Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    sabasavasabasav

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 47

    sabasavasabasav

    ☆quiet follow

    坊←カス+オニール。祝祭6のエアスケブでした。珍しいシチュ!ほのぼのにしようかシリアスにしようか迷いに迷ってこちらにしました。坊ちゃんは出てきません。

    #坊カス

                  ▽


     霧が、湖の向こうから上がってくる頃だった。
     古城の屋上にひとり、カスミは立っていた。忍びのくせに姿を曝け出すなんてと思いつつ、風に吹かれている。
     日は既に沈み、薄暮の残光が石造りの手すりを鈍く照らしていた。
     胸に宿るのは、言葉にならない思い。名を呼ぶには遠く、ただそこにあって、形にはならない情熱。
     ──ティア様。
     彼の名を、心のうちで静かに呼ぶ。口に出すことすら憚られるほどに、それは脆く、切実な想いだった。
     彼が父をその手にかけたあの日から、どれほどの夜が過ぎただろう。その事実だけで、誰もが打ちひしがれてしまってもおかしくはない。
     だが、ティアは違った。
     仲間たちに、軍に、不安を与えまいと、微笑み、指揮をとり、黙って歩き続けている。まるで、自らを切り捨てるように。その姿が、痛ましくて仕方なかった。
     ──いや、違う。
     誰に問われたわけではないのに、カスミは首を振る。
     あの日、私は見てしまった。
     カスミの目に、あの夜の光景が蘇る。
     テオ・マクドールとの一騎打ちの果てに勝利をもぎ取ったのも束の間、テオからの切創をその身に受けていたティアはその場に倒れた。
     運び込まれたのは、本拠地の奥にある処置室。ティアの衣は血に濡れ、白いシーツさえ紅に染めていた。
     リュウカンら医術に長けた者たちが呼ばれ、傷を縫い、薬を飲ませ、痛みを抑えるための最大限の処置が施された。
     カスミは、廊下の陰にひっそりと身を潜めていた。忍びとしてではなく、ただ見届けずにはいられなかったからだった。
     ティアは苦悶に顔を歪め、浅い息を繰り返していた。頬には脂汗が滲み、手はしきりに空を掴もうとするかのように震えていた。
     声を出してはいなかった。それが余計に苦しかった。
     胸に張り付いた痛みに堪えながら、目を閉じ、眉を寄せ、耐え抜こうとするその瞼の隙間から、一筋の涙が流れた。
     それを、カスミは見た──見てしまった。
     父を討った痛み。肉体の傷よりも深く、魂の奥に刻まれた、たったひとつの涙。
     呼びかけたいと思った。その名を、今すぐにでも呼びたかった。
     けれど、あのときの自分は、ただ柱の影に身を寄せて、震える指を自らの胸に寄せ握り締めていただけだった。
     声は出なかった。足も、動かなかった。私は……何も、できなかった。
     その悔しさと後悔が、今も胸の底に沈んでいる。
     忍びとして、仲間として、そして──その胸にはもう一つ、別の痛みもあった。
     テオ・マクドール。カスミにとっては、ロッカクの里を焼き、仲間を殺した仇の名だった。炎に包まれた木々、血を流す同志たち、最後まで戦い抜いた者の顔。その全てが、テオの名に結び付いている。
     だがその男は、ティアにとっては、たった一人の肉親であり、敬愛していた存在だった。
     「立派な方でした」と語る者がいた。「気高く、それでいて優しく、尊敬に足る武人だった」と。
     そしてティア自身も、何度かその目で語っていた。父を尊敬し、慕っていたことを察していた。
     カスミの中にあった感情は、言葉では整理しきれなかった。
     憎しみと、理解。
     喪失と、共感。
     忍びとしては、きっと抱くべきではない感情。
     私は……忍び失格、なのかもしれない。
     そう思った瞬間、胸に蹲るような小さな痛みが走った。
     忍びは、感情を持たぬ者。任務を優先し、己の感情を律し、生きる。
     だから──
    「私には……何もできない」
     今、その言葉がまた唇を離れる。
     風が黒髪を揺らし、過去の亡霊のように、里の炎を思い出させた。
     ロッカクの里が焼かれ、仲間たちが倒れていく中で、長であるハンゾウが最後に命じた。
