彼方、愛する星のひかり1
艦内に満ちた乗組員らの熱気は物理的な室温まで上昇させていた。狂熱とも言える士気の高まりをもたらしたのは外でもない、この戦艦の所有者、頭目たるメタナイトだ。
今やこの戦艦はプププランドの制圧のために飛ぶのではない。まれに飛来する侵略的外来種の排除が主たる目的だ。辺境、未開の星と踏んで襲来したものか、威嚇のみで去る者も多い。だが今回は派手な戦闘になった。運悪く、食料庫近くが被弾し発火。幸い人的被害はさほどでなかったものの、兵糧の不安は容易に全軍の動揺を惹起、隙に付け入られ瞬く間に戦況が悪化し始めたところで──メタナイトが打って出た。
最も激戦を極めた甲板に立ち自ら指揮を執る将軍を見れば、奮い立たぬ兵はない。少なくともこの戦艦の乗組員は、残らずそのような性質のものだ。波状に仕掛けてくる敵の第一波、第二波を薙ぎ払い、やや間があいたところでメタナイトは皆に向かって朗々と勝利を予告した。その弁舌に激励された兵たちは団結を誓い、闘志を滾らせ、そして着実に戦線を押し戻していった。
紫紺のマントを棚引かせ、風を切るように回廊を行くメタナイトに、駆け寄る者があった。セーラー帽を着けた船員ワドルディだ。
「メタナイト様! あのっ、すっごくかっこよかったです!」
あまりの率直な物言いにメタナイトは仮面の中で苦笑し、そうか、と答えて歩みを進める。船員ワドルディは嬉しそうにぴょこんと飛び上がって一礼すると、司令室へと駆け戻っていった。恐らく麾下の者たち──メタナイツと共に、通信設備を用いて一連の演説を艦内全域に届けていてくれたのだろう。
勝利を豪語するには未だ不確定要素が多すぎたが、多少の詭弁はのちの勝利をもって嘘から出たまこととするほかない。大胆に割り切らなければ兵の心を打つことはできない。その苦慮を知るのは己と、精々艦長くらいでよい。
緊張が疲労で弛緩する前に私室へ辿り着く。予期していたが、先に待つ者の気配があった。
「バル艦長。出迎え痛み入る」
「英雄の凱旋、お待ち申し上げた。わし一人の持成しでは力不足でしょうが、そこは御寛恕くだされ」
メタナイトは片手を挙げて略式の礼を行い、そのまま自席に身を沈める。革張りの冷たさが熱気にあてられた肌を包み、ほんの少し気が安らいだ。
「毎度のことながら、見事なものですな」
バル艦長が自室備え付けのモニタに目を遣りながら呟いた。艦内各所が映し出されたそこには、興奮冷めやらぬ乗組員らのひしめく姿がある。
「聞いていてくれたか? 噴き出さぬのに苦労しただろう」
リクライニングに思い切り身を任せ、仮面ごと仰向いて組んだ足先を机上に投げ出す。平生ならこんな振舞いをするはずもないが、綻びなく理想的な英雄像の堅苦しさに心身を嵌め込んだあとでは、かえって粗雑にしたくなるものだ。
「いいえまさか、滅相も。ただ少うしばかり、お疲れになって御帰還されるのだろうなと思いを馳せたまでです」
「君らしい感想だ。流石は現場の最高責任者。理解力と共感能力にすぐれ気遣いも一流、艦長の鑑だな」
「そうお褒めにあずかっては、皮肉を仰っておられるのかと勘繰ります」
「先刻、君も似たようなことを言ったのだぞ」
互いに力なく笑いながら、深く溜息を漏らす。戦況は好転したと言えるが、まだ予断を許さない段階だ。一度押し返した程度で易々と諦めるような敵ではないことは明白だった。
「まあ、まずは一服なすってください。菓子でも用意しましょう。休める時に休まねば。いま貴方がお倒れになっては、それこそ致命的に兵の士気に関わります」
手際よく茶葉を蒸すバル艦長の所作を眺めながら、メタナイトは再度深々と呼吸をして、それから姿勢をあらためた。私室とはいえ執務室も兼ねているため、居住まいを正せば緊張も適度に蘇る。
「士気は、今が最高潮だろうな。これ以上は私にも上げられまいよ。兵糧も尽きかけ、潤沢にあるのは腹の足しにならぬ嗜好品ばかり。選べるほどの選択肢はないが、さて、ここから先は艦長の仕事だ。この意味がわからぬ君ではなかろうが、念のため助言として申し添える」
バル艦長は盆に載せた茶器とラムの香る焼き菓子をメタナイトに供しながら、はっ、と了解のような笑うような声を発した。くれぐれも士気を下げるような真似をするな、このまま攻め切れという意図を、彼は誰よりも汲めるはずだとメタナイトはわかっている。それほどの信頼を身に受けているという重大さも併せて弁えているはずだ。
