麦わら家族「ゾロ、代わろう」
「――ああ」
は、と、意識を船に向けたのは、数日ぶりのように思う。
ゾロは自分の肩を叩いたジンベエへ目を向けると、すぐに海の方へ戻す。
「距離は開いたが……諦めたのかはわからねえ」
「夕方には島に着くという話じゃ。はち合わせたら面倒じゃな」
「そん時はそん時だろ」
ゾロは芝生を歩き、大きな欠伸をした。ピリピリとする項を擦り、忘れていたように襲いくる疲労にため息も吐く。
ここ数日、海底から妙な気配がしていた。恐らくは潜水艦に付け回されていたのだろう。
サニー号の機動力とナミ、ジンベエのお陰で引き剥がすことには成功したが、それにしても時間がかかった。なんと四日間も。
その間、ゾロはずっと海を警戒し、見えもしない相手と我慢比べをしていたのだ。
何時もなら分担して警戒するところだが、潜水艦の中にいた戦闘員と意図せず波長があい、張り合いが始まってしまった。かなりの実力者のようだが、海上へ仕掛けに来なかったあたり、慎重なタイプなのだろう。
四日かけた我慢比べは見事ゾロが勝利したが、その間ずっと飲まず食わず、なんなら寝ずで、今更になって疲労やら睡魔やら空腹が襲ってきたのである。
今は昼過ぎ。島に着くまでたいした時間はない。
こうなったらいっそ、島についても船に置いていって欲しい。とにかく四日分の睡眠時間を確保しなければ、さすがのゾロとてフルパワーが出せない。
飯を食って、酒を飲んで、寝る。よし。
そんなことを脳内で決め、キッチンへ入ると……目当ての金髪はいなかった。皿洗いをしていたチョッパーがゾロに気がつき、にぱりと笑う。
「ゾロ!もう平気なのか?」
「多分な。あとはジンベエが見張る」
「そっか。ありがとなぁ、ゾロ。腹減ってるだろ?」
「ああ」
うなずくが、主のいないキッチンではどうしようもない。酒でまぎらわそうかと思ったところで、チョッパーがひとつの包みを差し出した。受け取ると、ずっしりと重い。
「なんだこれ」
「おにぎりだ!サンジが、もしゾロが来たら食べさせてやれって」
「なるほど」
準備が良いことだ。手にとって食らいつき、三口で飲み込む。差し出されたお茶を飲み干し、次のおにぎりに手を伸ばし。
そこで、ああ、そうかと納得した。
これはきっと、毎日、毎食、欠かさず準備されていたのだろう。いつ終わるかもわからない我慢比べを邪魔しないよう、しかし終わったらすぐ手がつけられるよう。
残る二つも食べきれば、いくらか空腹は落ち着いた気がした。まだ食べられるが、一旦は満足ということにしておこう。
今度こそと酒を取りに足を向けたが、手が坂瓶に触れる前に、チョッパーが「あ!」と言う。
「酒は後だ!お風呂に行ってほしいんだ!」
「はあ?何でだよ」
「多分準備できてるから!」
「準備……?」
なんだそれはと言う前に、背中を押されてキッチンから出される。疲労した状態で入る風呂は気持ちが良いものだが、頭や身体を洗うのは億劫だ。
とはいえなにかしらの準備、とやらがされていると聞かされているのに、無視して寝るのも気が引けて。
「ったく、なんだってんだ」
ゾロは渋々、足を大浴場へと向けた。
向けた、のだが。
「来たわね、ゾロ!」
「うふふ。さぁ、はやく脱いで」
笑顔で手招きをする魔女達に逃げ出したくなった。
抵抗する間もなく脱衣所へ引っ張られ、服を脱がされる。男の服を脱がしているというのに恥じらいひとつ見せないナミとロビンは、さっさとゾロの腰にタオルを巻き付けると、楽しそうに、今度は浴室へ引っ張りこむ。
「なんなんだ一体……」
