思わず持っていた荷物を落としてしまった。それなりの音を出してしまったはずだけど、女子生徒の歓声の方が勝ってそれに気付かれずに済んだようだ。手早くそれを拾いその場を駆け足で後にする、これ以上何も聞きたくなかったからだ。グルーシャさんには好きな人がいる。それもわたしみたいな学生じゃなくて、きっと素敵な大人の女性。だからもう叶わないし伝える事なんて出来る筈もない。それを実感するともっと胸が苦しくて張り裂けそうになる。まさかこんな簡単に初恋が粉々に崩れ去るなんて思いもしなかった。
――どんっ。
前を見ないで走っていたから気付かずに思い切りぶつかってしまった。慌てて謝罪を口にする。
「ご、ごめんなさ……ってスグリ?」
「わやアオイじゃ〜。俺は平気やけどアオイこそ、大丈夫? なんで……泣いとるの?」
目の前にいたのは、何やらアタフタしているスグリ。泣いてる? なんて聞かれて頬に手を近づけるとポロポロと瞳から溢れ出す何か。そこでわたしは自分が漸く泣いている事に気が付いたのだった。
「……うぅ……。スグリ……、わたし……」
「一体どっしたの? 俺で良ければ話して」
優しく頭をポンポンと叩いてくれるスグリに、更に悲しい気持ちが勝り涙が勝手に溢れ出してくる。
「わたし……っ、わたし……」
「うん」
「わたし……、しっ、失恋した……! 辛い! 悲しいよ! うわぁん!」
「ア、アオイ⁉︎ な、泣かんでよ! どうしよう……」
「ひっく……ひっく……」
「どうしよう……、俺そう言うのわかんねっからなぁ……。あ! そや! ねーちゃんに聞いてもらお! な⁉︎」
慌てふためきながらスグリは、わたしが持っていた荷物を片手にわたしの手を引きその場を駆け出す。けれどそれどころではないわたしはただ子供のように泣き続けるだけ。こうしてあっさりとわたしの長年の初恋は幕を閉じたのだった。
「あんたバカねー。 追いかけるんじゃなくて追いかけられる女にならなきゃ。失恋ごときで泣いてんじゃないわよ」
泣きながら連れてこられたのはゼイユちゃんの部屋。たまたま学園にいたらしく、必死な形相のスグリとワンワン泣き続けるわたしにドン引きしながらも部屋に入れてくれて泣き止むまで話を聞いてくれた。
「だ、だって……」
そりゃそうなんだろうけど、そんな魅力わたしにある訳ないじゃないか。ちんちくりんな自分に尚更がっかりしてしまう。
「バカ! ねーちゃん! 落ち込んどる人にそげんな言い方!」
「はぁ⁉︎ 恋愛のれの字も知らないお子ちゃまは黙ってな! 手ぇ出るよ!」
「うぅ……」
いつも通りの姉弟の掛け合いを見てちょっと笑ってしまう。笑ってしまうけれど涙はなかなか止まってくれず、泣き笑いみたいな変な表情になってしまう。
「はぁ――……。ごめんね、ゼイユちゃん。 でもその人、学生は好きじゃないんだって。そりゃ対象外だよね。もうどうしようもないよね……」
自分で言葉にしておいてまた撃沈する、そりゃそうだよね。年下なんて、大人の人からしたら子どもにしか思えないはずだ。グルーシャさんだって、わたしがチャンピオンだから構ってくれているだけで本当は年下の学生なんて見向きもしないはずだ。
「まぁ逆立ちしたってどうにもなんないわね、諦めなさい」
「そ、そんな殺生な……」
スパッと言い切る姿が容赦ないけれど的を得ていて何も反論出来ない。
「……アオイ、泣かんでよ……」
下を向き止まらない涙を流しているとそっとハンカチを差し出してくれるスグリ。優しさが今は辛い。
「失恋って……こんなに辛いんだね。わたし、知らなかったよ」
「何言ってんの、告白も何もしてないんでしょ。始まってもないじゃない」
あっけらかんとはっきり告げるゼイユちゃんに言葉を無くす。まあ、その通り過ぎるのだけど。
「大体さ、そんなもんよ。初恋は実らないって言うでしょ? さっさと諦めて次に行きなさいよ、次」
