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    サク。

    創庫

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    POIPOI 62

    サク。

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    pixivの再掲

    #太中
    dazanaka

    花筺 何もかもが嘘のようで、だが、腑に落ちてしまった。

     首領である森は全てがわかっていたかのように落ち着いた様子で告げた。

    『太宰君が離反した』と。

     真逆と思う反面、いつかこんな日が来る気もしていた。

     太宰とはどんな形になるしろ、別れる時が来る。

     ずっとそんな予感がしていた。

     

    「ッ……なンだよ、これ……!」

     シンクに広がる、血に塗れた青い薔薇を睨みつけ中也は零した。
     
     突然だった。
     帰宅すれば込み上げる吐き気にシンクに突っ伏すようにして嘔吐くと口から花が吐き出された。
     その際、喉か口内を傷付けたのか、吐いた花は血に濡れていた。

     ようやく吐き気が収まり、中也はその場に崩れるようにへたり込んだ。

     花を吐くなんて聞いた事がない。

     食中りをしたのなら吐き出すものは胃の内容物だ。
     だが、どれだけ吐いても出てくるのは花ばかりだった。

     自身の体に何が起きているのかわからず、中也は得体の知れない恐怖に僅かに体を震わせる。

     もし、未知の病気に罹っているとしたらこの先どうなるのか。
     
     壁に掛けてある時計を見ると、時刻は深夜だった。
     申し訳なさはあったが、このまま朝を迎えるのが怖い。

     吐いた事によりふらつく足で中也は外套に仕舞ったままの携帯端末を取り出す。
     記憶している番号を迷いなく押し、耳に当てる。
     応答がある事をひたすら願う。

     その間にも込み上げる吐き気に、また花を吐いた。
     苦しさに涙がこぼれ、呼吸もままならない。

     その時、

    『……中也君?』

     救いのように声が脳に響いた。

     首領、と応えようとしたが喉からは掠れた息が漏れただけだった。

     ただならぬ気配を察知した森は、慌ただしい動作に声を揺らしながら、

    『今、自宅だね? そこから動かないように』

     云うと通話を切った。

     首領が来てくれる。
     そう思うと安堵し、中也は床に突っ伏して意識を手放した。





    *   *   * 

     中也の部屋に駆けつけた森は部屋中に散らばる青い花弁に気付いて事態を直ぐに把握した。

     触れぬよう注意深く奥へ進む。
     一番花弁が集中している処に辿り着けば、埋もれるように気を失っている中也を見つけた。

     中也を覆う無数の花弁に触れれば病が感染する。

     森はエリスに花弁を払うよう指示を出し、中也を寝台に運ばせた。

     意識は無いのに発作のように中也の口から花が吐き出される。

     花というものに疎い森には中也が吐き出す青い薔薇にはまるで頓着しなかったが、その明らかな症状で病名はすぐにわかった。

     半ば都市伝説のような病。

     森はどこか遠くを、過ぎ去った過去を眺めているかのような視線を宙に向ける。
     その瞳を伏せ、深い溜息を吐いた。

    「……死ぬつもりかね、中也君」

     その病が行き着く先に待つものを想像し、森は零した。




    「“嘔吐中枢花被性疾患”」
    「は、い?」

     目を覚ました中也に森は告げた。

     それが中也が患った病だった。
     だが、耳馴染みのない名に首を傾げる。

     絶え間なく吐き出される花はエリスが定期的に掃除していた。
     異能生命体であるエリスはどれだけ花に触れても感染しないらしい。

     いつものフリルのついた赤いワンピースではなく、掃除をするためかフリルがついたメイド服を着ている。
     それで掃除がしやすいかは別として。

     箒を両手に床を履き、塵袋にせっせと入れる様子はとてもとても可愛らしい。
     エリスにとっては雑作もない作業だが、あまりにも健気に働くため中也は申し訳ない気持ちになる。