座らされ、問答無用でお湯をかけられながら、憮然とした態度で言うと、ナミが髪の毛にシャンプーをかけた。マッサージするように洗われるのはとても気持ちが良い。
「今回はさすがのあんたでも疲れたでしょ?労ろうって話してたのよ」
「これが労りか」
「気持ちいいでしょ?」
「……ああ」
もう意地を張るのも馬鹿馬鹿しく、揺れる頭を隠さずに頷いた。
頭皮はナミに、背中や肩はロビンに洗われ、非常に眠たい。睡魔がすぐそこまで来ている。
「湯船はやめといた方がいいわね」
「あー……今入ったら寝る……」
「寝ちゃダメよ、まだ!」
ザバザバとお湯をかけられ、洗い終わったからと腕を引かれ、脱衣所に舞い戻る。そこに待ち構えているのはフランキーとウソップで、濡れ鼠のゾロを奇妙な椅子に座らせた。脱力しながら目を閉じると、椅子がへんな風に動く。なるほどこれもマッサージのようだ。
「へへーん、どうだゾロ!」
「あーこりゃあ、やべえ。寝る」
「寝てて良いぜ!頭ふいといてやるよ」
「身体はこいつが拭いてくれるぞ」
「って、くすぐってえ!」
「おおお、暴れんなよ」
マッサージ機能はありがたいが、体を拭く機能とやらはこそばゆい。
改良の余地ありだなんだ話す声を背景に、ゾロは少しだけ仮眠した。
数十分寝ただけらしいが、いくらか頭はスッキリした。とはいえまだ睡眠が足りていないのは明白で、しっかり寝たい。
ふらつくゾロをむかえに来たのはブルックで、「子守唄を歌ってさしあげましょう」なんて言う。
「子守唄……どこでだ……」
「男部屋の予定でしたが、他に希望が?」
「……ぐる眉」
そう、あの男。キッチンにも風呂場にもおらず、おそらく男部屋にもいない人物。気配を探ると船尾にいるようだった。
目を向けると、ブルックか楽しそうに笑う。
「ヨホホ、わかりました。では船尾には暫く、どなたも近づかないようにしておきましょう」
「頼む」
ブルックに見送られながら足を動かし、船尾へ顔を出すと、そこではサンジが座り込み、ジャガイモの皮を剥いているところだった。
突然現れたゾロに驚いた顔をして、無言でズカズカと歩み寄る様子にさらに怪訝な顔をする。
今までの労りとやら、手配したのはこの男なのだろう。男部屋に行かなかったことに驚いているようだ。
「……何しに来たんだ?ここにはなんもねえぞ」
「てめえがいる」
「ああ?……なるほど」
ゾロの言葉に、意図を察したようだった。
皮剥きの手を一時的に止めると、サンジは両腕を広げた。ゾロは広げられた腕のなかにおさまり、サンジの体を枕にするように、のっしりともたれ掛かる。
やりにくいだろうに、サンジはそのままゾロの腹にボウルを乗せ、器用に皮剥きを再開した。
背中に感じるあたたかさと、シャリシャリと軽快に鳴る音。完全な沈黙よりも眠くなるのは何故だろう。
「さすがに四日も続くとはなぁ」
低音が耳をくすぐる。顔の横で話されても、この男の声は煩わしくない。
「お疲れさん。ゾロ」
「ああ」
柔らかな低音は心地良い。そのまま寝ようと目を閉じる。
「ここで寝んのか?せっかくブルックが準備したのに」
「一人じゃ本気で寝れねえ……まだ気が立ってる」
「そうかよ。……お、丁度良いところに」
くすりと笑ったサンジが誰かを手招いた。
顔を出したのはルフィで、今にも寝そうなゾロの顔を覗き込んでくる。
「ゾロ、寝れねえのか?」
「まだ切りかえらんねえ」
「ってことだ。ルフィ、マリモの抱き枕になってやれよ」
「わかった!」
にぱ、と笑ったルフィが、サンジがゾロにしているように、ゾロの腕の中に収まった。あたたかいものに挟まれ、湯船に浸かったような声が出る。
