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    𝕤 / 𝕔

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    ⇢ひよジュン
    ⚠ !時代

    キャンディを噛み砕く ✦ ✦ ✦

     ふと、見上げてきた先で絡みあった視線の。あまりにもキラキラしたうつくしさだとか、とろけるようなきんいろのあまやかさだとかに。
     ああきっと、口に含んだらおいしいのだろうなあと、そう思ったぼくはなにも悪くない。



    「…………、あの、」
    「うん?」
    「……なんで、いま、齧ったんすか? んっと、あの、オレのこと」

     しどろもどろ。ぎくしゃく。おずおず。そんな様子で恐る恐る訊ねてきたジュンくんの言葉にぱちりとひとつまたたいて、なんでだろうねと返す。
     強いていうのなら、なにも考えてはいなかった。ただ身体が動いた。それだけ。
     思考をおざなりにして本能で動くなんて、人間としてどうかとは思うのだけれど。たったいま身をもって経験した本人からすれば、本当に身体って勝手に動くものなんだね、である。
     ──なんて偉ぶって思ってみるけれど、ジュンくんにそう伝えて理解してもらえる気がしない。そもそもぼくもあんまり理解していない。こんなことはいままで一度もなかったから。

     玲明学園の寮室で、ぼくは届いたファンの子たちからの手紙を読んでいた。その頃ジュンくんはなにをしていたのかというと、ぼくとジュンくんの分のお茶を淹れていたんだね。
     ソファに座って何枚かのかわいらしいデザインの便箋にまるい字で書かれた手紙を読んでいて、手にした手紙を入れ替えようとした瞬間に。うっかり便箋を一枚落としてしまったから、ぼくはその便箋を拾おうとして身を屈めて手を伸ばして。
     そしてその少し前のタイミングでお茶の入ったカップを手に帰ってきていたジュンくんがソファ前のミニテーブルにカップをふたつ置いて、ひとりぶんの隙間を空けておいたソファに座る直前に。自分の足元に便箋が降ってきたから拾おうとしてしゃがみ込んで、手を伸ばして。
     その、指先同士が触れ合う、なんて。いまどきドラマでもめったに見ない光景を実際にやってみせたぼくたちが、不意に。なんの気はなしに。ふと、顔を上げた先で視線が絡みあって。それから。
     かぷん。
     ジュンくんの無防備なツンと尖った鼻の先を、ぼくがあまく囓ったのだった。

     うん。なんでこんなことになったんだろうね。
     ぼくはソファの上から上体を傾けたまま。ジュンくんはソファの近くでしゃがんだまま。お互い視線だけは外せずにばっちりと合わせて、便箋の上で指先を重ね合わせている。
     頭上にはてなマークをいくつも浮かべているジュンくんが「なんでってなんでっすか」と問い掛けてくるのをにっこりと笑顔で黙殺。いい子だからごまかされてくれないものかね。
     ぱちん、とまたたくジュンくんのきんいろのひとみ。ああ、思えば。地獄の底のような玲明学園で、まだ名前も知れぬきみを見掛けたあの日。こころに沁み入る、ここにいると叫ぶ荒削りな波音のような歌声と、まっすぐに空を睨み付けるこの、きんいろの視線に。ぼくはこころを奪われたのだった。
     きれいだとそれだけの言葉しか思い浮かべなかったほどに、純度の高いうつくしい視線が。いまこうしてぼくを見つめているのが、ぼくを浮足立たせる。それだけじゃなくって、思ったよりもずっと根が穢れないままでいるこの子のことを。ぼくは、とってもかわいいと思っている。
     おひいさん。ぼくのことを彼だけの呼び名でそう呼ぶジュンくんの、薄くってちいさなくちびるも。そこから覗く、チャームポイントにしてもいいと思う八重歯も。形のいい鼻も。眠たげで気だるげな目付きの悪さに一役買っている重たげなまぶたも。凛々しい眉毛も。長いというより濃いまつげも。ぜんぶがぜんぶ。
     きみは、かわいい。
     あんまりにもかわいくって、食べちゃいたくなるくらいに。
     ──なるほど。そういうこと。なんだったかな、こういう衝動。かわいいものほど食べてしまいたくなる、この気持ち。キュートアグレッションっていうんだったっけ。ぼくに加虐性じみた嗜好があるなんて思ってもみなかった。かわいいものは、守られるべきなのにね。

    「おひいさん」

     だんまりを決め込むぼくに、身の置きどころがなくて気まずく感じたのか、ちいさな声で呼び掛けてくるジュンくん。歌声は高めであまい声だけど、話し声のときは静かな湖面をかすかに波立たせる細波のような声をしている。彼の名前にあるように。
     懐かない獣みたいに普段そっけない棘のある態度ばかり取るのに、本当に時折ジュンくんはこうしてぼくの名前を呼ぶ。甘え方も縋り方も下手くそで、そもそも知らないこの子の精一杯がこれ。
     かわいい。ジュンくんのこういうところを見ていると、ぼくはたまらなくなる。かわいくて、かわいくて。やっぱり、食べちゃいたい。

    「おひいさ、」

     かぷん。
     彼の薄い頬肉に、あまく歯を立てる。歯型も残らないくらい。甘噛みなんて呼べないくらい。ついでにぺろりと舌先で頬を舐めてあげれば、ジュンくんはすっとんきょうな声をあげてひっくり返った。
     ジュンくんがひっくり返って尻もちをついた動きに合わせて重ねていた指先も遠のく。その指先を頬に添えて、口をぱくぱくさせて。なにが起こった そういう顔をして忙しなくまばたきしているジュンくんに笑い声をひとつ贈ってあげる。
     バカにされたと思ったのか、次の瞬間にはおひいさん 怒っていますよ、そう主張する声で叫ばれたけれどぼくの知ったこっちゃない。
     頬が赤いのは怒っているからなのかな、恥ずかしかったからなのかな。それはぼくには分からないけど、どっちでもいい。ああ、本当にかわいい。きみはそういう態度もかわいいんだね。真っ赤になった頬を見て、ぼくは目を細める。
     この子はやっと熟れ始めてきたところ。まだすっぱい果実でしかない。あまくあまぁく、とろとろになるまで待ってあげる。ぼくが手ずから惜しみなくいっぱいいっぱい溺れるくらいに愛を注いで育ててあげるから。おいしくなったらぼくに教えてね。たべてくださいって。そうしたらぼくが残さずぜんぶ食べてあげる。
     テーブルマナーもお行儀もぼくは完璧だから任せてほしいね。そういう思いで、ぱちんとウインク。

    「ね、ジュンくん」
    「なにがですかぁ」
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