「また随分と無茶を仰る」
仮面をずらして紅茶を啜るメタナイトから目を逸らし、バル艦長は呆れたようにかぶりを振った。まったく人使いの荒い上司だ、わしもほかの部下らと同じようにそのカリスマ性で騙し続けてくれたらよかったのに、と聞こえよがしに独言するのを、メタナイトは愉快さを隠さずに遮る。
「この船が初めて沈没の危機に瀕したとき、誰よりも先に生き残ることを選んだのは君だったからな。その命汚さこそ艦長たる者に相応しい。ゆえに敬意を表して、私も君にだけは本音を曝そうと決めたのだ」
バル艦長は渋い顔でメタナイトに向き直り、溜息混じりに二杯目の紅茶を注いだ。淡い橙があの日の海を思い起こさせる。
「無論、ヘッドと艦長さえ生き残れば機体などいつかは再生できますからな。しかしわしにはどうにも過ぎたお役目のようだ、そろそろ暇を乞うても?」
「この哀れな頭を独りにするのか?」
ああ! とバル艦長が制帽を掴んで大仰に嘆く。
「本当に、ずるいおひとだ! メタナイト様は」
「君だって退任するつもりなど毛頭無いだろう? どの部下よりも──もしかすると私よりもこの船と共に生きることを愛している」
そこまで断言してやるとバル艦長は降参したように肩を落とし、ええ、然様、お見込みのとおりでございます、と言って二つ目の焼き菓子をメタナイトに差し出した。
「これは君の分では?」
「心服の証でございます」
何だそれは、とメタナイトは笑って温かな紅茶を口にした。ずっと張り詰めていた心が徐々にほどけてゆくのを感じる。
突如、轟音が響いた。すっかり休憩体制に入っていた思考が瞬時に警戒に切り替わる。
モニタを見る。艦内異常なし。甲板に猛煙。敵襲か? しかし自軍の兵はみな、煙を遠巻きに眺めるような位置で得物を構えている。事の成行きを見守っているかのような態度だ。まるでそこに近付けば巻添えを食らって吹き飛ばされかねない、とでも言うような。
その答えはすぐに判った。煙のさなかに桃色の球体。弾むように進み、進行方向の、恐らくは敵勢を片っ端から跳ね飛ばしてゆく。燃え盛る体当たり。ファイアか?
ああ、ああ、とバル艦長は気の抜けた声を二度も出した。
「あのとき沈めた張本人が、今度はまるで救世主とは。世の中一寸先は闇か、光か、ピンクのあくまか。何があったもんだか、真実わからんもんですな」
まったく同感だ──と言い掛けて、メタナイトは呆気にとられた顔を一瞬で引き締める。
「加勢する! このまま決着をつける」
言うが早いか愛剣を手にマントを翼に変え、駆け出したメタナイトに追いつける者などこの船にはいない。いや、この銀河にもそうはいないだろう。残されたバル艦長は両頬を軽く叩いて気合を入れ直し、全軍に猛攻を指示すべく司令室へと向かった。
炸裂音がする。が、着弾地点と思われる場所には煙以外何もない。ファイアカービィの体当たりが敵の攻撃を次々と打ち消していた。
翼を広げ甲板へと飛び出したメタナイトを見て、部下らは大いに沸き立った。歓声を上げて己の名を呼ぶ者たちにメタナイトは視線で応じる。自軍に勇将あり──その思いこそが彼らを生かすとメタナイトは知っている。
「助太刀、感謝する!」
上空から羽ばたきとともにそれだけを伝え、カービィが頷いたのを視界の端で捉えると、少し離れて背中合わせに降り立った。前を見据えたところで、装備に仕込んだ小型通信機が割れんばかりにけたたましく鳴る。
『右舷に空間の歪みを観測! ワームホールの出現を確認! 船影……! 敵艦、ワープしてきます!』
言われずとも、甲板の者らはみな状況を視認していた。本隊のお出ましか、とメタナイトは苦々しくその巨体を眺める。どうやらこれまでの戦闘は──あまり認めたくない事実ではあるが、ほんの前哨戦であったらしい。規模から見てそこらの海賊などではない。このポップスターへ、まさしく侵略、侵攻を為しに来た者どもだ。
『敵艦、急速接近! 回避不能! 衝撃に備えてください!』
ほとんどノイズ混じりの絶叫を耳に、メタナイトは床に剣を突き立て身を伏せる。ほどなく接舷。ハルバードが激しく振動する。乗組員らは各自船体にしがみつき、何とか空へと投げ出されぬよう耐えていた。
ようやく身を起こすと、接舷箇所から移乗が開始されているのが見える。列を成し無遠慮に愛機に踏み入る敵勢を一瞥し、メタナイトは怒りに燃えるより、かえって脳裏が冷えてゆくのを感じていた。
──拿捕、鹵獲しようなど、舐められたものだ。
