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    雑魚田(迫田タト)

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    若い頃の戦場時代、しんがりとして一人残って敵をコロしまくったムリとそれを迎えに来るトーの話

    いろいろ捏造だらけ

     酷い乱戦だった。
     降り出した大雨の中、目の前まで近づかないと相手の動きも見えないような最悪の視界。次から次へと降り注ぐ雨を吸い込みきれない土の表面が、濁流のように地面を流れて足を滑らせる。
     さっさとタイミングを見計らって退きたかったが、相手方の最後の一人が退かない以上は退けない。この視界の悪さで先に退いてしまえば、もし尾行や奇襲があってもまず気付けない──おそらく相手も、全く同じ理由で退けないのだろう。
     わざわざこんな悪天候の中で白兵戦がしたい物好きな兵士など、決して多くはないはずだ。だが、一時休戦の提案をしようにも、もうそんな段階はとっくに過ぎ去ってしまっている。
     名実ともに各部隊の殿しんがりとなった一対一の戦いでそんな児戯が許されるほど、この戦争の根は浅いところにはないのだ。

     かれこれ数時間、ムリナールはこの場所で、ウルサス軍の一部隊を相手にひとり剣を振るい続けている。

     数時間前、押し返される形で後退しじわじわと崩れていく戦線を立て直すため、ムリナールは単独での殿を決断した。それは自己犠牲などではなく、間違いなくそれが最善手だと判断したからだ。指揮官が一人で殿などありえない、と仲間からは散々まくし立てられたが、ムリナールは頑としてその決定を譲らなかった。
     一時的に作戦の連携を取っているスニッツの騎士団は別方面を注視しているため、そちらからの助力は期待できない。この不安定な局面は、自分たちだけの力で切り抜けねばならなかった。
     ムリナールは仲間を軽んじているわけでも、その実力を信用していないわけでもない。しかし、彼らに〝戦争〟の知識と経験が十分にあるとは言えないのが事実だ。
     訓練された敵国の正規軍を相手に、足止めしつつ部隊の安全を確保して無事に撤退させるなどという高等技術は、勘やセンスだけで成し得るようなものではない。たとえ盤面上での仮想訓練ではあっても、ある程度軍事について学んできた者──すなわちムリナール自身しか、この場にそれを成し得る者はいない。
     また、できるのが自分しかいない以上、不確定要素を減らすという意味では、殿として残る人数は少なければ少ないほどいい。
     ムリナールはそう考えた上で、ひとり残ってウルサスの兵士を相手取るという決断に至った。
     そして本隊の撤退は、トーランドに任せた。
     負ける気はない。死ぬ気もない。だが、もし万が一があったとしても、ここまで自分のやり方を見てきた彼なら、うまく仲間を率いてこの戦争を生き延びられる──その確信があって託したことは確かだった。

     最後に残ったウルサス側の一人は、ここまで残るだけあって相当の手練れだった。
     満足に相手が見えない澱んだ視界の中、光のアーツを使うなど悪手以外の何物でもない。ムリナールはアーツの使用は最小限に、そしてその代わり体に染み着いた剣技に身を委ね、ひたすらに土砂降りの中を翔けた。
     長い膠着状態の末、とうとう相手の足がぬかるみに取られた。ようやく見えたその一瞬の隙を逃すまいと、ムリナールは瞬時に地面を蹴り、光の如き速度で相手の懐に飛び込んだ。
     その速度のまま相手の心臓めがけて剣を突き立て、まっすぐに貫く。切先が相手の背を突き抜けた瞬間、ムリナールは相手の顔を見た。もちろんその顔には戦場に相応しい怒りや憤り、そして絶望といったものが貼り付いていた。だが同時に、まさに泥沼と呼ぶべき戦いからようやく解放されたことへの安堵のような感情も、見て取れたような気がした。
     相手が泥の中に倒れ伏し事切れたのを見届けてから、ムリナールは実に数時間ぶりに足を止め剣を下ろした。いくらクランタの持久力をもってしても、数時間休みなく戦い通しというのはかなりの無茶をした部類に入る。全身が灼けつくような苦しさを訴える体を落ち着かせるように、ムリナールは目一杯息を吸って体に空気を取り込んだ。
     そこで、くらりと頭が揺れた。集中のあまり呼吸がおろそかになっていたことを、体がようやく思い出したらしい。
     そのままムリナールは深く息を吐き出し、剣を軽く拭って鞘に納めてから、死体のど真ん中のぬかるんだ地面にゆっくりと腰を下ろした。
     土砂降りの雨が、血に塗れて真っ赤になった全身を少しずつ洗い流していく。そのほとんどが返り血だとムリナールは思っていたが、実際は知らぬ間にあちこち斬られていたようだ。今見える範囲では前腕が少々深めに裂けているのに気付いたが、どうにも動くのが億劫で、ムリナールはじわじわと流れていく自分の血をそのままぼんやりと眺めていた。

