きっと槍が降る(付き合っているガマケー)
どんよりと曇った空。吹き抜ける生ぬるい風。いつにも増して元気に跳ねる寝癖——梅雨の最盛期である。大ガマの邸宅の居間から眺める庭には、ざあざあと音を立てて雨が降り続いている。居間に集まる妖怪たちの談笑すらかき消すほどの降り方だ。ケータは恨めしさを募らせた。「そんなに睨んだって止まねえよ」と隣に座る大ガマが揶揄うように言った。
「……せっかくのデートだったのに」
「オレもたしかに残念だけどよ、また今度行けばいいだろ? 来週ぐらいには梅雨も明けるだろうからよ、ふたりでプールに行こう。揃いの水着にしてさ。きっと楽しいぜ」
唇を尖らせる恋人を元気付けるように大ガマが言葉を重ねる。それでも尚ケータの気分が晴れることはなかった。
ケータは体を捻って壁にかかった時計を見た。十一時を少し過ぎた頃合いである。本来の予定通りの休日であったなら、今頃どこかのカフェにでも入って恋人とのひとときを楽しんでいる頃合いだっただろう。ずっと前から楽しみにしていた予定への未練が少年の不機嫌を加速させた。
とはいえ、予定が当日になってキャンセルされることはこれが初めてではなかった。妖怪たちの大将を務める大ガマは、その腕に抱えたいろんな責任によって——大抵はケータを優先してくれるのでごく稀にだけれど——どうしても約束を守れないことがある。ケータだってそれは承知の上だし、あまり気にしないようにしている。
しかし、今日のような状況下ではなかなか気持ちを切り替えられないのも仕方がないだろう。日曜日というのに早起きをして、普段よりも手強い寝癖と格闘し、さあ行くぞと張り切って家を出た瞬間にぽつぽつと降り始めたのだから……。
あーあ、と溜息をついてケータは体を後へ倒した。逆さまの視界に各々自由にくつろぐ妖怪たちの姿が映る。同じ部屋に大将がいるというのに、誰も畏まったり恐縮したりという様子はない。本家らしいほどよい緩さがケータは好きだけれども、こんなにもどんよりとした心中を抱えていては、いつものようにリラックスする気分にはなれなかった。
「オレ、梅雨嫌いだな。暑いし、ずっと雨だし……」
不機嫌が季節への不平となってケータの唇を滑り出た。言ったところでこの雨が止んでくれるはずもないのだけれど、どうしても言わなければ気が済まないのだった。
「……オレも最近は梅雨あんまり好きじゃねえな」
瞬間、妖怪たちの談笑が止まった。子供たちの相手をしていたヒライ神が驚愕を顔へ浮かべている。本を読んでいたえんらえんらが顔を上げた。他の妖怪たちも一様に目を見開いている。視線の先は皆同じ、本家の大将そのひとであった。ケータも跳ね起きて彼を見た。たしかに彼の声色で紡がれた言葉だったけれど、内容があまりにも信じがたかった。
大ガマは蛙の妖怪である。空気が湿気っていれば湿気っているほど元気になる性質だった。昨年の今頃の時期だって、いつ顔を合わせても元気いっぱい溌剌の様子だったはずだ。湿度と高温に滅入っていたケータとはまるで正反対であったからよく覚えている。その彼がこんなことを言い出すだなんて。ケータは恐る恐る「どうして?」と尋ねた。
大ガマが唇を尖らせる。たまに知らない人間から異性に間違われることもあるほどの美形が、先程のケータのように子供じみた表情を浮かべた。だってよお、と彼は言葉を続けた。
「ケータが元気なくなっちまうだろ。寒くなくて湿気ってて居心地はいいけどさ、それじゃつまんねえよ」
——この瞬間、きっとケータのキュン玉はぽろりと落ちただろう。そうなの、と返す口元がにやける。自分よりもずっと年上で格好いいはずの恋人の言い草が健気で仕方がなかった。視界の端に映る妖怪たちがやれやれと呆れたように視線を逸らしたけれど、今のケータには都合がよかった。恋人に寄り添うところをまじまじと見られなくて済むからだ。
ケータは大ガマの逞しい二の腕へともたれかかった。頬に触れる彼の肌はひんやりとしている。「急にどうしたんだよ」と彼には笑われたけれど、言葉で説明するのはやめておくことにした。