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    ヤプーパロ幕間②

    ヤプーパロ本読んでないと分かりません

    名前 ローの目の前には青いボールと黄色いボールが置かれている。ローは恐る恐る正面からこちらの様子を窺っている船長に視線を送った。
    「おれを見ても仕方ねェだろ」
    「……ッ」
     どうして良いか分からなくて、助けを求めて船長の隣のペンギン帽子に視線を移すが、彼は困ったように苦笑するだけだ。
    「どっちでも好きな方を選ぶだけでいいんだよ」
     船長の後ろに控えているシロクマが微笑みながらそんな事を言うが、ローにはそれが難しいのだ。好きな方なんて分からないし、どちらを選ぶのが正解なのか分からない。もし、間違えた方を選んだら、と思うとどちらも手に取る事が出来ない。
    「……どっちでも良いんだ。早くしろ」
    「……ぅ」
     船長が苛立ったようにローを急かす。主人の代わりの男にそんな事を命じられて、ローは船長の様子を窺いながら黄色いボールを手に取った。見覚えのある、以前主人に与えられたものとよく似たものだ。
    「……うーん、青よりは黄色が好きなのかな」
    「はァ……、こんなんでこいつの好みなんて分かるわけないだろ」
    「もしかしたら、他に好きな色あるのかも!何かたくさん色があるものってあったっけ?」
    「あ、それならクリオネが色鉛筆持ってたから借りてくる」 
     頭上で三人が会話を繰り広げている。まだこの時間は終わらないのだろうか。生憎、ローの改造された皮膚からは汗なんて流れないが、彼の身体が正常であったなら今頃冷や汗を流していた事だろう。三人にしてみれば、ただ少しでもローの事を知って歩み寄ろうとしているだけなのだが、ロー自身、自分を見失っているので好きな色一つ分からなかった。もはやローの生において、好みなんてものは存在しない。どうしたら主人の意向に沿えるか。それだけが全てだった。
     そんな事まで、未だ理解が及んでいない三人はあくまで善意でローの嗜好を知ろうとしているのだ。
     部屋を出て行ったペンギン帽子は間も無く、手に何かを持って帰ってきた。
    「はい、この中なら好きな色あるんじゃない?」
     ローの目の前に色鉛筆が広げられる。赤、青、黄色、緑にピンク……色とりどりの鉛筆だ。しかし、それを前にローはじっと固まってしまった。
    「ぁ……、ぁ……」
     助けを求めるように船長に視線を送る。しかし、船長は冷たい視線を返してくるだけで正解なんて教えてはくれない。震えながら他の二人を見上げる。ニコニコとローを見守るばかりで、やはり何も教えてくれなかった。仕方なく、広げられた色鉛筆に向かい合う。
    (すきないろ……?)
     一つ一つの色は分かる。右端が赤色、反対側が黒……。それぞれ順番に頭の中で色を反芻するが、好きな色が分からない。
     ローが悩んでいる間にも三人の視線が突き刺さる。早く選ばなければ、と焦るがどれだけ悩んでもローには正解を見つける事が出来なかった。適当に選んでしまうか?そんな事が脳裏を過ぎるが、それが船長の意に沿わないものだったらと思うと強張ってしまって身体が上手く動かない。
    「……ぃ、……んぁ」
    「んんー。難しいのかな」
     ついには床に視線を落として固まってしまったローにペンギン帽子が息を吐いた。三人の視線が怖くてローは顔を上げる事が出来ず、床を見つめ続けた。
    「はァ、もう無駄だろ。こいつの事はゆっくりやっていくしかねェ」
    「でも、ちょっとでも彼の事知っていかないと」
    「まだ名前すら分かんないもんね」
     シロクマがそんな事を言うと、ペンギン帽子が「あ、」と声を上げる。
    「そうそう。これ、用意してたんだ。言葉は通じてるみたいだし、文字も読めるんじゃないかなって」
     そうして取り出したのは、文字の一覧表だった。大きな紙に書かれたそれを色鉛筆を押し除けて、ローの前に広げる。
    「じゃーーん。これで喋れなくても意思疎通が出来るでしょ。……文字読める?名前、教えてくれる?」
     ペンギン帽子がローの顔を覗き込む。ローはそれから顔を背けるように文字表に視線を落とした。
     そこにはローの知っている文字が並んでいる。名前を聞かれた。それなら分かる。一度、ちらりと船長の方を見遣ってローは震える手でゆっくりと『L、A、W』の三文字を指差した。
     良かった、とローは安堵する。やっと彼らの期待に応える事が出来たのだ。これで怒られる事はないだろうと、ローは恐る恐る、しかし少しの期待を込めて船長を見上げた。
    「……ッ」
     しかし、船長の表情はローが期待していたものとは違っていて、冷え冷えするような目でローを見下ろしていた。
