おまじない 一瞬の静寂の後に空気が揺れる。歓声と拍手が止まった時を動かして、勝者を称える。スタジアムが熱い空気に呑まれてまるで炎の渦の中に居るみたいだった。
「勝者、スグリ──!」
わ、と声が盛り上がる。その熱狂の渦中のトレーナーは周りのことなど見ていなかった。少年の目の前にいる少女が悔しそうな顔をした。すぐさまその顔は消え失せてはにかんで見せたけど少年には──スグリはしっかりとその表情を目に焼き付けた。
吊り上がる口角を抑えつけながら、いいバトルだったよなんていつか彼女が言った言葉をそのままスグリは言い返す。勝ったのだ、ついに。俺には、力がある。だから欲しいものは全部手に入れたい。
強さがあれば、手に入る。だって姉ちゃんも鬼さまも×××もみんなそうだったはずだ。だから今度は俺が欲しいものを手に入れなくちゃ、おかしい。
「素晴らしい二人のバトルにもう一度拍手を!」
パチパチパチ!と周りの生徒たちが拍手を二人に向けた。スグリは近付いて握手を求め手を伸ばす。律儀に掴んだ手を引っ張り耳元で囁いた。
「逃げたら全部喰っちまうからな」
このバトルの前に交わされた約束を忘れさせないため彼女に刻み込めるような言葉を告げた。
「ただいま、スグリ」
「おかえり」
あの日の記憶に想いを馳せていたスグリはかけられた声に気付き、ようやく記憶から意識を今へと向ける。パルデアチャンピオンとして×××は各地を飛び回ることが多い。ジムの視察、エリアゼロの管理やらポケモン絡みの面倒事などエトセトラ。とはいえ二人とも学生という身分ではない。それぞれアカデミーを好成績で卒業した。
今、こうしてチャンピオンであるはずの彼女がスグリと一緒に暮らしているのはブルベリーグでのバトルの前にした〝約束〟のせいだ。勝った方が望みを叶えられる。スグリにとってそれが物事の答えだ。オーガポンが彼女の手に渡ったのも、一人だけ除け者にされたのも弱かったからだとスグリは信じて疑っていない。
ようやく、彼女(主人公)の力を超えた。なら余すことなく欲しいものを手に入れたい。そのための強さだ。そう思っていたスグリは戦う前に勝ったら一緒に暮らして、と約束を結んだ。望まない暮らしを強要したことに後悔はない。だって、勝ったんだから。
「ご飯、作ってくれてありがとう。スグリの手料理ってやっぱりキタカミの味なのかな、すごくおいしい」
「ん、さっさと食え」
「スグリはもう食べたの?」
「……いや、今日はいい」
「そっか」
「部屋さ、いるから」
そう言ってスグリはリビングから部屋に戻る。こうして二人で暮らすようになってから満たされるだろうと思っていた気持ちが時折、嵐のように駆け巡って食欲が出ない日があった。
「……スグリ」
その背を心配そうに見送りながら、×××の伸ばした手は何も掴むことができなかった。
どうしてどうしてどうして。勝ったのに、強くなったのに何が足りてない。どうしようもない飢えに似た何かがスグリの胸の内を暴れ回る。部屋にあるもの全てを、壊してしまいたくなるくらいだった。
空に浮かぶ太陽のような眩しい輝き。物語の主人公のような×××。ようやく、超えた。その先に待っていたのは暗闇だったと誰が思うだろう。
「スグリ」
背後から聞こえた声にスグリは勢いよく顔を上げた。
「ノック、した?」
「しても返事がなかったから……心配になって」
気が付いた時にはドアを開け部屋に×××が立っていた。追い返すか悩んでスグリはベッドの隣を手で叩く。彼女はそこに座って両手に持っていたマグカップのひとつをスグリに渡した。
「ホットミルク作ってみたんだ。最近眠れてないよね?」
「……なして、わかったの」
「うーん、これといった確信っていうよりかはなんとなくなんだよね。スグリのこと毎日見てるからかな?」
「……」
スグリはその言葉に嬉しさを感じながら、どうにかしてくれるというのならこの想いにも答えを教えて欲しいと思う。好意と嫌悪に似た相反する感情がずっと、苦しめ続けるのだ。
「考え込んじゃうような時はね、甘いものがいいんだ。それと気晴らしになるようなことをすること。よくお母さんに言われてた」
スグリは黙って言葉を聞きながら、ホットミルクを一口飲む。口の中に甘さが広がって苦しさを溶かしていくような気がする。
「どう?」
「甘くて、おいしい」
「よかった」
×××は嬉しそうにスグリに笑顔を見せた。