「じゃあ、いってきます。……っていつまで不貞腐れてるんですか?そんなに拗ねなくても」
「……拗ねて無いし、不貞腐れてもない。ただ腑に落ちないだけなんだけど」
玄関先で荷物もばっちりで、リーグから支給されたスーツも決まってるし上手にメイクも出来たし髪も珍しく乱れていないわたし。そしてカタカタと腰のベルトにはモンスターボールが揺れるくらい元気いっぱいと全身で表してくれる頼もしい相棒たち。
その反面、今日は遅出だからとゆるゆるな部屋着に寝起きのままに乱れた髪で大口をあけて欠伸をひとつ落とすあなた。昔ならばこのギャップにときめいたりこんな姿を見れるのは世界でわたしだけ!だなんて変な優越感なんて持ってみたりしてみたけれど、いまとなればそれが当たり前で日常で。それがなんだか嬉しかったりもしていた。ただ、今朝に関してはそんな風になれなくてただ、どう機嫌を直してもらうかばかり思案して、当の本人はあるがままに不機嫌そうに口を尖らせてわたしの身支度を厭そうに見つめていた。
「もう、何回も説明したじゃないですか!今日の調査はすぐ終わるし危険度は1だって」
「でもエリアゼロじゃん。しかも最深部のゼロラボ付近でしょ。どうであれ、行かせたく無いに決まってるし。なんでアオイじゃなきゃ駄目なの?」
あ、ヤバい本気で機嫌損ねるやつだ。彼が不貞腐れると後々がとても面倒だ。無視されたりだとかキツイ言葉を突きつけられるとかそんな事はないけれど、ずーっとベッドから離してくれなかったり傍から離れてくれないやつ。それに億劫とした重い空気がまた鬱蒼とする。まあ彼は彼で不満なんだろう、わたしの奔放ぶりに業を煮やしている筈だから。
職場であるポケモンリーグ。基本は内勤でジム運営や公式バトルに関する業務についているけれど、ごくたまにこうして調査班の人員が回らない時など調査に駆り出されることもある。この調査班はそれなりの実力、強さを保持していなければ任命されることはない。何故ならば未知数の危険なポケモンやまだ謎の多いエリアゼロに渡り合えないし危険を有してしまうから。そのせいかなかなか人員が補充されることがなくいつだってカツカツだ。そこにわたしが駆り出される理由はひとつ、アカデミー在籍中に取得したチャンピオンランクを今も保持しておりそれをまだ破られていないから。つまりネモとわたし以外、未だにチャンピオンランクに到達する人が現れていないということだ。
「大体チャンピオンになれる人が現れないって、ある意味グルーシャさんのせいもあるんですよ。ナッペ山ジムが強すぎて皆心折れちゃうんですから」
「ぼくのせいにしないでよ、そんなの折れる奴が悪い。それに知ってるでしょ。態とでも負けるの嫌いなの」
あまりにも不遜とした解答に言い淀んで押し黙る。確かに彼は出会った時こそ、無気力で淡々と物事をこなすところがあった。けれどわたしとの勝負を通して忘れていた勝利への情熱や渇望、そして元来よりの負けず嫌い。それがすっかり根付いてしまい手の抜き方を逆にさっぱり忘れてしまったそうだ。だからよくリーグより苦情が入るがどこ吹く風だ。それにここ数年わたしは、わたしの思いつきや頼まれれば勢いのみで一切の制止も聞かず飛び出して、大なり小なり何かしら怪我を作ってきて帰ってきてはけろっとしてるものだから気の長い彼も(わたしに関しては)そろそろ堪忍袋の緒も切れてしまいそうなのかもしれない。
「まあ確かにそうですね」
「でもこれとそれは話は別だよね?本当に断ったの?」
「勿論。今回は流石に断りましたよ最初は。でも仕方ないんですよ、わたし以外みんな地方に出張中」
同じチャンピオンランク保持者のネモは今、アローラへ出張してるし他の人だってそう。四天王の方々もいま、アカデミーの課外活動でパルデア中を駆け巡ってるポピーちゃんの代わりを3人で回しているようでそれどころではないようだ。…アオキさんそういえばまた目の下の隈が濃くなってたなぁ。
「むむ…。それとしても、一ヶ月後、何があるかちゃんとわかってるの?」
「あったりまえじゃないですか。だから今日行くんですよ。そうしたら明日から二か月の有給ゲットだぜっ!ですから」
笑みを作って思い切りダブルピースを見せてみると、漸く眉間の皺が緩みふっと表情が崩れて思い切り抱き寄せられる。
「ちょっ。ちょっと!ファンデ崩れるしリップついちゃう!」
