はやいず本編④《side I》
朝、目が覚めると喉に違和感があった。頭がボーッとして、どうにもハッキリしない。目の奥が熱くて、視界に膜が張っているようにゆらゆらと揺れる。
癒月泉ははぁっ、と心なしか熱い息を吐いた。どうやら風邪をひいてしまったようだ。
「……どうせならこういうのも治ればいいのになぁ」
泉の能力は自身のあらゆる傷の再生。病気は範疇外なのだ。
はぁ、溜め息をもう一つ。風邪なんて久しぶりだ。そのせいかどうにも心細くて、泉はちらりとスマホを見た。思い浮かべるのは先日めでたく正式にお付き合いをすることになった恋人、射守谷快惺の顔。会いたい。連絡、してみようか。
少し考えて、泉はスマホの画面を消した。やっぱりダメだ。今日は仕事があると言っていたし、風邪を移してもいけない。
気だるい体をなんとか起こして、服を着替えて。とりあえず解熱薬でも貰ってこようと泉は教会の救護室に向かうことにした。
救護室に行くことは滅多にないから少し迷ってしまったが、なんとかたどり着けた。コンコンとノックをするとすぐに「はい」と返事があったから、ドアを開けて中を覗いてみると。
「えっ?」
「はぁ?!」
そこにいたのは先ほど会いたいと思ったばかりの恋人で。お互いになぜこんなところにいるのか、と丸くした目を見合わせた。
ポカンと見つめあっていたところから先に我に返ったのは快惺だった。
「聞きたいことは山ほどあるけど……泉、ここきたってことは怪我? 具合悪い?」
「え、えっ? あ、風邪っぽくて……」
「あーーオッケ。オレの能力、内科は治せないから、別のセンセー呼んでくるわ」
ここ座ってな、と。診察用の簡易椅子に泉を座らせて、快惺は先生を呼びに行ってしまった。混乱する頭をなんとか落ち着ける。
快惺もグレイスだった? それよりも同じ教会の人間だった? 仕事って教会の救護室で?
ダメだ、熱のせいもあって考えがまとまらない。そうこうしている内に快惺が先生を連れて戻ってきた。簡単に診察してもらって、軽い風邪だろうということで薬を受け取って。
部屋に戻る前に、快惺が優しく肩を抱いて引き留めた。
「泉、仕事終わったら行くから部屋教えて」
「ん、わかった……」
部屋の場所を伝えると、快惺は心配そうに泉の頬を撫でた。初めて見た白衣、消毒薬の匂い。いつもと違う快惺の姿が見られたことが嬉しくて、でも快惺のことをまだ全然知らないのだと思うと寂しくて。先生に呼ばれて戻っていく後ろ姿を見送って、救護室の扉を閉じた。
《side H》
「お疲れ様でした。先に失礼しますね」
ようやく仕事が一段落した。正直言って今日はあまり仕事に集中できなかった。こんなところで泉と出会うとは思わなくて。
教会の制服に、緑のストール。初めて会った時に泉の口振りからグレイスであることは察したが、まさか同じ教会にいるとは思いもしていなかった。
(今まで救護室に来たことはないよな……)
手当てをしたことがあれば、快惺は覚えている。泉は一体いつからここにいたのか。いや、今は置いておこう。先生は大したことはないと言っていたが、しんどそうだった。早く部屋に行ってやりたい。
◇◆◇
コンコンと扉をノックするとカチャと小さく鍵が開く音がした。ドアが開いて、顔を覗かせた泉が快惺を見た途端にほわりと微笑む。
「泉、大丈夫か?」
「ん、平気。まだちょっと喉が痛いけど」
頬に触れると熱もまだあるのだろう、いつもより熱い気がした。部屋に招き入れられ、買ってきた荷物を小さなテーブルに下ろす。
「ごめんね、わざわざ……」
「いーの。オレがしたいからしてるんだよ。まだ寝てな? それとも何か食う?」
「ん、じゃあゼリー食べたい」
桃のやつがいい、と言う泉に白桃の果肉入りゼリーを渡すと、嬉しそうに食べ始めた。よしよしと撫でるとにこりと笑って頭を自ら寄せてくる泉がかわいい。濡れた瞳と上気した頬は熱のせいだと分かっているが、どうにもエロくてちょっとむらっとしてしまったのは秘密だ。さすがに病人相手に無体なことはしない。
ぺろっと食べ終わったのを確認して、薬を飲ませて。部屋の備え付けだろう小さなベッドに泉をさっさと横にならせた。
「大丈夫だよ。いっぱい寝たし、眠くない……せっかく快惺さんがいるのに」
本当にかわいいことを言ってくれる。
「そう思うなら早く治しな。襲えないだろ」
「……いいよ、襲って?」
「~~っ! だーめ! ほら寝ろ寝ろ」
「ちぇっ」
薄い布団をかけた上から胸をぽんぽんと叩いて何とか誤魔化した。危ない、繰り返すが病人相手に無体なことはしないぞ、さすがに。
「じゃあ、寝るまで快惺さんのこと、教えて」
「……オレのこと?」
「そう、グレイスだったんだね」
まぁ、当然気になるよなぁ。教会の救護室に詰めていて、尚且つこの青いストール。教会に所属していれば、それだけでグレイスということは明白だ。
「隠すつもりじゃなかったけど……黙ってて悪かった」
「ううん、俺も言ってなかったし」
緩く首を振った泉に、正直ホッとした。話す機会がなくて、泉の能力についてだって聞く機会もなくて。騙していたような形になってしまったから。
「どんな能力か聞いてもいい?」
「んー、簡単に言うと怪我を治す能力かな。外科治療専門」
「え、すごい。どうやるの?」
