Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    フカフカ

    うさぎの絵と、たまに文章を書くフカフカ

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 🐰 🐇 🍛
    POIPOI 20

    フカフカ

    ☆quiet follow

    K2 T先生と和久井くんが口紅を試す話/27階時代っぽい/CP要素ない/元は自分で描いた絵

    つくづく つくづく、と譲介は思った。
     目の前の師と、師が支度してきた化粧道具を見て思った。口紅が一つ、置いてある。口紅は、その容器がやや四角張った円筒形をしている。円筒の表面は黒で、あまり艶のない、しれっとした外見をしている。
     蓋はしっかと閉まっているが、こういう手のひらほどの円筒形のものといえば口紅と相場が決まっているし、そこから微かに香るものがあり、それがまたこれは口紅であると譲介に教えているので、疑いの余地はないように思った。
     疑わしいのは、師の考えの方だった。
     師は、医師である。それも、およそ日当たるところを闊歩するのには不適当な種類の、闇医者と謗られて当然のことを生業にする方の、医師である。
     彼は黒髪ゆたかな壮年の男で、ある時から譲介を手元に置いて暮らし、いろいろのことを譲介に教え、吹き込み、学ばせる。それで譲介は、男のことを師であると思うことにしている。
     師は、ドクターTETSUは、その実、譲介に対して明け透けというわけでもない。むしろ、秘密の多い男だった。しかも何かと突拍子のない面がある。
     譲介のことは何でも知り、調べ、時には譲介の口から聞き出しにかかるが、自分の手札は伏せる。それでいて、急なことを思いついたように譲介にいろいろのことを申し付けもする。
     これもその一種ではないか。譲介は思った。口紅のことだった。
     ドクターTETSUは今朝方、どこかからこの住宅へ帰り着いて、しばらく自室に引きこもって静かにしていた。かと思えば、昼も過ぎてから、リビングの窓から外を眺めていた譲介の背後に現れて「おい」などと言った。
     ドクターTETSUは譲介に「座れ」と指図し、思わずその場の床に膝をつこうかとした譲介を叱った。
     座れと言ったのなら、それは椅子に腰掛けろという意味だとぶちぶち言った。譲介は言われるがまま、食卓の椅子についた。
     そこで、ことり、とテーブル上へ黒く小さな円筒が転がり出てくるのを見た。ドクターTETSUの手の中からそれは出てきた。
     口紅。譲介は声に出さずにそう呟いた。
     正面に腰掛けた師は、テーブルに対して体を斜めにして、脚を組み、節の立った爪短き指先で、口紅のすぐ隣を、こつんと打った。
     これを一体どうする気であるのか、譲介には分からない。つくづく、よく分からない師だった。

     ドクターTETSUは、ゆっくりした手つきで口紅の蓋を開け、円筒の底を摘んで、譲介へ差し出してきた。
     昼の光が窓から差し込んで、ドクターTETSUの指先をあわく輝かせている。
     円筒の内を覗き込むと、中の紅の色が見えた。同時に、かすかに甘いような化粧品の香りが鼻に届く。濃い、赤色の紅だ。「紅」の名が最も似つかわしいような色。八重の椿の花弁にも似ている。
     譲介は目を上げ、ドクターTETSUの顔つきを伺った。
     頬高く、目の光の強い、大人の顔立ちがある。もはや見慣れた師の顔。父と偽るには歳が過ぎていて、しかし祖父などというのはもっと不自然な、己の師の顔。
     そこから感情を読むのは困難だった。その目に嘲りやはかりごとや、悪意がないことだけが分かった。
     譲介は師の指先から口紅を受け取り、たどたどしく中身を繰り出してみた。
     てろりと赤いものが、内側から伸びるように迫り出してくる。器の見かけ同様に、さらりとして艶の少ない紅。花の蜜のような香り。
     もう一度、師の顔を見る。師は、いまやほのかに笑んですらいる。何故、と思うが、問わずにおき、譲介はそのまま、繰り出した紅を指先にとった。
    「……あなたに塗りつければいいんですか。それとも、僕がこれを?」
     手元に目を落として、言った。朝から誰とも口をきかないで過ごしたせいか、声ががたついた。
    「試してみろ」
     ドクターTETSUは言った。
    「土産だ」
    「みやげ……」
     すなわちこれは誰ぞからの贈り物か、と譲介は合点した。ドクターTETSUは顧客の多い闇医者で、それもドクターの言い値で報酬を用意できるような人間ばかりが顧客リストを埋めている。その中には金銭とは別に、自らの命の恩人たるドクターTETSUに贈り物を受け取らせるものもいる。
     ドクターTETSUの帰宅の頃に開いている百貨店も化粧品小売店などもないことを考えれば、この口紅はそうした捧げ物として師の手の中に収まったのだと、理解できた。
     譲介は指図の通りに、指に取った紅を己の唇へと塗りつけた。鏡もなければ、化粧の経験もない。加減もわからないで、ともかく持って生まれた口元の輪郭をなぞった。唇が、たちまち油っぽい薄膜に覆われたようになる。
     ドクターTETSUはそれを見て「ふむ」とか「うん」のような声を出し、喉の奥でくつくつと笑い出した。それは何か、満足げな、愉快げな趣を含んだ笑い声だった。
     師の挙動をいよいよ判じかねるうち、ドクターTETSUは手を伸ばして譲介の手から口紅を奪い取り、同じように紅を少しだけ指先に取った。迷いない手つきで紅を自身の唇へ移し、その唇を歪めてまた笑った。
    「どうだ」
     かすかに赤が残る指先をひらりとさせて、譲介の師は言った。
    「似合ってますよ」
     譲介は心から言った。師の黒髪に、目の揺るぎない光に、高い頬の険しさに、椿めいた深く濃い赤はよく映えた。
    「それに、いくらか真っ当そうに見えます」
    「そうかい」
     古い楽器を唸らせたような声で、ドクターTETSUは言った。
    「お前には」
     言いながら、ドクターTETSUは、譲介の師は、またゆっくりと譲介へ手を伸ばして、かさついた指先で譲介の唇を、ぐい、と拭った。
    「まだ早かったか。もっと淡い色のが似合うな。お前は髪も明るいし、色が白いからな」
     そうですか、と譲介は言った。師の指先が己のおとがいに触れたままなのが不思議だった。ドクターTETSUの指先から、花の蜜のような香りがするのも不思議だった。
    「自分で買う時には、そうします」
     それがいい、とドクターTETSUは言った。
     
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💋💋💋👏💋💋💋💚
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works