    「エリス嬢、すいません。お手を煩わせて……」

     その声に手を止めて、エリスは中也に微笑む。

    「いいのよ。チューヤの部屋は物が少なくて掃除が楽ね」

     止めた手を再び再開する。

    「さて、中也君の病状についてだが」

     切り出した森に中也は真剣な顔でその先に続く言葉を待つ。

    「嘔吐中枢花被性疾患。通称、“花吐き病”と云えばわかり易いかな」
    「花吐き病……」

     エリスが詰めた塵袋を中也は見る。

     その中には目にも鮮やかな青い薔薇が可哀想なほどぎっしりと詰め込まれている。

    「色々難しく説明する事は出来るが、無駄だから簡単に云ってしまおう」

     再び森に向き直った中也は、次に告げられた森の言葉に愕然とするしかなかった。

    「片想いの病だよ。恋をすれば花を吐き、実らなけば吐き続けて死ぬ」
    「死ぬ……?」

     その残酷な、わかり易い言葉に中也は顔を歪めて拳を握る。

    「扶かる方法はたった一つ、両想いになることだけだが」

     森はそこで一度言葉を切った。
     これ以上、云う必要はない。

     全部を説明しなければ理解出来ないほど中也は愚かでは無い。
     だが、この病を発症したというのなら、その想いはきっと愚かだった。

    「…………どれくらいで、死ぬンですか」

     明け透けな質問に森は首を振った。
     
    「不明だ。そもそも、なぜ想いが実らなければ死ぬのか、原因もわからない」

     思い詰めたように視線を落とす中也を森は見みつめる。

    「扶かる気は無い、という事かね?」
    「……方法が一つしかないというなら。きっと俺は死にます」

     その視線はそうなる未来を確信している瞳だった。

     森も予想している未来。
     その約束された結末に背を向けるように森は中也から視線を外した。

    「とりあえず、打てるだけの手は打ってみるよ。私も医者だからね、みすみす見殺しには出来ない」
    「……はい。お手を煩わせてしまい、申し訳ありません、首領」

     深々と頭を下げる中也の痛々しい姿に、森は首を振った。





    *   *   *

     花吐き病を発症してから食欲が格段に落ちた。
     
     部屋中に散乱する花弁を虚しい気持ちで片付け、用意した朝食を口にしたがすぐに吐き気が込み上げた。
     堪える事も出来ず、喉を刺すように花が吐き出される。

     折角用意した朝食が青い薔薇に埋もれる。
     それが忌々しくなり、中也は花弁を握りつぶした。

     その花が想う相手はたった一人しかいない。

     中也の周りにどれだけ人が居ようと中也を救えるのは、ただ一人だけ。

    「……ッ」

     憎いはずの名を口にしようとしたが、喉が詰まり声にはならなかった。

     代わりに花弁を握りつぶした拳をテーブルに叩きつける。



     本部に出社すると、すぐに森の元へ向かおうとして昇降機へ視線を向ける。

     あれから、森は花吐き病について色々な文献をひっくり返したそうだが、片思いが報われる事でしか完治の術は見つかっていないらしい。

     一つその情報に足す事があるとすれば、想いが実れば白銀の百合を吐く、ということ。

    「……こほっ」

     中也は隠れるように咳をした。
     この病のことは森以外は知らない。

     バレるわけにもいかなかった。

     中也の想い人が、彼奴なら。
     絶対に報われるわけなどないし、もう、会うこともない。

    「中也」

     不意に名を呼ばれ、驚きに振り返る。

     そこに居たのは同じように驚きに少しだけ目を見開いた紅葉だった。