呟いた口許には笑みすら浮かんでいたかもしれない。宝剣を構える。振り上げ、やや後方に引いた右腕に力と気を籠める。柄を握る拳が震え、刀身が燐光をもって応える。
前方、壁の如く押し寄せる敵に狙いを定める。短く息を吐き、全力で剣を振り抜けば大気裂く青い衝撃波が飛んだ。二度、三度。体幹の重心移動を利用し連続で繰り出す。防御姿勢を取る間もなく正面から食らった敵兵は、数列まとめて吹き飛ばされた。倒れ伏した者どもが再び立ち上がる気配はない。
メタナイトが更に進もうとしたとき、すぐ脇を水平の火柱が走り抜けた。炎の中心に見慣れた桃色。カービィだ。メタナイトが薙ぎ倒し、切り開いた道筋を、天駆ける火球のように猛然と突き進んでゆく。
頬を掠めた熱がメタナイトの胸に確かな希望を灯す。絶望に心を挫かれるのはまだ早い。この光とともに進むのなら。
「雑兵恐るるに足らず! このまま蹴散らし、敵艦内部へ突っ込む! お前たちの知るとおり、我々が揃えば銀河に敵うものなしだ!」
メタナイトは背後へ向き直り、高らかに剣を突き上げて自軍全軍に凱旋を誓う。半ば大言壮語ではあった。だがあとの半分は──本気だ。
「白兵戦では、そうでしょうな」
バル艦長はコンソールパネルの前で額を強く押さえる。
「ああ、この既視感。まるであの悪夢の再現だ」
「そして今回悪夢を見るのは我々ではない、ということだスな」
「それはあまりに我らに都合のいい夢ではないか?」
「だがあのお二人の力が揃えば、あるいは」
「カービィに中に入られちゃったら、船はおしまいだもんねー!」
船員ワドルディのやけに暢気な声が、司令室に詰めかけたメタナイツをほんの少しだけ和ませた。それを振り切るようにバル艦長が大声を上げる。
「ええい、とにかく! どのみちこうなってしまってはメタナイト様を止めることなど我々にはできん。信じて待つのみよ! あー、全艦通信、聞こえるか? 総員に告ぐ! 敵艦の抵抗に備え、各々の持ち場を死守しろ!」
メタナイト様の帰る場所を何としてもお守りするのだ! と一際大きく叫び終えて、バル艦長は通信を切った。
2
星の危難が去ること、またひとつ。
日常的、というほどでもないがしばしば滅びの危機に瀕する、しかしそれを除けばあくびが出るほど平和な国、プププランド。その大地に誂えられた専用の基地に、戦艦ハルバードは帰投した。
着艦してまもなく、手酷く傷つけられた船体に整備士らが群がった。我先にと殺到した彼らは満身創痍の戦闘員らへのねぎらいも程々に、ある者は甲板の傷を哀れんで涙し、ある者は向こう傷だと愛おしげに撫でた。そうして銘々が愛用の工具を手に、素早く修理に取り掛かった。つまり──常からこの基地には、そういう者らが待機している。
ここまで大きく破損したのも久々だ、彼らもやりがいがあるのだろう。活き活きとして作業に励む彼らを眺め、いつものように丁寧な仕事をしてくれるはずだ、とメタナイトは静かに頷く。バル艦長が隣で顎をさすった。
「相変わらず──船以外には微塵も興味のない連中ですな。我々がこうして視察しているというのに、気にする素振もないとは」
「適材適所というやつだな。それに、作業中はたとえ私が来訪しても手を止めるなと規律に定めたのは私だ」
メタナイトは数歩進み出てあちこちから響く修繕の音に耳を澄ませる。それらは踊るように、ドックの中を軽快に跳ねた。
「はあ、まあ、その規律も大変合理的で実にメタナイト様らしいのですが」
「虚礼は廃するに限る。さて、そろそろ物資の調達に出ていた部隊が戻る頃か」
時刻を確認する。帰り着いてから数刻は経っていた。現時点で最も優先して解決すべきは何を置いても食糧の問題だ。この基地内にもある程度の備蓄はあったが、疲弊しきった乗組員ら全員を満足させる量には到底及ばなかった。それに加えて、いま、ここには。
「クルーの分はともかく──あの御客人は底無しの胃袋。まして激戦の後ともなれば、果たして国中の食糧を集めても足りますかどうか」
バル艦長が長い溜め息をつく。それでも持て成さねばなぬ、という思いは確かにあるらしい。
「それではかの国主の二の舞いだな。今度は我々が彼らに討たれてしまう」
用意できた量で何とか満足してもらうとしよう──そう言いながら、メタナイトは巨大にふくらんだ大王がこの戦艦をぶらさげて飛行するさまを思い浮かべる。そっと笑うとバル艦長はほんの少し目尻を下げて、それから咳払いをした。
