「……そう珍しいものでもないだろうに」
ムリナールがぼそりと呟いた言葉で、トーランドはぴたりと手を止めた。共寝をした翌朝、目覚めはしたがどうにも起きるのが億劫で、隣でまだ背を向けて眠っているムリナールの頭からぴょこんと飛び出たクランタの耳を弄って遊んでいたのがばれていたようだ。
「ん、おはようさん。嫌だったか?」
「……いや、単純に疑問に思っただけだ。お早う」
気怠そうに欠伸をした後、ムリナールはもぞもぞと身じろぎしてトーランドの方に体を向けようとした。だが、夜通し酷使された体にはまだ上手く力が入らないらしい。途中で諦めてぱたりと仰向けに力尽きると、ムリナールはあからさまに聞こえるように溜め息を吐いた。この疲労の責任者であるトーランドは苦笑いでムリナールの体を引き起こし、自分の方を向く姿勢にさせてから、シーツまで丁寧に掛け直してやった。
「そりゃお前さんよぉ、自分の体に付いてないパーツってのは大抵面白いもんだろ」
自分もシーツに潜り直し、再びムリナールの耳に手を伸ばしながらトーランドは話を引き継いだ。その指先が僅かに耳の毛先に触れるか触れないかというタイミングで、それを敏感に感じ取ったムリナールの耳は反射でくるりと向きを変えた。そこで手を離すと、また元の向きに戻る。トーランドは面白がってもう一度手を近付けようとしたが、残念ながら今度は渋い顔をしたムリナールの手に阻まれてしまった。
ムリナールは改めて自分の耳を触ってみたが、やはり、何の変哲もない一般的なクランタの耳でしかない。
「……クランタなぞそこら中に掃いて捨てるほどいるんだ。耳も見慣れているだろうに……悪いが私には分かりかねる」
対するトーランドは、いかに説明したものか、と宙を見つめて言葉を探す。
「何つーかなあ、こう……意味合いはちょっとずれちまうが、百聞は一見に如かず、みたいな話だよ。こちとらなーんの面白味もねぇ固い角しか付いて無かったんだぜ? お前みたいな耳は実際触ると柔らかいしよく動くしで、遠目に見るよりはるかに面白いってわけよ」
「……角か」
ムリナールは独り言のように小さく呟いてから、トーランドの角──があったであろう辺りに目を遣った。
触りたそうだな、とトーランドは思ったが、自分からは何も言わなかった。角を欠いたサルカズにとってそこは、人によっては恥部にも相当する場所だ。ムリナール程の間柄であれば見せることも触らせることも別に構わないが、自ら進んで見せたいようなものでは決してない。
「……角に触れても?」
逡巡の末に遠慮より興味が勝ったのか、ムリナールはトーランドの目をじっと見ながら静かにそう尋ねた。ムリナールからアプローチをかけてくる時の所作は、まさに典型的な騎士のそれだ。トーランドからすれば物語の中の舞踏会にでも連れ出されたようで何ともむず痒いのだが、これがムリナール・ニアールという男の標準なのである。
「……いいぜ。ほら、ここだ」
何となく興が乗ったトーランドは、どこかで見たダンスに誘うかのような仕草でムリナールの手をそっと取り、自分の頭の側へ導いた。
トーランド自ら削ぎ落とした角は、なだらかな頭の表面にそこだけ固く盛り上がり、在りし日の偉容の痕跡をわずかに残すのみだ。周りの髪でいつも隠れているその跡は、焼いて止めた血ごと黒ずんで塞がっていて、決して見栄えがいいものではない。
ムリナールの指先が、そこに遠慮がちにそっと触れた。すぐ側を通る神経が、何ともいえない擽ったさをトーランドに訴えかけてくる。
ムリナールは、何も言わない。サルカズにとっての角の意味も、価値も、他種族がそれをどう見るかも、知っているからこそ何も言わなかった。その知識が書物から得たものであろうが伝聞で得たものであろうが、トーランドにとってはどうでもよかった。角に触れるムリナールの手つきと瞳の温かさが、彼がその誇りに真摯に向き合っていることを何より雄弁に物語っていたからだ。
「…………温かいんだな」
長い間黙りこくっていたムリナールが、急にそれだけぽつりと呟いた。頭の中に浮かんでいた単語をそのまま言い当てられたようでトーランドはぎくりとしたが、まさか抱いた感想まではっきり読まれるはずもない。それが自分の角への感想だとワンテンポ遅れて気付いたトーランドは、我が意を得たりとばかりに口角を上げ、ムリナールの耳に再び手を伸ばした。
「ほらな? 自分に付いてないとなかなか新鮮なもんだろ」
「……そうだな。前言は撤回しよう」
反射で指を避けようとするムリナールの耳を捕まえて、トーランドはそれを毛並みに沿ってゆっくりと撫でた。その傍ら、時折むず痒そうに手に擦りつけられるトーランドのひどく短くなった角を、ムリナールは指先で掻くようにしてそっと撫で返す。
これほど穏やかな睦み合いをしていることが、ムリナールは今更に不思議でならなかった。歳を重ねればその分丸くなるというが、それにしても丸まりすぎだ。昔の自分がこんな光景を見たら、一体何を思うことだろう。
すると、ちょうどトーランドも同じことを考えていたらしい。にやにやと笑みを浮かべ、ムリナールの耳を軽く引っ張ってきた。
「随分丸くなったよなあ、お前さん。今のしおらしい姿を是非とも〝遊侠〟様に見せてやりてぇもんだ」
「そこはお互い様だろう。何だ……自称〝カジミエーシュ最強のバウンティハンター〟だったか?」
「…………おっと。この話はやめとくか」
目を泳がせながらトーランドが呟くと、ふ、とムリナールも口元だけで小さく笑った。直後、ムリナールは急にトーランドの方に向き直ったかと思うと、その目をじっと真正面から見つめはじめた。何事かとトーランドが怪訝な顔をした時、ムリナールはやっと口を開いた。
「……口付けをしても?」
仰々しく放たれた本日二度目の騎士のアプローチに、トーランドはついに吹き出して笑ってしまった。キスなんて黙ってすりゃいいんだよ、と言ってやってもいいが、こういう所がムリナールらしさであり、良さでもあるのかもしれない。
「おいおいどうした、今日はやけに積極的だな。もう一発ぐらいヤっとくかい?」
「……茶化すな」
「はいはい。我らが騎士様は清らかなキスだけをお望み、と」
「だから私は騎士ではない」
もはやお約束と化した応酬の末、お誂え向きにそれぞれ頭に添えてあった手をずらし、互いに頭を引き寄せる。包み込む手の温かさが心地いい。トーランドがべっと舌を出してやると、ムリナールは吸い付くようにそこに舌を絡めた。ムリナールが主導権を握りたがることなど滅多にないので、トーランドは気が済むまでムリナールの好きにさせることにした。
下手ではないが、手慣れてもいない。そんな騎士様からの丁寧で真摯な口付けをのんびり味わいながら、トーランドはそっと目を閉じた。
了