    「体調が優れぬようだが」
    「姐さん……」

     驚きの中に気遣う視線が含まれる。
     その視線から中也は逃げるように目を逸らす。

    「なんでもありません。少し、寝不足なだけです」

     急いでその場を離れようとする中也の腕を紅葉は掴んだ。

     痛いほどではない。だが、逃げられないと思わせるには充分な気迫だった。

    「私に隠し事とは偉くなったものよのう? 中也」

     数段低くなった声に中夜の背筋に冷たいものが流れる。
     腕を掴まれたまま、紅葉の執務室に引き摺られ連行された。

     しっかりと施錠まで済ませ、紅葉は中也に一人掛けのソファを勧める。

     お辞儀をし腰掛けたものの、まだ話す覚悟は出来ていなかった。

     湯呑みに茶を淹れた紅葉が一つは中也に、一つは自身で持ったまま正面に座る。

     一口飲み、

    「して、何があった?」

     目の前に置かれた湯呑みに視線を向け、黙ったままでいると、

    「今云うものちに云うのもさして変わらぬ。どうせ人の口に戸は立てられぬのだからのう」

     静かに紅葉は湯呑みを置いた。
     それが合図とでも云うように。

     乾きに張り付いた喉が、整理のつかないまま声を発しようとした瞬間、

    「ッ……!!」

     塞ぐように当てた手などお構いなしに、血に濡れた青い薔薇が中也の口から吐き出された。

     痛みと苦痛に生理的な涙が溢れる。

    「ッ……はぁ、はぁ……ごほっごほっ」

     中也の周囲に散らばる花々に、紅葉の顔は一瞬で青ざめる。

     すぐに室内の電話へ駆け寄り、受話器を取る。

    「鴎外殿!! 急患じゃ!!」

     送話口に叫ぶと、叩きつけるように切った。
     
    「中也、他に症状はないかえ?」
    「他に……? 姐さん、花吐き病を知ってるんですか……?」

     一瞬、顔をこわばらせた紅葉は憂いの瞳で中也を抱き締める。

    「……よう知っておる。……私の、かつての友人がその病を発症したからのう」

     中也を抱き締める腕は微かに震えていた。

     その反応で、結末がどうなったのかは容易く想像出来た。
     だが、聞かずにはいられなかった。
     治すための、手掛かりがあるかもしれない。

    「姐さん、そのご友人は……」

     紅葉は悲しげな瞳で頷いた。

    「吐いたのは桜……死ぬ間際まで吐き続け、結局、叶わなんだ」

     伏せた瞳の裏にその姿を思い出しているのか、その瞬間の紅葉は酷く儚く見えた。

    「決して報われぬと知りながらも、想わずにはおれぬ。花吐き病を発症して完治した者を、私は知らぬ」

     その言葉で、紅葉すらも両想いになる以外の治す術を知らない事がわかってしまった。

     震える紅葉に抱き締められながら、中也は胸の苦しさに呼吸が止まりそうだった。
     
     報われるなんて、絶対にあり得ない。

     もう居ない人にどう応えて貰えると云うのだろう。

     思い出したくもない憎い名を、中也は心の中で叫んだ。





    *   *   *

     血相を変えて駆けつけた森から事情を聞いた紅葉とはその場別れ、中也は執務室へ向かった。

     何も食べられないのに花は容赦なく吐き出されるせいで軽い目眩が襲い、足元がふらつく。

     何とか自室へ辿り着くと崩れるようにソファに倒れた。
     その瞬間にも一輪、花が口から零れる。

     床に落ちた花弁を眺めていると、朦朧とする頭に一つの考えが浮かんだ。

     この想いが実る未来など無い。

     いつかわからないが、この恋と共にこの命は必ず終わる。