「……詳しくは元気になったら実演してやるから」
「え~、けちー」
聞きたいことも、話したいことも互いにたくさんある。だがまず泉の体調を戻すことが優先だ。焦らなくてもいい。これから一緒に過ごす時間はたっぷりある。
「でも、ちょっと羨ましいな」
「何が?」
「俺の能力は俺しか治らないから」
人の為に使える力が羨ましい、と。泉は自嘲気味にぽつりと溢した。羨ましい、か。救いたい場面で救えない、自分の無力を突きつけられたことは何度もある。グレイスであることを隠して、救える人を見殺しにしたことだってある。泉が思うほど、綺麗なものじゃないんだ。
「……もう、いいから寝な」
「ん」
ゆるゆる髪を、頬を撫でると泉は素直に目を閉じた。
撫でながら何の気なしに部屋を見回してみる。綺麗に片付けられている、というよりはそもそも物をあまり置いていないようだ。快惺もそんなに私物は多くないから、このくらいの荷物なら……
「こんなとこ、って言ったらアレだけど……ここじゃなくて、泉、オレんち来れば?」
「……え?」
投げ掛けた問いに、ぼんやりと目を開けて泉が聞き返してきた。ぱちりぱちりと緩慢なまばたきで、今にも夢の世界へ旅立とうとしているが、泉は小さく首を横に振る。
「俺、何もできないよ……俺なんかいても……役に、たてないし」
「役に立つとか関係ねーよ。オレが泉と一緒にいたいから、来てほしい」
返事はなかった。代わりに返ってきたのはすぅすぅと穏やかな寝息で、快惺はふっと笑ってそっと額にキスをした。
泉は躊躇うだろうと思っていた。でもただの思いつきじゃないんだ。もう泉を一生手離す気はない。それなら一緒に暮らすのが当然だろ?
さぁそうと決まれば準備をしなければ。『また明日来る』メッセージアプリに一言そう残して、快惺は静かに部屋を出ていった。
《side I》
よく眠れたおかげか、目が覚めた時には体がずいぶんすっきりしていた。喉の痛みもないし、熱も引いたようだ。
部屋を見回しても快惺の姿はない。代わりにスマホを見ればメッセージが残っていた。
「……あれ、本気かな」
昨日夢うつつに聞いた言葉。快惺の家に、か。もし一緒に暮らせるなら、どんなにか嬉しいだろう。
でもそれができたとしても泉には快惺に返せるものがない。家賃も払えないし、家事だってそんなにできるわけでもない。快惺からは貰ってばかりだ。渡せるものはこの身一つ、返せるものは心だけ。
だから、恋人になれた、それだけで満足だ。これ以上望んではバチがあたりそう。
そう泉が思って、メッセージを送ろうとした瞬間。ドンドンと玄関が鳴った。快惺がもう来たのだろうか。
「はい……快惺さん? え、何その荷物」
「おはよ、泉」
ドアを開けると立っていたのはやっぱり快惺だった。その手には何故か大きなキャリーバッグを引いていて、一体どうしたのかと目を丸くする。
「これに荷物詰めて。多分入るだろ」
「えっ、えっ!? どういうこと?」
戸惑う泉に、快惺はにっと笑って告げた。
「今日からオレんちな」
まさか、昨日言ってたことを本当に? 確かに荷物は少ない方だけど、今日から?
「え、だって……俺は」
「いーの! オレが一緒にいたいから、って言ったろ?」
わしわしと快惺の大きな手が頭を撫でる。初めて会った時から、この大きな手が何度も泉を引っ張ってくれた。
「足りないもんはまた明日買いに行くぞ」
「……うん、ありがと、快惺さん」
強引な、でも決して嫌じゃない。少し怖くなるくらいの幸せに、恐る恐る手を伸ばした。
終
おまけ 快惺さんのおつかい
泉はちゃんと飯を食っただろうか。そう思ってふと気付く。何か食べられる物を持っていった方がいいのでは、と。しかし。
「……風邪ん時って何食うんだっけ?」
風邪などここ数年引いていないし、そもそも外傷の治療が専門だから看病の経験も乏しい。せいぜいが自衛隊時代に救護者にレーションを分けたくらいだ。
それに加えて快惺は炊事の類いがまったくできない。作るなどもっての他なので買うしかないのだが、まず何を買えばいいのかわからない。
「……仕方ない。直接聞くか」
変なものを買っていったりするよりはマシだろう。
近くのドラッグストアでメッセージアプリを開こうとして、やっぱり止めた。いちいち『これいる?』と商品名を打つのも面倒だし、直接見てもらった方が早い。
ビデオ通話をタップして繋がるのを待つと、三コール目でパッと画面が切り替わった。
「もしもし? 泉、調子は?」
『快惺さん……お疲れさま、大丈夫だよ。薬飲んで寝てたらちょっとよくなった』
大丈夫、とは言うものの泉の顔は画面越しでもうっすら赤いのが分かるし、目も潤んでいる。
「しんどいのに悪ィんだけど、今、ドラストで……食べれるものあるか? こんなのあるけど、これは? どう? 好き?」
『え、っと……』
商品を見せて確認しながらカゴに入れていく。スポーツドリンクにゼリー、アイス、レトルトのお粥、カップ麺。悩んでる泉の顔がかわいいからこっそりスクショもとってしまった。
「こんなもんか?」
『うん、ありがとう』
「いいよ、じゃあすぐ行くから」
そう言えば泉は安心したように笑った。気丈に見せてやはり心細かったのだろう。
通話を切り急いで会計を終えて、快惺は教えてもらった部屋に向かった。
終