桜のつぼみが膨らみだして、別れの季節を知らせる。卒業証書を受け取りに壇上へ上がる謙也の姿を、光はどこか違う世界の出来事であるかのように見ていた。
もしもあの夏のあの日、謙也と光が二人でダブルスを組んで試合をしていたら結果は変わっていただろうか。結果が変わることで、関係も違っただろうか。その答え合わせをする機会はもう永久に訪れない。所詮たらればの話だ。だがこの「たられば」の話を思うたび、タイムスリップをしたかのように当時のコートの感触や空気の不快なぬるさ、奇妙に早い心臓の動き、上手に動かせない身体の感覚があまりにもリアルに思い起こされるのだった。いつでも青春時代に戻れると言えば聞こえはいいが、その味を甘酸っぱいとかほろ苦いなどと物分かりのいい言葉で表現できるほど光は大人ではなかった。ただ、忘れてしまおうと思うこともなかった。思い出してどんなに吐き気がしようとも、忘れない。絶対に忘れてなどやらない。これは恋心なのか?だとしたら、自分は相当どうかしている。
ただ一つ恐れていること。それは謙也が後悔や光に対する哀れみの念を抱いていやしないかということ。謙也の心に少しでもそのような思いがあれば、その時点でどう足掻いても埋めようのない隔たりが生まれ、二度と元のように話すことすら叶わないと光は悟っていた。それだけが堪らなく怖かった。
式の後、テニス部で集まって送別会が開かれた。こうして集まるのは最後だというのに、相変わらずアホをやっては皆で笑い転げていた。笑い泣きの中に本当の涙が隠されている。少し前の光であれば気付けずにいたことが、今ならはっきりとわかる。
新部長として大して気の利いたことを言えないまま、蔵ノ介に花束を渡した。
「ありがとう、財前。頑張ってな。せや……」
蔵ノ介はそう言うと、背後にちらと目配せをした。
「ケンヤが言いたいことがあるんやて」
周りから囃し立てられて、ばつが悪そうに頭を掻きながら謙也が出てきた。光の胸の鼓動が勝手に早まる。
「あんな、全国でのことなんやけど。俺は後悔しとらんから」
「え……」
「けど、これから後悔したい。今年のお前を見て、もっともっとお前と一緒にテニスしていたかった、しておけば良かったて心の底から思いたい。せやから……俺を後悔させるくらい強なってな。ずっと見とるから」
なんやねんそれ。去年の俺が弱すぎみたいやないですか。あと、テニスならこれからいつでも一緒にできますから。言いたいことが山ほどあるのに、一つも言えなかった。代わりに全てを語ってくれたのは、光の両目からぽろぽろこぼれ出した涙だった。
「あー!ケンヤ、財前を泣かした!」
「え、お、俺、何か変なこと言うたか?」
金太郎が大声で言うものだから、泣いていることがばれてしまった。
はじめは戸惑っていた謙也だが、そのうち自然に手が伸び、光を優しく抱きしめた。
「ありがとな、ありがとう、財前」
その姿を見て穏やかに微笑む者、つられて泣き出す者、皆が今日からそれぞれの道を歩き出す。その表情のどれもが眩しいくらいに明るい。開け放たれた窓から入り込むうららかな陽射しが光の涙を乾かしていった。
もう、怖さはない。校舎を出た光の髪を春風がふわりと揺らした。これはやはり、恋心なのかもしれない。「たられば」の話はまだ上手く飲み込めないけれど、そんなことはどうでもよかった。一歩、二歩と地面を蹴って走り出す。謙也さんとまた会いたい。話がしたい。息を切らして走る今この瞬間、全てが生まれ変わって新しい自分になれる。そんな気がした。