     それなら、今終わらせても構わない。

     中也はふらつく足で立ち上がり、覚束ない足取りで執務机に向かう。
     そこに、中也の命を簡単に終わらせるものが常に置いてある。

     椅子に座ると抽斗を開ける。
     銃と弾がお行儀よく収まっていた。

     慣れた手つきで弾を装填し、撃鉄を起こすと引き金に指をかける。

     そのまま自身の米神に当て、目を閉じた。

    「……グッドバイ」

     せめて虚しい思いはしないように口に出して、引き金を引いた。









    *   *   *

    「中也さんッ!!」

     完璧ではないにしろ、防音が施された執務室から微かにした銃声に広津はドアを開けた。

     賊の侵入を警戒したのだが、そこに居たのはぐったりと伏せる中也の姿だけだった。

     その手には銃があり、自分で自分を撃ったのは明白だった。

    「中也さんッ!! どうされたのですかッ」

     あまりの事態にいつもの冷静さはすぐには戻っては来ない。
     出血が無いため何処を撃ったのか判断出来ずにいたが、手首を掴み脈を確認する。

     その時、床に落ちる青い薔薇が見えた。

    「花……? なぜこのような物が……?」

     この部屋には花瓶どころか植物は全く無い。

     中也が持ち込んだとしても茎はなく、花弁だけが一輪落ちているというのは説明がつかない状況だった。

     脈は、あった。

     その事に一息つき、ようやく冷静な思考が戻って来る。

     中也の部屋の電話を拝借し、森に連絡をする。
     何処を撃ったのかわからないが、素人判断で放っておくわけにはいかない。

     中也の手から銃を離し、元の抽斗へ仕舞う。
     その際、伏せる中也が微かに呻くような声を出した。

    「中也さん、大事はございませんか?」

     覗き込むように顔色を確認しようとする広津の前で、微かに瞼を開いた中也はその名を云うより前に口から異様なものを吐いた。

    「ッごほっごほっ」

     両手を口にあて、どれだけ止めようとしても容赦なく吐き出される。
     苦しさに涙が滲んでも、その人を想う気持ちのように止められない。

     床に散らばった青い薔薇に、広津は顔を青くする。

     一見美しく見える病。

     だがそれは、あまりにも残酷な現実を美しさという虚飾で飾るかのようだった。

     はっきりと目を開けた中也は伏せていた体を起こす。

    「……じいさん、あんたも、知ってンのか」

     掠れた声は痛々しかった。

     絶え間なく吐いているせいか、見るからに体力を消耗した顔はやつれ、正気がなかった。
     
     自嘲するように中也は笑った。

    「ったく、情けねぇよな……。何が、恋だよ……ンなもので死ぬくらいなら、いっそ終わらせやろうと思ってな」

     手に銃が無い事に気づいて当たりを探す。

    「差し出がましい事を致しましたこと、ご無礼しました」

     お辞儀をする広津に、中也は抽斗へ一瞬視線を送った。

     その前には広津が立ち、再び手にしようとすればどんな手段を使っても阻止しようとしているのがわかった。

     中也とて、そこまでして銃を使用する気はない。

    「……なぁ、じいさん、あんたは知ってンのか?」

     何を指す言葉なのか、広津は瞬時に理解したがすぐには返せなかった。
     微かに重い息を吐き出し、あえて平坦な口調で答える。

    「……昔の知り合いに発症した者がおりました。その者は絶対に叶わぬ相手を想いながら花……紫苑を吐き続け、その想いを抱えたまま、亡くなりました」
    「……そうかい」

