運命がハニートラップ テスカトリポカはデイビットを寝とることにした。必ず、かの無口無表情無感情が板につき始めた少年をテスカトリポカのものにしなければならぬと決意した。しかしテスカトリポカにはデイビットに後ろにある組織がわからぬ。 テスカトリポカは武器を売りさばき、闘争の芽を育てながら過ごしてきた。けれども恋をし た男は人一倍に人間関係に敏感であった。
デイビットが大切に思う存在の目の前でぐちゃぐちゃに抱いて縁を切らせ、自分を選ばせる。テスカトリポカこの日かたくかたく心に決めたのだ。
「こんにちは。はじめまして、おまえの運命だ」
催涙ガスに閃光弾、小規模とはいえ爆破を駆使して煙幕をまといながら社長室に現れた子供はテスカトリポカに銃を向けられても動じなかった。当てられないだろうと断定した態度を見るに、どうやらこちらを相当詳しく調べての襲撃らしい。子供の歳は10歳ほどで、おそらく特攻を命じられた少年兵だろう。テスカトリポカも売り飛ばしたことのある連射性がウリの銃は、まだ骨の出来上がっていない少年が持つとやけに重々しく見えた。
ぺらぺらの服の下に爆破物を仕込んでいないことを目視で確認し、空いた片手で細身のナイフを探り当てる。テスカトリポカを舐め腐っているようだが投擲なら外したことがない。 空気が引き攣りその緊張の糸が今にも切れそうになった途端、子供は銃にセーフティをかけスカトリポカへと投げ捨てて――そして運命を自称したのだった。
「オマエ頭がイカレてんのか?」
「いいや、正常だ。自分から来てやった運命に対して失礼な男だな」
ヤケクソのハニートラップがとうとうここまできたと思った。たしかにこの業界ではまだ若く、手を広げたばかりのテスカトリポカには敵が多い。どうにか蹴落とそうと搬入経路を潰し、出資者を奪っても効いた様子もなく直接脅しをかけても笑う男に次に同業者が仕掛けたのが色恋だ。しかし破滅することも情報が漏れることもなく、焦れた相手が初々しい女から妖艶な人妻まで驚きのバリエーションを投下し最近は色男もまざるようになってきたなとは思っていた。だがまさかこう来るとは。この流れをみるに先日カフェでやけに積極的に話しかけてきた少女もその一環かもしれない。
「〜、オマエもう帰れ。そんで上には『せめて成人女性にしろ』と伝えとけ」
「……女の人の方がよかった?」
「そりゃそうだ。こんな物理的に突っ込んでくるハニートラップよりも被害が少ない」
「ハニートラップ?……ん、ああなるほど。嫌だ」
「は?」
「嫌だ、帰らない、オレはここに居る」
子供が表情に影を落としたのは一瞬のことですぐに調子を戻し、堂々と切り返す。ふてぶてしい言葉にさすがのテスカトリポカの頬も引き攣った。
「伝言のために見逃してやるんだよクソガキ」
「おまえはオレを殺さないよ。それにオレを傍に置けばどれだけ有用かすぐにわかるはずだ」
「……度胸だけはある。名前は」
「デイビットと呼んでくれ、よろしくテスカトリポカ」
了承ととった子供は勝手によろしくの挨拶をし、駆け寄ってテスカトリポカへと握手を求めてきた。トラップは無さそうだと判断して握り返してやると、ふにゃりと口元が緩む。すぐにきゅっと引き結ばれたが、どうやら年相応の緊張はしていたらしい。小さな手から伝わる熱がやけに高くて、その勢いに流されてテスカトリポカは子供を受け入れることにしてしまった。
こうしてデイビットと名乗る子供は、監視の名目でテスカトリポカの手元へ一時的に居座ることとなったのである。
そして一時的がいつの間にか1年が経った頃には、テスカトリポカはすっかりデイビットが気に入っていた。元々その聡明さや立ち振る舞いは好ましいものではあった。だが子会社の情報をアドバイスを求める体で流した際に、助言で業績を回復させたことで完全にデイビットはテスカトリポカのツボにハマってしまったのだ。子会社は切るつもりであったので、ついでにデイビットがどう雇い主に成果を渡すのかを追うつもりだったはずがこの結果。大きすぎる椅子の上で足をフラフラと揺らしながら歳上の社会人たちの案をバッサリと切り落としていく様は爽快だった。
