煙草をもらう葬の話 先ほどから代わり映えしない風景をウルフウッドは車窓から眺めていた。
果てしなく続く砂漠には、時折崩れかけた大岩がぽつりぽつりと立つぐらいで、生物はおろか植物の気配もない。
ジャケットの内ポケットに手を差し入れて、ぺしゃんこになった煙草のパッケージを取り出した。ほとんど惰性で吸っているようなもので、煙草を吸いたいと言うよりは時間を潰すために、吸っては揉み消しを繰り返している。
買い込んでいた煙草もあっという間に底を尽きて手にしている、空色の箱も空になってしまっていた。
これが最後のひと箱だと分かっていたが、それほど焦りを感じていない。無いのなら貰えばいい。
「なぁ、おっちゃん。一本わけてや」
運転席の隣、助手席に向かってウルフウッドは手を伸ばした。今までそう言って、ウルフウッドはロベルトから何本も煙草をくすねている。
煙草が還ってきた事は無かったが、一度だってロベルトがその無心を断ったことはない。
「無理だな」
「ケチな事言いなや、一本だけやって」
「無理なもんは、無理なんだよ」
そういってロベルトは、振り返りながら煙草に火を付けて、たっぷりと吸う様をウルフウッドに見せつけてから、美味そうに煙を吐き出した。
喫煙者とはいえ、顔面に副流煙を吹き付けられてはたまらない。ウルフウッドが、煙たさに顔を歪め目の前のロベルトを睨め付ける。
「これが最後の一本だからだよ」
無いと言われると、猛烈に吸いたくなるのが喫煙者の性だ。普段、これほどまでに禁断症状が出ることは希だが、とにかく今煙草が吸いたくてたまらない。
イライラを隠す余裕もなく、もう無いと分かっているジャケットのポケット全てを弄っては、シケモクすらなくウルフウッドは落胆する。
「仕方ないよ、次の街まで我慢するしかないね。これを機会に煙草の本数を減らした方がいいよ」
今最もウルフウッドが言われたくない言葉をにこにこと眩い笑顔で語りかけてくるヴァッシュに、ウルフウッドは背中を向けた。
地平線が見えるほど、進む先には何も存在していなくてウルフウッドは絶望する。
空から容赦なく照りつける太陽の光が、サングラスを超えて突き刺さり、一瞬視線をずらした。
そのとき。
視界の端に何かが反射してキラリと光った。
「嬢ちゃん!」
突然ウルフウッドが大声を出したので、メリルが驚いて急ブレーキを踏む。そのせいで、車体が前につんのめる。慣性の法則において行かれた乗客がフロントガラスや、運転席の座椅子にぶつかって情けない声をあげた。
「ぐえ、ちょっと、どうしたの?」
「おい、なんだ危ねえだろ!」
ロベルトはスキットルを咥えていた所で、あわや大けがをする所だった。なんとか回避できたが貴重な酒が衣服に飛び散っている。
「あっちや、あっちになんかある」
ウルフウッドがサングラスを外して、光の反射があった場所へ向かい目をこらした。
「どこですの?」
メリルは怪訝そうにそちらを見るが、ロベルト越しにははっきりと見えないようで首をかしげる。
「どこだ、俺にも見えないぞ」
ロベルトが窓ガラスに顔をよせて、ウルフウッドが指し示す方向へ視線を向けるが見つからないようで、早々に諦めて服に付いた酒を手で払った。
「あぁ、ほんとうだ。何かが反射してるね……メリル頼むよ、遭難者だと大変だ」
オレンジ色のサングラスをかけたままだというのに、ヴァッシュには光が見えたらしく、ウルフウッドの意見に同調した。
「まぁ、ヴァッシュさんがそう言うなら」
「わいの言うことも信じんかい」
少々不服そうにウルフウッドが言うのを誤魔化すように、メリルはエンジンを吹かしハンドルを大きく右に切った。
視認していた時には随分遠くに思えたが、車を走らせるとあっという間に到着した。それは小さなキャラバンであった。
荷物運搬用としてしっかりと訓練されたトマには、いくつのも荷物が結わえ付けられている。数匹のトマには、乗車用の鞍が取り付けられていた。
どうやら金属製の鞍に太陽光が反射し、ウルフウッドがそれを見つけたらしい。
「よかった、遭難者じゃないね」
