
    「俺にしか綺麗に見えないと思っていたんだが、」
     
     遠くで、いや多分そんなに遠くじゃないんだけど、誰かが、僕たちを呼ぶ声が聞こえる。ああ、ええと、これは誰の声だろう。雨彦、想楽、行くぞー。それはそれはのんびりした声だった。二次会へ、当たり前に行くと思われているのかもしれない。いや、ちょっと。ちょっと待って。いま、ちょっとそれ、かんがえられないかもしれない、
     
    「天道サン、」
     隣の雨彦さんが、すかさず声の方に呼びかけた。ああ、輝先生の声だったんだ。なんだよぉって、滑舌の緩まった返事が帰ってくる。輝先生、今日、凄く楽しそうにしてたから、気持ち良く酔ってるんだろうな、
    「北村が間違えて酒を飲んだらしくてな。送っていってくるぜ」
     きたむら、っていうのは、もしかして、ぼくのような、気が、するんだけど、
     マジか! 想楽大丈夫か! なんて、アルコールによって制御が掛からないらしい輝先生の大声が耳をつんざく。わざとらしく僕の背中に添わされた雨彦さんの手に気づいて、心臓が、飛び出すかと思った。
     大丈夫か大丈夫かと近づいてきてくれようとする人たちを、雨彦さんは違和感なく煙に巻いていく。大丈夫だ、直ぐに吐き出したらしいから。俺も明日朝が早いんだ、ここいらでお暇させてもらうぜ。ああ、二次会、楽しんでな。
     このとき、僕は一体、どんな顔をしていたのか。鏡もないし、誰も教えてくれないから知る由もないけれど、心配そうな顔をしたみのりさんに『めちゃくちゃヤバい顔してるけどほんとに大丈夫?』と言われてしまったから、きっと、相当凄い顔をしていたんだろう。お酒なんて一滴も飲んでないのに、さっきまで食べたものが全部、喉から飛び出しそうだった。
     そして、さすが雨彦さんって言うべきなのか、十分もしないうちに、みんなは二次会へ向かっていった。僕に残されたのは、たくさんの『水を飲め』『いっぱい飲め』などの優しい言葉たちと、誰かが店の外にある自販機で買ってきてくれたらしい五百ミリペットボトルの水が一本と、雨彦さんが一人。
     あめひこさんが、ひとり。
     
    「さて」
     急にがらんとした宴会用の大部屋で、とても僕と近い距離で、雨彦さんは口角を上げてこっちを見ていた。なに、って、言うしかない。そもそも、僕の頭はひどく混乱していた。この人、なんて言ったっけ。僕が、月が綺麗だねって言ったときに、この人は。
     ほんの数分前の出来事をどうにかこうにか思い出して、僕の解釈が間違っていないかを反芻する。恐らく間違っていないことは今の状況が物語ってはいたけれど、それを差し引いたって、何ひとつ信じられない展開だった。これは。夢、じゃ、ないよね?
    「北村、」
     雨彦さんは、さっきの小芝居の最中、僕の背中に置いていた手をそのまま上に持っていって、頬と耳のあたりを撫でる。ひ、て、薄い声が漏れた。うそ。雨彦さん、こういうことするの、
    「もう一回、聞かせてもらえるかい?」
     雨彦さんと初めて会ったときから、もう、どのくらいになるんだろう。仕事の時はほとんど一緒にいたし、あれやこれやと話し合いをする中で、関係性もそこそこ深まっているだとか、それなりに彼を理解してるとか、そういう自負は、正直あった。あったのに。
     こんな顔は、みたことがない。
     
    「今日の、月が、綺麗だねって」
    「今日だけ?」
    「っもう、」
     嬉しいのと恥ずかしいのと信じられないのとで、本当にもう、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
    「ずっとまえ。ずっとまえから」
     僕がそう言うと、雨彦さんはふとまぶたを閉じて、ひどく満足そうな顔で、俺もだぜ、って。
     頬にあった手をまた背中に回して、もう片方は僕の後頭部で、苦しいからやめてって言いたくなるような力で、僕の頭を自分の肩口あたりに押し付ける。そうしてそんな夢みたいなことを、どうしようもなく嬉しそうな声で、ただ僕に聞かせるのだった。
    「俺もずっと月が綺麗だった」
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