「部隊はわしらが出迎えます。メタナイト様は先にお休みになってください」
マキシムトマトは精神の疲れまでは癒やしてくれませんからな、と付け加えてバル艦長はメタナイトに向き直った。彼が唯一の上官に向かってこういう直接的な物言いをするのは、こればかりは譲らないという強い意思を表明するときだった。
「負傷した戦闘員は全員治療ののち休養を与えてあります。怪我のないものは引き続き事後処理にあたっておりますが、何より最前線から御帰還された貴方様こそ、もっとも身を休めるべきなのです。こればかりはなんと言われましても」
「譲らない、か。了解したとも」
「は、あ──?」
普段は二言三言食い下がるメタナイトが珍しく引いたためか、バル艦長は言葉の途中で頓狂な声をあげる。再度咳払いをして御理解くださいましたか、とわざとらしく厳めしい声色で言った。
「メタナイト様ぁー!」
愛嬌のある声がドック内に反響する。振り返れば船員ワドルディがこちらへ向かって走ってくるのが見えた。
「カービィさん、目が覚めたみたいですよっ」
そうか、とメタナイトが呟くように答えるとワドルディはにこりと笑んで一礼し、大きな帽子を取り落としそうにしながらまた駆けていった。ワドルディの背中を見送っていたバル艦長が、では、と仕切り直すように言った。
「夕餉の準備ができ次第お声掛けいたします。いや、お部屋にお持ちしたほうがよろしいですかな」
「そうだな──」
メタナイトはせわしく動き回る整備士たちを見る。彼らの作業の区切りは彼らにしかわからない。各種計画書、報告書等の書面上で理解した気にはなれるが、現場の者の都合は文字に表されたものが全てではない。呼吸を深めてみる。広大なドックに漂う、湿った土のような機械油の香りが胸に満ちる。
「応急対応はしばらく続くだろう。散発的な休息を必要とする者も多い。戦勝祝いの晩餐会は機を見て行うこととし、それまでは各々のタイミングで食事が取れるよう、食糧は配布、配膳方式での提供を検討してくれ」
「承知いたしました。そのように手配いたします」
メタナイトはいまは無人の艦橋を見上げる。
「自戒も込めてだが、形式張って休めと言っても聞かぬ者ばかりだからな。現場の判断、各自の自己管理に任せるとしよう。それから──特に戦闘員らは私の前で気負う者が多い。しばらく顔を見せぬほうが、みなも休まるだろう」
もちろん君もな、とメタナイトが付け加えるとバル艦長は否定せず黙礼で応えた。彼もまた、部下らの性質を熟知している。
基地内、私室。こちらも戦艦内部のそれと同様に執務室を兼ねていたが、更に奥には居室に相当する部屋があった。ささやかながら私邸とも呼べる場所ではあるが、しかしハルバードで過ごす時間のほうが圧倒的に長いメタナイトにとっては別荘のように感じられる。使われるのは今回のような大規模修繕の際だ。
主不在の間も清掃されていた室内は塵も埃もなく清潔だ。執務用のつややかな黒檀の机に艦内から持ち込んだ書類の束を置き、メタナイトは引出から鍵を取り出す。
私室入口のドアを軽く叩いて入室の意図を知らせ、解錠し、ドアノブに手を掛ける。バル艦長言うところの御客人──今回に限らず何度も星の危機を退けてきた桃色の英雄が、中で身を休めているはずだった。
「失礼する」
自室に向かってそのように言うのは奇妙な感じがしたが、臨時的に客間として用いているのだから致し方ない。部屋に半身を差し入れた時点で明るい声が返ってくるものと思い込んでいたが、しかし予想に反して返答はなかった。
訝しく思いながら後ろ手にそっとドアを閉め、習慣的に施錠する。部屋中央のソファには誰の姿もない。テーブルには空のティーカップ。そして同じく空になった菓子の包装紙が数枚だけ、遠慮がちに置いてあった。──いや、よく見れば同じ紙がテーブル脇の小さな屑籠に何十枚と詰め込まれている。
更に奥の間、寝室へと続くドアは開かれたままになっている。歩み寄り中の様子を窺えば、ベッドの上が半月型に隆起していた。シーツにくるまれたふくらみの頂点はすうすうと音を立てて上下している。
メタナイトは寝室に入りドアを閉める。ワドルディの報告どおり確かに一度は目覚めたようだ、と小さく安堵の溜息をついた。
──また窮地を助けられた。
安堵とともに忘れていた疲労が押し寄せ、メタナイトは目眩を感じてベッドの端に掛ける。可能な限り家具を減らして簡素な配置にこだわったため、この部屋にあるのはやや大きなつくりのベッドと、あとはサイドテーブルを兼ねたキャビネットくらいのものだった。