「別にいいよ」
いやいやいや!わたしがよく無い。過去一で成功して上手く盛れたのに。でもこうなると暫く離してくれないことは過去の経験上痛いほど痛感している。最早諦めて彼の背に腕をまわすことにした。
「…そんなに心配しなくても大丈夫ですよ?わたし強いんで」
「否定はしないけど、心配するに決まってる。ぼくの奥さんがまた危ない事に足を突っ込もうとしてるのに」
「……まだ!婚約中!まだ!」
「一緒に暮らしてるんだからどっちでも同じだろ。…無茶と怪我だけはしないでよ。やっと結婚式、挙げれるんだから」
はぁと深い溜息がわたしの身体を通り抜ける。安堵と不安が入り混じったそれに心が疼く。うん、確かにそうだよね。グルーシャさんはずっとずっとわたしを待っててくれていたんだよね。それを思い出して何となく安心させたくて、努めて明るい声でそれを告げる。
「大丈夫、心配しなくてもちゃんと今日だってすぐに帰ってきます。今日遅出だから帰るの遅い日ですよね、夕飯作って待ってますから。なに食べた…」
にこっと再度笑みを作ると抱き寄せられていた肩を離され顔が近くなる。そして唇に触れるくらいの軽い口づけ。
「……ほら。そんな事するから唇にリップついちゃってる」
「別にアオイのだからいいよ。夕飯もあんたが作ってくれるなら何でも」
「出た!何でもいいが一番困るのわかってます?」
互いに顔を見遣って込み上がる笑い声。こういう些細な日常が幸せっていうのかな。
これから先、大切で大好きな人とこんな穏やかで優しい日々が続いていくんだと思うと尚更気合いが入る。
「じゃあ本当に気をつけて」
「はーい!いってきます!グルーシャさんも気をつけて!」
思い切り手を振って、暫しのお別れ。勢いよくわたしは相棒のコライドンをモンスターボールから出し跨り走り出す。目指すはチャンプルタウンの少し先、パルデアの大穴。十数年前まだアカデミーに入学したてだったあの頃、親友たちと初めてエリアゼロに足を踏み入れた以来リーグの方でも幾度となく調査班が隈なく調査をしきって、パラドックスポケモンや新種であろうポケモン、そして結晶体の研究も進んでいた。数年前に調査は終了かと思われたけれど再度エリアゼロ、第四観測ユニットを超えて更に最深部へ向かう方向に新種らしい疑わしき陰が撮影されたと調査用のロトムより映像が送られてきた。それ以降は撮影出来なかったようでゼロラボ方面に向かったのではないか、と推理され直様調査へと思われたけれど近々の人事異動やリーグへの人員不足そして何よりもエリアゼロにでも渡り合える力量のあるトレーナーの不足など、幾多の切迫とした事情があった。だからこそ現チャンピオンランクの保持者、との理由でわたしとネモに白羽の矢が立ったけど、生憎ネモはアローラへ出張中。わたしが行くしか他ないのが実情だった。
「(……オモダカさんも新しいトップチャンピオンの育成に大変そうだし、ネモもいないし正直断りにくかったんだよね)」
彼にはああ話したけれど、実際は二つ返事で了承して断りを入れていない。心配性な彼だから、あまり負荷をかけたく無いしやっぱり結婚式前だってことを加味してわたしだって出来れば断るべきだと思ったけれど、状況が状況すぎて。ましてやあのエリアゼロだ、昔に比べて安全だとしても危険は承知の未開の地に変わりはない。でも新種かもしれないポケモンに出会えるかもしれないのは確かに楽しみに違いはないけれど。
そうこうしているうちに、あっという間に目的地であるパルデアの大穴、ゼロゲートへ到着。また滑空で降っていっても楽しそうだけど、とりあえず早く調査を終わらせて帰らなきゃと頭の中はそればかり。なので、コライドンをモンスターボールに戻して代わりにマスカーニャを出す。何かあればすぐさま対応出来るように。
「あ、アオイさん来た来た。こっちですー」
「おはようございます、遅くなりましたぁ」
マスカーニャと共に調査班の皆さんの元に集まる、実際にゼロラボに行くのはわたし1人だけど、ゼロゲートに待機してもらい調査用のスマホロトムを使って連絡を取りつつ、応援が必要となればすぐに駆け付けてもらう手筈となっている。
「いやぁこっちの人員不足のせいで迷惑かけちゃってごめんね。ご主人、大丈夫?すごく怒ってたでしょ?」
「…まだ!婚約中です!まだ!」
