仗露道場2024/11/11「雪」(2023/1/31お題) チンタラと一人で下校していると、空からチラチラ白いかけらが降ってきた。
「うげッ!」
どーりで朝から寒ィと思ってたんだよなァ。あーあ、今年もまたこの季節が来たか。雨よりゃマシだが、髪型にはいい影響がねェ。空は暗ェし、底冷えするし、積もった日にゃ歩きにくいし、雪なんてモンはロクなこたねーんだよなァ。
期末テスト前の憂鬱もあいまって心の中でグチグチ言ってると、ふと人影が目に入った。稲刈り後のなんもねー田んぼに誰かが立っている。
杜王町、いや日本全国探したって二人といねェトンチキな服装。ありゃ露伴じゃあねーか。このクソ寒い中、よりによってコートを脱いで何やってんだ、あいつ?
おれは稲の切り株を慎重によけつつ田んぼに踏み込んだ。ガキの頃は面白がってザクザク踏んだりしたもんだが、今は大事なバリーの靴を傷めちまうからな。
なのに売れっ子の漫画家先生ときたら、見るからに高そうなコートを無造作にそのへんに脱ぎ捨てている。その横にそっと置かれたスケッチブックのほうが、よっぽど丁寧な扱いだ。
露伴がスケッチブックを離すなんて珍しい。両腕を大きく広げ、空を仰いで——いったい何をやってるんだろう?
(……うわ)
近づいたおれはドン引きした。上を向いた露伴は大きく口を開けている。さらに舌をいっぱいに突き出して、控えめに言ってもかなりイカレたありさまだ。
おおかた、いつもの漫画の取材だろう。近頃の露伴には意外にイイなと思う部分もあるものの、相変わらずおれには理解不能な部分も多々あった。漫画はそのきわめつけだ。人間サマがあんなもん(とか、露伴の前では口が裂けても言えねーが)と天秤にかけられてボロクソ言われるっつーのは、どうにも納得いかねェぜ。仮にも、ともに殺人鬼と戦った仲間だってのによォ。
「東方仗助」
顔を戻した露伴が、こっちを向いていつものよそよそしいフルネームでおれを呼んだ。ま、そりゃ気づくわな。別に足音忍ばせてたわけじゃあねーし。正直気まずいとかおれは思うわけだけど、そんな空気を露伴が読むはずもねェ。
こんちは、とやむなくおれは頭を下げる。露伴はフンとひとつ息を吐いて、「こんなところで何してる」と尋ねてきた。そりゃこっちのセリフだっつーの。
「や、先生こそ何してんのかなーって。漫画の取材っスよね」
「なぜそう思う?」
「なぜって……」
予想もしない返事だった。いつもみてェに、すげー勢いで自分の話(てことはつまり漫画の話)を始めるかと思いきや。この先生がこっちに興味を示したのは、もしかしたら初めてじゃあねーだろうか。
「だって、漫画の取材以外でこんなことすると思えねーし」
「こんなことって?」
「いや……田んぼの真ん中でわざわざコート脱いで、雪の味みてみるとかよ」
露伴はいつになく静かだった。緑のまだらの目がじっとおれを見つめて、そのせいかなんだか調子が狂う。近頃、おれはこの目が苦手だった。ムカつくイカレ野郎のものとも思えねェ、きれいなこの目が。
フン、と露伴はまた息を吐いた。鼻と口のまわりに白い霧がわだかまる。
「ま、確かに漫画のためではあるけどな。そればっかりでもないんだぜ?」
言いざま、露伴はガキっぽく笑ってみせた。この、おれに。
「君も知ってのとおり、ぼくは四歳まで杜王町に住んでいた。とはいえ、小さすぎて当時のことは覚えてない」
「……」
なんでもねェことで、露伴がおれに笑いかけた。横に康一もいねェのに。その破壊力がすごすぎて、いまいち話に集中できねェ。なんだ、これ。何だ……?
「つまり今年は、ぼくにとってこっちで初めての冬ってわけだ。そりゃあ浮かれもするってもんさ」
うん、まァ、わかる。雪に浮かれるっつー気持ちはまるで理解不能だけど、雪を知らねーヤツがそーなるってことは理解してる。億泰も「初雪いつ降んのかな?」とか、やたらワクワクしてたしな。でも、まさか露伴が。
露伴にこんな普通っぽいとこがあるなんて思わなかった。「漫画家」っつー得体の知れねェ生き物みてェに思い込んでた。おれには理解できねーし、おれのことも理解しようとなんてしねーいけすかねェヤツ、そんなんだとばかり思ってたのに。
雪に浮かれるなんて、ガキかよっていうような普通の感情があって、しかもそれをおれを相手に普通に認めた。まるっきり普通の知り合いか、なんならダチにするみてェに。
吹きっさらしの田んぼは相変わらずクソ寒ィってのに、腹の底にカーッと熱いものが生まれる。それはぐんぐんせり上がってきて、すぐに脳みそまでのぼせたみてェに熱くなった。顔から火でも出ちまいそうだ。
なんだ、これ。何なんだよ。
岸辺露伴、あんたいったい何なんだよ……ッ!
どうした仗助、なんて露伴がさも親しげにおれの名前を口にして——おれは、とうとうたまらず頭を抱えてうずくまってしまった。