美大生×ムヒ 小話01 意識が朦朧とする。思考できない。ベンチに接している尻が痛いほど冷たい。指先の感覚もない。
明日もバーでバイトがある。こんなところでこんなことしてる場合じゃない。早く酔いを覚まさなければ。二日後に提出する油絵を仕上げなければ。
ふと光を感じて少し顎を動かすと、満月が視界に入った。寒いから空が澄んでる。吸い込まれるみたいに満月を眺めてたら、いつの間にか傍に人の気配を感じた。
視線だけ泳がせて確認してぎょっとする。今一番会いたくない人だった。
「………こんばんは」
普段と比べて少し低い声で挨拶された。いつも穏やかな顔は今は無表情だ。何か言おうとしたけど、オレの口からは空気が掠めたみたいな音しか出なかった。
そんな様子でだいたい察したのか、この人は目を閉じて肩を少し落とした。
「私に会いに来たにしては酷い様子だね」
「…、……、先生」
絞り出したらやっと声が出た。
「………今何時」
「夜の十一時」
一時間半以上ここにいたのか。要するにオレは道ゆく人に酔っ払いが公園で寝てる、と思われていたのかと思ったら、顔が火照った。
先生は少し考える様子を見せてからオレの正面に廻ると手を差し出して、
「おいで。スープがあるよ」
と言った。
即座に考えるのをやめてこの人に抱きしめられたかった。
すぐに矜持がオレを縛る。課題がある。課題のために酔いを覚まそうとしてる。ここでこの人に甘えて課題を提出できないなんてのはダセェだろ、と。
拒否するのを迷っていると、感覚のなくなった手を両手で握られた。人肌の温かさが伝わる。覚えがある感覚に、何もかもどうでもよくなりかける。
「………アンタにはこういうふうに頼りたくない」
口から余計な言葉が出てくる。
「だから帰れよ」
メチャクチャ寒い。今すぐ先生の暖かい部屋で温かいスープを飲みたいし風呂に入りたい。ガチガチの整髪剤を落として柔らかい布団で寝たい。こんなコンクリートの公園で寝てるなんてアホのすることだ。風邪ひいて大学休んじゃバイトしてる意味がねえ。愚かすぎる。
でも、ここでアンタに頼るのもダセェじゃねえか。
「こんなところで風邪をひいてもいいのかな」
無表情で問われる。
「歩いて帰る…」
「立てる?」
立とうともがいたが、バランスを崩してよろめいて、結局抱き止められた。もがいたがどういう具合か捕まえられて逃げられそうにない。先生は何気に腕力がある。ふつうにやったらオレでは相手にならないことを最近悟りつつあった。ベッドで。
「アホだなあ………」
耳元にため息がかかり、聞き捨てならない言葉が聞こえる。誰がアホだ!
オレはといえば、身体の自由を奪われたうえはもはや無抵抗で四肢を投げ出している状態だ。先生が抱えきれずに手離すかと思ったが、そうはならない。やや小柄とはいえ二十歳の男を全身で受け止められるこの人はどういう構造をしてんだ。拳法でもやってるのか。
「今日のスープはクラムチャウダーだよ。むき海老とアサリとイカが入ってるやつだよ」
「………」
「アサリが少し余ったからね。ニンニクとアサリを白ワインで蒸した酒蒸しもあるよ」
「………」
「お腹すいた?」
「…………………………………うん」
先生はオレを俵のように抱えて帰った。