仗露道場2024/12/3「エプロン」(2023/3/1お題) 最新の設備を備えた広々したキッチンで、好きな人に喜んでもらうために料理をする。こんな気分のイイことがあるだろうか。家事はガキの頃からやってたけど、当たり前の日常を「楽しい」と思えるなんて愛の力ってヤツだよなあーっ。
「なに不気味に笑ってんだよ」
キッチンに入ってきた露伴が、冷蔵庫を開けながら言った。
「いや、幸せだなァって」
「メシ作んのがかよ」
奇特なヤツ、と缶のウーロン茶を開けながら肩をすくめる。
採用試験を休み明けに控えた高三の夏。普通なら暗黒だが、おれはバラ色の幸せの中にいた。試験勉強を、なんと露伴の家でやれることになったのだ。もちろん、露伴的にはおれじゃあなく康一のためなんだが、そんなことはどーでもいい。康一と由花子は大学受験、億泰は料理の専門学校。おれたちは毎日のように露伴の家に通いつめ、それぞれの目標に向けて励んでいた。
康一と一緒に料理したいっつー由花子の深謀遠慮で、昼メシはおれたちが露伴に振る舞うことになった。そこで、このおれはピカーッ! とひらめいたのだ。自然な流れで、夕方の解散後に晩メシも作らせてほしいと頼み込んだ。
——おれんち母子家庭だろ。ここで作らしてもらって、ウチにも持って帰るってのはどうっスか? 二人分も三人分も変わんねーしよォ。おふくろは楽ンなるし、おれは親孝行できるし、あんたはメシ作る手間が省ける。みんなが幸せになれるアイディアだと思うんスよ!
——親孝行、ねえ。
露伴はいかにも胡乱げにおれを眺めやった。
——はっきり言おう……ぼくは君を、そんな殊勝なタマだと思っちゃあいない。何を企んでいるんだ? さっさと言えよ。
予想どおりの反応だ。おれは会心の笑みを必死にこらえ、ヘラヘラした様子をつくろった。
——まいったなあ〜〜っ、露伴先生に隠しごとはできませんや! 正直に言っちゃうとっスね、好きな人とチコッとでも長く一緒にいたいっつー、仗助くんの哀れな男心っス。
後ろ頭を掻いてみせると、露伴は肩をそびやかして「最初ッから素直になりゃあいいんだよ」と鼻を鳴らす。
チョロい。チョロいぜ、岸辺露伴。あんた自分が何を言ったか、ぜーんぜんわかってねーよなァ?
自分がおれの獲物になってる状況を、あんたはいつのまにか、まったく自然に受け入れちまってるんだ。ほんの一年前には、「男とつき合うつもりはない」なんて一蹴してたっつーのによ。
ま、「それ以前に東方仗助、おまえとつき合うわけがない」とも言われたけどな。そんなもんは、こっからどうとでもしてみせる。まずは恋愛対象に、端っこだろーと食い込んでナンボだろ。
意外と言っちゃあなんだが、露伴の家のキッチンはそれなりに使い込まれていた。食材もある程度揃ってたし、そこそこ自炊してるらしい。ただ料理好きってわけでもねェとかで、おれはわりとあっさり「いいだろう」の返事を引き出すことに成功した。
——もちろん費用はきちっと払う。きさまごときから施しを受けるつもりはないからな。
食費はおふくろからもらえるし、いいっておれは言ったんだけど。それより一緒にスーパーとか行ってくれたらいいよあーって思うけど、今んとこは恋人でも何でもねェからな。そいつは未来のお楽しみだ。
食材をカウンターに並べ終え、おれはエプロンを手に取った。家から持ってきたヤツで、昔から使ってる何の飾り気もない生成色だ。これもいつか露伴からプレゼントされたりしてェけど。ま、夢を見んのはタダだからな。理想は高く、それが「青春」つーもんだぜッ! それに私物を置いてるってのも、親密ぽくていいもんだ。
髪型が崩れるから、おふくろみてェに紐を結んだままかぶる横着はしねェ。肩と腰の二か所を結びなおし、ヨシッと気合いを入れたところで、おれはふと異変に気がついた。
露伴が——缶を右手にぶら下げたまま、口をポカンと半開きにしておれを見つめている。
せわしなくまばたきするさまは、まるで子どもか動物だ。意外に睫毛が長いよなァとか、やっぱキレーな目してるよなァとか、見つめ合いながらおれはぼんやり考えていた。
と、露伴はやおら、ガンッとたたきつけるようにウーロン茶をカウンターに置いた。
「おまえッ、動くなよ! そこを動くなよ……‼︎」
言うが早いか身を翻す。バタンとやかましくドアが閉まり、ダダダとやかましい足音が響いた。階段を駆け上がってるようだが、いったい何だ?
ダダダと遠ざかっていった足音は、すぐにダダダとふたたび近づいてきた。バッターン! とすげー勢いでドアが開いて、肩で息をする露伴はスケッチブックを手にしていた。
「何なんスか、いったい?」
あっけにとられるおれの顔面に、いきなり豪速球で何かが投げつけられる。クレイジー・ダイヤモンドで受け止めたそれは。
「漫画?」
露伴のじゃあねェ。書いてある名前が違う。有名なのかもしんねーが、おれは知らない名前だった。表紙には都会のカフェの店員なんかにいそうな、スカした男の立ち姿が描かれている。
「今人気の作品だよッ。主人公が料理好きのサラリーマンって設定が斬新だと評判だ。おまえは知らんだろーがなッ」
露伴が叫ぶように言う。すげー勢いでスケッチブックをめくったかと思うと、すげー勢いで描き始めた。
「確かによくできてる。キャラの言動に説得力があるし、料理の絵もうまそうだ。だが何かがひっかかってたんだ。何かが」
ブツブツとうわごとみてェにつぶやきながら鉛筆を走らせるさまは、露伴にゾッコン惚れてるおれから見てもチコッと不気味だ。これぞイカレ漫画家って感じだぜ。
ものの数分で露伴が「見ろッ!」とつきつけてきたスケッチブックに、おれは思わず息を飲んだ。
描かれてるのはおれだった。今まさにそうしているように、露伴の家のキッチンに立ち、古ぼけたエプロンをつけている。
ふんわりと陽だまりみてェにあったかい光が斜め上から差して(ほんとは家ン中だけど、それがゲージュツってモンだってことぐらいおれにもわかる)、ビシッと決まった髪型のふちはキラキラ輝いてて、目尻を下げてほほえんでる。
露伴がおれを、こんな優しい絵に描いてくれるなんて……これって、露伴にはおれがこう見えてるってことだよな?
「スーツの上脱いだだけでギャルソンエプロンとかさァ。ちゃんと料理するんなら、やってられるはずがないんだよ! 水とか油が飛ぶだろッ!」
うっとりした感激を興奮しきった露伴に破られて、おれは手の中に持ったままだった本を見やった。そうだ、なんでスカしたカフェみてェって思ったのかって、表紙の野郎がホワイトシャツに腰巻きの黒エプロンってカッコだったからだ。
「よくわかんねーけどよォ。それって、おれが露伴の役に立てたってこと?」
だったらうれしいけど、とおれが口にした途端、露伴はボッと音をたてる勢いで真っ赤になった。
「ぼ……くじゃあないッ、ぼくの漫画のためだよッ‼︎」
リアリティが、誰がおまえなんか、漫画家たるもの、エトセトラエトセトラ。ボーゼンと見つめるおれの前で、露伴は聞き取れないぐらい支離滅裂にわめき続けていた。