    〝お前だけでも逃げ延びて、解放軍に助力を乞え。ロッカクの無念を晴らすために〟
     それが使命だった。だから、今も尚ここにいる。そのはずなのに。
    「……本当に、それだけなのでしょうか」
     誰にも聞かれない言葉。だが、その問いに答えるように、足音が近づいた。
    「あんた……恋してるわね」
     カスミは勢い良く振り返った。
     ゆるやかに階段を上がってくる影。情報屋と言うには大それている、噂好きで知られる女・オニールが、にこやかに立っていた。
     その顔に浮かぶ笑みは、柔らかく、しかしどこか見透かすような眼差しだった。
    「……オニール様……な、何を……」
    「顔に出てるんだよ。目がね、恋してる人の目になってるの。私はね、そういうのがすぐに分かっちゃうのよ」
     カスミは視線を逸らした。心拍がひとつ、跳ね上がる。
     羞恥、困惑、そして──否定しきれない実感が胸の内に広がっていく。
    「そんなこと……私は……ただ……ティア様が、心配で……」
    「ふふ、そうやって否定するのも、恋煩いってやつなのさ」
     カスミは息を呑んだ。
    「……それでも……私は、忍びですから。恋など、口にすべきではありません」
    「でも、してるんでしょう?」
     オニールの声は静かだった。揶揄いではない。慰めでもない。ただ、真実をそのまま告げるような声音だった。否定しても、恥じても、それは揺るがない。
     その言葉の温度に、カスミは、ふと目を閉じた。
    「…………ええ。これは、恋心……なのかもしれません」
     小さく、けれどはっきりと。カスミの唇からその言葉が溢れたとき、胸の奥にあった何かが、すっと解けていった。
     それはまるで、忍びとしての仮面を一枚、そっと外したような感覚だった。
    「いい子だね。ちゃんと認めることが、恋路の第一歩なんだよ」
     オニールはカスミの隣に立ち、石の手すりに手を置く。
     沈黙が少しの間、二人の間に流れた。
     風が、古城の上を何度も撫でていく。
    「ねえ、カスミ。知ってるかい? 人ってものは、時々……誰かに見守られてるだけで、強くなれるんだよ」
     カスミは、はっとして彼女を見た。
    「見守っているだけで?」
    「そう。何も言わずに、何も求めずに。遠くからでも、近くからでも、その人の背を見ていられること。たったそれだけでも、誰かの支えになることがある。……ティアは、あんたが思ってるよりずっと、人の心に敏い子さ。言葉にしなくても、態度に出なくても、あんたの気持ちはティアの力になる」
     風の音が、ふと弱まった。
     カスミは再び、ティアの背を思い出した。
     黙して進むその姿。その肩を、言葉ではなく想いで支えること──それなら、忍びである己でも、きっとできる。
    「……オニール様。ありがとうございます」
    「いいってことさ。私はね、恋する女の背中は押してあげたくなっちゃうのよ」
     オニールはにっこりと笑い、カスミの肩をぽんと軽く叩いた。
     その温もりは、まるで夜を照らす小さな灯のようだった。

     そして二人は、しばらくそのまま風に吹かれながら、静かに並んで空を見上げていた。
     星が、ひとつ、またひとつと夜空に灯っていく。
     カスミはそっと目を閉じた。心の中にあった澱が、少しずつ掬われていくのを感じていた。
     ──仇の息子に、恋をしている。
     ──忍びである己が、心を乱している。
     その事実に向き合うたび、何かが胸を締めつけた。
     けれど、オニールの言葉を受け取った今、ほんの少し、呼吸がしやすくなったような気がしていた。
     恋は、足枷ではないのかもしれない。想いがすぐに何かを変えるわけではなくても、ただ心の奥に静かに灯るだけで、人はこんなにも生きやすくなるのだと、そう、思えた。
     ──ティア様。もう少しだけ……この気持ちを抱いていても、いいですか。
     その問いかけに、返事は必要ない。
     風は変わらず優しく吹き、星は黙ってまたひとつ、瞬いていた。

        
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭👏💘Ⓜ⭕🇪☝☝😘🙌👍😭😭😭👏👏👏👍👍👍👏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works