非番の殺し屋 ミカゲ編 非番の殺し屋
ミカゲ編
「ミカゲくんは、休みの日何してるの?」
「なんだ。藪から棒に」
事務所の端でトレーニングに勤しむミカゲに、ススムは何の気なしに問う。ミカゲは口が達者な方ではない。が、たまにこうして対話を試みるのだ。
「それを知って何になる」
ミカゲは気乗りしない様子だ。懸垂したまま、こちらに目を合わせようとしない。
話は逸れるが、ミカゲが愛用しているこの懸垂マシンは、彼が無断で持ち運んできたものだ。漬物石みたいなダンベルも、もちろん彼の私物だ。
「ただの雑談だよ。ダメかな」
「アンタは俺と話して楽しいのか」
「楽しくなかったら話しかけないでしょ」
ススムは屈託のない笑みを浮かべる。
ミカゲは「うん」と口を閉じ、しばらく熟考した。その間も、懸垂を止めようとはしない。ススムは、そんなミカゲの背中を眺めていた。
「調子が狂う。休憩だ」
ミカゲは吐き捨てるように言うと、トレーニングを中断した。あれだけの負荷を掛けていたのに、彼はいつも通りの涼しい顔をしていた。ウォーミングアップのつもりだったんだろう。
「邪魔しちゃったかな」
「構わない。鍛錬と雑談を同時にできるほど、そこまで俺は器用じゃない」
ミカゲは「休みの日か…」と呟くと、ソファーの端に座り、難しそうな顔をして腕を組んだ。すると、「ぐぅ」と気の抜けた音が、どこからともなく鳴った。
「ミカゲくん、お腹空いたの?」
ススムが聞くと、ミカゲは目を逸らした。
「……腹ごしらえが先だ」
「すまない、先生。ボスの店を無断で借りる訳にはいかなかったんだ」
「礼には及びませんよ。好きに使ってくださいね」
ミカゲとススムは、たまたま非番だったフジノの部屋に訪れ、台所を借りるついでに、皆で昼飯をご馳走様になろうということになった。ミカゲは用意周到なので、食材の買い出しはとっくのとうに済ませてあったのだ。
「手伝いはいらない。茶の間で待っていてくれ」
とだけ言い残し、ミカゲは台所へと姿を消す。無骨そうに見えて、実は手先は器用らしい。
「ミカゲくん、料理が得意なんですね」
「あぁ見えて、ね。一家に一人欲しいくらいですな。私はあまり得意な方ではないので」
いつもの茶目っ気を披露するフジノ。「どうぞ。座って待ちましょうか」とススムをソファーへと促す。
「何故か分かりますか?」フジノは不意にそんなことを聞いてくるので、ススムは小首を傾げ、「ミカゲくんのことですか?」と問う。
「あの子の家庭は両親が共働きでね。休みの日は幼い兄弟の面倒を見に行くんですよ」
「兄弟?」ススムはオウム返しをする。
「兄弟は七人と言っていたか…。所謂、大家族というものですな。ちなみにミカゲくんは次男だそうです」
「そんなこと僕には話してくれませんでしたよ。兄弟がいるだなんて」
「ススムくんとミカゲくんは、まだまだ親密度が低いですから」肩を落とすススムに、フジノは追い打ちをかける。
「…兄弟の面倒を見れない両親に代わって、食事を用意していたら、必然的に料理上手になってしまったそうな」
ススムは「うーん」と唸る。
「ミカゲくん、本業以外にもバイトを掛け持ちしてるから、そんなことしてたら休んでる暇なんてないですよね」
「そうでしょうなぁ。でも、彼は好きでやっているんですよ。兄弟が可愛いから」
フジノは口元を釣り上げる。ススムは何も言わずに床に視線を落とした。「いい匂いがしますな」とフジノはスンスンと鼻を鳴らす。
「早朝は家族全員の弁当を作り、夜は幼い兄弟の面倒を見ながら夕飯の準備。まるで主婦のようですな。余暇に筋トレしてる以外は、ですが」
「…自由になれる時間がないですよね」と、ススムは顔を上げる。
「私達が口出しするまでもないでしょう。家族や兄弟の世話が生き甲斐だと言っていましたから」
「先生、余計なことを話さないでくれ」
突如現れた低い声に、ススムとフジノは同時に振り向く。ミカゲだ。
と、同時に香ばしい匂いがする。
「焼きそば?」ススムが目を輝かせると、ミカゲは「あぁ」と、焼きそばが山のように盛られた大皿をテーブルにドンと載せる。
「兄弟が好きなんだ」露骨に不満そうな顔をするミカゲはフジノを一瞥すると、フジノは「口が滑りまして」と舌を出す。
「…この量を三人で?」
目の前の男料理に、フジノは顔を青くする。
ミカゲは首を傾げた。「何か問題でも?」
と言わんばかりに。
「八柳くんとキサラギくんを呼びましょうか」この期に及んでまだ文句を言うフジノ。
「四の五の言うな。手を合わせろ」
ミカゲは早くしろと言わんばかりに顎をしゃくる。何かまだ言いたげな二人は渋々手を合わせ、一斉に「いただきます」と揃える。
「老体には少しキツイような」
