クラゲの君【eg×名前あり女主】 『名は体を表す』というが、それをここまで体現出来るやつがいるのか、とそいつを見て思った。
またま通りがかった女子サッカーチームで見かけたそいつは、コートを漂うくらげかと思った。色素のうすい水色の髪を揺らしながら、ゆったりと動くのに、触手で刺すように相手の不意を付いて、シュートを決める。それが、『水面くらげ』であった。
女子サッカーにはあまり興味がなかったはずなのに、気づけば視線はそいつを追っていた。それに気づいてか、彼女も俺を見つけると手を振ってくるようになった。そして、選手同士だからか話をするようになった。ふわっと笑う彼女は、試合の時よりも雰囲気が5割増しで柔らかい。試合以外ではポケっとしたり、転んでみたり、ほけほけしている姿が何だか危うくて、時々そいつの様子を確認するようになった。今までサッカー以外に興味なんて特になく、人も才能があるか無いか、自分の手駒にできるか、そんなことしか考えていなかったはずなのに、自分のそんなかんじょうに正直驚いていた。こんな風に、人を思いやる気持ちが自分にも残っているとは、思ってもみなかった。
しかし、彼女の世話をして数か月後、彼女が音信不通となった。
女子サッカーのチームにも、彼女のマンションにも、全く形跡もなく、知り合いもどこに行ったのか知らないらしい。何か、事件にでも巻き込まれたのかと思ったが、女子サッカーチームは自分から辞めているし、マンションの解約も彼女自身で行われていた。
そして数日後、彼女が引退すると発表した。
……まだ、二十歳。まだ数年は活躍していけるであろうに、随分と早い引退。あの才能が、もう試合で見れないのは少し残念な気もする。だが、記者会見中の彼女の瞳に『エゴ』が見えて、野暮な事は言わないことにした。
……そして数年後。
「絵心さん!ブルーロックの職員、一人見つけてきましたよ!」
アンリちゃんの言葉に視線を動かせば、そこに立っていたのは、見覚えのある、透き通るような水色の髪。
前よりも大人になった彼女に、俺は目を丸くしていた。
「彼女の教育係をしている、水面くらげと申します。よろしくお願い致します。」
大人っぽい落ち着いた雰囲気だと言うのに、昔と変わらないほけっとした笑顔に、少し安心する。あ、こいつ、変わってないな。ただ、他人行儀なのが気に食わなくて、俺は人差し指と親指にグッと力を入れ、彼女の額にデコピンしてやった。
「っ、あいったぁ!?」
「そのよそよそしいのやめろ。前と同じでいい。」
「それもそっか、そーするね。」
「……え、前と同じ?」
アンリちゃんが、俺とくらげちゃんの会話を聞いて、驚きのあまり固まってしまった。まさか、知り合いだったなんで思わなかったのだろう。
「昔こいつを世話してた。」
「世話されてました。」
俺達のそんな言葉に、アンリちゃんは口をあんぐりと開けていた。
「……先輩が絵心さんをお世話してたの間違いですよね?」
「ところがどっこい、本当の事なんだよね。」
「私、あの時は本当に今よりも全然しっかりしてなくてね、絵心さんが気を使ってくれてたの。」
「ぜんっぜん想像つかない……。」
目を細めてこちらを見るアンリちゃんに、以前のクラゲちゃんを本気で見て欲しい。今は後輩育成ができるくらいしっかりしているかもしれないが、昔はどこかに行こうとすれば転び、バッグを開けば忘れ物に気付き、家への帰り道すらわからなくなる。そんなサッカー少女だったのだ、彼女は。
「まぁ、とりあえず、ブルーロックプロジェクトはとても気になるので、お仕事頑張りますよ。W杯優勝する日本、見たいですし。」
そう言って笑った彼女に、俺は思わず言ってしまった。
「お前が女子サッカーで日本一になればいいだろ?」
その言葉に、彼女は固まった後、ばつが悪そうに笑っていた。
……思えば、それが初めの違和感だったのだ。
* * * * *
本格的にブルーロックプロジェクトが始動し、選ばれた高校生たちがブルーロックでの生活を始めた。トレーニングに、試合に、毎日が精神をすり減らすようなものだろう。だが、それを乗り越えて、自分の『エゴ』をむき出しにする選手たち。まだまだだが、この卵たちがどうなるのか、興味はある。
ふと、画面の端にクラゲちゃんが映る。元サッカー選手で、体力があるはずなのに、荷物を持ちながらフラッとよろけている姿に俺はヒヤッとした。
……おかしい。数年前だったら、彼女はあの何倍もあるサッカー用品を軽々と持っていたはず。数年で、ここまで体力がなくなることなんて、あるのか?