「俺たちよりも、ずっとしっかり準備してある」
「……食べ物とか、買わせてもらえませんかね」
荷物から、どうから彼らは承認らしいと言うことが分かった。
長い砂漠では、街に着くまでの間にこういったキャラバン隊から品物を直接購入することは珍しくなかった。
言葉には出していなかったが、どうやら腹が減っているらしいメリルがそそくさと車から降りる。
「おい、危ないだろ勝手に出るな」
どうも人を信じすぎる所のあるメリルが無防備に車から飛び降りるので、ロベルトは慌ててその後を追う。
この星には善人と同じ、いやそれ以上に悪人が多いことにまだメリルは気がついていないのだ。
ヴァッシュも二人につられるように車から降りると、ウルフウッドも後から付いてきた。心配していたが、このキャラバンの面々は、まっとうな商人の一団らしかった。
町のマーケットよりは少々割高になるが、積み荷の中から必要な商品は売ってくれると言う。次の町へ向かう途中の休憩中で、トマ達も水を飲んだり休んだりしている。
相当旅慣れているのだろう、砂地に簡易的に煮炊き場が用意され、鍋から美味しそうな匂いまでしている。
腹が減ったと駆けだしていったメリルが早速、食事を分けてくれないかと交渉をしている。丁寧で粘り強い彼女は交渉向きだ。
なんとか昼食にはありつけそうだなと、ヴァッシュがホッとした所でロベルトが商人のひとりと揉めていた。
「おいおい、本気で言ってるのか?」
「私たちは、自分たちが必要としない商品は取り扱わない」
「煙草を取り扱ってないたぁ、まいったな」
どうやら、煙草を買おうとしていたのだが彼らに喫煙の習慣がないらしい。がっくりとした様子でロベルトは頭を掻いていた。
ウルフウッドはキャラバンの外れに、明らかに様子が他の者達と違う男がいることに気がついた。纏う空気が一般人ではない。
幸いなことに、この男の存在にまだロベルト達は気がついていないようだった。面倒ごとになる前に、自分が上手く対処すればいい。
そう思ってウルフウッドは傍らに置いたパニッシャーへ手をやろうとして、はっとする。キャラバン一行が安全な商人達だと判断した時点で、得物を車に置いてきたままだった。
はっとして、車の方に視線をやったウルフウッドへ男は妙に親しげに声をかけてくる。
「そう気張りなや、兄ちゃん」
砂地にぽつりと残された、小さな岩を椅子にして、長い足を持て余すように大きく開いて男は座っていた。
「……おっさんも、あいつらの仲間か?」
ひょっとしたら用心棒かも知れない。この星で旅をするには、危険がつきものだ。巨大なワムズはもちろん、盗賊の類いも多い。
価値のある商品を運ぶ一行が、戦闘に長けた者を帯同するのはよくあることだ。
「ちゃうちゃう、ちいと野暮用……ちうか、おっさんちゃうわ!」
「……胡散臭さ」
ただ者ではない空気感は纏っているが、敵意はみじんも感じない。なによりウルフウッドが話す言葉と近いしゃべり方をする男に、親近感を自然に抱いた。
「おどれかて、似たようなもんやろ」
「ほんで、おっさん何もんや」
「旅の牧師や」
男は訂正したのに、またおっさんと呼ばれて諦めたように肩をすくめた。
「……牧師ぃ?」
頭の先からつま先まで、何度も何度も往復して男の様子を観察する。
真っ黒な髪にまぁそれなりに整った容姿、そして真っ白のシャツに漆黒のスーツは喪服に見えなくもない。
「せや、懺悔したいことあるちうなら、特別割引で聞いたるで」
「間に合うとるわ」
つれないウルフウッドの言葉を男は笑いながら受け止めると、スーツの胸ポケットから煙草を取り出した。
慣れた手つきで火を付ける。掌で顔を隠すようにして吸うその様子に、ウルフウッドは自分も煙草が吸いたいことを思い出した。
「あ、わいにも煙草一本恵んでや」
「断る」
「けちくさいこと言いなや、牧師さんやろ」
ケケケと、意地悪く笑うと男は煙草の煙をぷかぷかとくゆらせ、綺麗な円を作って見せた。ウルフウッドも何度か練習してみたが、成功した事は無い。
