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    𝕤 / 𝕔

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    ⇢ひよジュン

    ひまわりにしずむ ✦ ✦ ✦

     うだるような、夏だった。
     じわじわと情け容赦なく降り注ぐ陽射しに肌を焼かれて、全身がひりひりと痛むやけどにまで到るような。強い陽射しは肌だけでなくその内のやわらかな肉にまで届いて、表皮のみならず身体のなかまで、すべて。焼き尽くされていく。
     うだるような夏だった。空を突き抜ける青空が、高く高く広がる夏だった。



     ここまでヒマワリが群生していると、黄金色の海原を眺めているようだ。
     ジュンは眼前一面に広がるヒマワリ畑の前に立って、ぼんやりとそんなことを思った。
     さやさやとヒマワリの葉が風に吹かれてそよぐ音が耳に響く。じわじわ、じわじわ。降り注ぐ陽射しの音も。どこか遠くで、輪唱する蝉しぐれに包まれて。盛夏のただなかで、ジュンはひとり、ヒマワリ畑の前に立っている。
     仕事で訪れたのではなく、前から来てみたかったので足を伸ばしたわけでもない。ただ、なんとなく。不意に時間が空いたから、どこに行こうと考えるでもなく自然に足が向いた方へふらふらとさまよった結果、たどり着いたのがヒマワリ畑だったというだけだ。
     本当になにも考えずに出てきてしまったから、かろうじて帽子を被っているだけで陽射しを遮るものがなにもない。半袖のシャツに膝丈のボトムスという出で立ちなばかりに、直に肌に降り注ぐ陽射しを浴びた肌は焼かれて、熱を持っていく。アイドルとしてあるまじき失態ではあるものの、いつも隣にいてジュンの失敗を叱り飛ばしてくるお貴族様がいないから、ジュンはまあいいか、と楽観するばかりだ。
     そもそも、ここどこだ。電車に揺られて、適当に乗り継いで、ジュン自身にも自分がどこにいるのか把握できていない。辺りを見回そうと思ったのに、なぜか視線をヒマワリ畑から逸らすことがはばかられた。
     ジュンよりもほんの少し背丈の足りないヒマワリが、夏風に揺られてジュンに花弁を触れされる。押し寄せては返す、金波のように。まるで、境界線だ。海と陸との境界線。渚のようだと、ジュンは思う。
     さざめくヒマワリがその身を揺らす度に、呼ばれている気持ちになる。実際にはそんなこと、あるはずがないと分かっている。──分かっているのに。
     ここ、私有地じゃねえのかな、とか。こんだけ広いヒマワリ畑なら観光地になっていてもおかしくねえのにな、とか。誰も、いないな、とか。
     ジュンの頭のなかに巡る言葉がじわじわと、夏の陽射しに溶かされて融解する。どろり。溶け落ちた言葉は戻らない。
     招かれるようにヒマワリ畑のなかに足を踏み入れたジュンの被っていた帽子が、日方に掬い取られてぽつんと、路傍に転がっていた。



     ヒマワリ畑の奥に行けば行くほど、ヒマワリの背丈は高くなっているらしい。
     いつの間にかジュンをすっぽりと覆い隠すほどに大きく育った背高のっぽのヒマワリに囲まれて、周囲がなにも見えなくなる。もうどれだけ歩いたのだろう。がさがさとヒマワリの波に飲まれて、掻き分けて、ジュンは一心不乱にヒマワリ畑の奥へと向かった。
     暑い。汗が滲んで粒になって転がって、それすらヒマワリが受け止めて地には帰らない。べたつく肌に射す陽射しはヒマワリにまだらに遮られて、それでも肌は夏の暑さで熱を上げていくばかりだった。
     なんの音もしない。いや、するにはする。夏の音だけが、ジュンを取り巻いている。
     暑さでうだる頭でジュンに分かるのは、潮騒にも似たヒマワリのさざめきと、身体に滲み入る陽射しの強さと、夏の匂いだけ。肌に触れるヒマワリの葉や、花弁の感触が波間を漂っているようで、身を任せてしまえば受け止めてくれるのではないかと錯覚まで抱いてしまう。
     ああ、でも、いいな。ここでこの花に埋もれたまま、ヒマワリの海のなかで目を瞑っていれば。それはきっと、──きっと、


    「ジュンくん!」


     響く、声が。夏の空気を裂いて、ジュンを現実に踏み止まらせる。夏の太陽みたいな、声なのに。焼き尽くす苛烈さはなく、ただただまばゆいばかりの。ジュンが、おひいさんと呼ぶただひとりのひとの声が、ジュンの名前を呼んだ。
     ヒマワリ畑の奥へと進んでいく足を止めて振り返る。ヒマワリが一斉に彼に顔を向けるのではないか、そう見紛うようなひとが、ヒマワリを掻き分けて必死にジュンを見つめていた。

    「おひい、さん」
    「もう、どこに行ったのかと思えば! なんでこんなところにひとりでいるの! ぼく何回も電話したんだけどね、ジュンくんはスマホも持たずに出歩くような粗忽者だったかね」
    「え、っと。電話、鳴ってないと思うんすけど……あれ、スマホ持ってたよな、そもそも」

     夏の気配しかしなかったなかに、突然の異物が混ざり込んで頭がくらんと回る。異物。異物とはなんだ。目の前の彼をそんな風に思うだなんてこと、ジュンはただの一度もなかったというのに。
     緩慢な動きで身体中を漁り、ボトムスのポケットにスマホが入っているのを見付けて引きずり出す。確認してみれば確かに、彼の言うとおり着信が山のように入っていた。マナーモードにしていたわけでもないのに、おかしいなと首を傾げる。頭がぼんやりしてうまく働いてくれない。熱中症気味なのだろうかとも思うものの、具合の悪さは少しもないのが不思議だった。

