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    hinorea23

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    hinorea23

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    ヒヨロナと甘い果実のお話です。

    #ヒヨロナ
    henbane

     錐で突かれる頭の奥が、重い。黒い火に炙られた肺が、壊れた音をしきりに立てている。ひりひりと焼ける喉は、呼吸も拒絶して痛みに呻く。汗ばむ灼熱の体がただただ心地悪くて、それでも動くのすらままならない。本来なら祭りの余韻に包まれるはずの夜の天井を力なく見上げながら、ロナルドは数も覚えていない咳をした。
    (……最悪だ、何で、こんな時、に)
     罅が入りそうに軋む肋骨の鈍痛に、顔を歪める。濁った汗が目に染みて、悪態混じりの息が漏れた。



     本日は、常夜神社の夏祭りの日だった。吸血鬼退治人の恒例行事として、ロナルドは退治人仲間と共に、祭りの警備に赴く予定であった。けれど。
     昨夜から、妙な寒気がしていたのを、覚えている。普段は存在すらも感知出来ない、不気味な冷たさを纏う熱だ。それをどうしても振り払えず、早々に休む結論を下したまでは良かったが、魘されて目覚めてみれば、既に病に蝕まれていた。
     体調不良に慣れていない体が、苦しいと喚く。温度計を破壊する熱に振り回されて、目を閉じていても疲労が蓄積していく。祭りに出かけた同居人が準備した風邪薬と粥の効き目を待つことしか、弱りきった己には望みがない。
     ひゅうひゅうと、断崖絶壁で唸る風に似た音が、喉から聞こえる。己の息の音だと気付いて情けなくなったけれど、どうすることも出来なかった。燃えるように体は熱いのに、一番奥にある芯は、凍てついた氷そのものだ。無意識に歯を鳴らして、またひどく咳き込んだ。
    (何、やってんだろ、俺……)
     一人取り残され、体の辛さと共に、惨めな気持ちが込み上げてくる。きっと罰が当たったのだと、思った。期待を、過剰にしてしまったから。兄に会えることに。そして、望んでしまったからだ。色とりどりの提燈と浴衣が夜を彩る夏の祭りを、兄と共に歩き、兄と楽しむことを。
     沢山の下駄の笑い声、闇を濃厚にしていく夜空にかかる提燈達、漂う焼き物や甘い菓子の匂い、賑わいを深めていく人の流れ。祭りだけが持っている幻想的な世界を、少しの時間でもいいから、兄と一緒に歩けたら。そんな願いを秘かに灯して、心を躍らせていた。勿論、互いの仕事が優先なのは承知だ。だから、瞬きに等しい僅かな時間で、構わなかった。しかしそう望んだ結果、祭り自体に参加が不可能となってしまった。
     気怠く持ち上げた手で、額の汗を何とか拭う。兄は今頃、舞台となる神社で責務を果たしているのだろう。夜店の灯りに魅力的に照らされる横顔が見たかったと、ロナルドは未練と共に奥深い井戸へとずるりと落ちていきながら、意識を手放した。



