これは恋にはならない「シンくんってば、本当いつもそればっか」
それはアルファエックスのことで呼び出された日、帰宅後の夕飯時のことだった。招集理由はまた脅威が現れた時のための動作確認だけで、その後はアブトに外に連れ出されて。アブトと一緒に居ると世界がちょっと違って見えるんだって、今日のことを楽しく喋っていた。ら、なんでかアユ姉が拗ねた。
「まぁ今に始まったことじゃないけど……シンくんの話が聞きたいのに」
「え~?」
どうやら、オレがアブトの話ばかりしてるのが気に入らないらしい。メキシコに行くと決めてから、アユ姉はオレに構う時間が増えた。最初は少しからかっちゃったけど、本音としては勿論嬉しい。
それでも、アユ姉相手に素直に言うのはちょっと難しかったりして。
「嘘だぁアユ姉オレの話すぐ流すじゃん。昨日だってテレビでやってたUFO特集勝手にチャンネル変えて」
「あっあれはジャーナリスト志望として見逃せない番組があったからで」
「オレも世界の謎に挑む男として見逃せないの!」
むすーとむくれてみせると、アユ姉は暫く困った顔をして、それから優しく笑った。どうやらアユ姉の拗ねはそこまで本気じゃないみたいで、オレに向けられたのは羨ましげな視線。
「……シンくんのトクベツ、素敵ね。もうシンくんが『オレアブトと結婚する!』って言い出しても驚かないかも」
冗談混じりで言われたその言葉に──オレはぴたりと固まった。
けっこん、ケッコン……結婚?アブトと?
「あぶとと、けっこん」
思わず、言われた言葉をそのまま口に出した。
結婚したら、ずっと一緒だ。自分に一番近いその席に座るのが、アブトだったら?それは、とても──
「え、シンくん?……なにその、その手があったか!みたいな顔」
余計なこと言ったかも、と慌てるアユ姉の隣でお母さんが苦笑いするのが見えた。そこまでは覚えている。
「……アブトと結婚、したいなぁ」
「──は?」
二人で出かけた帰り道、電車の中でうとうとし始めたアブトを見ていたら、自然にその言葉が口から出ていた。
アブトはハッとして周囲を見回す。乗客はまばらで、オレの言葉を拾ったのは多分アブトだけだ。別にオレは誰かに聞かれたって構わないけど。
「意味、分かって言ってるのか」
「アブト……オレそんなにバカじゃないよ」
結婚の意味が分からない程子供じゃない。「そう……だよな」と言うアブトの肩にそっと寄りかかる。オレも疲れたし眠いのかもしれない。なんとなくこうしたい気分だった。
「っ……男同士では出来ないだろ」
「日本では、だろ?海外では認められてたりするし。因みにメキシコもそう」
「……」
「アブト?」
心なしかアブトの声に元気が無い。起こしちゃったから怒ってるんだろうか。ごめんな眠かったよな、オレもねむい。
「寂しいから、そんなことを言うのか」
「え?いや別に……ただ思ったことを言っただけ。オレ達まだ子供だし、いつかの話っていうか」
「いつか……」
今すぐどうこうしたい訳じゃない。だって、こうして隣にアブトが居る。
夕陽が差して暖かい。すり、と少し頬を擦りつけて甘えた。アブトの手に手を重ねて、上から優しく握る。うとうとしてきて、そのまま目を閉じた。
シン、とアブトが呼ぶ声が聞こえた気がした。なんでそんな焦ったみたいな声してるんだろ。あぁ、なにか返事しなきゃ。
「──オレは、アブトじゃなきゃいやなんだ……」
それだけ言って、オレは眠りに落ちた。
