ファウヒス『ビール』 男が持ってもズッシリとした重さを感じるであろう大きなビールジョッキを軽々と持ち上げたファウストは、水を飲んでるかのようなノリでグビグビと飲み始めた。
瞬きしている間にもあっという間に空になりそうな勢いでどんどん量が減っていく様子をヒースクリフはポカンとした顔で眺めることしか出来なかった。
数分も経たないうちにあっという間に空になったジョッキをテーブルに置いたファウストは、口の端についた泡をハンカチで拭いとる。
そして澄ました目で相手を見つめる。その目つきはどこか優越感に浸っていた。
「…子供舌のヒースクリフにはさぞ出来ないことでしょう」
「……あぁ?」
大きなジョッキに注がれたビールを一気に飲み干すことは出来ないだろう、と遠回しに挑発された気がしてカチンときた。
「誰が出来ないだって?」
「協会で飲んでいる時でも缶ビールにあまり手を出していなかった記憶がありましたので、てっきりビールを好んでいないのかとファウストは解釈しているだけです」
「でも仕方ない話です、チューハイやカクテルといった甘い酒を好むということはビールのような、ただ苦味の強い酒に自ら挑む必要も度胸もないということも…」
「飲めるよこの野郎」
ジョッキ一杯分を飲み干したと思いきや、急に挑発的な口調で語りかけてきたファウストにヒースクリフは真っ赤になった顔で噛み付く。
酔っ払いたちで賑わう酒場に響き渡るぐらいの怒声を浴びされてなおも、薄青色の瞳をゆっくり細めるだけで特に効いてないと言いたげに店員へ追加注文する彼女の態度がますます恥をかかせた。
「あのなぁ!俺だって飲めるよ!」
「…それはすごいことですね」
なんとなく口角が持ち上がったように見える。
それは、一人で出来るとごねる子供を温かい目で見守る年上に近い目つきなのを直感で察したヒースクリフは、思いっきり頭をかきむしりたい衝動にかられかける。
「俺もコイツと同じデカいのを」
あぁ挑発に乗ったな、と似たような目つきを店員からも向けられていることにも気づいていないヒースクリフは、毛を逆立たせた野良猫のような表情でファウストに威嚇していた。
ドンッ、ドンッ、とテンポの良いリズムでビールが注がれたジョッキがテーブルに置かれる。
相変わらず重量感を感じさせる置かれ方の拍子に白い泡がぷかりと揺れる。
ガラスの表面に浮いた水滴が清涼感を強めている。
姐さんが持っていたのもあるが、よく見てもデカイな…。
と予想以上の大きさにヒースクリフは圧されかける。
好物は大きければ大きいほど幸せだが、ビールは好物じゃないどころが彼女の言う通り、手を出してきた経験は無いに等しいほど乏しい方だ。どちらかと言えば苦手意識がある。
またも水を飲んでいるかのようにグビグビと飲みだしたファウストに焦ったヒースクリフは、いよいよジョッキの取っ手を掴んだ勢いで口へと傾けた。
巣にあるカフェで飲んだコーヒーとは違うタイプの苦味が舌全体に広がる。
例えで言うとピーマンなど野菜をかじった時に似た”まずい”に近い不快さが込み上がり、ヒースクリフは思わず顔をしかめた。
不覚にも眉間に寄せた皺が更に深まった瞬間をファウストに見られてしまい、フフンと鼻を鳴らしたような音が聞こえた気がした。
「これ以上は難しいと判断されましたら遠慮なく中断してもいいですよ、残りはファウストは処理しときますから」
「うぐっ…む、無理なんて誰がっ…!」
本音を言うとしたら、いつもの飲み慣れたジンやウィスキーに今すぐ移って、気持ち良く酔っ払いたいところだ。わざわざ苦い酒を飲んでまで酔っ払う気にはなれない。
だが、目の前にいる彼女がさも美味しそうにビールを飲み干しておいて、自分だけが飲めなかったオチはプライドが許さなかった。
「アレだよ、姐さんが勧めてきたビールは初めて飲む奴でビックリしたっつーか…」
「…ファウストの目線ではヒースクリフが勝手に注文したように見えますが」
「とにかくっ!」
図星を突かれたのをごまかすように、ヴルストをフォークで刺してからかぶりつく。
パリッと耳触りの良い音を奏でて皮が裂けたと同時に、じゅわっと肉汁が溢れた。
断面図に直接、口付けたら無限に吸えそうなぐらい濃い肉汁が舌に残るビール特有の苦味を洗い流してくれた気がしてヒースクリフは目を丸くした。
あえて荒く挽いた肉は大変噛みごたえがあり、咀嚼すればするほど肉汁が溢れ続ける。ペッパー系のピリッとした香辛料が舌を刺激してくるせいで唾液も口内に溢れる。
仕事終わりで疲れているからこそ、この味の濃い食べ物がますます美味しく感じる。
半分ほど咀嚼した後、何を思ったのか再びビールジョッキへ手を伸ばす。
ヴルストで味わった幸福感が薄れていないうちに豪快にビールを煽ると、今度は苦味による不快さよりも肉汁で熱くなった口内を涼しくしてくれる気持ち良さが上回ったのにヒースクリフはうっとりと目を細めた。
ペッパー系の塩辛さをビールが喉奥へ押しやってくれたおかげで、綺麗さっぱりなくなった状態で再び食事を楽しめる。
ジャッキから口を離した瞬間、ぷぱー!と自然とこの声が出た。
あぁ、これが幸せなんだ!と口の端についた泡を袖で拭っている途中、ファウストからの視線に気づいた。
いつの間にか三杯目のビールを受け取っていたにも関わらず、ジッと見つめてきているのに気づいたヒースクリフは、ハッと我に返る。
「な…何見てんだっ!」
「いえ、とても幸せそうでしたので」
「…美味いのは事実だからな」
全力で気を抜いてた姿を隅々まで見られてしまった恥ずかしさもあり、プイッと俯くように顔をそらす。ビールの酔いとは違う熱が耳に集中してしまっている気がした。
「イケる口でしたら、ファウストが満足するその時までお付き合いすることも可能だと判断しても?」
それはファウストが完全に酔っ払う時まで自分もビールを注文することを意味していた。
既に三杯目へ手を出している彼女にヒースクリフは思わず口をつぐみかけたが、尻尾を巻いて逃げては後でネタにされるに違いない。
「上等だよ、後で肩を貸してもらう羽目になっても知らねぇからな」
せめての強がりとして精一杯の憎まれ口を叩くも、いつもの澄ました顔でビールを飲まれる。
結局、足取りがおぼつかなくなるぐらいに何杯もビールを飲んだうえファウストに支えてもらいながら帰路を辿った流れで、文字通りお持ち帰りされたのは別の話である。