つい先程まで戦闘の只中にあったような気もするし、はるか遠くの思い出のような気もする。相変わらず天賦の才としか言いようのない鮮やかな動きで次々と敵艦内部を破壊、突破し、ついに彼らの首領まで打ち倒した桃色の英雄は、爆散する船からともに全力で退避したあと、エネルギー切れを起こしたかのように深く眠ってしまった。
前にもこのようなことがあった、きっとすぐに気が付くだろう、とひとまずハルバードの甲板に運んだが一向に目覚める様子がない。急ぎ呼び立てた船医はその柔らかな腹に触れて、ひどく冷たくなっている、と言った。船医とて我々のような球形の体を持つ種族の生態に通暁しているわけではない、そもそもメタナイトとてカービィと己の体の内部が真に同様のつくりであるのか確かめたことはないが──現にメタナイトはコピー能力を持たず、すいこみやホバリングも不可能だ──それでも、体の中心が冷えているというのは明らかに異常事態だった。船医は徐脈、除呼吸、低体温が見られます、おそらくは身体の活動レベルを下げてその分のエネルギーをすべて生命維持に回しているのでしょう、我々に出来ることはありません、と淡々と告げた。
メタナイトが努めて動揺を隠し、死に瀕しているのか、とはっきり問うと、船医もこれをきっぱりと否定した。眠りたいだけ眠らせておけば治るでしょう、と。やや暢気な物言いに、本当だろうな、とメタナイトは危うく船医に食ってかかるところだったが、衆目の前だと己に言い聞かせて辛うじて堪えた。船医に謝意を告げ、さて、いつ目覚めるともしれぬカービィをどこに運ぶか──思考を巡らせたとき考えついたのがここしかなかった、という経緯で、いまこのような事態になっている。
メタナイトは壁を向いたカービィの寝顔をそっと覗き込む。手をついた位置でベッドのスプリングが軋み、桃色の頬がわずかにこちらを向く。微笑んだような目許。小さく開いた口からは、甲板で聞いたようなごくゆっくりとしたものではない、通常の落ち着いた呼吸が感じられた。
少しだけためらったあと、メタナイトは右の手のグローブを外す。カービィの体の半分までを覆っていた肌掛けを足許までずらすと、まるで薄い飴細工に触れるように、こわごわとその腹部に触れた。
そこはとてもあたたかく、その奥は静かに、けれど確かに強く脈打っていた。
今度こそ深々と安堵の息を吐いて、メタナイトは布を元の位置まで戻しグローブを着け直す。そうしてカービィの足の先、邪魔にならぬ辺りに、装備もそのままに仰向けに倒れ込んだ。
仮面と脚甲が軽くぶつかり音を立てる。
──生きて、いる。
血の巡りを感じる。呼気が行きわたるのを感じる。閉じた目にも光を感じる。洗いたての布の香りがする。
五感のひとつひとつを味わいながら、メタナイトは手のひらに残るぬくもりに思いを馳せた。同時に、最初に抱え上げたときの氷のような冷たさにも。
失うかもしれなかった。その実感がいまなおメタナイトの背筋を寒くさせる。危機をともに乗り越えたことなど幾度もあった、それでも、この輝くような命の灯だけは決して消えないと思い込んでいた。どんなに傷ついても立ち上がる姿、凛々しい顔をして、またすぐに走り始めるその背を何度だって見てきたから。
今回もそうだ。限界を超え力を使い果たしていたなど、そば近くで戦っていた己にもまるで気取らせぬほどに。
メタナイトは緩慢な動きで身を起こす。仮面を外して傍らに置き、額に浮いた汗をグローブの側面で拭った。体は疲れ果てていたが情動の乱れが治まらない。このままでは到底休めそうになかった。
──気が緩んだ途端、これか。
己を戦艦の主たらしめる部下の姿も見えぬここでは、メタナイトは高潔たる統率者として振る舞う必要がない。ただの個として在るいま、ざわめく精神を宥め鎮めることすらままならぬ有様に自嘲の笑みが漏れた。民あっての王だ、と言った自称大王の声を思い出す。民が王を王と成すのだと。彼にとってのワドルディ、メタナイトにとっては──戦艦ハルバードのクルーたち。彼らを束ねるのは重責だ。しかしそれこそが、己の激情の手綱でもある。
水でも口にした方がいい、そう考えて仮面に手を伸ばしかけたとき、肌掛けがするりと動いた。寝返りを打って完全にこちらを向いた唇が言語にならぬ小さな音を発する。その声を、ひどく久し振りに聴いた気がした。
