運命、ではない。 学舎へ通うイサンが足を止めたのは、見知った顔を認めたからだ。
白い髪に青い瞳、物静かな雰囲気とどこか人を寄せ付けない傲慢さを内包した女性──ファウスト。言わずと知れた才女である。
同じようにあちらもイサンに気がついたのだろう。近付いてきた彼女は「おはようございます。イサンさん」と挨拶をした。それに返答をし、共に歩みを進める。専攻は違くとも、同じ視点に立てるもの同士、会話は弾むものだ。
ファウストと別れ、自身の研究室へ向かう道すがら、今日の予定を思い返す。特出することはないが、昼食をホンルから誘われている。おそらく彼に連れられて、良秀も来るのではないだろうか。
過去のこともあり学舎での勉学はともかく、人間関係を築くのには抵抗があったが、こうして新たな友にも恵まれている。研究に没頭した時に顔を出しては、呆れ顔で嗜めてくるシンクレアやドンキホーテも居るし。
ああ、何か。とても充実した……そして、研究室に顔を出すと、そこには────。
「つまり! 私は! 正義の“魔法使い”に! なりたいのでありまする!」
小さな金髪の女性──ドンキホーテが放った言葉に、どのように返すのか正解なのか、一瞬イサンは口を噤んだ。
技術に正義と悪がないように、魔法に正義と悪がないのであれば、それを可能にするのは本人の行動だけだろう──このような世の中で無ければだが。
だがその稀有な心を安易に否定するのも憚られて、うぅむ。と肯定とも否定とも取れない声が漏れる。
「なに馬鹿なこと言ってるんですか」
それを迷いなく否定したのは、呆れ顔のイシュメールだ。この夕焼け色の髪を持った女性は魔法厄災──つまり人為的に引き起こされた魔法による攻撃──の被害者だったか。
馬鹿と言われたことか、言っていることを否定されたからか、イシュメールの言葉にキャンッとドンキホーテが噛み付いて──後から来たウーティスに二人揃って口噤魔法をかけられてしまった。イサンはどうにかせねばを二人の間でオロオロしているばかりになってしまったから。
しかし、このような世の中でも、こうして魔法を安全に使おうと研究している機関があるのは、幸福なことではないだろうか。ついでとばかりに流れてきた説教に、うむ……と返答しながら、そんなことを思って……部屋の隅にある、それの方を向けば、そこには────。
どさっ。と巨大なものが崩れ落ちる音。今しがた良秀が放った斬撃により、首を切り落とされたレッサードラゴンが倒れ伏した音だ。
彼女はそれからふーっと細くタバコの煙を吐き出し、それからいかにも機嫌が悪そうに刀の血糊を振り払う。
「戦闘開始から18分。許容範囲だ」
タンクを務めていたムルソーがそう言って、淡々と解体を始めたのを手伝いながら、イサンはグレゴールはどうしたかな、と気を逸らした。彼はムルソーとイサンがレッサードラゴンを抑えている間に、周辺の雑魚を抑えると言って良秀と共に行ったはずだが。しかし、彼女が戻ってきたということは、無事に掃討できたのだろう。
どちらにせよ、レッサードラゴンの素材は鮮度が重要だ。早く心臓を摘出しなくては、他の部位までダメになってしまう。
「ど・け」
一言。その声が聞こえた瞬間、二人はその場を飛び退いた──先ほどまで居た場所にレッサードラゴンの首を両断した、あの斬撃が通る。
「……貫通している。皮の価値は下がっただろう」
しかし良秀の一撃で心臓が取りやすくなったのは事実だ。礼を言えば、斬り足りん。と彼女は言った。向こうからグレゴールが走ってくるのも見えた。
こうして四人で依頼を熟すのは珍しいことじゃない。たまたま馬と時間が合って、それぞれ何か目的があるのなら、なおさら。
それでもこの世の中で気が合う人物と行動できるのは、稀有なことだろう。掃討した魔物からもいくつか討伐証明部位を剥がし──あらかたグレゴールがやっていたが──レッサードラゴンの皮と肉を持って組合に戻る道すがら、他愛のない雑談をできるのは、何か、とても……そして、路傍に落ちた、光るそれを覗き込めば────。
