仗露道場2025/1/6「クマ」(2023/3/28お題) フッと瞼を上げると、目の前に今にも泣きだしそうなおふくろの顔があった。まばたきする間にそれはパッとかき消えて、いつもの勝ち気な表情になる。
「起きたの、バカ息子」
「あー……」
肺が痛ェ。けど、声は出た。ってことはまだマシだ。どうやらうまくいったらしい。
「要救助者の人は無傷だったって。でも……ほんっと、無茶するんだから。その程度で済んだのは奇蹟よ。お医者さんは、木がクッションになったんじゃあないかって言ってたけど」
「……」
「次からは、もうちょっと考えて行動しなさい! そんなの二度はないんだからねッ」
半泣きのおふくろには悪ィけど、実はそうじゃあねーんだなァ。おれに限っては、何度だって「奇蹟」は起きる。なぜならそれは必然だからだ。
おふくろに見えねェのをいいことに、おれはスタンドを発現させた。クレイジー・ダイヤモンド。おれの相棒。おれ自身は治せねェからってポンコツ呼ばわりされることもあるけど、こんだけ働いてくれりゃ上々だろ。世の中都合のいいことだらけじゃあねーんだし、ゼータク言うもんじゃあねーよな。
おれの態度に、おふくろは聞こえよがしにため息をついた。
「露伴先生に謝っときなさいよ」
「……いッてえッ!」
急に振り返ったもんだから身体のあちこちが痛んで、おれはたまらず悲鳴をあげた。涙目になったおれをふふんと見返すおふくろのツラには、「ざまーみろ」と書いてある。
「ろ……露伴、どこ?」
「着替え持ってきてくれるって。あんな偉い先生をパシリにするなんて、いいご身分になったもんじゃあないの」
そっか、露伴はいねェのか。
ホッとしたのが半分、どんだけ罵倒されようと顔が見てェなって寂しさが半分……とか思う間に、入口の引き戸がスラッと開いた。
「あら、噂をすれば」
「朋子さん、留守番ありがとうございました」
おれが見えてねェはずもねーのに、露伴はまるで無視しておふくろと挨拶を交わす。これどうぞ、なんつって缶コーヒーを渡したりして、しかもそれがまた、おふくろの好きな銘柄だったりして。
「ありがと。じゃあ、あとはよろしく」
おふくろはあっさり出ていき、露伴はしばらくその背中を見送っていた。おれたちしかいない四人部屋を気まずい沈黙が満たす。
さて、怒濤の説教タイムか。おれはひそかに身構えた。なんたって、間違ったことはひとつもしちゃいねェ。「思い上がるな。何様のつもりだ」とか露伴は言うけど、目の前に瀕死の要救助者がいて、おれにはそれを助けられる力があるんだから、使わねェって手はねーよな。それを何様かと問われたら、スタンド使い様?——とか返そうもんなら露伴のヤツ、死ぬほどキレるんだろーなァ。
考えてると露伴がこっちを振り返って、おれは心底ギョッとした。目が落ちくぼんで、顔なんか白を通り越して灰色で、これじゃあまるで露伴のほうが重傷者だ。
なんて……なんてツラしてやがるんだよ、露伴。
なにもそんな難しく考えるこたねェじゃあねーか。みんな無事だし、おれも無事だった。メデタシメデタシ、それで終わりでいいじゃあねーかよ。
露伴の肩の辺りから、白っぽいオーラがフッと立ち昇る。ヘブンズ・ドアー。露伴の相棒。書き込まれたら最後、絶対に逆らうことはできない無敵のスタンド。
おれは反射的に首を縮めた。実際にはロクに身体を動かせなかったが、そこは気分の問題だ。
「出せよ……君の、クレイジー・ダイヤモンドを」
ところが露伴の第一声はまったく予想外のものだった。ポカンとしたおれに、露伴は焦れたように顎をしゃくる。なにがなんだかわかんねェまま、おれは枕元にクレイジー・ダイヤモンドを発現させた。
フン、と露伴が鼻を鳴らす。
「スタンドはピンピンしてるんだな」
改めて言われりゃ不思議だがそのとおりだ。スタンドってのは形を保てるか保てないかだけで、本体がどうなろうとケガしたり、血を流したりってことはねェ。
フワッと、おれの頬に何かが触れる。露伴をすり抜けて前進したヘブンズ・ドアーが、両手でクレイジー・ダイヤモンドの顔を包み込んでいた。小首を傾げて、額やまぶた、鼻、口元と、確かめるように触れていく。
クレイジー・ダイヤモンドは無傷でも、おれの顔面はなかなか悲惨なありさまのようだ。そっと撫でるような動きだが、そのたび飛び上がりたくなるほどの痛みが走った。
脂汗流してうめくおれを、露伴は緑のまだらの目で淡々と見下ろしている。やがて、おもむろに口を開いた。
「クレイジー・ダイヤモンドがぼくのスタンドで、ヘブンズ・ドアーが君のだったら」
「……」
「人類にとっては損失だったな。ぼくに君みたいな真似はできないし、ヘブンズ・ドアーの働きで、ぼくの作品は一段も二段も進化した」
おれのスタンドがヘブンズ・ドアーだったら——?
とりもなおさず、露伴に「ひとりでヤバい取材に行かない」と書くだろう。「自分の身の安全を最優先する」とか、「危険を感じたら東方仗助に相談する」とか。それ以外の使いみちなんて思いつきもしねーし、特にやりたいこともねェ。確かに宝の持ち腐れだ。
「だが、そんなことはどうでもいい」
おれは愕然と顔を上げた。首がめちゃくちゃ痛んだがそれどころじゃあねェ。
どうでもいい、だって? 漫画の話をしてるってのに、あの露伴が?
「……なんて、一瞬でも考えそうになる。この屈辱がわかるか、仗助? おまえの英雄的行動のせいで、ぼくは自分に顔向けできないようなことを考えちまいそうになる。だから……だから、おまえのことがムカつくんだよッ!」
クソッタレ‼︎ 幽鬼のような顔を歪めて吐き捨てると、露伴は身を翻して部屋から走り去ってしまった。
射程距離の限界を超えたんだろう。ヘブンズ・ドアーの姿がフッとかき消えた。クレイジー・ダイヤモンドの首にすがりついた腕と、頬に濡れた涙の感触だけを残して。