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    ここの

    @coro_ze31989

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    都合の良い男(蜘蛛ケー)



    「ねえ土蜘蛛、もう寝ようよお」

     ケータは重たい瞼を擦りながら、文机に向かう恋人にしびれを切らしてそう声をかけた。掛時計が鐘の音をぼんぼんと十回鳴らしてから大分経つ。ここが自分の部屋であったなら、そろそろ寝なさいと母にベッドへ追い立てられる頃合いだった。
     蝋燭の揺れる光が浮かび上がらせた彼の影は、本を手に持つ格好のまま動こうとしない。焦れたケータはもう一度「ねえってば」と急かす意図で声をかけた。

    「……まあ待て、あと少し読めば切りが良いところなのだ……」

     ようやく返ってきた返事はあからさまに上の空の様子だった。ケータは少々わざとらしく溜息をついた。妖魔界一の頑固な彼のことだ。この様子ではきっと丸々一冊を読み終わるまで腰を上げないに違いない。
     ケータは頬を膨らませて恋人の背中を睨んだ。せっかく泊まりに来ているのに、一人で布団に入るだなんて非常に面白くない。かと言って彼の重い腰を無理やりに持ち上げるのは自分では不可能だ。なんとか彼がその気になって、自分から動いてくれるといいんだけど——
     そこまで考えてケータははたとある案を思いついた。そうだ、彼自身をその気にして動かせばいいんだ。ほくそ笑んでそうっと彼の背後に近寄る。「あのさ、土蜘蛛」とにやけそうになる口元を何とか抑えて呼びかける。「どうした」とこちらを見ないまま返す頬へ——ケータは出し抜けにちゅっと唇を落としてやった。
     一拍の沈黙ののち、土蜘蛛は光速もかくやという早さでこちらを向いた。ありありと驚愕を浮かべた男前へ、ケータはにんまりと笑いかけた。

    「おやすみのチューしたんだから、今日はもう寝ないとね?」

     眼前の恋人は目を見開いたまま硬直している。その様子を見たケータはますますおかしくてたまらなくなった。
     これはケータが幼い頃、いつまでも布団に入らない息子に手を焼いた母が編み出したやり方だった。母が世界の中心だった幼い頃は、これをされると嬉しくてはしゃぎながらベッドに入ったものである。もう少し成長してからは、母の過剰なスキンシップが照れ臭くてベッドの中へ逃げ込むのだ。お年頃になった今ではこうやって就寝を促されることはなくなったけれど、有効な一手としてケータの記憶にはずっと焼き付いていたのである。
     しばらくの沈黙ののち、正気を取り戻したらしい土蜘蛛は静かに本を閉じた。

    「そうだな……お主がそう言うのであれば、そろそろ寝るとするか」

     言いながら土蜘蛛が立ち上がる。ようやく素直になった恋人に、ケータははしゃぐ気持ちを抑えきれなかった。彼よりも先に布団へ潜り込んで「ここ! 早く!」と隣を叩く。への字に結んだ彼の口元に思わずといった様子で笑みが浮かんだ。ケータにはそれが嬉しくてならなかった。布団に入った彼の胸元に甘えの気持ちを込めて頬を擦り寄せた。





     それから幾日も経った夜のこと。ケータは土蜘蛛の広い屋敷の中の一室の襖を開けるなり「まだ飲んでんの」と驚愕に叫んだ。
     部屋の中には屋敷の主人である土蜘蛛の他、もうひとりの大将である大ガマの姿がある。また彼らの親類である女郎蜘蛛と大やもりの姿もあった。部屋の中央のテーブルには何本もの徳利とつまみの皿が端まで並べられている。全員の手の中にまだ酒が残った盃がある。ケータは大いに憤慨した。ずかずかと部屋の中へ入って行く。土蜘蛛の元へと一直線に歩み寄って、顔にあまり酒気を感じない恋人の肩を揺さぶった。

    「すぐ終わる宴会だって言ったじゃん! オレずっと待ってたんですけど。もう眠いんだけど!」

     土蜘蛛は揺さぶられるに任せたまま、神妙な顔で頷いた。ケータの方へ盃を向けて口を開く。

    「心配するな、そろそろ切り上げる。見よ、もうほとんど残っておらぬであろう」
    「そっちに持ってる徳利は何?」
    「……なに、この程度すぐ飲み終わる」
    「そういう問題じゃないでしょっ」

     ケータは遠慮なく土蜘蛛と痴話喧嘩を繰り広げた。この屋敷で暮らしている女郎蜘蛛にはもう見慣れた光景であるらしく、まったく気にしない様子で盃を煽っている。大ガマにとっても似たようなものらしい。「よくやるわ」と呆れたような呟きが一つ飛んできただけの反応だった。ただひとり、ほとんど外に出ない大やもりだけは違った受け止め方をしたらしく、そわそわと落ち着きのない様子を見せた。「席外した方がよくないか……?」とひそひそ言うのがケータの耳にも届いた。

    「気にすんな。こいつらしょっちゅうこんな事してイチャイチャしてんだから。放っときゃいいんだよ」
    「この程度で狼狽えていたら元祖ではやっていけないわよ」
    「いや今は本家なんで……いいならいいんだけど……」

     大やもりの身の置き場のない様子を視界の端に捉えて、早く寝室へ恋人を連れて引っ込まなければ、というケータの気持ちはますます強まった。「ねえ、もう寝ようってば!」と再度彼を急かした。

    「……そうまでして吾輩を床へ連れて行きたいのであれば、相応の頼み方があるのではないか?」

     突然、盃を飲み干した土蜘蛛がそんなことを言い出した。ケータは目を丸くしたのちに、彼の意図を察知してじっとりと目を細めた。

    「……皆見てるじゃん。嫌だけど」
    「そうか。ならば心苦しいが、もう暫し待たせることになるな」

     土蜘蛛はいけしゃあしゃあとそんなことを言いながら、もう片手に持った徳利を盃へ傾けようとする。ケータは慌てて「わかったよ、やるってば!」と彼を制した。
     涼しい表情のまま差し出された土蜘蛛の頬を、ケータは半ば睨むように見詰めた。彼は妖怪たちの間でも頑固の堅物として通る男である。海の向こうからやって来た新しいものや習慣にほとんど馴染まない妖怪なのに、なぜこうも都合のいい時だけ衆評を返上するのだろうか——ケータは恨みがましく思いながら目を閉じた。周りが目を逸らしてくれることを祈りながら、えいと一息に唇を彼の頬へ押し付けた。
     女郎蜘蛛と大ガマはノーリアクションである。ただひとり、大やもりだけはきゃっと乙女のような悲鳴を漏らした。
     ケータがそっと唇を離した時、土蜘蛛の横顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。彼は徳利をテーブルへ置いてすんなりと立ち上がり、部屋の面々を見渡した。

    「聞いての通りだ。吾輩は先に休ませてもらうぞ」

     女郎蜘蛛が「はいはい、お休みなさい」と返した。大ガマが心底からどうでも良さそうにひらりと手を振る。大やもりは呆然として反応する余裕もなさそうだ。ケータは顔から火が出るような思いだった。おやすみ、とやっとの思いでぼそぼそと挨拶を残して部屋を後にした。
     廊下へ出て襖を閉めた瞬間、ケータはすぐさま土蜘蛛の脇腹を小突いた。都合のよいことばかりちゃっかりと覚えている恋人に、恥をかかされた恨みを込めて——「何をするのだ」と白々しく言うのが小憎らしくてならなかった。
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