犬を飼うぼくは犬を飼っていて、でもその犬はちっともぼくに懐かない。
懐いたような顔をして、尻尾を振って体をすり寄せて来ても、すぐにするりといなくなってしまうのだ。
何年経ったら、犬はぼくの元から去らなくなるんだろう。
どれくらい待ったら、ぼくの犬になるんだろうか。
考えるとやるせなくなるので、考え無いようにしているけれど、それでも鎖だけ残されて去られた日には非道く落ち込む。
「もう帰って来ないかもしれないな」
飼うようになってからずっと毎年思い続けていることを今年も思った。
あの犬は今年こそもう戻って来ないかもしれない。
本当の飼い主の所に帰ってしまったのではないか――。
「ただいまっ」
戸を開ける音と元気の良い声に思わず座っていたソファから跳ね起きる。
「塔矢? いねーの?」
「…おかえり」
玄関に行くと進藤はいつもと変わりなく、まるで指導碁から帰って来た時のようにさらりと笑いながら、靴を脱いで家の中に入って来た。
「なんで電気つけてねーの?」
「うたた寝してしまって……日が暮れたのに気がつかなかったんだ」
「そうか。でも、そろそろ点けた方がいいぜ?」
いくら日が延びたって言ってももう夜だしと、言いながら進藤は明りのスイッチに手を伸ばす。
「いいよ、まだ点けなくて」
「なんで?」
「まだ明るいし……このままの方が気持ちいいだろう」
「ふうん、別にいいけど」
そしてぼくの前を通りすぎて、奥に行こうとするのを抱きしめて止める。
「塔矢?」
「言うことがあるだろう」
「ああ……うん、ただいま」
そしてそれでも離さずに居たら、しばらく黙ってから「ごめんな」と小さく付け加えた。
「いいよ、謝らなくて。ごめんなんて言ってくれなくていいって言ってあるだろう」
「うん、それでもさ」
やっぱりごめんと言って進藤はぼくの体を抱きしめた。
服から漂って来るのはぼくの知らない場所の匂い。
ぼくの知らない時間を過ごし、帰って来たキミはほんの少しだけぼくの知らないキミで、だからいつも泣きたくなる。
「おまえさ、辛かったら」
「辛くなんか無い」
辛くなんか無いからこうやって待たせろと言ったら進藤は小さく溜息のような息を吐いた。
「ごめんな、本当」
「だからいいって」
ただぼくがいつだって、ここに居て、キミを待ってる。
そのことだけを忘れ無ければいいと思う。
欲しくて欲しくてたまらなく欲しくて。
やっと飼い始めた人懐こい目をした犬は、いつでもぼくを置いて去って行ってしまう。
でもこうやって帰って来てくれるから、いつまでも待てるのだとそう思った。
end