     どのくらい、沈んでいたのだろうか。
     不意に触れる気持ちのいいぬくもりに、錆びた鉛と化していた瞼が震えた。その震えに呼ばれるように、暗い井戸の底から空を見上げた。不格好な瞬きを繰り返して、目を覚ましていく。星空を宿した、美しい碧霄があった。
    「ん、すまん、起こしたか?」
     絹のように滑らかな声が、耳を撫でる。目に張り付く熱の膜を必死に剥がし、ロナルドは見たかった夜空があることを知り呆然とした。
    「…………あ、あに、き……?」
    「うん? まだ寝ぼけとるんか。そうじゃよ、体の具合はどんなか?」
     信じられなかった。常夜神社にいるはずの兄が、いた。心配そうに眉を曲げて、己の額に手を当てている。体の内側で暴れる炎を宥めてくれる兄の熱を、直に感じている。
    「え、これって、え、ゆ、ゆめ……?」
     目の前の現実を処理出来ないまま消え入りそうな声で呟けば、兄は一瞬だけ目を見開いてから、可笑しそうに笑った。明かりを最小限にした部屋に、夜に溶けた碧が光った。
    「ははっ、夢じゃにゃあよ。ヒデの様子を見に来たんじゃ。神社にお前の姿がなかったし、ドラルクから珍しく風邪を引いたと教えてもらってな」
     まだ熱があるなと続けて、兄はタオルで包んだ氷枕に手早く交換する。訪れた穏やかな冷たさに、体の強ばりが解ける。目元が和らいだのが分かったのだろう、兄の唇も、円かな曲線を描いた。兄を見つめたまま、ロナルドはその輪郭を何度も確かめる。やはり本当は、風邪に苦しむ己が作り出した朧な夢で、咳を一つでもしたら、兄も簡単に崩れてしまうのではないかと、ほの暗い不安が込み上げてくる。けれど、そんな下らない思いを否定するように、兄の手が首筋の汗を拭った。病の高熱を帯びた皮膚に、兄の優しいぬくもりを再び感じた。幼い頃から、ずっと前から知っている、氷を溶かしてくれる唯一の体温だった。
    「汗も沢山かいてるな。着替え、取ってくるぞ」
    「えっ、き、着替え、するの……?」
    「気持ち悪いじゃろ。タオルで体も拭いてやるから、しんどいとは思うが起き上がれるか?」
     離れないでほしいと願う兄の手が体に回されそうになり、思考が逆方向に回転する。咄嗟に頭痛も忘れて、首を横に振っていた。そっちは、いけない。今は、今も、駄目だ。兄の武骨な手が、この熱く悩ましい体の方に触れたら、きっと赤橙色の炎がねじれながら心臓を喰らい、気を失ってしまう。さらなる迷惑を、兄にかけてしまう。平常時でも、進みすぎた物語は最早危険なのだから。
    「だだだっ、大丈夫。さっき、替えたばっかり、だからさ」
    「……そうか?」
     目を逸らして小刻みに頷く。そして斜めに結ばれた兄の唇が再び開く前に、痛む喉に顔を顰めつつも話題を変えた。
    「あ、兄貴、こそ、仕事は?」
    「今は部下に任せているぞ。何かあれば現場に戻らんとならんが、俺の部下は待機組も含めて皆頼もしいから心配ない」
    「でも、折角の、祭りなのに」
    「家族の方が大事じゃろ」
     迷いなく答えてくれる兄に、提灯が灯るように喜びが込み上げた。夏布団を弱く握りしめ、彷徨っていた視線を兄へ返す。兄は変わらず、夜に消えることなく傍にいた。咳混じりに礼を呟けば、己の汗ばむ前髪をくしゃりと掻き上げた。
    「こりゃ、礼を言う必要はないぞ。当たり前のことをしているんじゃから」
    「……それって、俺に、会いに来てくれた、こと?」
    「弟の心配をするのは、当然じゃろう? ヒデが一人で心細くなっていることくらい、容易に想像出来たぞ」
     満天の星空の輝きが増した、気がした。それは、夏の夜に託した己の願望だったのかもしれない。けれど、兄が紛れもない自分のために仕事を抜けてきてくれたという事実に、まるで琥珀色の光で編まれた蝶が舞い上がるような、静かな高揚感を覚えた。
     嬉しい。干上がった口内で、想いを噛み締める。兄が来てくれたことが、とても嬉しい。兄の言の葉が、玻璃の飴玉のように、傷ついた喉元を下りていく。残る球い形が、心地よかった。自分を一番に考えてくれたことが、何よりも嬉しい。
    「……やっぱり、言いたい、俺」
    「うん?」
    「あにき、あの、ありがと……俺のところ、来てくれて」
     咳に負けず持てる力をかき集めて笑えば、兄は澄んだ瞳を少しだけ揺らし、そして微笑んだ。頭を軽く撫でてから、皺が寄り乱れた布団を整えてくれた。
    「お前が望めば、兄ちゃんはいつでも来るぞ」
    「じゃあ、まだ、帰らない、よな……?」
    「ははは、まだヒデを一人にはせんよ。薬が効いて眠れるまで、ここにいるから」
    「……ん」
     任務を完了した兄の手が浮きかけたところで、ロナルドは待ってと掠れ声で引き留める。
    「あにき、手」