    「……ぅぁ、」
    「それはおれの名前だ。おれたちが聞いたのはお前の名だ。お前の名前を教えろ」
     ハートの海賊団には、ローは船長に執着する天竜人の奴隷で船長の代替品とされていた、と思われている。顔はもともと似ていたか変えられたか。刺青も船長のものを模して入れられて。その為、今現在ローと名乗ったのもトラファルガー・ロー本人だと洗脳された結果だと誤解をされていた。
     だが、そんな事ローにはあずかり知らぬ事だ。
     自身の名前を否定されローは青褪める。
    (え……、おれの名前はロー……、ローだって……)
     だって、ずっと主人にそう呼ばれていた。人間だった頃も確か同じ名前だったはずだ。その名前しか知らない。違うと言われても他に思い当たる名前は無い。分からない。分からない。
    「どうした?親から貰った名前があるだろう。おれたちはそれを否定しない。それを教えろ」
     ローの心情を知らずに船長はそんな事を言う。
     ローは焦る。必死に頭を動かして記憶の糸を辿って目ぼしい名前を探す。
     ローでないなら、アイ……?違う、それは絶対に違う。自分に寄り添ってくれた、唯一心安らぐ相手の名前だ。
     それなら、……それなら。
     他に名前は出なかった。ローは主人の名前すら教えて貰っていないのだ。ロシーとかロシナンテセイと呼ばれていた事しか知らない。それは確実に自分の名前では無い。
    「……ぁ、……、」
     それだけ自分の名前を探しても、見つからなかった。ちらりと見た船長の刺すような視線が怖くてびくりと肩を震わせる。
    (なにか、なにか……)
     目から涙が溢れる。呼吸が乱れる。それでも、彼らの求める答えが見つけられなくて、仕方なくローは素直に文字を指した。
    『わかりません』
     震えが治まらない手でそれだけを伝えるのに、酷く時間を要した。それでも何とかそれだけを指して、じっと床に視線を落として僅かに嗚咽を上げた。
     ローでなかったなら、自分はなんなのだろう。名前すら自分のものでは無かったのだ。
     船長の命令に従えなかった事に加え、自分の名前すら失くしてしまってローは幾度味わったかも分からない絶望に打ちひしがれる。もうどうしていいか分からなかった。ただ、好きに自分を使ってくれたら良いのに、ここに来てからローは答えの分からない問いに惑うばかりだ。
    「おい、」
     流石にローの様子のおかしさに彼らも気が付いたのだろう。船長が焦ったようにローの肩を抱き寄せるが、体の震えは全く止まらなかった。
    「キャプテン、この人がローって言うならローでいいんじゃないかな」
    「そうだな。……キャプテンは同じ名前だから複雑かもしれないけど」
     見兼ねたシロクマとペンギン帽子がそう結論付けた。ローの様子と二人からそう言われて、船長も苦々しくだが頷く。
    「ローだ。ロー。お前はローだ」
    「よろしくね、ロー」
     隣でそんな事を言われるが、ローにはもうそんな事、耳には入っていなかった。ただ床に伏して震える体を持て余している。
    「……とりあえずは彼には自分ってものをしっかり認識させるところから始めた方が良いかもしれないな。あ、」
     ペンギン帽子がそんな事を言った後、何かに気が付いて、再び部屋を出て行った。戻って来た時には、両手で腕に抱えられる程の鏡を持っていた。
    「はい、これが君。ローだよ。分かる?」
     船長に支えられながら体を起こし、鏡に姿を映す。
    「……ぅぁ」
     そこには船長によく似た男が映っていた。……いや、よく似ているが船長より遥かにやつれていて生気が無い。酷い顔だ。そんな男がはくはくと力無く口を動かしている。
     ローは思わず、力の入らない手で鏡に触れた。
    (……アイ)
     そこには見慣れたアイの姿があった。ローが唯一はっきりと認識できる存在。男の形をしたアイは正直苦手なところもあったが、それでもローにとってかけがえのない存在だ。
    「……そこに置いとけ」
    「アイアイ、キャプテン」
     不思議な事に鏡に夢中になったローの為に、船長がローの定位置となっているベッドと壁の隙間に鏡を置くように指示をする。離れていく鏡に名残惜しそうに手を伸ばすローを抱き上げて、そこに下ろしてやる。
     すると、ローはまた吸い込まれるように鏡を眺め始めた。
    「……あれはあった方がいいみたいだな」
    「自分ってものが、ちゃんと認識出来るようになればいいけど」
     やはり長らく自分というものを見失っていたようだと結論付けて、三人は一度部屋を出た。どうしても他の人間がいれば萎縮してしまうローを思っての配慮だ。文字表や色鉛筆は部屋に残しておく。識字能力はあるようなので、意思疎通に今後役に立つだろう。

