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    yama

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    yama

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    バレンタインの丹穹の小話。(withもちゴミくん、なのちゃん、姫子さん)

    「うう……お腹空いたな……」
     明度の落とされた廊下を歩く間もぐぅぐぅと鳴り続けるお腹をさすりながら、俺は溜息を吐き出す。
     夕飯は腹八分目以上食べて満足して、何なら風呂上がりにゲームをしながら炭酸を飲みつつ菓子を貪ったっていうのに。さて寝ようかと目を閉じた瞬間に体が空腹を訴えてきた。
    (いやいや、有り得ないって……)
     無理矢理言い聞かせるようにして目を閉じたものの、そんな努力を嘲笑うようにお腹は色んな音を奏で始めて。三十分ほど我慢したところで耐えきれずに、こうして列車内を徘徊して今に至るというわけなんだけれども。
    「丹恒がいたら道連れに出来るんだけどな〜」
     資料室でごろごろしていて寝る前にお腹が空くと、「少しだけ。ひとくちだけ。お願いたんこーせんせー」と縋りつけば、呆れ顔をしながらも一緒に罪深き夜食に同伴してくれる丹恒。
     けど、丹恒は今、列車にはいない。つまり俺が自分で何とかしなくてはならない。
    「パムに見つからなきゃいいんだけど……」
     以前、一人でキッチンに忍び込んだ時に、冷蔵庫を物色している現場をパムに抑えられて現行犯で捕縛された時は、本当に地獄を見た。
     パムが大事に取っておいたデザートを食べてしまった俺が悪いのは間違いないけど、正座しての一時間に渡るお説教を食らって食欲なんてどこかに飛んでしまったし、三日はパムに説教される夢に魘された。
     思い出して震える体をさすりながら抜き足差し足でこっそりと食堂を通過した俺は、その奥にある、暗いはずのキッチンから明かりが漏れてることに気付いて足を止める。
     こんな夜中にここにいるということは仲間なのか。それともパムが中にいるのか。後者だった場合、「オマエは何をしにきたんじゃ〜!」と追いかけられそうだ。まあ、ぽてぽてと走るパムは怖くなんてないけど。
     中にいる誰かに見つからないようにそっと小窓から覗いた俺は、思わず「あっ」と声を出してしまった。早速墓穴を掘りかけて慌ててドアの横に身を隠すけど、中から微かに聞こえる話し声が止むことはない。
     存在に気付かれてないことにほっとしながら改めて小窓からキッチンを覗くと、中には姫子となのがいた。二人ともエプロンを着けて、多くのキッチンツールと食材を挟んで話してる。なのの手元には平べったい生地のようなものが置かれていて、姫子は何かをかき混ぜてた。
     もう少し詳しく見たい。そう思って顔を近付けたら、目測を誤って窓に額をぶつけて「いでっ」と声を上げてしまった。まずいと思ったけど、逃げる間もなくドアが開く。
    「誰⁉え︎……ええ、穹⁉︎」
     不審者だと思われたんだろう。武器代わりに持っていたらしい木の棒が俺の頭に当たった。それなりに痛いし、白い粉が降って来て目の前が真っ白になる。
    「こんな時間にどうしたの?」
    「へへ……」
     ぶつけた頭を心配そうに撫でてくれるなのに、俺はへらりと笑って頰を掻いた。


     お腹が空いて夜食を漁りに来た。
     そう正直に話したら、姫子は仕方ないわね、と笑いながら焼き立てのマフィンと紅茶を出してくれた。
     バターの香りと優しい甘さに感涙しながらマフィンを食べる間にも、たくさんのお菓子が焼き上がって並べられてく。
     なのと姫子は、『バレンタインデー』に向けてお菓子を作っているのだと言う。列車では毎年その日になると、姫子が列車組のみんなにお菓子を贈っていることを聞いた。
    「以前立ち寄った所で知ったイベントなのよ。由来は諸説あっていくつか混ざってしまっているから正しいものはわからないけど、その日は家族や大切な人へ贈り物をして、愛や感謝を伝える日とされているの」