フジノは塊になった焼きそばを小皿に盛り付け、一口頬張る。
「む、美味しい」とフジノはミカゲを大きな眼で見る。
「隠し味にケチャップとマヨネーズを少々。いつもより味付けは薄くしてあるが」
「これ、美味しいよ」とハムスターみたいに頬をモゴモゴさせるススム。塊を飲み込もうとしたら、喉元でつっかえたのでそれを麦茶で流し込む。美味しい。
ミカゲは満更でもない様子で「当たり前だ」と言う。
「支配人にも食べさせたいくらいです」
フジノが目を輝かせて言うと、ミカゲは頭を横に振る。
「ボスには食べさせられない。もっと腕を上げないと」口をもぐもぐさせ、恥ずかしそうに顔を俯かせるミカゲ。
「ふむ…」とフジノは唸る。
「八柳くんとキサラギくんの分も残しておきましょう。皆で食べると美味しいですよ」
「いや、アイツらには食わせん。この間、昼飯を振舞ったら味付けが濃いと文句を言ったんだ」
その光景が容易に目に浮かんだ。八柳は健康に気を遣わなければならない歳だし、あとどちらかといえばキサラギは健康志向だ。
文句を言ってミカゲのゲンコツを喰らうところまで想像出来た。
「俺は兄弟が喜んでくれるだけでいい」
ミカゲは真っ直ぐな瞳でススムを見る。
「俺に休む暇がないと、さっき言っていたな」ミカゲは二人の会話を最初から最後まで聞いていた。
「アンタの言う通り、俺には自由な時間もない。キサラギみたいにショッピングもしない。八柳みたいに女にかまけてる時間もない。フジノ先生は釣りが趣味みたいだが、俺には趣味がない」
「ミカゲくん…」
「俺はそれでいいと思ってる。俺は兄弟の面倒を見なければならないから」
ミカゲは箸を置き、遠い目をする。二人はそれを静かに見守った。
「中学生になる妹に「邪魔だ」と尻を蹴られることもある。小学生の兄弟たちにチャンバラごっこで滅多打ちにされることもある。しかも、プラスチックのバットでだ」
「ミカゲくん、兄弟のことになると急に饒舌になりますな」フジノはススムに耳打ちしてくる。
プラスチックのバットでボコボコにされるミカゲを想像したら、腹の底から笑いが込み上げてきた。ススムは咄嗟に麦茶を飲むふりをする。
「末っ子のわがままには正直、辟易する。俺がゲームに勝ったら、拗ねてコントローラーを投げてくるんだ。お陰で瞼にアザができた。が、それでもいい。俺は兄弟の成長だけが生き甲斐なんだ」
フジノとススムは目を合わせる。目を丸くしたフジノが「いい感じに締めようとしてますけど、これはいい話なんですか?」とミカゲに問う。「いい話だ」ミカゲは、ぎゅっと眉を顰める。
「ミカゲくん、やっぱり僕、ミカゲくんと話するの好きだよ」
ススムが頷くと、ミカゲは「えっ」という顔をした。
「ここまで熱弁できるってことは、兄弟のことがよっぽど好きってことだから、ミカゲくんはやっぱりいい人だ。自分が思ってるよりつまらない人間じゃないよ」
ミカゲは最初に「俺と話しても楽しくない」と言っていた。
が、ミカゲは案外話せるヤツだ。とは言え、「兄弟」という限定的な会話になってしまうが。
「もういい、分かった。冷めるぞ。もっと食え」ススムが無駄に褒めちぎるので、ミカゲは照れ隠しにススムの小皿に塊みたいな焼きそばを盛る。
「ミカゲくん、さっき趣味がないって言ったろ?」
「言った」ミカゲは平然としている様子だが、耳はびっくりするくらい真っ赤だ。
「この料理も、極めればきっと趣味になると思うけどな。趣味が増えれば会話も増えると思うし」
うんうん、とススムは頷き、焼きそばをひと口食べる。スパイシーだが、あとからほんのり甘さもやってくる。野菜や肉との相性も抜群だ。「そうだが…」ミカゲは自信なさげだ。
「俺は簡単なものしか作れん」
「じゃあ、支配人に料理を教わりましょう。大丈夫、頼んでも断りはしませんよ。可愛い部下ですもの」フジノは名案だと言わんばかりに、人差し指を立てる。「でも…」とミカゲはもじもじしている。
「兄弟たちに美味しい料理が振る舞えますよ。」
「ボスは…、迷惑じゃないだろうか…」
「アズミさんはそんなこと思う人じゃないだろう。ミカゲくんが一番よく知ってるじゃんか」ススムはミカゲの肩を撫で、優しい口調で諭す。
「あぁ、やる。やってみる」
「その意気ですよ。ミカゲくん」
フジノは、やんややんやと囃し立てる。ミカゲも乗り気になってくれたようだ。
「そういえば…」ススムには心残りがあった。
ミカゲは七人兄弟の次男だということは、ミカゲには兄が居るということだろう。
しかし、ミカゲは「兄」の話題を一言も話さなかった。兄貴の「あ」の字も出さなかった。まるで、最初から居ない者のように。
まぁいいか…。ミカゲが話したくないなら、それでいい。