    ***

    (アイ……、アイ……)
     男のアイを視界に入れて、ローの表情はどこか恍惚としたものに変わっていく。しかし、彼に手を伸ばしてもそれが届く事は無く、ローがどれだけ願っても鏡の向こうから出てきてはくれない。ぎゅっと抱き締めてはくれない。
     ストンと伸ばした手が落ちる。
    (あいたい……、アイ……)
     触れる事が出来なくても、男のアイには会えた。それでも、やはり彼は少し苦手だ。彼らもローを大切にしてくれたけど、どうしても自分を犯した男を思い出す。
     どうしようもなくローが求めてしまうのは温かくローを癒してくれた女のアイと、自分をあの島へ連れ出した子供のアイだ。彼らに再び会うにはどうしたら良いのだろう。
     ローの脳内は、そんな考えが浮かんでいた。
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    Replies from the creator

    gao

    MOURNING分かりにくいところもあったかと思うので、本文読んでくれた方向けに
    ネタバレ満載なので、読む予定のある方は読んでからお願いします!
    分かりにくくてすみません!
    ここの解説も分かりにくいです

    ※作者の解釈も含まれますので、他の解釈されていたらその解釈を大切にしてください!
    ヤプーパロ本3冊目の後書きのような裏設定のようなやつ【船長編】

    冒頭のフレバンス脱出後のローが受けた仕打ちは前作「あの日のフレバンス」のショタロー編と同じエピソード
    同じ世界ではないけれど

    ローが見付けた男の死体は実は「あの日のフレバンス」の書き下ろしパパファルガー編に出てきたパパファルガーの親友
    パパファルガーに協力して珀鉛病の研究をしていたが、ある時政府に妻と子を人質にとられ、研究を断念。結果、パパファルガーとフレバンスを裏切ることとなった。※ここまで「あの日のフレバンス」
    その後、フレバンスが滅びたこと、親友を喪ったことを知り自責の念に駆られ精神を病む。そんな彼を見ていられなくなって、妻は子を連れて出ていった。男は結局、不穏分子として政府に殺されそうになり、命からがら家族の写真と僅かな荷物だけを持って国を脱出。その際に負った傷のせいで野犬に嗅ぎ付けられ襲われて絶命。せめて親友に謝ろうとフレバンスを目指していた。
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