    「その話を聞いてね、ウチもお菓子を作りたーいって姫子にお願いしたの。列車のみんなは大切な仲間だから喜んでもらえたらいいなって」
     なのはチョコレートを溶かしながら楽しそうに笑うと、「あとね、これ見て」と俺にスマホを向けた。ピンク色を基調にしたページには、これでもかと言うほど赤いハートが乱舞してる。目がチカチカしそうだ。
     記事のタイトルは「チョコレートのように、甘いひとときを恋人と」と書いてあった。
    「こいびと」
    「そう!少し前までは家族とか夫婦の間に親しまれてたイベントなんだけど、ここ数年で若い世代の子たちにも広まってるんだって。ああ〜ウチもいつか恋人になる誰かと、チョコレートみたいな甘い夜を……」
    「三月ちゃん、チョコレートが固まりそうよ」
    「わーだめ!待って固まらないで!」
     うっとりと両手を握りしめて、まだ見ぬ未来の恋人へ想いを馳せていたなのが、姫子に指摘されて慌ててかき混ぜる作業に戻る。なのも姫子も、二人の手元は忙しそうだ。
     大切な人──恋人に。
     その言葉で俺が思い浮かべるのは、他の誰でもない丹恒だった。もし丹恒にプレゼントを贈ったら、全開の笑顔は難しくても口元を緩めるくらいはしてくれるんだろうか。想像出来ないけど、意外とストレートに嬉しい、と喜んでくれるかもしれない。
     欲を言うなら、丹恒の照れた顔が見たい。
     一度考えだしたら止まらなくて、そわそわしてしまう。不純な動機はともかくとして、丹恒がいなくて暇を持て余してるのも事実。それに、恋人に贈る物、というポイントが俺に刺さった。
     付き合い始めたけど、まだまだ親友の延長線上にいるような俺たちだ。恋人らしい初めてのイベントに挑むのもいいかもしれない。
    「俺も手伝ってみようかな〜。や、お菓子作りに興味がわいただけなんだけど。誰かに作ろうとかじゃなくて…」
     さりげなさを装ったつもりなのに、あまりにも棒読みが過ぎて不自然さを拭えない。
     そんな俺の言葉に顔を見合わせていた姫子となのが、ああなるほどね、と頷いて揃ってにこにこと笑顔を浮かべた。
    「丹恒はあまり甘い物が得意ではないから、少しビターなチョコレートを使ったブラウニーを作るのはどうかしら。作り方も難しくないしね」
    「それいい!丹恒、喜んでくれるよ〜!ハート型にしてかわいくラッピングもしちゃお!ウチが教えてあげる!」
     腕が鳴るねー!とはしゃぐなのと訳知り顔でうふふと微笑む姫子に挟まれて、う、と後ずさる。丹恒にも言われるけど、そんなに俺はわかりやすいんだろうか。
    「まだ丹恒にあげるとは言ってないだろ……!」
    「あら……ふふ、そうね、そういうことにしておくわ」
    「穹、顔真っ赤でかわいい〜!丹恒に写真送っちゃお」
     知らないうちにスマホを向けられて撮られた俺は、なののスマホを取り上げようとして躓く。慌ててテーブルに手をついたら溶かしている最中のチョコレートをひっくり返しそうになって、二人でボウルをキャッチした。
    「二人とも、あまり騒ぐとパムに怒られるわよ」
    「……はい」
    「……はーい」
     微笑む姫子に釘を刺されて、俺となのは背筋を伸ばしてお利口に返事をする。かくして、俺のバレンタインデーに向けたお菓子作りチャレンジは幕を開けた。


     姫子から提案されたブラウニーは、量る、混ぜる、焼く、という簡単な工程の焼き菓子だった。レシピを見せてもらった時は、あまりの簡単さに「一晩で成功させちゃうんじゃないかな、何たって俺だから」なんて鼻歌混じりで余裕ぶってたんだけど。
    「…………炭?」
    「真っ黒だね……」
     オーブンを開けたら炭と化したブラウニーを見て、俺となのは無言になってしまう。要するにこれは失敗だ。レシピに書いてあった謳い文句、『誰でも簡単に作れて失敗知らず!』は嘘なんじゃないのか。話が違う。
    「オーブンの温度が高すぎたのかもしれないわね」
    「つ、次!次は成功するよ、頑張ろう、ね!」
     冷静に分析する姫子と、フォローしてくれるなのに背中を押されて気を取り直して作った試作品二号は、炭にこそならなかったものの中が半分生に近い。試食した俺はむむ、と眉を寄せた。今度は慎重になりすぎてオーブンの温度が足りなかったらしい。
    「思ってたより難しい……」