足を組み直しはぁと一息。ゼイユちゃんは凛とした強さと揺るぎない心があって、それにさっぱりした性格が凄くカッコいい。それに物事だっていつも前向きに捉えられているのだろう。わたしもそうで在りたいと思うし、言っている事もそうなんだろうけれど。今はまだ気持ちが追いつかなくてまたじわりと涙が瞳に溜まり始める。グルーシャさんがパルデアに帰っちゃったら今までみたいで会えないのかな。……会っても辛いだけなのかな。でも、会えなくなるのは……そんなの嫌だな。
「次……、次なんてあるのかな」
「ないわけないでしょー? ポケモンの数ほど男も女もいるって言うでしょ」
わたしのウダウダを一切合切断ち切ってくれるゼイユちゃんの言葉に少しずつ気が楽になっていく感覚がする。そっか、グルーシャさんだけじゃないよね。でも、グルーシャさん以上に好きになれる人が現れるのかな。
「……でも、きっと今以上に好きな人出来ないと思う」
「そんなの思ってんの今だけよ。と言うか、そこまで言わせるあんたの好きな人、気になるわね。ちょっと教えなさいよ」
「ちょっとねーちゃん! アオイが可哀想だよ」
乗り出してきてニコニコ笑うゼイユちゃんと、引き離そうと躍起になってくれているスグリ。いつも通りな姿に段々楽しくなってきて、気が紛れたみたい。話せて良かったかもしれない。
「えっとね、ポケモンバトルがすんごい強いの。それに冷静だけど情熱的で」
「それで?」
「自他に厳しくてストイックな努力の人。普段は素っ気ないんだけど実は凄く優しいの。困ってたり悩んでたらそっと手を差し伸べてくれるの。繊細なのに、自分の事より人の事ばっかり。ほんとに素敵な人なんだ」
好きな所をあげているとまた胸が苦しくなって涙が溢れる。それだけじゃない。グルーシャさんはもっと素敵なところがいっぱいあるのにそれが上手く伝えられないのがもどかしい。
「アオイにしてはなかなかの見所があるんじゃない? で、その人はブルーベリー学園の生徒? それともあんたのアカデミー?」
「同級生じゃないよ。ジムリーダーの人だよ」
それを告げると、ゼイユちゃんもスグリも目を丸くして「はぁ⁉︎」なんて吐き出して吃驚している。あれ、なんか変な事言ったかな。
「アオイあんた、だいぶ大それた事してんじゃない。それは流石に高嶺の花よ。諦めなさい」
「流石アオイだなぁ。主人公みてぇけど、ねーちゃんの持ってる少女漫画みたいに上手くいかねぇもんなんだな」
「わ、分かってるよ! 不毛な想いなぐらい! けど……諦めらんなかったんだもん……」
やっぱり誰が見たってそうなんだ。わかりきっていたけれど改めてそれを実感すると悲しくて、また胸が痛くなってくる。
「まあでもいい経験よ。失恋して心も成長して、辛い経験を重ねて磨きがかかって良い女になるんだから」
泣き続けるわたしにハンカチを差し出してそう告げるゼイユちゃん。失恋もいい経験? 今はそう思えないけれど……いつかは振り返って笑えるのかな。
「わたし、良い女になれるかな」
「このあたしが見込んでるんだからなるわよ。そうしたら相手の男、後悔しちゃうかもね」
「……格好良い事言って知ったかしたって、ねーちゃんだって彼氏いたことねぇくせに」
泣いているわたしを見たスグリはポツリ一言。そしてやっぱり怒り出すゼイユちゃん。
「スグ! あんたいい加減にしないとほんとに手ぇ出すよ!」
「わやじゃ!横暴じゃ!」
やっぱり始まったいつもの姉弟喧嘩。あまりにもいつも通り過ぎて涙も止まって思わず声をあげて笑ってしまう。
「あーすっきりした! 話聞いてくれてありがとう。なんだか泣いたらお腹空いちゃったな」
「……! んだばアオイ、学食行こう! 学園定食奢るべ」
「やったぁ! じゃあポテトは半分こしよう! ゼイユちゃんも行こうよ!」
「え、嫌よ。あんな高カロリーの。あんたらお子ちゃまだけで行きなさいよ」
「んな事言っていつもポテチ一袋食ってるくせに……」
睨み合う二人の手を取り部屋を出る、「仕方ないわねぇ」なんて言いながらこうやって付き合ってくれる二人にすごく感謝している。今はまだ胸が痛いけれどゼイユちゃんの言葉通りこれが糧になってもっと素敵な女性になれるかもしれない。だから今はこの痛みに向き合おう、そう前向きになれそうだ。