調査班の一人でアカデミーからの知り合い兼リーグに就職してからお世話になっている先輩からのとんでも発言。朝のやりとりを思い出すようなワードが出てきて相変わらずそれに慣れないわたしは、まず否定から入る。
「来月結婚式でしょ?何を照れてるんだか。それにご主人、すごい剣幕だったよ。昨日リーグに来て苦情を呈していてね」
「はぁ!?」
何も聞かされていないわたしは驚きを隠せず思わず声をあげる。ちょっと待ってよ、昨日は確か残業で遅くなるって。で、ほんとに遅かったのってナッペ山から態々職場に行ったってこと?
「なんで調査班じゃないうちの妻が行かなきゃならないんだ。って。グルーシャさんってあんなに熱くなる人だったのね。」
愛されてるねぇ、なんてクスクスと笑い出す先輩に吹き出す冷や汗と赤面が止まらない頬。しかも妻呼ばわり……。慣れないからやめてって言ってるのに。
「うわー……。なんかすみません先輩。ご迷惑をおかけしたみたいで…」
「いやいや。ご主人の言ってることが最もだから。本当にごめんね。」
「ご主人とか…やめてくださいほんと…」
そんな会話をしつつ全ての用意が完了、暫しの別れを告げマスカーニャと共に歩き出す。奥まったところに鎮座してあるエレベーターに乗り込み、手慣れたようにB四のボタンを押す。すると忽ち急降下。体感的には瞬間移動をしているようだ。
あっという間に第四観測ユニットに到着、ここから記録用にスマホロトムを録画モードにして動画を撮影する、逐次データを送信するためだ。
先頭にマスカーニャを置きすぐ対応出来るよう共に先へ進む、十代の頃はパラドックスポケモンを全てゲットするために、よく無断でエリアゼロに訪れてはバトルしまくってゲットしてたっけな。今では流石にやらないけれど、その甲斐あってポケモン図鑑は何とか完成してジニア先生にも喜んでもらえた。そんな事を思い出しながら、思い入れのある場所を歩き回りロトムが新種のポケモンらしき姿を捉えた位置に到達。他の場所に比べて異様に結晶体の数が多く、その光は妖しさを秘め隠しているようにも思える。周囲に意識を集中させながら目的物を捜索しその度に襲いかかってくるパラドックスポケモンたちをマスカーニャのトリックフラワーで退ける。やはりここで現れるポケモンたちは過去に捕まえたことのあるものたちだけで、情報のような新種はなかなか見当たらない。
「……ロトムの誤撮影かな。それらしいの……見当たんないなぁ」
攻撃を出せば出すだけ吸収されているように思えて、結晶体だけがますます妖しく美しく色と光を変えて輝き満ちている。まるでテラスタルした時のマスカーニャの強く気高く凛とした姿のようで。少し畏怖を感じる。それを誤魔化す為に、キョロキョロと辺りを見回しながら先を行く相棒に声をかける。
「マスカーニャ、どう?大丈夫?まだいける?」
「ニャー!」
相棒に声をかける、すると返ってきたのは頼もしい回答。それを受け、笑顔で返答し更に奥へと歩みを続ける。あともう少しだけ探索したらもう切り上げよう、やはりあれはただの陰でした。と報告書に記載して。そんな事を考えながら歩いていたから、一瞬の判断が遅れてしまった。強烈な光が目前に光ったと思えば気が付けばわたしは地面に倒れ込んでいた。その隣にはわたしの盾になるように蹲み込み臨戦態勢を取っているマスカーニャ。威嚇するように小さく「シャー!」と睨み聞かせている。
判断が遅れたわたしを光の攻撃から庇うため、マスカーニャは思い切り突き飛ばしたようだ。おかげでわたしは無傷だけど、代わりに新緑色の綺麗な毛並みは少しばかり焦げてしまっているようだ。
「マスカーニャ……!ごめん、大丈夫?」
「…ニャっ!」
問題ない!と言ってるかのように、いつも通りクールな返答と投げキッス。その様子に少し安堵をして再度来るであろう攻撃に備える、そして横目でスマホロトムの確認も怠らない。この異様なバトルと状況をリーグへ送り、応援を寄越して貰わなければ。
「もしもし、こちらアオイ。聞こえますか?」
「ジジっ――…。ザ――……」
イヤモニでゼロゲートにいる調査班に連絡を取るけれど雑音と砂嵐で返答もなければこちらの声も聴こていないようだ。電波系は全て遮断され、これではスマホロトムの撮影も期待は出来ないだろう。この子は電気系統のポケモンなの?