そこからようやくテスカトリポカはまともにデイビットの雇い主を探し出すことにした。ざっと漁った程度では情報は出てこない。デイビットの本名から出身地に両親、テスカトリポカを襲撃した時に使用した物資の入手経路まで判明したが恐らくダミーだろう。生まれは確かに治安が悪く大抵の子供が悪事に手を染めやすい地域の設定だが、一応は一般家庭の少年がそれが誰の協力もなくここまでたどり着けるものか。相手はどうやらかなり上手らしい。
しばらく部下に探らせたがまだデイビットの所属する組織は分からない。特攻をかけさせても戻ってくる、頭もいいので作戦立案させても上手くこなす。これでハニトラを指示されてやってきたのではなければ、すぐに部下として、いや相棒として楽しくやって行けただろうに。そう、どれだけデイビットを気に入っても、コイツは色仕掛けで情報を取ってこいと命じられた誰かの犬でしかない。
「どうして手を出さないんだ。自分で言うのも何だが、かなりかわいらしい顔だろう?」
「テスカトリポカ、好きだよ」
「くれるのか、オレに?うん、すごくすごく嬉しい」
「どうやったらオレのことが好きになってくれる?」
「もっとそばに居たいんだ……だめかな」
デイビットは一切遠慮をせずにぐいぐいくる。膝に乗せたデイビットから自分と同じシャンプーの匂いがすることや、じんわりと伝わる体温にも鼓動が早まってはいない。あちこちへ連れていくようになったのはこの子供が年齢以上にが有能だからであってそれ以上の意味はない。もちろんデイビットを自宅に住まわせるようにしたのは四六時中監視するためで、身綺麗にさせているのは貢いでいる訳ではなく連れ回すにはある程度の身なりが必要だからだ。それはそれとして、テスカトリポカがフルコーディネートした服はデイビットによく似合っていた。
テスカトリポカは何も間違えてはいない。イスカリに客観的な見解を述べさせようとした際も、アイツは黙って頷いて同意を示していた。『膝にのせてる時点でアウトですよ、ね?』と意見してきたハチドリには一発いれて黙らせた。ハニートラップに引っかかってはいない、決して。テスカトリポカは欠片も揺らいでいない……はずだ。
そして更に2年がたった頃にはすっかり恋に落ちてこのとおり。
こうして序盤の覚悟へと至ったのだが、それでもテスカトリポカがどれだけ手を尽くそうとやはり後ろにいる存在は出てこなかった。テスカトリポカはどこの誰だかは知らないがデイビットを使うヤツらを潰し、従う価値のないものだと見せつけ退路を潰す。情で従っているのならばソイツの目の前で抱いてどちらが上なのかを理解させる。逃げ場を塞いで体をおとし、自分にはテスカトリポカだけだとデイビットが思い知らなければならない。そうなってやっとテスカトリポカはデイビットに恋をしたのだと、そばにいて欲しいのだと安心して伝えることが出来るのだから。
「いい加減話してもいいだろ」
「いくら調べても出てこないよ、テスカトリポカ」
「オレなら倍額でオマエを雇える」
「存在しないものを話しようがないんだ」
「庇うのか……」
「困ったな……」
いいかデイビット、エロいことにも積極的で仕事もこなせて顔も好み、話のウマもあうそんな存在が初対面から大好きだと口説いてくるなんて幸運は童貞の好む物語の中でしか有り得ない。特に不運持ちはキツい現実を直視して生きるべきだとテスカトリポカ思うワケ。あーあ。
ソファの隣に座ったデイビットの腰を引き寄せてどれだけ距離を縮めても自分は選ばれない。ならば全部塞いで壊して選択肢をひとつにすれば良いだけ。
「勝手にどっか行くなよ」
今はこれくらいしかテスカトリポカには言えない。伝えて拒絶をされるくらいならとにかく時間をかけてじっくりと囲いこんでいこう。まだふたりが共に過ごした時間は短く、テスカトリポカの努力次第でデイビットをそばに置くことが出来る。
「世界で一番大好きだよ。オレのテスカトリポカ」
テスカトリポカの思考をよそにデイビットが抱きついてきた。首に手を回して頬を擦り寄せてテスカトリポカしか見えていないような素振りで甘く名前を呼ぶ。これも演技でしかないのだろうか?テスカトリポカの心臓が暴れ回り体温は一気に上がる。重なり合った体では隠すことも出来ずに全て伝わって、テスカトリポカの想いなぞデイビットには丸わかりに違いない。
ああ、クソッ!絶対寝とってオレのものにするからな!!