どんどんと違和感は膨らんでいく。
ある日、U20戦前に選抜したメンバーの特訓をしていると、彼女が俺の隣へと座った。
「ふふ、皆性が出ますね。きっと勝てるなってきがします。」
いつも通りにほけほけ笑いながら、高校生たちを眩しそうに見つめる彼女。柔らかいその表情に、胸が何だか温まるような不思議な感覚がする。
しかし、俺はどうしても木になってしまい、彼女に疑問をぶつけた。
「……なぁ、お前もサッカー命の人間だろ。何で辞めた。」
俺のその言葉に、彼女は一瞬目を丸くした後、ゆっくりと口角を緩めた。
「……私は、余命幾ばくもないくらげなので。」
……どうせ、そんな事だろうとは予想がついていた。危なっかしくとも、サッカーが好きで、辞める事なんで想像ができないような彼女。そんな彼女がサッカーを辞めるなんて、よっぽどの理由だとはわかっていたのだ。病気なら先に言っとけとか、本当に治らない病気なのか?とか、頭でいろいろな事がぐるぐると回りだす。はぁぁ、と長いため息をついた後、俺は額に手をやった。
「お前、その事アンリちゃんに言った?」
「何のことぉ?」
けらけらと笑ってごまかした彼女に、チョップの一つでも食らわしてやりたいくらいだ。もう一つため息を付き、一言。
「……お前、ほんとバカ。」
……俺には、そんな言葉しか言えなかった。
* * * * *
会場に、観客の叫び声が響く。選手たちも、拳を振り上げながらトロフィーを掲げている。
これで、ブルーロックプロジェクトで日本をW杯優勝と導く選手が育成できるという事が証明されたわけだ。
ベンチには、選手たちを笑顔で見つめるくらげちゃんを見つけた。遠目で見ると、彼女の体が前よりも細くなったように見える。しかも、目には隈までこさえている。
……随分、華奢になったもんだな。それもそうか、彼女は余命幾ばくもないって自分で言ってたもんな。そんな状態でも、目をキラキラと輝かせて、満面の笑みを浮かべている彼女に、自然と自分も口角が上がっていた。
喜ぶ彼女を見ていると、彼女がフラッと前にゆっくりと体を傾ける。「倒れる」と思い、俺は急いで彼女の元へと駆け寄り、体を支えた。細くなった腰、浅い呼吸、焦点が合っているのかわからない瞳。彼女の寿命がどれだけ残っているのかを察した瞬間だった。
「あぶないだろ、ばか」
そう言いながら、彼女を椅子に座りなおさせる。動作はゆっくりで、それだけでも彼女は息が切れていた。
「ありがとうございます」
そんな風に言って、笑って見せたが、表情を作るだけでも、今の彼女にはとても体力を使う事らしい。口角が少し震えているのが見えて、W杯優勝なんて嬉しい時だというのに、苦しくてたまらなかった。
俺はすとんと彼女の隣に座る。彼女が息を呑み、こちらを見つめるのが見ていなくてもわかった。
「……、なんで……」
「……」
目を丸くしながらそう問いかけてくる彼女。俺は一呼吸おいて、彼女にこう返した。
「……最期に一人は寂しいだろ。一緒にいてやるよ」
俺のその言葉に、彼女は目を開いた後、申し訳なさそうに、でも嬉しそうに目を細め、笑っていた。
「ありがとうございます。ついでに、肩をお借りしても?」
「……」
俺が自分の肩をトントンと指で叩く。彼女は一言「ありがとうございます」と言うと、そっと俺の肩に頭を乗せた。そして、また喜ぶ選手たちの方へと視線を移す。柔らかく笑顔を浮かべたその表情に、俺は何とも言えない気持ちになった。
しばらく二人でW杯を掲げたり、インタビューを受けたりしている選手たちを見ていたが、ずしりと肩が重くなる。そっと視線を移すと、目を閉じている彼女。
やっぱりか、やっぱり、今日だったか。予想は当たっていた。彼女はW杯を優勝する日本を見たがっていた。多分、それが彼女の生きる活力になっていた。それを特等席(ベンチ)で見た彼女が、どうなるかなんて、想像するに容易かった。
彼女の体をそっと支えつつ、深いため息を一つつく。
「ほんとバカだな。お前も、俺も。」
会場を歓声が包む中、俺はそっと頬を濡らす。嬉しいのに、悲しくて、辛くて、こんな日があるなんて、ブルーロックを始める前の俺は、きっと予想できなかっただろう。肩に乗った彼女の口元から、呼吸音は聞こえない。
「最後に、『好き』くらい言っとけばよかったよ。」
そう呟いた言葉は、彼女に届くことはなく、風に乗って消えていった。