兎にも角にも、外部との連絡が遮断された今わたしとマスカーニャで何とか凌ぐしかないのだろう。なるべく危険地帯に連れて行くのはやめようと、コライドンや他の手持ちの子たちは上に預けてきてしまった。判断ミスで少し痛手だったかもしれない。
じりじりと感じる緊張感、そしてますます結晶体の光は強くなるばかりだ。本体も心なしか大きくなっているようにも思われる。
「結晶体が…伸びてる?テラスタルの光の影響かな…」
呟き、違和感を感じるがきっといまはそれどころではない、何処から攻撃を出されるのか……マスカーニャと呼吸を合わせるように更に緊張感を高めて辺りを見回す。するとふわふわと何が浮遊しているのを確認する。
「……あれは…?黒い球体……」
その瞬間、何が頬を掠めた。頬にたらりと血液が流れ足元は何が墜落したようで、小さな陥没穴が目視出来た。小そうに見える黒い球体、影のようで物体のようで。でも正体は掴めなくても攻撃力は半端ではない強さを秘めているようだ。
「早い……!マスカーニャ、球体に向かってリーフストーム!」
「シャー!」
こちらのとくこうを下げるけれど、至近距離での攻撃ではまたあの謎の光に当てられるかもしれない。だから遠距離で尚且つ攻撃力のある技で先制攻撃をする。未知なるポケモンであるから長引かせればせるほどこちらは不利になっていってしまう。
「からの、トリックフラワー!」
「ニャっ!」
連続攻撃で相手のHPも削れたはずだ、そう確信してハイパーボールを取り出す、あれが新種であればまたエリアゼロに対する研究が盛り上がり始めるだろう。パルデア発展に繋がると、また喜ばれるだろうな。それを考えながら、でもふわりと動いた瞬間を見逃さない、それに目掛けて思い切りボールを投げ吸収されていくことを確認する。地面に落下しボールは静かに左右動きを見せる。そこで漸く安堵する、これでカチっと音が鳴ればゲット出来る。そう息を吐いた瞬間、ぼん!と大きな爆発音が背後から鳴り響く。粉々に散らばるハイパーボール、そして溢れ出す煌煌とした鮮やかな光。黒い球体だったのにそれはまるで花火のように、色鮮やかな姿に変わり繰り出される技さえ止まることなく一発二発と連続として輝き出す。その光はまるでスターマイン。
「え……⁉︎失敗⁉︎……っ!マスカーニャ‼︎」
相棒の名を叫び近くに駆け寄る、光の眩しさで目が眩みマスカーニャもその場から動けずに立ち尽くす。駄目だ間に合わない……!
結晶体の光も合間見えて、更に辺りは光に包まれる。そしてテラバーストのような攻撃がわたしたちに向かって放たれる。まるでその瞬間はスローモーション。光に包まれながら思い出すのは彼のこと。また心配かけちゃうんだろうな、悪いことしちゃったな。
「(夕飯作るって言ったのに約束守れなさそう。ごめんね、グルーシャさん)」
マスカーニャを抱きしめ思い切り瞳を閉じて繰り出された攻撃の痛みの衝撃に備える。まもなくそれは訪れる。