前はルフィ、後ろはサンジに挟まれ、やっと完全に力を抜けた気がした。この二人が己の近くにいるのなら、気を抜いて平気なのだと。
その後は一瞬だった。
ストン、と落ちるように寝入ったゾロは、大きなイビキをかきながら寝始めた。ルフィも大口を開けて寝入っている。
サンジは剥き終わったジャガイモを横に置き、そっと煙草に火をつけた。水に浸けたいところだが、寝入ってすぐの今だけは、人を呼ぶのを我慢してやろう。
洗い立ての髪の毛はまだ湿っている。指で押すと頭皮は柔らかい。頼んだマッサージはきちんと機能したようだ。
「……いつもありがとな、ゾロ」
さて、何本吸った頃に起きるだろうか。夜になる前に目覚めてくれれば、とても助かるのだが。
次にゾロが目覚めると、見知らぬベッドの中だった。抱き締められていたはずが、今はサンジを腕に閉じ込め、二人で体を絡めて寝ていたらしい。
くあ、と欠伸をひとつ。とりあえず金髪に顔を埋めると、小さく身じろぎされた。どうやら起きているようだ。
「んん、起きたか……?」
「起きた。どこだここ。宿か?」
「そ。お前もルフィも全然起きねえからさ、ボンクに運んでほっとこうとしたんだけど……お前、離れると起きようとすっから。仕方なくここまで運んだんだ」
感謝しやがれ、と言いつつ、サンジもゾロに擦りよった。
窓から入る日差しは明るい。朝焼けだろうか。ずいぶん長いこと寝ていたようで、腹がぐぅと鳴る。
「飯食うなら起きるけど」
「いや、まだいい」
金糸を撫で、息をする。この時間も、ナミの言うところの「労り」なのだろう。結局のところ、自分はこの男と一緒にいる時間が、一番の褒美になるのだから。
サンジの頭を撫でていると、持ち主が楽しそうに笑う。いや、気持ち良さそうに、かもしれない。眠気の残る頭では正直どちらでも良い。
「まだ早朝だから寝ようぜ。起きたら飯作るよ」
「おう」
「鍛冶屋寄って刀研いでもらってさ、おれも包丁預けて。終わるまで町の中ぶらつこうぜ。大きいマーケットがあるんだ」
「わかった」
「で、全部用事終わったらまたここ戻ってきて、」
セックスしよう。囁かれた言葉に頷いた。その予定は今からでも良いが……今は、この微睡みに浸りたい気もする。
サンジの頭から顔を離し、顎を掬ってキスをする。甘やかな時間。二人きりの時だけの特権。
鼻から抜ける高い声に、ゾロは一層キスを深めた。健気に絡まる舌が愛しいのだと自覚したのはいつだったか。もう、遠い昔のようにも思える。それ程までに、この時間はしっくりくるのだ。
形を確かめるように、サンジの服の中へ手を滑り込ませた。背中の窪みをなぞり、項を擦る。
「んっ……なんだよ、ヤんの……?」
「ヤらねえ。触るだけだ」
めくれたシャツを脱がせ、素肌で触れ合う。そもそも着込みすぎなのだ。寝る時くらい、楽な格好になれば良いものを。
深く息を吸う。煙草の匂いも洗髪料の匂いも服の洗剤の匂いも全部全部邪魔だ。しかし今から取っ払うには時間が足りない。奥底にある体臭をかぎ分けようと、最早躍起になって鼻を埋めた。くすぐったいと笑う体を、叱るように抱き締める。
「もう……おまえ……ねるとき服着るな………」
「アホ言うな、アホ」
「……あほじゃねえ……」
もう寝落ちそうなのがわかってるのだろう。サンジはゾロの頭を撫でると、「おやすみ」と囁く。
「なぁ……疲れ、全部取れそ?」
ゾロはこくりと頷いたつもりだったが、サンジは気がついただろうか。そのまま寝てしまったゾロに、確認する術は無かった。