    「お菓子作りはね、料理とは少し違って分量や温度は厳守、混ぜ方にも案外慣れが必要なものなの。だけどあと三日あるんだから、絶対に作れるようになるわ。初めてでこれだけ出来てるんだもの」
     肩を落とす俺を姫子が励ましてくれる。自分から始めた以上は諦めたくない性質だから投げ出したりはしないけど、先行きは不安だ。
     炭のように焦げてしまったから試食をしてもらうのは憚られるし、かと言って捨てるのも材料がもったいなくて部屋に持ち帰ると、もち団子とゴミケーキがブラウニーを興味深そうに見ていた。
     特に食べられないものはないと聞いてるし、もしかしたらこれも食べるかもしれない。そう思って包みを開けると、恐る恐る近付いたもち団子がびゃっ、と毛を逆立てて、ブラウニーに対して必死に前足を動かす。
     見たことのない動きの意味がわからない。俺はブラウニーのことを伏せて、丹恒にメッセージで訊くことにした。
    『それはおそらく、その対象物のにおいを隠したくてしている行動だ。そうだな……主に排泄物などを隠すための習性らしい』
     膨大な量の資料を管理しているだけあって、丹恒はやっぱり知ってたらしい。さすがだ。だけどその知識が俺の繊細な心を傷付ける。
    「もち団子ぉぉ!」
     ひどい!ともち団子を抱きしめると、にゃ!と悲鳴のような鳴き声をあげる。揉みくちゃにしながら、ひどいとは言ったけど、まあ炭だからな……と何とも言えない気持ちになった。
     もう一回揉みくちゃにしようとしたら、隙を見てもち団子が俺の腕から抜け出す。すかさずゴミケーキが寄り添って、ぺろぺろと甲斐甲斐しく体を舐め始めた。丹恒がいなくて寂しい夜を過ごす俺が目の前にいるのに、仲睦まじさを見せつけくる。
     近況を報告した後、明日に備えて休むと返してきた丹恒におやすみを伝えて、俺は焦げたブラウニーを口に含んだ。砂糖は入ってるはずなのに、苦くてかたくて、正直食べられるレベルじゃなかった。
     はやく炭から進化させないと、バレンタインデーを楽しむどころか丹恒の胃を壊すことになりかねない。それだけは避けなければ。がんばろう、と呟いて、俺は美味しくないブラウニーを水で流し込んだ。
     初回の問題作は衝撃的だったけど、慣れが必要という姫子の言葉通り、三日目ともなると味は太鼓判を押してもらえる程度に上達した。
     初日は前足で隠そうとしてたもち団子とゴミケーキも、おかわりをねだるくらいに食べてくれるようになった。
     残る問題は、表面がひび割れたり、底がへこんでしまうことだ。なかなか綺麗な形に作れない。味に遜色はないかもしれないけど、どうせなら目標通りの物を作りたくて妥協の選択肢は捨てた。
    「空気を抜く、しっかり乳化させる、粉を入れたら混ぜすぎない……細かいところを気を付けて。きっと明日には綺麗なハート型が作れるわ」
    「明日、出来るまで付き合うからね!」
     こうして姫子となのに励まされてひたすらブラウニーを作り続けた四日間、オーブンとキッチンツールに追いかけられたり、炭ブラウニーを大量生産する夢を見て魘される毎日を送った。
     そんな日々も最後となる今夜、ようやく満足のいくハート型のブラウニーを作ることが出来た。連日の夜更かしでへとへとになってた俺となのは、燦然と輝くハート型のブラウニーを前に手を取り合う。
    「よかったね、穹〜!」
    「戦いが終わった……」
    「まだだよ〜!ラッピングしなきゃ。メッセージも書いて、お花も添えよう!」
    「ラッピングは明日起きてからにしましょう。今夜はゆっくり寝なさい。二人とも、今にもここで寝てしまいそうなんだもの」
     くすくすと笑う姫子に促されて、片付けもそこそこになのと一緒にキッチンを後にした俺は、抱えた箱をじっくりと眺めた。最後に塗した粉砂糖が輝かしく見える。
    「穹、たくさん頑張ったね」
    「なのと姫子のおかげだ」
    「ウチは少し手伝っただけだよ〜。穹ってばウチよりお菓子作り上手くなっちゃうんだもん。もう何でも作れちゃうよ、きっと」
     成功の余韻に浸りながらなのを部屋まで送り、明日起きてから丹恒が戻ってくる前にラッピングを済ませちゃおう、と約束して部屋に戻った。