オレの心の中には家族が居る。仲間が居る。友達が居る。でもアブトはそのどれでもないような気がする。悪い意味じゃない。アブトには、アブトのための場所がある。そこは既にアブト以外入れない『オレのトクベツ』。
駅に着く直前、アブトに叩き起こされて跳び上がった。あれ、もうなのか。少し寂しい。
別れる直前、アブトが申し訳なさそうに言った。
「……悪い、シン。少し作ってみたいものがあって、忙しくなる。しばらく会えない」
「えっ、どのくらい?」
オレがのんきに眠ってる間に、何か思い付いたんだろうか。ちょっと急だ。焦って聞くと、アブトは苦笑いした。
「せいぜい一週間程度だ。心配するな、ちゃんと……考える、から」
「?ごめんアブト最後の方なんて」
「……いや、なんでもない」
どこかよそよそしい態度が気にかかったけど、聞いてもアブトはそれ以上は話してくれなかった。
「またな」
──そこから一週間、アブトからの連絡は一つも無かった。
「アブト!作りたいもの、出来たのか?」
「お前まさかアレ信じたのか」
「え?」
部屋に入った途端、アレは嘘だとお決まりの台詞をぶつけられて固まった。目を真ん丸にするオレに、アブトは特大の溜め息を吐く。
「シンには気まずいとかそういう感情は無いのか」
「なんのこと?」
「……まぁ、いい。お前が大人しい方が不気味か」
言いながら、アブトはオレの目の前に座った。綺麗な金色の瞳が、じっとオレを捉えている。
「シン」
やけに真剣な様子で、アブトがオレを呼ぶ。なんだよ怖い顔して。オレも思わず姿勢を正した。
「……悪い。考えてはみたんだが、結婚、ってのはよくイメージがつかなかった」
頭の中のハテナがどんどん増殖していく。結婚したいって、確かにオレ言ったけど。
──え、まさかアブトずっとそれ考えてたのか。
「嫌だった訳じゃない。ただお前のことをそういう風に思ったことが無かったから、戸惑って」
不意に、アブトが俺の手を取る。右手がアブトの両手に包まれた。流れで左手を重ねると、アブトはそれをしげしげと見つめる。なんだか少し恥ずかしい。
「こうして触るのも、触られるのも、嫌じゃない。多分……キスも出来る、と思う」
「うぇっ!?キ、キスするのか!?」
「色々すっ飛ばして結婚とか言い出した癖に何だその反応は……そもそも結婚式には誓いのキスが必要だぞ」
「そ、それはそう、だけど」
アブトと結婚、それはしっくりくる感じがした。でもアブトと、ちゅー?それはちょっと違くないか!?
「それ以上のことは、まだ分からない。だが、お前にそういう風に見られることを不快だとは思わない」
「ちょっと待ってアブト」
「悪いが一回止めると恥ずかしくて何も喋れなくなりそうなんだ」
もしかしなくても、何か誤解がある気が。わたわたするオレを置いて、アブトは話し続ける。そうだよ、こいつも大概止まれない性質だった。
顔をりんごみたいに赤くして、でも目を逸らさずにアブトは言う。
「お前がしたいことには、なるべく応えたい。だが、全てを許せるかはまだ分からない。だからシン、お前がそれでもいいと言うなら……付き合っても、いい」
言い切って、堪えきれなくなったのかアブトは床に視線を落とした。恥ずかしがってるアブトは珍しい。写真でも撮ってやりたい気分だけど、今はそれより。
「……おい、せめて何か」
「オ、オレ」
「?」
「アブトに付き合ってなんて言ったっけ……?」
双方完全停止して、たっぷり一秒、二秒、三秒……十秒程経ったあと、漸くアブトが声を出した。
「は???」
らしくなく、少し裏返ったすっとんきょうな声だ。アブトそんな声も出せるんだ。なんて、現実逃避してる場合じゃない!