暗視ゴーグルを外し、地面に倒れ伏した人々を見下ろす。脳天一撃、複数回撃たれた者、撃たれたのち出血多量で死亡した者。共通しているのは銃での攻撃で死んでいることだけだ。種族も性別も年齢も雑多だった。
「これで終わりだよな?」
共に行動していたヒースクリフがイサンに話しかける。それに頷けば、彼は深々と息を吐き出した。ようやく終わった、と言うところだろうか。
二人がかりで生き残りがいないかを確かめていると、死の香りが濃密に漂うここには似合わない朗らかな声が「お疲れ様です〜」と割り込んできた。
「なぁに? まだ終わってないの〜?」
ロージャとホンルだ。他の場所での殲滅を終えたのだろう。服がいくらか血飛沫に塗れていたが、それは彼らが近接を好むからだ。本人たちに傷一つない。
ヒースクリフがホンルに何やら悪態をついて、それをロージャが揶揄っている間に全員分の死亡確認を終えたイサンが顔を上げて声をかけた。ようやくこの長かった任務も終わりだ。
報告が終わったら慰労会をやろう、とはしゃぐロージャとすぐさま同意したヒースクリフに誘われ、あれよあれよと全員で飲みに行くことになった。このような殺伐とした世の中でも、こうして仲間がかけることなく仕事が続けられると言うのは、どうにも……面映い気持ちのまま外に出れば、雨が上がったらしい。地面に伸びたアレのような水溜りを、イサンは無遠慮に覗き込んで────。
適合率0,10,30,35……50,75,80%──
スマートグラスに映った刻一刻と表示を変える数字が、81%を最後に沈黙し、すぐに『適合失敗』に変化した。
イサンよりも先に詰めていた息を落胆に変えて吐き出したのは、この実習を行った金髪の少年──シンクレアだ。釣られるように、イサンも息を吐き出した。
目覚めた後の刺激を下げることを目的に、薄暗くしていた部屋の明かりが、研究に最適だと導かれたルクス数を取り戻し、二人の前には物言わぬ姿の人形──アンドロイドだけが残される。
落ち込むシンクレアの前にコンソールを表示すれば、彼は慌てたように見直しを始めた。そもそもアンドロイドに適応する精神型から大きく逸脱しないように、しかし個性が出るように調節すると言うのは至難の業だ。同僚のファウストであれば、初めからシンクレアの実習を止めていただろう。
素体のバランスデータと精神のパラメータを見ながら戸惑っているシンクレアにアドバイスしながら、自身が受け持っているアンドロイド制作のタスクを確認していれば、扉が開く音と共にグレゴールが入ってくる。
「あんやぁ? その様子だと、失敗だったようだな?」
その言葉でまたシンクレアが落ち込んでしまったので、グレゴールと二人で励ますことになった。実際、適合率が81%まで上がったのは、イサンの予想を大きく上回っていたから。
きっとすぐに、彼は優秀な精神技師になれるだろう。その気持ちのまま、イサンは部屋にかけられたそれを見た。そこには────。
無数の可能性の中で、ついぞ見つけられなかった、赤い時計頭の人間がこちらを見ていた。
夜半過ぎ。断続的な夢から覚めたイサンは、はっ──と詰まった息を吐き出した。
幸福な……あまりに、ささやかで、しかし幸せな夢。ああ、そうだ。たしかに幸福な夢だった。
思い返せば思い返すほど、夢の中の己と言うやつは、暖かな気持ちと言うやつを抱いていたのだ。
しかし──ずっと覚えていたわずかな違和感が、明瞭な形になって、胸にズシンと乗り上げた。
それに耐えられず、ずるずると起き上がれば、滲んだ汗がぽたりとシーツを濡らした。妙に、苦しい。
所詮、夢だ。しかし、どの夢の中にも……あるいは、どの可能性の中にも、イサンが共に歩もうと決めた、共にこの旅路を行こうと言った管理人の姿が見つからない──鏡の世界を覗き見るたび、共に映る朋の中に、ダンテの姿がないのと同じように。
徐に、イサンは寝台から立ち上がって、部屋の扉に手をかける。
カチカチと鳴る時計の音が、無性に恋しかった。