     その口ぶりから花吐きの事を知っていても、完治する術は、矢張り一つしか知らないようだった。
     
     どちらも言葉を発しないまま、重い空気がしばし空間を支配した。

    「あのねぇ、私だってもういい歳なのだよ? そう何回も呼び出さないで欲しいなぁ」

     魔の抜けた声がドアから入って来た。

     広津は素早く頭を垂れる。

     中也も立ち上がろうとしたが、森がそれを手で制す。

    「医者なのだから急患と聞けば飛んで行くが、それが同一人物というのは中々のレアケースだよ」
    「すみません、首領……」

     銃は広津が仕舞った為、花吐き病を患った中也を気遣い慌てて広津が森を呼んだようにしか見えないだろう。

     と思ったが、

    「一発、銃声が聞こえてね。中也くんの弾、見せてもらえるかな?」

     こちらに尋ねる口調だが断る事など絶対に出来ない。

     広津は抽斗から銃を出し、執務机に静かに置いた。

    「発砲の理由は何かね?」
    「中也さんはご自身で彼の病に決着をつけようとしたようです」
    「ほう、つまりはどういうことかな」

     机に置かれた銃を手に取り、森は引き金に指をかける。

     そして、銃口を中也に向けた。

    「こう云う事で、合っているかね?」
    「そうです」

     その銃口を、その先にある森の瞳を真っ直ぐに見つめ中也は云った。

    「この病を治す方法はありません」

     込み上げる悔しさに中也は拳を握る。

    「この想いが絶対に叶わないのも重々理解しています」

     呼吸さえ出来なくなるほどの胸の苦しさに中也は息をつく。

    「だから」

     森が持つ銃口が中也の額に当てられる。

    「潔く死のうと云うのかね」
    「はい」
    「その割に君はこうして生きているが?」
    「……」

     銃弾が発射される瞬間、まるでその時を狙っていたかのように吐き気がした。

     堪えきれず咄嗟に手を動かしたせいで弾は中也の米神から外れた。

    「……嫌がらせ、されたンですよ」

     その答えに森は一瞬虚をつかれたような顔をしたが、すぐ苦笑に変えた。

    「それは、災難だったね」

     銃を広津に渡し、森は背を向ける。

    「中也くん、首領として命令する」

     その言葉に、中也は背を見つめる。

    「無駄に死ぬ事は許さないよ」





    *   *   *

     広津に詫びながら別れ、中也は執務室のドアを閉めた。

     気付けば部屋は闇に包まれていた。
     廊下の明かりに照らされ、気付かなかった。

     「こほっ」

     軽く咳が出た。

     ソファに身を投げ出し、窓から差し込む灯りに誘われ視線を向ける。
     
     綺麗な月があった。

     静かに穏やかに、太陽の光より弱いが優しい光で室内を照らしている。

     その光を眺めている間にうとうとと睡魔が襲ってきた。

     最近ゆっくり寝ていないなぁとぼんやり思った時には眠りに落ちていた。





    *   *   *

     着信音で意識が浮上した。
     
     それは外套のポケットから鳴っていた。

     手を突っ込み、音の正体を確認しようと携帯端末の画面を見れば非通知の文字。

     番号が表示されない事などいつもの事なので、躊躇なく通話ボタンを押す。

     非常識な時間だとは思わなかった。

     こういう世界に居れば時間なんて概念はあってないようなものだ。

    「……」

     通話釦は押したが、こちらから声は発さない。
     向こうの様子を探るように耳を澄ます。
     僅かな音も聞き逃さないように。

     向こうからは何の音もしない。

     何処から掛けているのか、判断するための生活音が一切ない空間。

     しばらく聞こえないはずの空気の音を聞いていると、

    「……中也」

     名を呼ばれた。

    「ッ」

     端末を落としかけた。

     ありえない。
     絶対にありえない事だった。

     奴は組織を裏切った。
     任務の最中、突如消息不明になった。
     
     心臓が激しく脈打ち、呼吸が止まりそうになる。
     頭が真っ白になり、何を云っていいかわからない。

     答えられずにいると、

    「少しだけ、許可を貰った」

     その声は最後に聞いたものとまったく変わりなかった。

     声音も、話し方も、何も変わっていない。

    「君が、居なくなってしまう予感がしてね」
    「ッ……」

     反論しようと怒鳴ろうとしたが喉が詰まり声が出なかった。

     何か熱い塊が込み上げ、喉を塞ぐ。

    「どうしても伝えたい事があったから、少し無理をしてしまったよ」
    「……莫迦野郎」

     ようやく出した声は自分のものじゃないみたいにか細く、震えていた。

     中也が応えた事に少しだけ嬉しさを滲ませ、電話の向こうの人物は云った。

    「待ってて、必ず帰るから」

     その声は限りなく優しかった。
     
     込み上げるものに、自身の中で凍った何かが溶けるような暖かさを感じた。

     目頭が熱くなり、溢れそうなものを堪えようとすれば喉が痛んだ。

    「……わかった」

     応えた声は震えていた。

    「必ず帰って来い、太宰」

     憎くて憎くて殺したいほど憎いのに。

     どうしようもなく好きになってしまった名を呼んだ。

     端末の向こう側で笑ったような空気の動きがあった。

    「それじゃあ、またね」
    「ああ、またな」

     あれほど不快だった気持ちはもう無くなっていた。

     交わした言葉はそれだけだったのに。

     プツ、と通信が切れた。

     切ったというより突然遮断されたかのような切れ方だった。
     太宰が切ったのではない。
     何かわからないが時間切れという事だろう。

     手にある端末を見つめる。
     まるで夢を見ているようだった。
     
     本当に夢だったのではないかと不安になり、一件しかない履歴を確認した。

     そこにある非通知と今の時刻を見て、あの電話が現実だったのだと実感した。

    「ッごほっ」

     こんな時でも容赦なく襲ってくるのかと、忌々しげに込み上げるものを吐き出した。

     だが、厭うような青い薔薇はそこには無かった。

     中也は言葉に出来ず、驚きに目を見開いたままそれを見た。

     一輪の、白銀の百合が床に転がっていた。

     それは片思いが終わったことを意味していた。
     

     
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