     のそりと布団から這い出した手を、その指先を、遠慮がちに重ねる。兄の体温を、勇気を出して求める。
    「……手、繋いでいて、いい?」
     夜の碧空が、先程よりも、大きく揺れた。波紋が見えなくなるまで、兄は黙っていた。触れあう手を、幾重もの波が緩やかに溶けていくまで、瞳に映していた。
    「何じゃ、いつまで経っても甘えん坊じゃな、ヒデオは」
     数秒、目を閉じてから、兄は口元を切なげに綻ばせて手に力を込める。指が触れ、境界線が交わった。深呼吸をして、滲む兄の熱に安堵する。兄はここに、己の元に、居てくれている。繋がる兄の手の甲を、おずおずと頬に当てる。諫めない兄の手からは、ほのかに夏祭りの匂いがした。
     かさりと、かすかな人工的な音が鳴り、伏せていた目を上げる。そして枕元に置かれていたものに、気がついた。艶めいた、鼈甲のような、赤い色の。
    「…………りんご飴?」
     よく兄に縁日で買ってもらっていた甘い飴が、あった。
    「ん、ああ、祭りを全く味わえないのは、淋しいと思ってな。りんご飴なら、冷やせば少し保つからのう。冷蔵庫に入れておくから、明日にでも食べてくれ。ついでに、水も持ってこような」
    「俺への……土産?」
    「夏の特別な味を食べられないのは、勿体ないじゃろう?」
     兄の唇の色に似た飴をしばし視界におさめてから、ロナルドは口を動かす。垂れた汗が、そこを湿らせた。棘のある塩辛さは、潤すはずの透明な水ではなく、夜空を飾る提灯よりも赤い極上の蜜を求めさせた。
    「食べたい、おれ、いま」
    「ん?」
    「あにき、それ、食べさせて、くれよ」
     今度こそ、星が流れた、気がした。兄の肩が上下して、吐き出された息が困ったような渦を描く。さらに強く、不器用に手を頬に押しつけて、食べたいと、続けた。病魔の火とは違う熱さが、巡っていく。兄が弟のお願いを断らないことは、遠い昔から知っていた。病人は、いつもより我が儘になってしまうものなのだ。
    「いいぞ」
     兄の低く落ち着いた返事は、次第に早鐘を打ち始めた心臓が走り出してから、すぐに届いた。兄の碧い瞳を見上げるのが、照れくさく、そして僅かに怖くて、俯きがちに頷くのが精一杯だった。
     ちょっと離すからなと告げた兄の手が、ビニール袋を外していく。剥き出しの赤い飴は、記憶の中のそれよりも鮮やかな色をしていた。
    「寝たまま食べられるか?」
    「ん、だいじょうぶ」
     ゆっくりと傾けてくれるりんご飴の表面が、唇の熱でやわく溶ける。そっと舐めれば、懐かしい味が広がっていった。砂糖とシロップの、素朴な甘さだ。空っぽになっていた胃が歓迎する。夢中になって、舌を這わせた。
    「美味いか?」
    「うん、あにきが、くれるもんは、全部、美味いよ」
    「ふは、そうか」
     果実に辿り着くには、まだ飴の層は厚い。早く食べたい欲求と、兄との秘密めいたこの時間を終わらせたくない欲望が、胸の奥で小さな火花を散らす。ただ分かるのは、りんご飴が堪らなく美味しくて、兄の手も熱を孕んできていることだ。
     いつしかロナルドも、飴を持つ兄の手に、己の手をしな垂れるように絡ませていた。夏祭りに恋の蕾を開かせて、肌を重ねる特別な二人のように。
     気付いたときは、兄を強く強く、引き寄せようとしていた。
    「わっ、あわ、ごっ、ごめ、にいちゃ……っ」
     慌てて離した手が、それでもまた、兄を求めて宙を泳ぐ。言葉が、途切れる。兄は、弟を見ていた。弟も、焦がれるように、兄を見た。互いを、深く、見つめ合う。夜空が、碧が結ばれて、兄弟の境界も混じり合っていく。
    「どうしたヒデオ、りんご飴、好きじゃろう?」
     食べかけの飴に、兄は歯を立てた。ぱきりと、しゃりと、己の飴を兄が食べる音がした。兄を呼ぼうとして、出来なかった。
     弟をその場に縫い付けるように身をかがめた兄が、唇を重ねてきたのだ。
     額を、兄の額と、僅かに乱れた前髪がこすった。碧が触れあわんばかりに近づいて、唇に、兄のとびきり温かな熱を感じた。火照る息と共に、唾液に浸る甘いものが流し込まれる。赤い果実がとろとろと満たしていく。喉が今まで知らなかった官能的な音を奏でて、それを残さず嚥下した。
    「ん、ぅ……は、あ」
     長い、くちづけだった。銀の糸が名残惜しそうに、二人の唇を繋いだ。親指の腹で弟の唇をなぞりながら、兄は時間をかけて拭っていく。甘美な碧は、いつもの優しい色だった。
     沈黙が訪れる。けれど気まずさはなく、二本の糸をより合わせるような、確かな愛しさを包んだ静けさだった。兄から目を離さずに鼻をすすり、ロナルドは囁く。そして、飴の色に染まる手を伸ばす。夢ではないと、大好きな兄にもう一度教えてもらうために。
    「もっと……もっとほしい、にいちゃん」
     碧が蕩ける。頬を、まだ熱い兄の手が撫でていった。