□ □ □ □ □
「あー、オマエが。なるほど」
「テスカトリポカ……?」
楽園で幾許かの時間を過ごしたデイビットは、テスカトリポカと久しぶりの会話をした際にすぐに違和感をおぼえた。あの一年を共にすごしたテスカトリポカであるはずなのに目線が、声が、言葉にできない何かが違う。
「記憶ならここの運営の都合上切り落とした、あれはオレには不要だ」
「どういう事だ」
「オマエにも一応は関わるので伝えておこう。オレが召喚された一年は感情諸共切除している、今残されているのは事務的な記録だけだ」
温度がない。伸ばされた指先にあったはずの、互いに言葉にはしなかったがたしかにあった熱が消え失せていた。間違いなく目の前の存在がテスカトリポカであり、共にすごした肉体である。しかし別なのだ。それを理解して、デイビットは胸に空いた穴に冷たい風が通り抜けたような虚ろな感覚を味わった。
テスカトリポカにとって異常として切り離されるほどにデイビットは特別だったのだろうか。少しでも、わずかでも自分から手を伸ばしていれば得られていたものがあったのではないか。
「切り落とした、それは今どこへ?」
「気にする必要は無い。オマエは傷が癒えるまでただここで休め」
「教えてくれ」
「……地上へと投げただけだ。受肉した際の記憶と結びついているからいずれ人として産まれ、人のシステムに組み込まれて死ぬだろうさ」
「そうか、ありがとうテスカトリポカ。世話になった」
「ッ!!オイオイ!情熱的だな!!」
投げたと表現したのならばそれと似た経路を介せば同じ場所にたどり着けるはずだ。休息を終えずに楽園を立ち去るとなると、引き止められる可能性があったので礼を伝えた瞬間にデイビットは駆け出した。今ならなんでも出来る気がするし、次は積極的になろうと前向きさも出てくる。
デイビットへの感情と記憶を切り落としたのならば、ではその切り落とされた部分はなんだろうか。デイビットはそれもテスカトリポカだと考える。デイビットへの温度で満ちた、システムも楽園の管理も存在しないテスカトリポカ。
デイビットだけのテスカトリポカだ。
(なんてこともあったが、うん、かわいい)
ぴったりと体を近づけると、どくどくと脈打つ心臓の鼓動と伝わる体温が心地いい。人に堕ちた テスカトリポカはあの時よりも更に輪をかけて表情豊かだ。デイビット・ゼム・ヴォイドは呼び止める声を無視して転生の道を駆け抜け、そして前の記憶を持ったまま生まれ落ちこうして居場所を勝ち取った。多少の誤解があるもののそれはテスカトリポカが誤解を解くか、記憶を思い出すか、もしくはデイビットから襲うなりすれば何とかなるだろう。楽園の管理をする神様の運命はデイビットではなかったけれど、この温度が原因で切り堕とされたテスカトリポカの運命はデイビットだから当然だ。
オレがおまえのものになるんじゃなくて、最初からおまえがオレのものなんだよ。
今度はいい子で身を引いて思い出なんかにしたりはしない。欲しいものがあれば手を伸ばして、恋しいのならば口に出して伝えよう。早く思い出さないかなと思いながら頬にキスをすると、テスカトリポカの心臓は壊れそうなぐらい早鐘を打つ。その温度がかわいらしくて、デイビットは愛しさを噛み締めながらもう一押し「大好きだよ」と伝えてぎゅっと抱きついたのだった。