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    フカフカ

    うさぎの絵と、たまに文章を書くフカフカ

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    フカフカ

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    K2 ▽ T先生+和久井くん▽自分はあなたの被造物ではないかもしれないが、それでも粘土のような自分に手を添えたのはあなたなのであってという話▽割とはじめの方っぽい二人▽初めて書いたのでなんか変

    サフラン 高みからならば何もかもが見通せるのではあるまいかとは所詮は幼さがもたらす拙い幻だっただろうか、と思った。
     和久井は自宅──ということになっている──マンションの一室の窓辺から外を眺めやった。白く明るい、昼の光が空を泳ぎ、地に突き刺さり、和久井の足元に忍び寄ってさざなみがごとくに揺れ動く。床を踏む足の先が温かい。
     大窓はどこまでも澄んで、曇り一片さえなく外界の様子を開け広げに和久井へ伝えてはくるが、もたらされる景色の中に人間の姿というものはなかった。
     空の近くからでは街ゆく人々の姿はあまりに小さく、呆気なく、高層階を止まり木にする和久井の目ではもはや捉えきれなかった。
     己の立ち位置が他より高ければ高いほど目が利くようになるとは、やはり空想に過ぎない、と和久井は足を後ろへ引いて身を翻した。鏡のように光る窓ガラスに、制服姿の己の姿が滲んだ残像となって映った。
     振り返った先で、がたり、と物音があった。和久井は少し怯んで部屋の左右に目を走らせ、それから己の反射的な緊張も、何か隠し忘れてはいないかと張り詰める警戒心も不要と悟ってその全てを投げ捨てた。
     脱力して立ちすくむ和久井の目の先で、奥からゆったりとした影が、滑るように現れた。
     影は部屋の突き当たりに和久井の姿を見て、少しばかり眉をあげ、それから口の端を歪めて見せた。片足に体重を寄せ、首を僅かに傾げて肩に降りた後ろ髪を背中へ流した。
    「何してる、こんな時間に」
     古い振子時計の鐘の音のように、その声は部屋の隅々まで行き渡り空気を揺らした。
     すでに制服姿の学生が街に繰り出していても不審はない頃合いだったが影――ドクターTETSU ――には和久井の様子が奇異だったのかも分からなかった。
    「……別に……、早かったですね」
    「近場でな」
     TETSUはソファへ座り込み、目線で和久井にも着席を促し、和久井はそれに気づかないふりをして窓辺に立ち続けた。
     晴れ間の太陽光が背中を温めている。自分の影が床を這い、この根城の主人の足元にまで伸びている。過剰に思えるほどの清潔さを常とする根城の床板に、己の影ばかりが灰色帯びた黒となって横たわるのをじっと見る。
     TETSUはソファへ深く身を預け、足を組みかえて「お前、土いじりは?」と言った。組んだ足の先がゆるく揺れ、床に張り付く和久井の影に触れたり、離れたりを繰り返す。和久井は姿勢を変えるついでに位置をずれて、TETSUの足先から己の分身を引き離した。
    「……依頼人は彫刻家だったはずでしょう」
     言うと、TETSUは唇を結んだままで短く笑った。TETSUの低めた笑い声がぞろぞろと耳をくすぐった。胸の底から湧く愉悦を喉で押し潰すようなそれに、嘲りや憐憫はなく、それどころかわずかにも、意表を突かれてそれその事自体を面白がるような余裕ある精神のざわめきが隠れていた。
     TETSUは笑い声を飲み込み、「陶芸も彫刻も同じようなもんじゃねえのか」と掠れて言った。誤りを誤りと知りながら子どもの前で口ずさんでみるその態度に、和久井は目を細める。
    「名前が別なんだから、中身も別なんでしょう」
    「名前が同じなら中身も同じか?」
    「…………」
     TETSUは愉快げに、しかしどこか苦い顔で片手を肩の高さに振って、やり取りの一時停止を示した。和久井は立ちすくんだまま、また己の影を見つめた。

