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    紫@🐏

    @purplesheep0125

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    カフェに集う先生たちの話②:ロイド先生

    Cafaea Avium② 得も言われぬ、香ばしい香りがする。
     カレーのスパイスに、挽き立てのコーヒー豆が合わさったような。
     否、『ような』ではなく、まさしくそのものなのだろう。
     腹の虫が、きゅうと鳴いた。
     朝一番で大口の取引先との契約締結があり、それなりに緊張していたものか、朝食はコーヒーだけで済ませてしまったのだった。その後は細々としたデスクワークに追われるまま軽食を摂る暇もなかったから、空腹はそろそろ限界に達している。昼食に出ようとしたところを上司に呼び止められ、一駅先の別部署の社屋に書類を持っていけと頼まれてしまったのも不運だった。繁華街に程近いエリアの飲食店はどこも混雑していて、チェーン店の店先にすら行列ができている。できればそれなりに落ち着いて、欲を云えばそれなりに美味いものを食べたい――と云う一心でふと足を踏み入れた路地裏に、その店はあった。
     見た目より重い硝子張りのドアの上で、金属のベルがちりんと涼やかな音を立てる。
    「いらっしゃいませ」
     落ち着いた男の声だった。カウンターの向こうで顔を上げた店主と目が合った瞬間――なぜか心の奥底がざわつくような、それでいて酷く落ち着くような、不思議な心地がした。
    「一人なんですけど、いいですか」
     どうぞと応えた店主に促されるまま、カウンターへと歩み寄る。左端の先客からひとつ空けた隣に腰を降ろせば、間髪入れずに水のグラスとおしぼり、メニューが目の前に置かれた。
    「ご注文は後程」
     微笑み、軽く頭を下げて、店主はナイフを取り上げた。他の客の注文なのだろうサンドイッチを、流れるような手際で作り始める。
     染み入るように冷たい水を喉に流し込んで、ロイドは、手書きらしいメニューを開いた。
     品書きは比較的シンプルだ。
     ブレンド。紅茶。アイスコーヒー、アイスティー、カフェラテ。
     ハムチーズか、卵のサンドイッチ。
     そして――カレーと、エビグラタン。
     カレーは通常のものと、カツカレーの二種類があった。
     外の路地にまでスパイスの香りが流れ出しているくらいなのだから自家製なのだろうし、おそらく間違いはないに違いない。ただ、思い出してみればここ数年、グラタンと云う料理を口にした記憶がなかった。この店主の作るものなら、どちらであっても美味いだろう。
     空腹がそろそろ極まりそうなのにも関わらず――むしろそうであるがゆえに、かもしれない――決められない。
    「あの」
     不意に、隣の客が口を開いた。
    「え――あ、はい?」
     会社勤めではなさそうだ――と云うのが、兎にも角にもの第一印象だった。こちらの警戒を軽くいなすような苦笑が、氷の色をした目の中に滲んでいる。
    「――美味いですよ。ここのカレー」
     特にカツカレーが、と男は言った。
    「初めてなら、ぜひ」
    「……はあ」
     ご親切にどうもと頭を下げると、軽く目元を細めて男は会釈したようだった。畳まれていた新聞を手に取り、読み始める。
     確かにメニューに迷ってはいたが――もしかして、口に出てしまっていただろうか。だとすれば少々いたたまれない。ちらと伺った男の横顔は、既に新聞記事に没頭してしまっているようだった。すみませんと声を掛け、カウンターの内側で顔を上げた店主に注文を伝える。
    「カツカレーと……カフェラテの、アイスで」
     さらさらと伝票に書き付けておいて、少々お待ちください――と店主は微笑んだ。きれいに盛り付けたサンドイッチとカレー、飲み物を盆に乗せて、窓際の席へと向かう。
     改めて見渡してみれば、カフェと呼ぶよりは古式ゆかしく喫茶店と称したい。そんな店だった。カウンターは年期の入ったつややかな飴色で、邪魔にならない場所にちいさな猫と鳥の置物が置かれている。暫くぐるぐると周囲を見回した後、さすがに手持ち無沙汰になって、ロイドは鞄を開けた。書店のカバーが付いたままの文庫本を取り出し、栞のある頁を開く。
     先月参考書を買いに行くと云うナタに付き合った際、久々に小説でも――と思い立ち、何となく手に取ったものだった。ひと息に読んでしまう程の纏まった時間は取れないから、隙間を見つけては少しずつ進めるようにしている。