カービィ、と呟くように呼び掛ける。意図せず声が掠れる。返答はない。
もう一度、名を呼ぶ。
「カービィ。私は──」
君を、失いたくない。
至極単純で素直な思いが口をついて出た。
ことばにすれば胸の内で暴れていた様々な感情がひとつになり、明瞭な輪郭を得てそこへ綺麗に納まった。なぜ気付いてやれなかった、なぜ知らせてくれなかった、なぜこうなるまで戦い続けた、なぜ──頼ってくれなかった。後悔、焦燥、憤り、無力感、今更のように湧き起こるそれらの思いはすべてここに端を発している。
「──だが、君をとめられる者などいない。そうだろう?」
穏やかに眠る姿に問う。いや、問ですらない。口にすることで事実を確かめているだけだ。この小さな桃色の光は、ふわふわと生きているように見えてその実誰よりも自立している。助力を受け入れることはあっても、誰かに寄り掛かって生きるような者ではないことをメタナイトは知っている。
それはとてもうつくしい孤独だ、と思う。何も持たず、すべてを持っている。だから自由にどこまでも行ってしまう。放っておけばこの世すら未練を残さずに去ってしまいそうな旅人、その心の錨には──きっと誰もなれはしない。
「君が無事で、本当に良かった」
絞り出すようにそれだけを言い、メタナイトは仮面を着ける。ベッドから降りたとき、ふふ、という微かな笑い声が聞こえた。
「ありがとう。メタナイト」
羽根の落ちるような柔らかな声。驚いて振り向くと、深く青を湛えた双眸と目が合った。
「起きていたのか」
いつからだ、と問わぬうちにカービィはうーん、と唸って答える。
「キミがおなかにさわったときから」
ふわあ、と気の抜けた音を発しながら伸びをする桃色をしばし呆然と眺めたあと、メタナイトは我に返って弁明めいた声を上げる。
「いや、あれには訳が──」
「うん、ワドルディに聞いたよ。ぼく、すっごくつめたくなってたんだってね」
だから心配してくれたんでしょう? カービィは事もなげにそう言ってむくりと起き上がった。大きく開いた目は普段のものと何ら変わりなく、わずかな淀みもなく澄んで明け方の空を思わせた。
「──よく休めたようだな」
「うん! とっても気持ちよかった」
夢の中でおっきな手がぼくをなでなでしてくれたの、でも最後はもう行きなさいっていうみたいに夢から追い出されちゃって、気がついたらここにいて、ワドルディにお菓子をもらって食べて、またねむたくなって──矢継ぎ早に紡がれるカービィの話を上の空で聞いていたメタナイトは、堪えきれず遮って疑問を投げ掛ける。
「待て、目覚めていたならなぜ返事をしなかった?」
何度か名を呼んだはずだ。しかしカービィは応えなかった。それであんなことを口走ってしまったというのに。
「えっ? んーと──」
珍しく歯切れの悪い返答。カービィは少し視線を泳がせたあと、嘘はつけない、と観念したようにまっすぐにメタナイトを見た。
「なんだかキミの声、泣きそうだったから」
「な──!」
「寝たふりなんかしてごめんね! それからたくさん心配かけてごめん! もう大丈夫だから」
諸々の衝撃はあっけらかんと笑うカービィの前に有耶無耶にされてしまう。メタナイトは頭を振り、更に問う。
「本当に、心から、己の行いが悪かったと思っているのか?」
「えっ。それは──あんまり」
えへ、といたずらを咎められたこどものように舌を覗かせるカービィ。正直すぎるのも玉に瑕ではないだろうか、とメタナイトは思い切り溜め息をつく。
「そうだろうな。だが今回は本当に危なかった」
「うん。ぼくもおどろいちゃった」
一転、神妙な顔つきに変わる。くるくると表情を変えるさまは見ていて飽きないが──いまはそのようなことを考えている場合ではない。
「予兆はなかったのか?」
よくわかんないんだよねえ、とカービィは言って頭の上と口許に手をやる。
「なんだかそわそわするなあ、って感じ?んんーでもそういうときってちょっと戻って休めばいつも何とかなってたから──こんなに眠ってたなんて、びっくりしちゃった」
どうやら本当に自覚できないらしい。視線を外し、そうか、とだけ答えると、カービィは足許の布を跳ねのけベッドから身を乗り出して主張した。
「でもほんとにもうなんともないよ、傷もぜんぶ治ってるし、元気だし! だけど、その──」
「どうした? やはり何か異変が?」
「ううん。すっごくおなかがすいちゃって。さっきのお菓子、もうないのかなあ? おいしかったなあ──」