     ブラウニーをサイドテーブルに置いて箱を撫でる。作りたては卵の味が強いけど、一晩寝かせたら油分や水分が馴染んでしっとりして美味しくなると、姫子が教えてくれたからだ。
    「丹恒の口に合うといいな……」
     俺、頑張ったよ、丹恒。呟いた俺は、ベッドに寝転ぶとそのまま吸い込まれるように眠りに落ちた。
     その晩、手足の生えたオーブンが感涙して、俺と丹恒に向けてスタンディングオベーションをする夢を見た。



    「嘘だろ……」
     天国から地獄。いやさすがにそこまで大袈裟ではないけれど、昼前に起きた俺を待ち受けてたのは、ブラウニーの消失だった。
     昨夜、サイドテーブルに置いたはずの箱の中に入っていたはずのブラウニーが忽然と姿を消した。何度中を見ても箱をひっくり返しても、手品のように現れることはない。
     眠りに落ちるまでの記憶を辿ってみたけど、別れ際になのと「起きてからラッピングをしよう」と約束して部屋に戻り、サイドテーブルに置いて満足してから気絶するようにベッドに寝転んだ。そこから先の記憶はない。
     蓋が落ちてたから、誰かが開けたことは確かだ。何者かが侵入してブラウニーを食べてしまったのか。けど、こんな面白みのない部屋に来るのは列車内では丹恒しかいないし、そもそも侵入した人物がピンポイントで菓子を食べる可能性は高くはないはずだ。
     ただ、ひとつ確実なのは、冷静になろうとどれだけ考えようとも、無くなった事実は覆らないということ。
     どうしよう、なんで。そればかりが口から溢れる。頭が真っ白になったままうろうろしていた俺は、ふと部屋の隅に視線を巡らせて目を見開いた。
     もち団子と仲良く寄り添って専用のベッドで丸くなっているゴミケーキの小さな口の周りに、見覚えのある食べカスがついてたからだ。
     昨夜部屋に持ち帰ったものは、完成品のブラウニーと、なのにもらったクッキーだけ。ということは、つまり。
    「ご、み、けーき……!」
     気持ち良さそうに眠っていることを忘れて、思わずがばりとゴミケーキの体を抱き上げる。眠そうな目を開いたゴミケーキが、俺の顔を見てびくりと震えると毛を逆立てた。
    「お前、食べちゃったのか、あれ……」
     箱を指差すと、ゴミケーキの耳がぺたんと下がり、尻尾が力なく垂れる。そのうちに目がどんどん潤み始めて、あ、しまったと思う間もなく、うるうると溜まった涙がぽろぽろと溢れた。ぽたぽたと落ちて、俺の手を濡らしていく。
    「みゃう……」
     傍らで見上げるもち団子の不安そうな声に我に返って落ち着きを取り戻した俺は、震えるゴミケーキを抱きしめてぽんぽんと撫でた。
    「……大きな声、出したよな……ごめん」
     この四日間、毎晩のように試作品を持ち帰ってはゴミケーキともち団子に食べさせてた。それはつまり、ブラウニーは食べていいものなんだと、時間をかけてふたりに認識させたことになる。
     だから、昨夜持ち帰ったブラウニーを、「これは食べちゃだめだからな」とふたりに言い忘れ、見えない場所に置かなかったのは俺の失態であって、ゴミケーキはただ食べていいものを食べただけ。何も悪いことはしてない。
    「にゃ、にゃう……」
    「うん……ごめんな……」
     小さく鳴く声が「ごめんね」と言っているようで心が痛んだ。同時に、まだ生まれたてで、赤ちゃんみたいなゴミケーキに対して声を荒げそうになった自分を恥じた。
     考えてみれば、ひとかけらも残さずに食べてくれたということは、俺のお菓子作りの腕前が上がったという確かな証拠でもある。
    「だったら、それだけでじゅうぶんかな……」
     ようやく涙の止まったゴミケーキと、ずっと心配そうに俺たちの周りをうろうろしてたもち団子をまとめて抱きしめると、ふたりの間に顔を埋めた。
     もともと丹恒を驚かせようとして始めたことだから、楽しみにしてろよ、なんて軽はずみにメッセージを送らなくてよかったなと思う。あげるからな、と約束してたわけじゃない。俺が勝手に作りたくなってしたことなんだ。
     だから、丹恒にあげるブラウニーはそもそも存在してなかった。それでいい。それなら誰も傷付かない。
     手伝ってくれた姫子となのには申し訳ないけど、話せばきっと理解してくれる。
    「クッキー食べるか?」
