特別仕様カレーの話 今日から数日間続く夕飯の献立を当ててやろう。給料日前限定の【特別仕様カレー】だ。一二三は毎回申し訳なさそうな顔をするけど、俺は案外この無茶苦茶なメニューが気に入っている。
「ただいま」
家の中に人の気配があることは扉を開けた時に分かった。電気がついているし、カレーのいい匂いが狭い部屋の中に漂っている。今日は一二三の出勤日、かつ一ヶ月の売り上げを発表する日だと聞いていたのだが。
「おかえりー!」
笑顔で振り向いた一二三の目はほんのり赤くなっていた。無理やり笑おうとしているのか、笑顔も少しぎこちない。出勤日はかっちりと固められてい髪も、セットした跡が見当たらない。先に風呂に入ったようだ。
「…………」
俺は頭の中に浮かんだ疑問を取っ払って、鼻腔をくすぐる匂いに集中した。タイミング良く腹の虫がぎゅるぎゅると鳴く。
「……いい匂いだな。腹減った」
「りょ〜! ご飯にしよ〜! スーツ脱いで来な〜」
「ん」
俺が二部屋あるうちのもう片方に引っ込んでいる間に、一二三はちゃぶ台へとご飯を並べてくれたらしい。ホームセンターで購入した深皿おスプーンが二つずつと、冷蔵庫に常備されている麦茶が並べられている。
この麦茶がこのメニューの鍵だ。
俺は定位置となっている座布団の上に座った。すでに座っていた一二三と肩がくっついたけれど、暖房費をケチったこの部屋では温かくて丁度良い。
「いただきます」
「召し上がれ〜」
「……今日は何が入ってるんだ?」
「それは食べてからのお楽しみだよん」
一二三がニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた。その表情に曇りも翳りはない。俺はホッとしたと同時に、全力で楽しもうと心に決める。
「……む?」
一口目で、ルーの中からつるっとした舌触りの物を引き当てた。普通ならばカレーに入っていない物だろう。前回入っていたキクラゲを思い出して、恐る恐る咀嚼する。
「これはなんだ? ワンタン?」
「おしい! 餃子の余ってた皮使ってみたんよ〜」
「……うまい」
「ヒヒッ! それはセーフの奴だな〜!」
我が家の【特別仕様カレー】は、冷蔵庫の余った食材を容赦なく放り込む。ゆえに普通ならカレーに入れないような物まで煮込まれており、大惨事になる場合があった。休みが会う時はそれを二人で闇鍋のようにつつき合い、笑い合うのも楽しみの一つだ。
しかし、一二三の言葉には聞き捨てならない単語が混じっていたように思う。
「セーフがあるなら、もしかしてアウトもある、のか……?」
「んえっ!」
俺が恐る恐る聞くのと、一二三が変な声を上げたのはほぼ同時だった。むせ込んだ一二三が慌てたように麦茶を飲み干す。リアクションから察するにらいつもよりヤバい物が入っているような気がするんだが?
「俺っちがハズレ引いちった〜!」
「な、何を食べたんだ?」
恐る恐る聞いてみた。一二三のつりがちな目が涙で濡れている。今にも雫が溢れてきそうだ。
「今回はヤバめな食材がなかったから、餃子の中にロシアンルーレット方式で辛子入りを仕込んじった!」
「おまっ……自業自得だろ」
俺が頭を小突いた瞬間、ついに長い睫毛でせき止められていた涙がポロリとこぼれた。
「……変なもの入れるから」
「うぅ〜」
俺は食事を中断して目の前の体を抱き締めた。一二三が顔を埋めた胸元が徐々に湿っていく。
「辛子入れすぎたんだな」
「うん……」
「口の中が落ち着くまでこうしててやる」
「うん……ッ」
背中に回された手に力がこもったから、すかさず頭を撫でてやる。するとまるで子供が泣き喚くように嗚咽が大きくなった。
「しょーがねぇな、一二三は」
我が家にとって、【特別仕様カレー】の日は大切だ。
俺は、理由を作らないと俺の前で泣くことすらできない不器用な家族を強く抱き締めた。