きり、とした表情からすぐに目尻を下げて上目遣いに菓子を思うカービィを、メタナイトは毒気が抜かれるような思いで眺めた。尖っていた神経が丸められ、ゆるめられて、いま目を閉じたらこちらが寝込んでしまいそうだとぼんやりと思う。そうして先程の屑籠を思い出し、あの様子ではありったけ貪ったのだろうと推測する。
「おそらく、ない。ワドルディは君を相手に出し渋ったりはしないさ。食事は準備でき次第ここへ運ばれる手筈になっている。英雄の歓待に相応しいものをな。もうじきだろうから、それまで我慢してくれ」
カービィはやったあ! と声を張り上げたあと、ぽかんとした顔で言う。
「えいゆう? ってキミのこと?」
「冗談を言うな、君だ──礼が遅れたな。我が戦艦ハルバードへの救援及び共闘、並びに敵勢力の撃破、感謝する」
メタナイトは仮面の前に手を当て、身を屈めて敬意と謝意を示す。これは心からのものだ。
「やだなあ、そんなんじゃないよ。先に戦っててくれたのはキミでしょ。ぼくはダイナブレイドとおさんぽしてて、なんだか騒がしくてイヤなにおいがして、近づいてみたらあんなことになってて──あわててやっつけにいっただけ!」
「散歩のついでに死にかけたと言うのか?」
「そりゃあ──まあ、そうなっちゃったけど。なーんかメタナイト、ちくちくしてない?」
カービィのじっとりとした視線を受け、メタナイトは姿勢を直して同じ視線を返す。
「言わせてもらうが、君は少々向こう見ずだ」
「えーっ! それキミが言う?」
「私には計画があるか、または巻き込まれてやむを得ないか、あるいは緊急、不可抗力、そんなところだ」
「そうかなあ。そんなことないと思うけど」
カービィがそれ以上過去に言及する前に、ともかくだな、とメタナイトは話を戻す。
「君が君自身のことをどう思おうと、君はまぎれもなくこの星の英雄なのだ。あまり無茶な真似はしないでくれ」
「でも、本気で戦わなくちゃやっつけられないよ」
真摯なまなざしに、無論それはわかっている、と前置きしてメタナイトは語気を和らげる。
「どこへでも身ひとつで突っ込んで何とかしてしまうのが君の持ち味ではあるのだがな──取り返しのつかぬことになってからでは遅い。君を慕う者は大勢いるのだ。かけがえのないその身に何かあれば、みなが悲しむ」
小言めいた話を黙って聞いていたカービィは、メタナイトが最後まで言い終えたところで不意にふわりと微笑んだ。
「──キミも、ね」
その声色にメタナイトは思わず息を飲む。ことばの意図がどこにかかっているのか判別がつかない。
「それは──私にもそのような存在がいるだろう、自重せよ、という意味か?」
メタナイトはハルバードの格納されている方角に目を遣った。視野の隅でカービィがベッドの端に座り直す。
「そう思うなら、それでいいけど」
ねえ、メタナイト。
いつになく落ち着いた声で名を呼ばれ、メタナイトはカービィを見る。その唇は少し寂しげなかたちをしていた。
「ぼくもキミに無茶なコトはしてほしくないよ。だいすきで、だいじだもん。けどね、そう言ったって、キミの守りたいものが本当に危ないときには、キミだって同じことをするんでしょう?」
ぼくたちって全然似てないけどそっくりだもん、わかるよ、と言ってカービィは目を伏せた。口許は穏やかな笑みを浮かべている。メタナイトは返答もできず、ただカービィを見つめる。
「キミがさっき言ってたように、きっとぼくたち生き方を変えられない。戦ってみんなを──ううん、自分の思いを守るだけ」
言ってカービィはメタナイトを見据える。
「キミもぼくも、どこまでいっても、結局ひとりぼっちなんだと思う」
「カービィ──」
──ああ、そんなこと。君の口から聞かずとも、ずっと前からわかっていた。
メタナイトは青く輝く瞳を直視し、それからそっと目を閉じる。確かに、誰もが孤独だ。それでも、自己の成立に多少なりとも他者を必要とするメタナイトや他の者と異なり、カービィの孤独はやはり、飛び抜けて完成されている。すべてを懐に入れながら何色にも染まらぬその生き方は、それを何でもないことのように突き付けてくるそのさまは、すぐそばで見つめ続けるにはあまりにも、まばゆい。
再び目を開くと、カービィは花の咲くような笑顔を見せた。
「だけど! 次からはもっと気を付けるね! またキミを泣かせたくないもの」
「なっ──誰がいつ泣いていたと言うのだ! 誤った表現はよせ」