     内容は言うなれば伝奇小説で、民俗学者の女と物理学者の男が因習深い辺境の村で奇妙な事件に巻き込まれる――と云うものだ。畑違いの主人公二人の噛み合わない掛け合いがユーモラスで、一切恋愛関係に発展しなさそうなところが逆に面白い。面白くは――ある。
     ただ。「読み終わったら僕にも貸してくださいね」とナタには言われたが、正直いつになるか判らない。
     舞台設定に臨場感があると云えば聞こえはいいものの、とにかく描写が細かい。未だ現地取材でもしているのかと疑いたくなる詳細さは、今日日のライト層にはあまり受けないだろう。だからなのかシリーズは既に数冊刊行されているようだが、特に話題になっている訳ではなさそうだ。
    「――お待たせしました。カツカレーと、アイスカフェラテです」
     白い陶器の器と、グラスが並べられてゆく。会話シーンの一区切りしか進まなかった小説を鞄に戻し、視線を上げると、天空の色を映したような店主の双眸と視線が出会った。
    「ごゆっくり」
     一礼してこちらに向けた背中は姿勢がよく、どこかしんとしている。容姿が際だっているからか、それとも色彩の所為なのか、少し謎めいた気配すら感じる男だった。
    「……いただきます」
     誰にともなく呟き、スプーンを取り上げる。掬い上げ口に押し込んだカレーは、尖り過ぎないスパイスの辛味とフルーツのような甘味が溶け合っていて、驚く程美味い。常連らしい客の言うことを、素直に聞いておいたのは正解だった。見るともなしに上げた視線が、ちょうどこちらへと向けられた氷色のそれと出会う。一応言及しておくべきだろうかと考え、美味しいです――と言えば、そうでしょうと男は微笑んだ。
     全てを平らげ終えひと息を吐くと、すっかり汗をかいてしまったカフェラテのグラスを漸く取り上げる。少し薄まってしまったミルクの裏側には、それでもエスプレッソの香りと味わいがしっかりと感じられた。水滴のついたコースターを指先で拭えば、材質はどうやらレザーのようだった。店主のこだわりが察せられる食器や小物類と、カウンターに置かれた――釣りをする猫の置物が、ややそぐわない。
     ちょこんと腰を下ろして釣り糸を垂れる木彫りの白猫の隣に、手元を覗き込むように配置された鳥。何かの意味合いがあるのか、単にそれらしく置いてあるだけなのかは判らないが、不思議と関心を惹かれる。ストローを銜えたまま暫し眺めていると、隣の男が身じろぐ気配がした。
    「……お好きですか」
    「……え? 何が、です」
    「猫が」
    「猫は――」
     好きだ。間違いなく。
    「ここのマスターさんもお好きなんですね。きっと」
    「そう――なんでしょうね」
     自分から話を振っておいて、男の返答は曖昧だった。それきり会話は途切れ、座りの悪い沈黙に耐えかねて、ロイドは正面へと視線を戻した。釣り糸を垂れる猫は、思った以上に暢気な表情をしている。
     猫は好きだが、釣りは苦手だ。
     昨年だったかーー同僚に誘われたついでに、ナタを連れて行ってやったことがある。自分の釣り針にだけ何もかからぬことにも閉口したが、バケツいっぱいの釣果を上げる結果になった年下の恋人が、どこか申し訳なさそうにしていたことがますますいたたまれなかった。次はリベンジしてやるからな、と負け惜しみを言ったものの、向き不向きの問題であるならもはやどうしようもないし、そもそも次はないかもしれない。
    「――ご馳走様でした」
     空になったグラスを置き、鞄を取り上げる。伝票を手にしてレジに立った店主に、美味しかったですとロイドは声を掛けた。
    「また、来ます」
    「――お待ちしております」
     店主のやわらかな声に送られ、今度は二人で来ることを決めて、扉を潜る。すみません、という声を聞いて顔を上げると、ちょうど入店しようとしたところの二人連れがいた。
    「あ――どうぞ、お先に」
     脇へどいてくれた青年が人好きのする顔でにこりと笑い、連れの――体格のいい男が頭を下げる。スポーツか何かで鍛えているものか、厚い胸板の上でシャツのボタンがはち切れそうだ。吸い寄せられそうになった視線を慌てて逸らせ、会釈をして通り過ぎる。
     入れ替わりに店内へと足を踏み入れる――不思議な取り合わせの二人を見送って、ロイドは歩き出した。
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