     気まずくなった空気を誤魔化すように、作りすぎたからともらってたクッキーをもち団子とゴミケーキに差し出す。嬉しそうにふるふると震えながら一生懸命食べるふたりを撫でて、空になった箱に視線を向ける。
     役目を失って少し歪んでしまった箱は、何だか寂しそうに見えた。
     

     ラッピングを教えに来てくれたなのに事情を話すと、自分のことのように落ち込んだうえに「ウチのを穹が作ったことにする?」とまで提案してくれた。なのの厚意はありがたく思ったけど、申し訳なさすぎてもちろん断った。
    「バレンタインデーだけがプレゼントのチャンスじゃないからね。また作るときは手伝うから」
     そう言って残念そうに部屋に帰るなのを見送ってから数時間、俺は何をするわけでもなく、ずっとベッドでごろごろしてる。スマホで時刻を確認すると、丹恒が調査から戻ってくる時間が迫ってた。
     いつもなら資料室に忍び込んでお帰りのハグとキスをねだる(ただし退けられる)ところだけど、何だか合わす顔がないな、なんて考えてしまって動けずにいる。
     ブラウニーの件が思ってたよりもダメージが大きかったみたいで、気付けばひっきりなしに溜息が口から出た。そのうち魂が一緒に出て行くかもしれない。天井を眺めながら思う。ぼんやりしながらもまたひとつ、溜息が漏れた。
    「みゃ……」
     そんな俺を見かねたのか、ゴミケーキがベッドに寝転がる俺のそばにきて丸くなる。ぺろ、と投げ出された手を舐める感触がくすぐったくて抱き寄せると、ほっとしたみたいに目を閉じた。
     すぐにぷぷ、と寝息をたてるゴミケーキにつられて、俺の瞼もぴたりとくっつきそうになる。どうせだからこのまま寝ちゃおうかな、とブランケットを手にしたタイミングで、コンコン、とドアを叩く音が響いた。
     黙ったまま寝たふりをしようかと躊躇して、中途半端に引き上げた状態のブランケットを握る。そのうちに諦めてくれるかもしれない。そう思っていたのに。
    「みゃ……!」
    「にゃう」
     もち団子と、寝ていたはずのゴミケーキまでが競うようにドアまで跳ねながら近付いて行く。もうそれだけでわかってしまった。ノックしているのが誰なのかを。
    「穹、入るぞ」
     控えめな声とともに中に入ってきたのは、やっぱり丹恒だった。両手には何やら包みをたくさん抱えてる。かわいいラッピングがされたものは、多分なのが作った生チョコだ。
     足元で跳ねるふたりに「ただいま」と声をかけると、サイドテーブルにそれを置いて丹恒はベッドの縁に腰をかけた。
     のろのろと体を起こした俺の髪に触れて、それから頬を撫でる。抱き合って熱に浮かされてる時とは違って、気遣うような手つきだ。
     部屋から出て来ないと聞いて、心配させたのかもしれない。列車に戻って来たばかりで疲れているはずなのに、丹恒はそんなそぶりをひとつも見せずにいる。
    「……おかえり」
    「ああ、ただいま。夕飯を食べていないと聞いた。土産を買って来たんだが、何か口に出来るか?」
     サイドテーブルに置かれた包みの中から、どちらかと言えば簡素な茶色の包みを手渡される。掌に乗せられたそれはまだほんのりあたたかくて、封を開けば食欲をそそる湯気がふわりとたちのぼった。
    「包子だ……!」
     においを嗅いだだけで、白くて丸くてやわらかな生地を噛んだ瞬間に口の中に溢れ出す肉汁の味を思い出してしまう。ぐぅ、と食欲を促す音が鳴って、へこんでいたくせに現金なやつだよな、と自分のお腹に呆れた。
    「全部お前の分だから、遠慮なく食べてくれ」
     そんな俺を見て、ふ、と笑った丹恒は、別の袋から俺にくれたものよりもひとまわり小さな包子を取り出すと、綺麗に二つに分ける。それを一つずつ、もち団子とゴミケーキの前に差し出した。
     ふたりはキラキラとした眼差しで丹恒を見上げてから仲良く並んで食べ始める。そんな様子を見て口元を緩めている丹恒の横顔を、俺はじっと見つめた。
    「穹?」
    「お、れ……」
     食べる手を止めて見ていた俺に気付いて丹恒が振り返る。優しい表情を浮かべる横顔を見てたら、丹恒はどんな言葉をくれて、どんな笑顔を向けてくれたんだろうって想いが膨れ上がってしまった。最初からなかったことにして、言わないって決めたのに。
