恋の形見「先生の先生って、どんな人だったの……?」
水面に映る炎のゆらめきを見つめていた少女が、ふと顔を上げた。陽に灼けた健康な面差しが、父親によく似ている。
「……きみのお父さんは、何て」
「優しくて、強い人だったって」
「なら、きっとそうだったんだ」
「先生は、どう思うの?」
大きな栗色の目の真っ直ぐな眼差しを曖昧な微笑みで受け止めて、そうして、ナタは焚き木を拾い上げた。炎が勢いを増し、砂漠の乾いた風に攫われた火の粉がふわりと舞い上がる。
「……優しくて、強い人だったよ」
「みんな、それしか言うことないみたい」
不満げに唇を尖らせて、少女は空を仰いだ。豊穣期特有の澄んだ大気を通して、無数の宝石のような星々が瞬いている。
「先生の先生も、守人の里の人だった?」
「……いや」
「じゃあ、『西』から来たのね」
胸底を塞ぐものを吐息と共に吐き出して、判らないよ、とナタは呟いた。優しくて、強い人だった。そして、遠い人だった。その手の温かさも、やわらかな声もーー傍に在った数年間すら、振り返れば夢に過ぎなかったのだとすら思える程に。
何も、知らなかったのだ。
あの頃の自分は子供で、どうしようもなく幼く、守られてばかりいることがいつしか歯痒く、しなやかでいて強靭なあの背中を、ただ無我夢中に追いかけることしかできなかった。その感情に与えられる名前があったことになど、気付きさえしなかった。
「また食事にご招待したいって、お父さん、ずっと言ってるわ。ノノおばさんも」
「……そう」
「……いつか、帰ってきてくれる?」
振り広げたなめらかな天鵞絨にも似た夜空を見上げ、判らない、とナタは言った。手を伸ばし、指先で掻いた砂は仄かに温かく、同じ場所に並んで座したいつかの夜を思い出す。
「会いたいとーー思う?」
焚き火の爆ぜる音。夜の匂い。風の声。炎を見つめる静謐な眼差しと、その横顔。
「……もう寝なさい。夜が明けたらすぐに出立だよ」
立ち上がり、促すと、問いに対する答えのないことにやや不服げな表情を浮かべながらも、少女は素直に従った。砂を踏み、歩み寄ったテントの脇で、一度振り返る。
「ねえ、先生」
「何だい」
「火の番、交代制にしない?」
「……三年後くらいにはね」
また子供扱いする、と頰を膨らませた少女の背中が天幕の向こう側に消え、程なくして灯りが落とされた。
『鳥の隊』のハンターが姿を消した時、親しかった筈の者たちの間に不思議と動揺はなかった。空を舞う鳥がひとつ所に止まらぬように、新たな地へと飛び去ったのだと言う者もいた。突然の別れを呑み込めぬまま、漸く名を知ることができた感情と共に引き摺り続けるのは、だから、きっと自分だけなのだろう。
厚い毛織りの肩掛けを胸の前に掻き合わせて、ナタは、引き寄せた大剣を抱え込む。夜闇に輝く白刃は、かつては孤影と呼ばれた生き物だった。一度は憎み追い求め、いつしか自らを重ね合わせもしたそれは、今は数多の命を守るためのよすがであり、そしてーー優しく強かった人が残してくれた、ただ一つの形あるものだった。