はしゃぐように笑うカービィに、メタナイトはこれ見よがしに溜息をついて背を向ける。
「とりあえず、何か飲み物でも用意しよう。腹の足しにはならないまでも少しは気が紛れるだろう。それから──差し出がましい忠告だったが、聞き届けてくれて嬉しく思う」
言い置いて寝室から出るメタナイトの背後から、はあい、ありがとねえ、と緊張感の欠片もない声がした。
3
鉄の両翼が風を裂く音がする。
メタナイトはハルバードの甲板に立っている。どこもかしこも輝くばかりに磨き上げられ、威容を取り戻した戦艦は、オレンジオーシャンから吹き付ける爽やかな潮風の中を低高度で航行していた。
完全に回復したカービィは、せっかくの機会だから基地内を探検したいと言い、数日滞在したのち帰っていった。方々から掻き集めた食料は予想以上に大量に消費されてしまったが、星を救った者への正当な報酬と思えば安いものだ。
それに、クルーの分を確保するのにはさほど苦労しなかった。使者を立て、正式なルートで大王に助力を乞えば、国の備蓄を──とは言っても実際には城内倉庫の保存食くらいのものだが──気前良く分けてもらえた。水くさいなどと言いながらも、かの大王はこうした手続きを好む。曰く民への示しがどうとか。メタナイトも組織における形式の重要さを理解しているため、どんなに付き合いが長くとも手順を踏むことを怠りはしなかった。自称といえど、そこには確かに王政がある。
「やはりここにいらしたのですな」
バル艦長の声に思考を中断し、背後を軽く振り返る。
「何事かあったか」
「いえ。呆れるほど平和そのものです」
やや後方に佇み眩しそうに水平線を眺める姿に、そうだろうな、と返してメタナイトは再び行く末に目を向けた。
「幸い、誰も欠けずに済みました」
「ああ──奇跡的にな」
そのようなこと、とバル艦長は咳払いに似た笑いを含んで言う。
「そこは私の力だ、と言い切ってくださらんと。この戦艦のヘッドたるメタナイト様には、常にそのくらい強気でいていただかなくては」
「君の前だ、許せ」
背を向けたままに言えば、バル艦長はやれやれ、と呟いて隣に立ち並ぶ。
「御命令ですかな。では、謹んで拝するとしましょう」
静かな声音を風の中に溶け込ませながら、バル艦長は休めの姿勢を取った。
「──もしあのまま助けがなかったら、と御自身の判断を悔いておいでで?」
メタナイトはふ、と笑って天を仰ぐ。
「悔いてはいない。が──助けがなくば全滅していただろうな。しかし、あれほどの敵であったからこそ天佑があったのだ、と今は思える」
「なるほど──かの悪魔を──いいえ、まさしくこの星の英雄を呼び寄せるほどの危機であったと」
「そういうことだ。私の力が及ばぬばかりに無理をさせてしまったがな──」
悔いると言うならその点のみだ、とメタナイトは密やかに言う。そうして基地から見送ったときの姿を思い浮かべた。いつもと何ら変わりなく、身を挺して戦っていたなどとは露ほども思えぬような軽快な足取りで去って行った、桃色の背中を。
我ながら勝手なものだ、と思う。かつて本気で剣を交えた。出会いは敵対、それから互いの信ずるもののために身命を賭したことさえある。揃って生きているのが不思議なほど激しく衝突してきた。けれど、いまはその無事を心から願っている。
いつしか胸に棲みついた小さなきらめきは大きく輝きを増していた。当然といえば当然であるのかもしれない。星の危機には必ず現れすべてを救う英雄は、メタナイト自身をも何度も救ってきたのだから。
メタナイトはバル艦長に指令する。
「低速、低高度での試験飛行を終了する。高度を上げよ。これよりポップスターを周航する」
「はっ、直ちに」
バル艦長は俊敏に敬礼し、一段と引き締まった表情を見せた。しかしその口許には隠しきれない喜びが浮かんでいる。やはりこのハルバードを飛ばすことに生を捧げているな、とメタナイトは心の内で笑んだ。
追って艦橋へ行く、と告げてメタナイトは独り甲板に残った。徐々に遠くなる海面を見る。城も木々も霞んでゆく。置き去りにされる風景の中に淡い緑の一点を見つける。見慣れた半球形の住居。どこから来たのかどこへゆくのかしれぬ永遠の旅人の、あたたかな声がよみがえる。
メタナイト。これからもここへ帰るでしょう? もしもそのとき、ぼくがいなくても。
──帰るとも。たとえ君がいなくとも、君が愛したこの星へと。
再びはるか空を行くこの戦艦を照らす黄金色は、彼方、愛する星のひかり。
了