     これだけの人数を一気に殺める経験は、初めてだった。パレニスカ家の時を遙かに上回る数の人間を、この数時間でムリナールは死体へと変えた。
     今更その事実に恐怖したり、悔やんだりするような純な精神は持ち合わせていない。屠った一人一人の命は尊重しても、その一人一人にいちいち膝をついて哀悼の意を捧げたりはしない。そんなことをしていたら、戦争などいつまでたっても終わらない。
     ただ、不思議な気分だった。自分のこの手が、本来自分と同じ重さであるはずの命を、両手では到底収まらないほど大量に易々と断ち切った。
     持って生まれた能力と、恵まれた教育から身につけた技術。その二つだけで、虫を殺すのと然程変わらない労力で、自分は自分と同じ人間を殺せる。
     これを不思議に思う感覚を、忘れてはいけない。ムリナールは漠然とそう思った。
     この殺戮が当たり前になったとき、自分はきっと真にただの兵器になってしまう。兵器になってしまえばきっと、目標しか見えなくなる。目標しか見えなくなればきっと、道端にうずくまる病人も、施しを求める貧者も、戦火に巻き込まれた無辜の民も、二度と目に映らなくなるのだろう。
     それはある意味、単純で明快で生き殺しやすい世界なのかもしれない。だがそこに至ってしまえば、人々がもがいている足下の地面を、いったい誰が照らせるというのか。
     父や兄のような目映い光ではどうしても陰となってしまう足下を、光無き光で照らすことこそが自分の役割だ。だから、この一時の感覚を決して忘れてはならない──
     そういったようなことをつらつらと考えながら、ムリナールは自分の血が雨で薄められつつ腕を伝って地面に滴り落ちていく様を、ただ黙って眺めていた。
     