     郊外に車を多少走らせたところ、とTETSUは予め和久井に聞かせていた。何らかの医療行為を、それも法外な存在に法外な見返りを約束して頼み込まなければならないような行為をTETSUは新たに引き受け、その大まかな行き先と、依頼主がそれなりに名のある彫刻家であることさえ和久井へ明かしてから出掛けていった。
     抜け目なく世を渡るTETSUの行動の全てには意味があり、意図があるように感じられるものの、己を随伴させるわけでもない依頼の一端を僅かにも覗かせていった理由も、帰還を果たしてなおそうした「ひけらかし」を続ける理由も、何もかも和久井には定かでなかった。
    「陶芸は経験がないので」
     やや置いてから、思考の浅瀬から返事を作る。嘘だった。顔の向きはそのままに目を上げる。
     窓辺から差し込む陽の光がTETSUを貫いている。黄金色の光の帯がその全身を照らし、覆い尽くそうとしている。
     和久井はぼんやりと、ある時見た、サフラン染めの絹織物を思い出した。
     それはさる染物屋の家の道楽者を秘密裏に「救って」得た見返りの付随品で、現金を詰めた容れ物の底にみっしりと敷いてあった。ただの敷布と考えるには嵩のあったそれをTETSUは和久井に回収させたあと、取り上げてどこぞへやってしまった。おそらくはいずれかの流通に乗って多少の金銭に変わったはずだった。
     目の裏に、美しく隙なく染め上げられた絹の滑らかさが蘇る。同時に、古い鐘のような声が。
     ――自分にとってそれそのものに価値があろうがなかろうが――サフラン色の織物を手にした和久井へ、TETSUは言った。
    「…………」
    「おい、――」
     ――自分にとってそれそのものに価値がなかろうが、それに価値を見る者がいると知っておくことが重要だ。
    「おい譲介」
     はた、と顔を上げる。ソファから腰を上げたドクターTETSUが、眉間に皺寄せて和久井をほとんど睨みつけている。
    「あ、……」
     温まった脳みそが「何か言え」と命令を下す。茹った意識はそれをまるで知らぬ言語による囁きのように無視する。硬直した肉体はただそこにあるだけで、和久井をドクターTETSUの眼差しから救ってはくれない。取り繕え、仮面を被れ、役割に埋没しろ、それが全く通用しえない無駄な足掻きだとしても、お前は他ならぬお前のためにそうしなければならない。
     目の前が翳った。床にあったはずの和久井の姿をした影は、より大きな影のうちに取り込まれて見えなくなった。眼前に、黒髪の人影が聳えている。力強いものが和久井の腕に食い込む。それは人の指の形をしている。TETSUが和久井の腕をとって握りしめ、有無を言わさずソファまで引きずった。
    「座れ、上着を脱げ」
     鉄の戒めが如き指が離れ、TETSUの目が和久井からパントリーへと移る。「自分で出来ます」少し陽光を浴びすぎたのかもしれない。けれど、それだけだ。
    「座れ」
     TETSUは繰り返し、和久井はやっとのことでその声に従った。つんと冷えた座面に身を預け、覚束なくも上着の袖から腕を抜く。瞬きのたびに光の屑が目の端を泳ぎ回って、目で追うドクターの後ろ姿を煌めかせる。サフラン色の輝き。
     ――自分にとってそれそのものに価値がなかろうが――差し出されたグラスをとって、口を付ける。ぬるい水が口腔を満たし、喉の奥を滑り落ちてじきに和久井そのものと混じりあう。
     ――それに価値を見るものがいる──自分自身に価値があろうが、きっとなかったとしても、そこから生まれるかもしれない何かに価値を見出す者がいる――知っている、そんなことは知っている。
     向かいのソファに座って背もたれに両腕預けたドクターTETSUが、これ見よがしに深く息をつき、足を組んだ。グラスを干した和久井が自らテーブル上のデカンタを取ろうとすると、素早く腕を伸ばして和久井の手を払いのけ、デカンタを奪った。
     グラスは満たされ、和久井がこれを干し、またグラスは満ちた。
    「……蘊蓄の途切れねえやつだった」
     依頼人を手短に形容するTETSUの口ぶりはごく平坦だった。
    「テメエの仕事にプライドのあるおしゃべりってのはいつでもそんなもんだ」
    「…………」
    「挙句、『先生は何か、物をお作りにはなりますか』と来る」
    「なんて答えたんですか」
     唇から言葉が溢れて、和久井の胸を濡らす。TETSUの片眉が上がる。
    「……なにも」
    「なにも?」
    「医者の仕事は言ってみりゃ繕うことで、無から有を作りはしない」
    「見え透いてる……お相手はそれで納得を?」
    「するさ、するとも」
     今度こそ嘲りを交えて短く笑い、TETSUは右手のひらで自らの膝を打った。
    「それが向こうの価値だからだ。無から有を生む『わたくし』と、有の修繕に明け暮れるばかりの『あなた』ってな」
    「…………」
    「もう一杯だけ飲んだらもう休め」
     『繕い物』の巧みな指がテーブル上のデカンタを指し示す。和久井は頷きついでに「そりゃあ、僕はあなたの被造物とも言えませんけれどね」と呟く。そのつもりはなかったのかもしれない。けれど言葉は声になり、声は空間を素早く駆け巡ってTETSUの耳朶にさえ触れたはずだった。
     夕日まじりの赤い光が部屋全体を染めにかかっている。燃える太陽の縁取りを受けて、TETSUの姿は際立って鮮明だった。その目の中に、同じように赤いかがり糸に縁取りされた己の姿が朧に映っている。果たして彼の双眸ならば、己には未だ見通すことの叶わないような、高みの景色を捉えることができるのか。
     TETSUはしばらく唇を引き結んで、それから内側からの圧を逃すようにゆっくりと息を吐いた。和久井は先手を打って、自ら口火を切った。両手に挟んだ空のグラスは温まっている。
    「陶芸って、うまく行った試しがなくて僕は嫌いなんです」
    「……やったことねえってのは嘘か」
     もちろん、と非難の目を見つめ返して続けた。
    「何度やり直しても、どれだけ気をつけて作業を始めても、最後にはひどくいびつに仕上がっていて手の施しようがない。添えた手の加減か、それとも工程全体に問題があるのか」
    「…………」
    「部屋に戻ります」
     グラスとデカンタを力づくで片手に収め、立ち上がった。少し高い位置から見つめるドクターTETSUの姿は、常と変わりなく不透明でなにをも見透かされない堅牢さを湛えている。
     キッチンで手早く洗い物を済ませ、自室の扉に手をかける。少しの未練と好奇心に動かされて振り返った先、TETSUは和久井を見るともせず、しかし律儀に片手をあげて、少し早い一日の終わりの挨拶を和久井へと送りつけている。

     
     
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