    「電話、鳴ってたみたいっすね。すみません、オレ、気付かなくて……、」
    「そうだろうね! ぼく、いっぱい、いーっぱい鳴らしたからね! あんまりにも繋がらないから茨にGPS追跡してもらったんだから!」
    「……マジすか」

     それ、ナギ先輩がよくやられてるやつじゃん。
     と思った言葉はなんとか飲み下した。どうやってジュンの端末のGPSを、と聞くだけ無駄だろう。茨はそういうことに長けている。
     呆けたようにスマホの画面を眺めているジュンに焦がれたのか、日和が長い脚で一息にジュンとの距離を詰めてくる。すべての動作が鈍いジュンに顔を顰めて、日和はジュンの手首を握りしめた。ひんやりとした手のひらと指の感触が、火照った肌に心地好い。
     それなのに、背筋がぶるりと震えた。日和にしては強い力に怯えたのではない。ただ、その冷たい感触が、なぜだかジュンを震わせただけ。こわくはないのに。どうしてなんだろう。
     いまだ茫漠としてまとまらない思考のなかで、日和がまっすぐにジュンを、気遣いを含んだまなざしで見つめていることだけは理解して。視線を絡めるように返せば、日和は握りしめた手首を引いてぽつんと呟いた。

    「帰ろう、ジュンくん」
    「あ、──えっと、」
    「ここは暑いからね。いつまでもいたら熱中症になっちゃうね。はやく帰って、涼しいお部屋で休もうね」

     日焼けもしちゃうし、悪い日和。
     そう言葉を継いでジュンの手を引くと、日和は元々歩いて来た方へと歩を進めていく。ジュンに背を向ける恰好になった、まっすぐに伸びた背中がちかちかとまたたく。ヒマワリを掻き分けてジュンを連れていく日和は、どこか焦っているように見えた。
     沈んでいた水底から、引き上げられるようにして。ヒマワリの波間を逆らって進んでいく度に、ジュンを引き留めるように肌に触れる葉がぴりぴりと微細な引っ掻き傷を無数につけていく。実際には傷はないのかもしれない。ただ、ガラスの表面に細かい擦り傷が刻まれていくのにも似た、そんな感覚に苛まれた。
     そんな急がなくてもいいのに。もっと、ここにいたって。
     日和の歩みを遮って、振り返ろうとして。そこに留まろうとしたジュンの気配を察したのか、日和が握りしめた手に力をいっそう込めたのを感じた。そのままぐいぐいと引っ張られたので、振り向くのは諦めて日和の後をついていく。
     ざわざわと葉鳴りが響くなかを無言で歩いていれば不意に視界が開けて、ヒマワリ畑を抜けた。……抜けた? こんなに急に? ジュンがヒマワリ畑に足を踏み入れたときは、こんなにヒマワリの背丈は高くなかった気がしたのだが。思い違いだろうか。
     ジュンが首を傾げていると、ぽつんと路傍に転がっているジュンが身に着けてきた帽子と、開いたままになっている日和が愛用している日傘を見付けた。ふたつが折り重なるようにして打ち捨てられている。
     日和はそこにジュンの手を引いたままトコトコと歩み寄っていって、まずはジュンの帽子を拾い上げた。身体を起こす動きの流れでジュンの頭に帽子を被せ、次いで日傘を拾う。いまだに掴んだままでいる手首とは逆のジュンの手に日傘を押し付けて、日和は目を細めた。

    「持って」
    「は」
    「なにしてるの。はやく持って。ぼくのお世話はジュンくんの仕事だね。そんなことも思い出せないのかね」
    「……はあ」

     あまりにもぐいぐいと押し付けてくるものだから、つい受け取ってしまう。まさかジュンだけが日傘をさすわけにもいかないだろう。仕方なしに日傘を持った手を逆側の腕の前まで持っていき、横に並ぶ日和の頭を傘の下に入れた。日和が掴んだ手と日傘を持つ手を入れ替えてくれれば多少なりとも楽な恰好になるのだが、日和がそれを許してくれることはなさそうだ。
     お互いが日傘の影の下に入ったのを確認して、日和がそっとジュンの手首を離す。次いで離した手を滑り落としてふたりの手のひらを合わせて、ぎゅうと隙間なく握りしめる形になった。
     日和はもう一度、呟く。帰ろう、ジュンくん。
     ジュンは日和を視線だけで見上げて、こくんと頷いた。



     日和と肩を並べて歩いていく横目に、黄金色の海原を眺める。さやさやと風に吹かれてそよぐヒマワリがびっしりと群生している。
     吹き付ける風ですら、熱い。うだるような夏の日だ。
     夏の高い空とコントラストのはっきりとした黒い影、響き渡る蝉の鳴き声、地面から立ち上る陽炎。土の匂いと、葉の青い匂い。
     こんなにも生命の溢れる季節なのに、どうしてか。夏はひどく、死の香りがする。
     吸い込む空気ですら熱を持って、ジュンの肺を焼いていく。それは熱病に浮かされているときの身体の熱さに似ていた。
     このまま、夏の熱さに茹でられて死んでしまうのだろうかと、不意に思う。切り取られた一夏に囚われたまま、このままで。
     ああ、でも。死ぬのなら、そのときは。ひまわりにしずんでしにたいと願った。
     あなたに焦がれる、あなたに似た、この花の下にどうか埋葬してほしいと。そう乞えばきっとあなたは声を大にして怒るから。
     ジュンはそっと繋がれた手に力を込めて薄い日和の手を握りしめて、身体のなかまで焼き尽くす熱を持て余すように息を吐き出した。
     吐き出した息は、夏の匂いがした。
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