「あかん、この世はなごっつ厳しい世界なんや。どうしてもちうなら、等価交換やな」
あぁうまいと、態とらしく煙草を吸い込んで眼を細めてみせる男に、ウルフウッドは改めてポケットを弄る。
今ポケットに入っているのは、数本のロリポップキャンディーだけだ。
目の前の成人男性に、飴と煙草を交換してくれと頼んでも、きっと一蹴されるだろう。だが、ウルフウッドの手持ちはこれしかない。
「……これしかあらへん」
「なんや、これ」
「飴や」
「飴ちゃんやと? ……甘いあれか」
「せや、甘くて美味い飴ちゃんや」
ウルフウッドが手に並べたありったけの飴を、がしりと男は掴んだ。
「まぁ、ええわ。これが精一杯いうなら」
「ほんまか?」
煙草を嗜む男が飴でつられるとは思わず、ウルフウッドは嬉しそうに声をあげた。ロベルトには、いつも飴を差し出しても突っ返されていたからだ。
「連れがな、甘いのごっつ好きやねん。ほな、……特別や」
そういって、男は胸ポケットから真新しい煙草を二つ取り出した。
ウルフウッドは見たことのないパッケージだったが、ふわりと風に乗って鼻腔を擽る香りは紛れもなく上等な煙草だった。
「ええんか、ふたつも?」
飴数本と交換するには、随分男が損をするように思え、ウルフウッドは目を丸くした。
「特別言うたろ。……坊、これからなごっつしんどいことあるかもしれへんけど、きばりや」
「……え?」
「おどれなら、大丈夫や」
「何言うてん……のや」
まさか、自分が抱えた背景など知るはずもないのに。動揺を悟られまいと、手渡された煙草の箱をぎゅっと握りしめ、視線を落とす。
「おどれも、ウルフウッドやろ」
名乗ってもない名前を呼ばれて、はっと顔を上げると男の姿はもう無かった。ざぁぁと強い風が砂を巻き上げる。
乾燥した砂は、弱い風でも簡単に吹き飛ばされ、砂地に模様を作る。立ったまま夢でも見ていたのかと、素早く周囲を見渡したが男の影も形もなかった。
ただ、ウルフウッドの手には手渡された煙草がしっかりと残されていた。
「ウルフウッド? 食事にするからこっちにおいでよ」
メリルが首尾良く、食事を分けて貰うことに成功しヴァッシュ達も砂地に腰を下ろして食事を始めていた。
ウルフウッドの分も確保したヴァッシュは、こちらへ向かい大きく手招きをしている。
「お、おお。……すぐ、行くわ」
あの男が吸っていた煙草の香りまで、鼻の奥にこびりつくように残っている。男が座っていた、風化した岩を何度も振り返りながらウルフウッドはみんなの元へと戻った。
「おい、残念な知らせだ。この商人は、煙草は取り扱ってないらしいぞ」
椀に盛られたスープを啜りながら、ロベルトは気落ちした様子で言う。自分と同じように、ウルフウッドも煙草を求めているだろうと思ったのだろう。
ウルフウッドは、食事だと手渡された暖かいスープを啜る。しばらく、保存食ばかりを食べていたので、温かな料理にありつけたのは久しぶりだった。
一口飲むと、食道から胃まで流れ落ちていくのが分かるようだった。
「美味しいでしょ」
自分を笑顔で呼んだヴァッシュに、黙って頷くとあっという間に完食した。
いつもなら食事を終えると、ウルフウッドとロベルトは一服して食休みする。習慣でジャケットのポケットを探っていたロベルトが、煙草がないことを思い出し小さく舌打ちをした。
「あんな、さっき……煙草もろてん」
まるで白昼夢のような先ほどの出来事が現実であったことを確認するように、ウルフウッドはポケットの上から煙草の包みの輪郭を撫でた。
間違いなく、物体として煙草はここにある。
「本当か。なんだ、あいつらの中にも吸う奴いるんじゃねえか」
今までの貸しがあるだろ、少し分けてくれと手を伸ばす。
ウルフウッドはポケットに突っ込んでいた新品の煙草を一つ取り出し、差し出された大きな掌にのせる。
「お、気前がいいな一箱もいいのか? ん……なんだ、この銘柄」
ロベルトはウルフウッドから受け取った煙草を凝視して、目を見開く。信じられないと、一呼吸置いてから鼻先を近づけた。
ウルフウッドの所へも届くほど、良い煙草の葉の香りがする。