「だっ……てシンお前、結婚、って」
「い、言ったよ!?言ったけどさ!?付き合うとか、ちゅ、ちゅーとか、そんなこと考えてた訳じゃなくって!」
「っはぁ!?」
アブトはとうとうオレの手を振り払った。頭を抱えて文句らしき言葉をぶつぶつ呟き始める。
いや、待てって、こっちもキャパオーバーなんだ。だってアブトが付き合ってもいいって。
オレとキス、出来るって。
「ア、アブトオレとちゅー嫌じゃないって、どういうことだよ!?」
「逆にお前はどういう思考で結婚なんて言ったんだ!?」
そうか、アブトの中では付き合って、ちゅーして、その先に結婚があるのか。そんなよく考えたら当たり前のことにやっと今気づいた。
「ちがっ、ちがうんだって、オレはただ」
そういう意味で言った訳じゃない。もっとシンプルに、そう、オレの中の当たり前で考えただけなんだ。
「──オレ、ずっとアブトの傍に居たい」
アブトがそっと顔を上げてオレを見た。随分困らせたみたいだけど、ちゃんと聞いてくれてる。アブトはそういうヤツだ。
「でもメキシコに行くのは決めたし、まだまだ見たいもの、知りたいこと、たくさんあるんだ。どこまでだって追いかけて行きたい。それがオレの夢だから」
皆に背中を押してもらった。もう心残りなんてない。そう言えたら格好いいのかもしれない。でも寂しい気持ちが無い訳じゃない。
アブトと一緒がいい、なんてわがままな気持ちは無くならない。
「結婚、したら、遠い場所に居たってずっと一緒だ。オレもうアブトのこと離したくない。繋がっていたい、もっと強く。世界の果てまで行ったって、オレが帰ってくる場所はアブトのところがいい。そうじゃなきゃ嫌だ。オレをアブトのトクベツにして欲しい……」
オレはアブトみたいに賢くないから、本音を隠すことも、言い方を変えることも難しい。全部そのままぶつけることしか出来ない。それでも、アブトに受け取って欲しい。
「……」
アブトは今度は照れたりせず、オレの言葉を聞くなり口元に手を当て考え込んでしまった。数秒待って、動かないので膝小僧をつんつんしてみる。「おい」と不満そうにされたので取り敢えず退いた。
「真剣な話の途中で茶化すな」
「いや~流石にちょっとカッコつけ過ぎた気がして」
「……シンはそれでいいだろ。無理にやってる訳じゃなく、それが素なんだから」
素で格好いいって、アブトから見たオレはそんな風なのか?今のはちょっとドキッとしたかも。
アブトがオレに手を伸ばす。頬をそっとなぞられてくすぐったい。不意にむにっと掴まれて変な顔になった。アブトがふはっと表情を崩す。
「結婚だとか、そんな形が必要なのか」
引っ張った頬を離して、アブトは今度は両手でオレの顔を優しく包んだ。嬉しそうに目を細めて、年下に言い聞かせるみたいにゆっくり、アブトは言う。
「そんなことしなくたって、俺はもう逃げたりしない。捕まっちまったからな」
「……うん」
「お前は俺にとって特別だ。代わりなんて居ない。シンほど俺を想ってくれるヤツも居ないだろうし」
「想うって……オレがアブトのこと好きみたいじゃん」
「違うのか」
「違くはないけど」
アブトの足に乗り上げて、背中に手を伸ばす。抱きしめるというよりほとんど張り付くような形でくっついた。アブトも顔から手を離して、オレの腰の方に回してくれる。
「こうやって、ぎゅーってしたいだけなんだ。なんかふわふわして、ぽかぽかして、きもちい……」
アブトの匂いがする。鼓動が聞こえる。ここに居て、オレのこと考えてる。十分だ。
名前を呼んだら、あぶとぉ、みたいにだらしない声になってて自分のことながらちょっと驚いた。照れながらアブトの方を見ると、オレの腰に回された手にぐっと力が入る。至近距離で吐き出された息が熱い。アブトもオレに身体を預けたのが分かった。
「へへ、アブトもふにゃふにゃになってる」
「お前みたいなのが引っ付いてたらこうなるだろ」
そう言いながらも、アブトからオレを引き剥がそうという意図の力はかからない。オレはアブトのトクベツだから、引っ付くのぐらいは許される。なんだかちょっと誇らしいような気分だ。
「……そうだな、こうしてると温かくて、安心する。俺もこれだけでいい」
アブトもオレと同じ気持ちだって聞いて、結婚するとかしないとか別にいいかなって、そんな気分になった。オレは結婚って響きに憧れがあったんだろうか。知らないうちに、両親と自分達を重ねていたのかもしれない。
そのまましばらく、ぎゅっと抱き合ったまま話をした。最近のこと、少し先の未来のこと。不安なこともあるけど、アブトが優しく相槌を打ってくれるのが心地よくて、ちょっと気持ちが軽くなった気がする。
大丈夫だ、オレとアブトならきっと。お互いトクベツなら、その関係に名前なんて無くても。
「──って感じでね、だからさアユ姉、オレアブトと結婚はしないよ」
「……」
「アユ姉?」
「シンくん、それ本気で……?」
「え、うん。オレなんか変なコト言った?」
「……ううん、変じゃない、けど」
「確かにそれはもう、恋なんかじゃないわね」