それを人は恋と呼ぶ「こんな感じでどう?」
「オッケー!設置は完璧。それじゃあ、あたしたちは離れようか」
「りょーかい」
ゆるい返事を寄越した穹が、カメラから離れた場所に荷物をどさりと置く。中から取り出したのは、簡単に組み立てられてそれなりのサイズを誇るテント。あたしと穹なら余裕で中に入れそう。
それから次に火起こしのための道具とお湯を沸かすためのセットが出されて、携帯食とブランケットがはい、って手渡された。
「用意が良すぎてびっくりしちゃう」
「あー、これな。念のために持って行けって丹恒に渡されたんだ」
綏園での事件が解決してからも、あたしはチャンネルの更新を怠ってはいない。羅浮の七不思議、新グルメ、映えスポットを始めとするあらゆるネタをキャッチしては現地に足を運んで調査し、フォロワーを順調に増やしてる。
今、この鱗淵境にいるのだって、フォロワーから寄せられた怪奇現象の真偽を確かめに来てるからだった。一人で何時間も滞在するのはさすがに危ないかなと思ってる、とメッセージで相談したら、穹が「付き合うよ」と承諾してくれて、甘えたってわけ。
手際良く準備を済ませてインスタントコーヒーを淹れてくれた穹は、テントの入口付近に腰を下ろすと、ずず、とひとくち啜って「で、なんだったっけ」と口にする。
「龍尊像が動くんだっけ?」
「そ。丑三つ時になるとあの龍尊が実体化してこのあたりを徘徊するんだって」
チャンネル宛に寄せられたメッセージには、龍尊像が鱗淵境を歩き回る、という内容だった。歳陽の件がひと段落した今では彼らの仕業である確率は低いし、この手のネタはどこにでもありがちで正直なところ珍しさなんてない。迷ったけど、配信するかどうかは別として動画はたくさん作っておいた方が都合がいいから、こうして足を運んだ。
「断言出来るけど、それガセだよ」
「あたしもそう思ってるけど、そこはほら、ね」
「何時まで?張るの」
「今十二時でしょ。あと三時間くらいかな」
スマホで時間を確認した穹が、うへぇ、って気の抜けた声をあげた。周囲を散策しながらだと時間はあっという間に過ぎるのに、ただ待つだけなのは退屈だから気持ちはわかる。
時間のせいか眠気がすごくて、ふぁ、って欠伸を噛み殺した。それに気付いた穹がテントの奥を指差す。
「そこに簡易枕あるから寝てていいよ、桂乃芬。異変があったら起こすから」
「うん、ありがと」
そう言って携帯食を咥えてもぐもぐしながらスマホをチェックし始めた横顔を、あたしは抱えた膝に顔を埋めながら盗み見た。まだ歳若い少年だけど、何気ない仕草も絵になるなぁ、なんて思ってしまう。
あたしのチャンネルのフォロワーの中でも、灰色の髪のイケメンを推す人はそれなりにいる。今では出演は後ろ姿や見切れてる姿だったり、「助手です」って手が映るだけになってるけど、それでも登場した瞬間からコメントが流れる速度ははやい。投げ銭には穹宛てのものだってある。
顔立ちは黙っていれば綺麗に分類されると思うしレベルは高い。それゆえに引く手数多の勝ち組にしか見えないってやっかみのコメントも、好意的な物と同じくらいよく見かける。
あたしも初めのうちは、きっとこの子は女の子とのアレソレなんかはとっくに済んでるんだろうなぁ、なんて思ってた。
けど、インタビューの時に恋人はいないよって答えてたし、
金人巷で見かける時だって、女の子とデートしてる姿を見たことはない。いつも一緒にいるのはこれまたタイプの違うクールなイケメンくんばかり。女っ気ゼロ。
それと、好きな人がいるかだけは教えて、って質問が投げられた時に、「いない!本当にいないんだって……!」と照れ顔を隠しながら逃げてて。その手の話題を出されるとすぐ赤くなるし、ピュアなんだなぁって思う。もちろんコメントは「かわいい」で溢れてて、株は爆上がり。あれからファンが増えたのは間違いない。
(そりゃあね。イケメンでシャイでピュアなんて、いい属性ばっかり持ってたらね)
「……なあ、桂乃芬」
「っ、な、何?」
眠気に誘われてうとうとしながらそんなことを考えてたら、チェックが終わったのか、落ち着かない様子の穹が躊躇いながら口を開いた。
じっと見てしまってた後ろめたさで声が変に大きくなったあたしの様子は気にしてないみたいで、ほっと胸を撫でおろす。
「相談ていうか、ちょっと意見を聞いてみたいっていうか……」
「うん?」
他に誰かいるわけでもないのにきょろきょろと周りを見渡してから、穹はあたしの方にずい、と寄ってきた。そんなに訊かれたくないことなの、ってあたしも近付く。
「俺じゃなくて、その……これは知り合いの人の話なんだけどさ」
「なに⁉︎もしかして恋バナ⁉︎大歓迎、聞かせて」
人って不思議なもので、自分の悩みをさも他人の悩み事として話して、誰かに聞いて欲しくなる習性がある。そんな時に使われる常套句が飛び出して、思わず食い気味に言葉を被せた。
インフルエンサー魂が騒ぐ。これは絶対に美味しいネタだって。
あたしの勢いに「えっこわ。なんでわかるんだよ」って眉を寄せた穹は、気を取り直すように、こほん、て咳払いする。めちゃくちゃ視線が泳いでるよ、ってツッコミは取り敢えず飲み込んでおいた。美味しい話を聞く前に警戒されて、やっぱりやめた、って言われたら困るから。
「いいか?これは知り合いの子の話だからな?」
俺じゃないから。そう必要以上に念を押して、穹はぽつぽつと話しだした。
