自鬼小説『猫に愛情、花冠』 忘れかけていた感覚。柔らかくって愛しくって、触れたらきっと逃げられちゃう。
鬼である私の毎日は、特に変わり映えもせず繰り返す。夜が更けたら獲物を狩って花を咲かせて、偶にやって来る魘夢さんの相手をして。行為が終われば意識を手放し、引き戻し、何だかやけに身体が疲れていたり目覚めるまでの時間もまちまちだったり。辻褄の合わない事が増えたけれど、特段気にも留めず過ごしていた。今夜もまた、徒花を芽吹かせて満足気に苗床へと変えていた時だった。
「あー! 待って! どこ行くのー!?」
鈴を転がしたような女の子の声がする。
花の間を縫って黒っぽい何かが素早く通り過ぎたので、前後左右を確認し神経を研ぎ澄ませ敵襲に備える。いつ脅威が降り掛かってもおかしくないのは身を持って知っているから。いつだったか、今のような獲物を仕留めて一番気の緩んだ時、鬼狩りに背後を取られ死に掛けた事がある。付け狙って機会を伺っていたのだろう、咲いた人間を手折るまさにその時、振り翳される刃に反応が一歩遅れた。あの日輪刀がひやりと頸椎を掠める感覚、今でも思い出しては身震いする。
だから、油断は出来ない。筈なのに……
「わあ! 綺麗なお花。貴女が咲かせたの?」
(っ……! いつの間に……!)
その明朗な声はいつしか私のすぐ側にあって、しゃなりと気配を消して歩み寄っていた。黒髪ツインテールの子猫みたいな女の子。丈の短い桃色の和服に特徴的な猫耳。思わず頭を撫でて鼓膜の産毛をふっとしたくなるけれど、内に秘めた妖しさを感じさせる瞳は爛々と輝きに満ちていて吸い込まれてしまいそうだ。当たり前に人間では無い出立ちに肝が冷えると同時に好奇心が湧き立つ。
「あら、お花好きなの? 可愛らしい子猫のお嬢さん」
「やだぁ〜♡ 身なりなんて褒められるの久しぶりだから嬉しい! お花、大好きだよー! 見るのも育てるのも。でも、これ……唯の花じゃないよね?」
子供みたいな口振りから、一気に現実味を帯びた冷たいものへと変わって野生の勘が研ぎ澄まされた超自然をこの目で見た。この子は、紛れもない鬼だ。
「ご名答。そういう貴女だって唯の女の子じゃあないでしょう?」
「うん。そう」
ぽつり、告げられた言葉は短いにも関わらず私の心に影を落とす。敵意があるのかどうかも全く分からない状況下、どう仕掛ける、どう私を殺しに掛かるのか楽しみでしょうがない。
「私ね、好きな人がいるの。大好きで特別な人。その人が殺せと言ったら殺すし、愛でろと言ったらとびっきり愛すわ。飼い慣らされたいのよ、だって猫だもん。手の内で転がされて、挙げ句の果てにはうっかり喉元を引っ掻き回して引き千切りたい。だから命令されてない今は何もしないし、お人形みたいに大人しくしてるね」
どうやら、一癖も二癖もある心情らしい。確かに鬼同士での殺し合いほど無意味なものはないし、此処は何かの縁で出逢ったのだから少しお喋りするのも悪くないかもしれない。
「大人しくしちゃうなんて勿体無い。私はヒナギク。もっと……貴女の事聞かせて?」
挨拶代わりにキスでもしようかと頬に手を添えて我に返る。どうも血鬼術の影響で距離感を間違えやすい。冷たくて滑らかな質感は鬼のそれで、暗闇に瞳孔の開く灼熱の眼差しは猫そのものだった。
「は……えぇ……」
動揺しているのか、唇を震わせてじっと身体を強張らせている。指先から伝わって来る頬の筋肉が僅かに硬くなった。ゆるり、蝋を溶かしたような輪郭を撫でて親指を艶めく端へ添えた時だった。
「ヴーッ! ニャアアアァッ!!」
突然の叫び声と共に、手の甲に鋭い痛み。
横切った影は早過ぎて視認出来ず、敵意を剥き出しにした呻きが触れ合いたい熱情に揺れる私と彼女を乖離させては遠ざける。引っ掻かれた場所が切なく疼いた。
「影猫ちゃん……!!」
“かげ”と呼ばれた物体は瞬時に飼い主の首元に巻き付き、その姿を露わにする。
宵闇を全身に宿した黒猫。毛並みの良い見た目から彼女に愛されている事がありありと感じられて、一層欲しくなる。
手の甲に伝う赤を舐め取って、さして美味くもない自分の血潮が口内で匂い立つ。心なしか、湧き上がる熱を身体の内側から感じた。
「とっても懐いてるわね、その猫ちゃん。どうやら嫌われちゃったみたい。でも私は気に入ったわよ、お嬢さんもその子も」
「ごめんなさい。あんまりお外、慣れてないの。私が攻撃されてると思っちゃったみたい。あっ、自己紹介まだだったね! 私は白、この子は影猫っていうの。白ちゃんって呼んで?」
警戒心が少し解れたのか、相棒の猫と一緒に楽しげに話始めた。無論、内容は分からないけれど二人の間では通じ合っているらしい。頷く度にツインテールが揺れて、甘い乙女の香りが鼻腔を擽った。
「白ちゃん、少しだけ待てるかしら? 渡したい物があるの」
「え? 大丈夫だけど……」
不思議そうに小首を傾げて時折耳をピンと立てる様に愛くるしさを覚える。そんな彼女の好きな人とは一体誰なのだろう。鬼は、愛とは程遠い存在だ。それは私もこの身を持って知っているし、どんなに想いを募らせたところで最後は結局皆同じ、腹の中に収まるだけ。だからこそ、微かな希望を淡い期待を抱いてしまった。暗闇の中で光を求めて咲く花。その恋が、どうか花開き実を結びますように。辺りに咲き誇っているそれらを何本か手折って交差させては編み込んでいく。ポピー、ベゴニア、マーガレット……一本一本絡ませる度に幸福が近付いて擽ったい。鮮やかなピンク色が点と線で終わりを結んで輪となり心を柔くする。
「はい、完成。うっふふ、よく似合ってるわ」
花冠を乗せると天使のようで、二度と訪れる事は叶わない楽園が其処にはあった。今までの業、罪の意識なんてものはもう薄れてしまったけれど、花を綺麗だと思えるのは、確かに生きた証だから。
「わー! ヒナギクちゃんは手先器用なんだね! 憧れだったの、こうするの」
満面の笑みで花を着飾る彼女に自然と口元が緩む。大切な何かを思い出した気がする、かつて私もそんなふうに笑えてた事があったのだろうか。肩の影猫みたいに相棒と呼べる親友が側に居たんだろうか。
涼しげな夜風が肌を撫でて、花びらを天上へ舞い上がらせては連れ去って行く。心地良さに目を細め、行く宛のない気持ちが僅かに軽くなった。
「またおいで。今度は一緒に作りましょう?」