     目が覚めた時、世界は夜明けを迎えていた。祭りも既に終わり、異界を作り上げていた出店も提燈も太鼓も神輿も、しばしの眠りにつく時間となっていた。
     ぼんやりと朝の瑞々しい空気の流れを眺めてから、体を起こす。いつの間にか、新しい寝巻に着替えていた。体の辛さはほぼ無くなっており、代わりに熱を吸収した氷枕は、すっかりぬるくなっていた。
    「おや、お目覚めかい、ロナルド君」
     声が届いた方向に首を傾ければ、似合わない少女趣味の寝巻姿の吸血鬼がいた。
    「顔色、大分元通りになっているね。よかったじゃない」
    「……あにきは?」
    「隊長さんなら、ちょっと前に呼ばれて出て行ったよ。ロナルド君が起きたらよろしくってさ。体の具合、心配していたよ」
    「ちょっとまえって」
    「うん。つまりは長い時間、夜が更けてからもずっと君の傍にいてくれたってことだねぇ」
     祭りを満喫したであろう吸血鬼に愉しげに笑われて、五月蠅いと顔を直角に曲げる。病み上がりとはいえ、殴りかかろうしない同居人を不審に思ったのか、眠る準備をしていた手を止めて、ドラルクはこちらを覗き込んできた。
     そして間の抜けた大きな声で、あ、とわざとらしく呟いた。
    「何だよ」
    「いや、ロナルド君も、夏祭りをしっかり堪能したんだなぁって。隊長さんが、赤い宝石を忘れているみたいだから」
     何を言っているのか分からずに乱暴に聞き返せば、口元を勢いよく指差してから、吸血鬼は逃げるように寝床に飛び込んでいった。棺桶が閉められる寸前に、からかうように手をひらひらと大袈裟に振られ、氷枕を投げたが間に合わなかった。
     地平線が明るくなっていくのを感じつつ、ロナルドは唇の端をふき取る。そして、指先に乗った兄の忘れ物に、碧い目を丸くした。絢爛豪華な花火が空へ昇るように、鼓動が高鳴るのを止められなかった。
     りんご飴の、赤い欠片。兄と酔いしれた、初めてのくちづけ。夏祭りの夜の、二人だけの記憶。
     顔を真っ赤に爆発させて、小さな欠片を眺めた。夜が消えても、忘れない想い出。決して色褪せることのない、赤。兄の手、兄の声、兄の唇。時計の秒針が何周か回った後、こちらからキスをするように、兄がくれたその飴を食べる。震える己の唇には、まだ兄の唇の感触が息づいていた。
     熱を朝空に放つように、けれど自分だけのものだと抱き締めるように、布団に急いで潜る。溶けた後の甘い余韻に、目を瞑った。途方も無く恥ずかしさが込み上げてくるけれど、とても、とても幸せだった。



     かくして、兄弟の夏祭りは終わった。
     それから後の、新横浜中の、否、世界中のどの建物よりも高く積み上げた勇気を懸命に振り絞り、弟がまたりんご飴を食べたいと兄に告白し、清水の舞台から一直線に飛び降りたそんな弟を、兄が笑って抱きとめるのは、また別の物語だ。







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