穹によると、その相談者である知り合いの子には恋人はいないけど、気になってる人がいるらしい。ただ、恋愛経験がないから、その人のことを親友として好きなのか恋心なのかはまだよくわからなくて悩んでるんだとか。
自分の気持ちが定まらないうちに親友が最近よく遊びに誘うようになってくれて、二人で過ごす時間が増えた。それはとても嬉しいんだけど、親友がどんなつもりで自分に声をかけてるのかわからなくて、もやもやする。
これが相談内容だった。
「恋愛経験がない?今まで好きになった人、いないの?」
「うん、ない。あっ、ない、らしい」
インタビューの時のあの言葉にやっぱり嘘はなかったんだと納得する。それはともかくとして、話の中で指折りで挙げられたデートの場所が、どう考えてもお年頃の男女には渋すぎるチョイスばかりで頭を抱えた。
資料館、海辺、金人巷の屋台。
せめてそこは百歩譲ってお洒落なお茶のお店じゃないのとツッコミを入れたい。穹がまだ恋愛が苦手そうだから気を遣ったにしても、もう少しムードを大事にしてあげればいいのにって思う。
「でも、楽しかったからなぁ」
デートコースへの苦言に対して、その親友をフォローする言葉を口にした穹に、あたしの口からはうへへ、って変な笑いが出てしまった。まあ最初から相談者が穹本人だってわかってたから、ぽろぽろとこぼれてしまうネタバレは今更なんだけど。
デートのことを思い出してるのか、穹の表情は心なしか緩んでる。ほんのり赤くなった頬がかわいい。本人は親友だなんて言ってるけど、この様子だともうデート以上のことも済ませてるのかもしれない、なんて勘繰ってしまう。
「ねぇ、もしかしてもう手は繋いだ?キスはしたことあるの?」
「キス⁉︎な、し、してないよ‼︎」
持ってた携帯食をマイク代わりに向けてにやにやすると、穹は立ち上がって大きな声でそう言った。勢いにぽかんと見上げるあたしの視線を受けて我に返った穹は、外套のフードをすっと被って顔を隠してからその場に座り直す。
表情は平然としてるように見えるけど、顔の赤さが色んなものを隠しきれてない。
「………そ、そういうことは、してない……。そもそも親友とはキス、しないだろ」
「あはは……そうだね、ごめんごめん」
赤くなった頬を「熱い」ってぺちぺちしてる姿はかわいい以外の言葉が相応しくないくらいかわいいし、そのウブな反応じゃあ相手はなかなか手を出せないだろうなと思う。
それに、取り返しがつかないくらい自分のこと相談してますよって決定的な暴露したことに気付いてなくて、あたしの口元は緩みっぱなしだった。
あとは反応を見る限り、もうすでに親友のことを恋愛の対象として好きなんだってことがわかる。そもそも、最初から「友達としての好きか恋愛の好きかわからない」って相談してきた時点で、好きなことに変わりはなかったんだから。
ただ、相談者が穹なのは確定事項だとして、相手は誰なんだって話なんだけど。あの人しかいない、って心当たりが一人だけいた。すーちゃんからも話を聞いたことがあって、なおかつ実際に話したこともある人物が、いる。
穹に人気が出てきて、穹宛の少し厄介なメッセージやコメントが届き始めた時のこと。穹と同じく列車に乗るナナシビトの一人だという青年が、あたしに直接会いにきた。
「穹を危険なことに巻き込むのは避けたいんだ。できればあなたからも働きかけてもらえないだろうか」
そう言った彼の表情はとても真剣で、紡がれる言葉は真摯なものだった。あたしは、歳陽の件でも巻き込んだことをその青年に謝罪して、穹には裏方をお願いするようになった。
仲間や親友として穹を心配してるんだなと思っていたけど、それだけじゃなくて、好きな子を護りたいからだとしたら。いつも隣にいる姿を目撃するのも納得できてしまう。
話に聞いてる限りでは出会ってそれほど歳月は経っていないはずなのに、ずいぶんと距離感の近い二人だなあ、仲良いなあって思ってたけど、穹からの相談で全部繋がった気がした。
穹が通知音の鳴ったスマホを見て、あ、って声をあげる。つられて自分のスマホを確認すると、話してるうちにもう終了の時間を迎える直前になってた。
「丹恒がここに来るって」
心配しすぎだよなって言いながらも、すごく嬉しそうに笑う。いそいそと返事を打つ穹を見たら、誰しもが思うんじゃないかな。ねぇそれで付き合ってないなんて有り得ないでしょ、って。
そんなふうに言ったら、穹はどんな顔をするんだろう。
「……ねぇ、穹」
「うん?」
「……その親友の子がどんなつもりで誘ってるか、って悩みへのアドバイス……というより、これはあたしの推測なんだけどね」
「……うん」
もうすぐやってくる親友こと無口なイケメン丹恒くんに気持ちが向いちゃってた穹が、手を止めて真剣な表情で頷く。
「きっと相手の子はデートのつもりで誘ってると思うし、その子のことを好きなら応えてあげるといいよ。絶対うまくいくから」
「な、」
「って、知り合いの子に伝えてあげてね」
絶対に損はさせないんだから。
そう言ってニヤニヤすると、もうこれ以上無理ですってくらい赤くなって穹は口をパクパクさせた。
「何それ……何言ってんの?」
「さて時間もきたし、カメラ回収しよっか」
固まる穹を置いて撮影機器を回収しに向かいながら、あーあ、あまずっぱーい!ってわざとらしく声をあげると、後ろでがしゃがしゃん、と躓く音が聞こえてくる。
デートってなに、って動揺して焦る声を背に、あたしは穹とこの後やってくる彼の未来が幸せでありますように、と密かに願った。