誰かが部屋に入ってきた気配を感じてリュールはふっと意識を浮上させる。まだ目を覚ます段階には至っていないが、少しずつ微睡みから抜け出しつつあった。
「失礼いたします、神竜様」
控えめな声が耳に届く。それが愛しいパートナーのものだとすぐに気づき、今日は彼が起こしに来てくれたのだと理解した。
(パンドロ)
呼びかけに応じ起床しても構わなかったが、折角パンドロが起こしに来てくれたのならすぐに起きるのもなんだか勿体ない気がしてしまう。どんな風に声をかけてくれるのかと楽しみにしながら、リュールはそのまま眠ったふりを続けた。
「よく眠っていらっしゃる……。神竜様の寝顔はいつも穏やかで心地よさそうだから、起こすのが申し訳ない気持ちになるんだよな……」
側に近づいてリュールの顔を覗き込み、パンドロがふっと微笑む気配がする。自分の寝顔を確認することはできないが、彼が気に入ってくれているのならそれは少し嬉しい心持ちがした。
「……っと、つい見惚れちまった。いやだめだ、ちゃんと起こして差し上げないと……神竜様、起きてください」
気を取り直したのか、パンドロが優しく声をかけてくる。けれどもう少しこのまま、と思い、リュールはまだ眠ったふりを続けてみた。
「神竜様。……神竜様、起きてくださーい……。……うーん、起きない……」
パンドロの手が気遣いつつそっとリュールの肩に触れ、軽く揺らして覚醒を促してくる。そろそろ起きた方がいいような気がするものの、もう少しだけ、とリュールは更にパンドロの様子を窺った。
「困ったな……あんまり無理に起こすのも申し訳ないけど、このままじゃ起きてくださらないし……」
うーん、とパンドロが悩んでいる様子が伝わってくる。流石にこのまま困らせているのも悪いだろう、いよいよ起きた方がいいかもしれないと目を開けようとしたところで、次に耳にした言葉にリュールはその決意を翻した。
「このまま起きないとキスしちゃいますよー、なーんて……」
到底聞き捨てならない台詞に、気づかれないようリュールは小さく息を呑む。はは、とパンドロは軽く笑っていたものの、すぐに居たたまれなく顔を覆った様子が伝わってきた。
「何言ってんだ不敬すぎるにも程があんだろ! バカバカオレの不敬バカ!」
見ていなくても取り乱しているのが手に取るように分かり、耐えかねてリュールはつい軽く吹き出してしまう。それからそっと目を開けてパンドロへ視線を向けると、案の定真っ赤な顔を両手で覆っておりこちらの様子には気づいていないようだった。
「本当ですか?」
くすっと笑い、リュールはパンドロの手を掴みつつ声をかける。
「へ」
まさかリュールが起きていると思わなかったのか、突然のことにひどく驚いた様子でパンドロが目を見開いた。
「神竜様 い、いつから」
動揺のあまり反射的に飛びのきそうな腕を掴み引き寄せようとすると、体勢を崩しパンドロがこちらへ倒れ込んでくる。その細い身体を腕の中に易々と受け止め、リュールは更に微笑んでみせた。
「ずっと起きていました」
「ずっと」
「パンドロが部屋に入ってきたそのときからです」
言って勢いのまま二人で寝台に倒れ込む。仰向けになったパンドロの顔の横に手をつき、浮かれた気持ちのまま彼を見下ろした。
「キスしてくれるんですか?」
リュールとしては、パートナーに対するちょっとしたいたずら心のつもりだった。あまりにもかわいい発言を聞いて気分が高揚し、ついそれに乗ってみたいという軽い気持ちからの。だが。
「……、っ」
寝台の上に髪を散らし、パンドロがひどく赤い顔でリュールを見上げてくる。心なしかその瞳が潤んでいるように見え、不意にどきりと鼓動が跳ねた。
(あ、……あれ?)
つられて頬が赤くなってしまう。徒に逸り出そうとする鼓動を抑えるべく努めながらも、改めて自分たちが置かれている状況を振り返ってみた。
(この状態は……なんだか……)
まるで組み敷いているようだ、と気づいた途端、リュールも更に頬が紅潮するのを止められなくなる。意図しなかったことではあったが、互いに強く意識していることを突きつけられる状況には違いなかった。
「……、はい」
その目にリュールだけを映し、パンドロが口を開く。
「あなたが許してくださるのなら、……オレは……いつだって……」
どこか泣きそうにも見えるのに、けれどその瞳が熱を帯びていると気づいてしまう。いじらしい言葉に胸を打たれ、抑えられない気持ちのままリュールは身を屈めて距離を詰めた。
「……パンドロ」
顔を近づけ名を呼ぶ。その声に色が混じったことを否定できない。
「……リュール様……」
掠れた声で名前を呼ばれればぞくりと胸に込み上げる感情がある。抗えず顔を寄せたところで、そっとパンドロが目を閉じたことに更に堪らなさが訪れた。
(……もう、これ以上は)
止められない気持ちのまま更に距離を近づけ、あと少しで触れることのできるところまで来たそのとき。
「ッ!」
こんこん、と控えめなノックの音が響き、リュールとパンドロは揃ってびくりと身体を跳ねさせた。
「失礼いたします、神竜様。先程パンドロ殿が起こしに行った筈なのですが、一向に起きていらっしゃらないのでご様子を……」
部屋の中に入ってきたヴァンドレが、ふとこちらを見て黙り込む。咄嗟に体勢を整え揃って寝台に座り直したものの、二人とも真っ赤なままだったので何も言わなくとも察せられるものはあったのだろう。
「……失礼。お邪魔だったようですな」
小さく咳ばらいをし、ヴァンドレはすぐに踵を返して部屋を出て行こうとする。
「っいやヴァンドレさん違います! 疚しいことなんてありません! 全然そんなんじゃ……ですよね、神竜様!」
「そ、そう……ですね。まだ何もしていませんでしたから」
「神竜様! まだとか言わないでください」
慌てて取り繕うパンドロに、リュールはつい残念さから余計な一言を足してしまう。ヴァンドレは苦笑していたが、「仲が良いのはいいことですな」と冷静な言葉を残して去っていった。
「……と、取り敢えず……行きましょうか」
皆が待っているようですし、と無理矢理笑顔を作り、パンドロが先に立ち上がる。
「はい」
その言葉に頷きつつリュールも立ち上がり、そっとパンドロの手を掴んだ。
「さっきの続きは、もっと時間のあるときにしましょう」
このまま終わらせたくないという気持ちを伝えるべく、指を絡めて繋ぐ。
「……は、い」
頬を赤くしたまま微笑み、パンドロも頷く。繋ぎ返された手を嬉しく思いながら、リュールは触れることを考えてはそわそわしてしまう心をどうにか落ち着けようと試みた。