     未練がましいにもほどがあるだろう、と唇を噛む。頭の中で口を開こうとする自分と塞ごうとする自分の声が鬩ぎ合ってうるさい。
     言葉に詰まって俯いた時だった。不意に、鮮やかな赤い紙と金色のリボンで装飾された箱が目の前に差し出された。
    「ハッピーバレンタイン……で、合っているのだろうか。俺が姫子さんと三月にもらう時は、二人は確かこう言っていたと思うんだが」
    「へっ?」
     顔を上げた俺は、想像もしてなかった言葉に目を丸くする。自信なさそうに言う丹恒と箱を交互に見比べると、俺を静かに見ている丹恒の頬が仄かに赤くなった気がした。
     バレンタインの贈り物を、まさか丹恒がくれるなんて。
    「……っ、開けてもいい?」
     声が震えそうになるのを堪えて訊くと、丹恒はもちろんだ、って頷く。
    「だが、そうだな……華やかなものではないから、あまり期待はしないでくれると助かるんだが」
     そう前置きする丹恒だけど、俺にとっては他の誰かからよりも、丹恒からの贈り物が一番嬉しい。たとえどんなに些細なものでも。
     丁寧に包装された箱の中から出て来たのは、猫の顔を模した饅頭だった。二つ並んだそれは色分けがしてあり、黒と灰色のカラーリングは、どことなく土産の包子を頬張るふたりに似ている。
    「もち団子とゴミケーキにそっくりだ」
     自分たちの名前を呼ばれて、包子を食べ終えたばかりのふたりがなに?と俺の膝の上に乗ってきた。箱の中を見せてやると、もち団子とゴミケーキが顔を見合わせて喜ぶ。
     ぽよんぽよんと弾むふたりを撫でてると、丹恒が「本当は黙っていた方が良いのかもしれないが、」と口火を切った。
     丹恒が話してくれた内容は、俺の思考を停止させるには充分なものだった。
     列車を離れている間に起きたことを、なのが頻繁にメッセージで送ってたらしい。俺が姫子となののお菓子作りに加わったことはもちろん、その動機も事細かく。それと、こうして俺が部屋に籠ってへこんでいる理由も。
    「因みに、試作品の画像も送られてきていた。初日は見事な炭だったな」
    「丹恒が知らないこと何にもないじゃん……‼︎」
     顔から火が出るとはまさにこのこと。俺は顔を覆ってベッドに転がった。顔を合わせづらいとかいうかわいいレベルじゃない。丹恒の顔をまともに見れなくなる。
     ベッドの上で悶えてると、遊んでくれるのかと勘違いしてゴミケーキが顔に乗って来た。救いを求めて抱きしめようとすると、いやいやと尻尾で顔を叩いて腕の中から飛び出して行く。薄情なやつ。そんな子に育てた覚えはないぞ。
     もうどうしたらいいかわからなくてこのまま不貞寝モードに入ってやろうかと思ってると、丹恒の手が俺の髪を撫でる。顔を見せるまで、辛抱強く待ってくれるつもりなんだろう。
    「……俺さ、丹恒には知らせてないから、言わなきゃ最初からなかったことに出来るって考えてたんだ。渡せないけど、丹恒をがっかりさせずに済むからって」
     本音を口に出したら、いつまでも捨てきれずにいた想いが胸の中に溶けていく。同時に、鼻の奥がツンと痛んだ。
    「穹、」
    「あ……」
     顔を覆っていた手を優しく退かされて、ころんと上向かされた。泣いてこそいないけど、我慢して変な顔をしてるから見ないで欲しいのに。
    「全部見せてもらっていたから、俺はそれだけで充分に嬉しいと思っている」
     そう言って俺を見る丹恒の表情はひどく優しい。ぎゅっと掴まれるみたいな胸の疼きに急かされるように、たまらなくなった俺は丹恒に手を伸ばす。
     覆い被さるようにして身を屈めた丹恒の顔を両手で包んだ。喰らいつくみたいにキスして、そのまましっかりと抱きしめる。俺が好きな丹恒の唇は、どんなものよりも甘くておいしい。
    「俺も丹恒にプレゼントしたいから、絶対にリベンジする。その時は受け取ってくれよ、丹恒」
    「ああ、楽しみにしている」
     見つめ合うともっと好きが増えた気がした。
    「もう一回……キス、して」
     そう言ってねだると、丹恒はあたたかくて柔らかい唇で、優しい口付けをくれた。

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