    「──せめて止血ぐらいはしてから休憩しようぜ? ムリナールくん」

     耳に馴染む声に、自己の深みへ沈み込んでいた思考が一気に外まで引き上げられる。ムリナールはゆっくり視線を上げた。土砂降りで霞む景色の中に、見慣れた黒ずくめの姿が見える。
     そこには本隊を任せているはずのトーランドが、心配と呆れが混ざり合ったような表情で立っていた。
    「……皆は」
    「無事に拠点まで撤退済みだ。……実はな、スニッツが隊からこっそり何人か寄越してきたんだ。あっちは最新の偵察設備持ってるだろ? だから来る途中でここの戦況も確認したらしくて、お前さんが元気いっぱい無双してるって聞いたんで俺らの再出撃は取りやめ。今は拠点で負傷者の手当てと装備の確認と、周囲の哨戒に徹してる。そんで俺はというと、隊の指示はそいつらに任せてお前さんを迎えに行ってやれ、っつースニッツお兄さまからのご指示を受けてここにいるわけよ」
     トーランドは流れるように喋りながらムリナールの脇に膝をつき、布を裂いててきぱきと応急処置を始めた。ムリナールはその作業をどこか他人事のように眺めながら、自団に集中すべき兄にそこまで気を回させてしまった情けなさに肩を落とし溜め息をついた。
    「……私がやりそうな事などすべてお見通し、か」
    「はは、やっぱあの人は流石だぜ。あと、お前さんに伝言だ。──『よくやった』だとさ」
    「……まったく」
     事の成否が分かる前に託すような伝言ではないだろうに。そう呆れたようにひとりごちながらも、今回の決断とその成功を兄が信じて疑わなかったという事実を嬉しく思う自分がいることにも、ムリナールは気付いていた。
    「しっかしよぉ。お前の親父も兄貴も、お前の無茶を止めないどころかむしろ煽る勢いじゃねえか。次男坊がこんなじゃじゃ馬に育つのも納得だぜ」
     トーランドは苦笑しつつ手当てを続けている。
     時折触れる手の温度は、失血と雨のせいで冷えきった肌には灼けるような熱さに感じる。痛みすら伴うその熱は今のムリナールには正直きついものがあったが、それでも、不思議とその熱から逃れたいとは思わなかった。
    「──よし、とりあえず止血はこんなもんでいいだろ」
     ようやく出血の落ち着いたムリナールの腕を軽く叩いてから、トーランドは立ち上がった。
    「ほら」
     ずい、とムリナールの眼前に手が差し出される。それを見て意図をじっと考えた後、少ししてようやく、ムリナールはそれが立ち上がるための助けだということに思い至った。
    「……結構だ」
     ムリナールはトーランドの手を押し退けて、勢いをつけて一人で立ち上がった。
     トーランドは苦笑いで手を引っ込める。
    「そいつぁ失礼いたしましたね、我らが団長閣下」
    「……その呼称は相応しくない。やめろ」
    「実質的にゃその通りだろ。戦火で焼け出された有象無象の寄せ集めが〝サルカズ騎士団〟なんてご大層な名前で呼ばれてんだぜ? ならそれを率いてる騎士様は、団長以外の何者でもねぇだろうよ」
    「それでも、だ」
     その肩書きを冠して呼ばれる者が、どれほどの責と重荷と揺るぎない輝きを背負う者であるか。それを理解しているからこそ、ムリナールはそこに明確な線を引きたかった。
    「私は……人々の行く先ではなく、足下を照らせる程度の光しか持たない」
     自分に言い聞かせるように呟いて、ムリナールは毅然と背筋を伸ばし歩き始めた。正直、動くのも億劫なほどに体は重かった。だがそんな甘えた言い訳は必死で頭から追い払い、ムリナールはまっすぐに歩みを進めた。
     トーランドもムリナールに従い、その少し後ろをついて行く。
    「……いくら行き先が見えてても、本当の真っ暗闇の中にいる奴は、足下に光がないと立てないんだぜ」
     未だ激しい雨音の中、静かなトーランドの声が、不思議とムリナールの耳にはまっすぐに届いた。
     ムリナールは何も答えなかった。トーランドもそれでよかった。

     止む気配のない雨の中を歩き続けるうち、あれほど煩かった雨の音も、気付けばただの環境音と化していた。二人の足が水と泥を踏みつけ跳ね上げる音だけが、今の二人に聞こえる音だった。
     ばらばらだったその音がある時ふいに重なり、同時にぱしゃりと音を立てた。それでムリナールは何となく、歩きながら自分の足下を見下ろした。
     前に傾いた頭に雨粒が遮られるせいか、意外にも足下ははっきりと見えた。
     自分の足が跳ね上げた水が、雨の間を縫って届く僅かな光に照らされて、一瞬だけきらりと光る。
    「ああ──」
     この光景を、きっと自分はこの先ずっと忘れないのだろう。

     特に根拠はなかったが、ムリナールは確かにそう思った。


     了
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