「おい、お前これどこで手に入れた」
「さっき、知らんおっさんがくれてん」
煙草の裏面までしっかりと見つめて、あり得ないと大きくロベルトは首を振った。
「そら、どこの代わりもんだ。こんな貴重なもん、おいそれと手に入れられるわけないだろ……」
「飴と交換してくれてんけど、そんなにええ煙草なんか?」
「飴と? お前がいつも食べてるあれとか?」
ウルフウッドは自分のポケットに手を入れて、無意識に指先で煙草のパッケージをなぞる。
「こら、そうとう年代ものの煙草だぞ。現存してるだけでも奇跡的だ……それが、こんな、真新しい状態で」
ロベルトの手に収まる煙草は、香りもしっかりと豊かで経年劣化を感じさせない。店に並んでいるものを今持ってきた様に思えた。
「そんなに、珍しいもんなんか」
「マーケットにだしゃ、相当な金になる。……が、そう言うんじゃねんだろ?」
あの男が飴と引き換えにくれた煙草を、売り払ってしまうことは、なんとなく男の思いを裏切ってしまうことのように思えた。
「吸うんやったら、おっちゃんにやる。売るんやったら、わいが吸うから返し」
「そりゃ、ありがたくいただくわ」
ロベルトは、もう一度煙草のパッケージを目に焼き付けるように見てから、封を開いた。
「ええ匂いや」
「こりゃ上等品だ」
とんとんと煙草の詰まった紙包みの端を叩くと、器用に一本だけ昇ってくる。それをすっと抜き取ると、ロベルトはウルフウッドへ差し出した。
「最初の一本は、お前が吸え」
「……おん」
ふたりともそうするのがいいように思えて、受け取った煙草をウルフウッドは恭しく受け取ると、中指と薬指の深い部分で煙草を挟む。
あの男の仕草を思い出しながら、顔を覆うようにして煙草を唇に近づけた。
「なぁ、おっちゃん。煙で輪っか作るやつ、教えてや」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「ちょっと、ウルフウッド! どこ行ってたんだよ、お前」
真っ赤なコートの裾を翻しながら、ヴァッシュがウルフウッドに駆け寄る。どうやら随分ウルフウッドを探していたらしく、編み上げのブーツには砂やら動物の毛やらが付着していた。
「すまんな、ちいと野暮用や。留守番しとったええ子には、土産あるで」
ウルフウッドは黒いスーツのポケットから、柄の付いた大きな飴をつかみ出すと、ヴァッシュの手に乗せる。
「何これ?」
見たことがないパッケージに、ヴァッシュは開いた方の手で一つつまみ上げると顔の前に運んだ。ふわりと甘い香りが漂う。
「飴ちゃんや」
「俺、こんなの見たことないぞ」
「可愛い坊主から、もろたんや。甘もうて美味いらしいぞ、食えや」
「マジ? ラッキーいただきます♡」
甘い物に目がないヴァッシュは、喜んでパッケージを空ける。太陽の光を反射して、キラキラと光る飴はまるで宝石のようだった。
「綺麗やなぁ」
「こんな飴、見たことないな。本当に俺が食べちゃっていいの?」
召し上がれと言わんばかりに、ウルフウッドは手を差し出す。ヴァッシュは口角を上げて嬉しそうに笑ってから、飴を太陽にかざしてその美しさを堪能してから口に放り込んだ。
「うんまぁ、これ凄い美味し……え、すご」
口に入れた瞬間、ヴァッシュは子どものようにはしゃいだ声をあげた。
煙草をせがんだ幼さの残る男も、飴を食べる時はこうなるのだろうか。と、ウルフウッドは不安さと不機嫌さが混ざった男の表情を思い出した。
ウルフウッドも、口寂しくなって煙草を吸おうと、定位置の胸ポケットに手をやる。しかし、ポケットは空だった。
「しもた……、ヴァッシュ、すまん煙草買うてきてええか?」
「え、二箱買ったばかりだろ?」
「あー、分け合ってなもう無いなってん」
「流石にペース速すぎだろ、体に悪いぞ」
「病気もクソもあるか、すぐ治ってまうからええんや」
「お前って、本当に人の気持ちが分からない奴だな」
「おどれだけには、言われたないねん」
はしゃぐふたりの頭上には、雲ひとつ無い真っ青な空がどこまでも続いていた。