双りのこども 照明もなく、床は積もった埃で白っぽくなっているその部屋には、一つの金庫が置かれていた。
ボクと甲が住む部屋には、丙の為の部屋がある。いつか3人で暮らす日の為に、3LDKを借りている。
年の暮れ。一足早く今年の任務が終わったボクは、朝から大掃除をしていた。
「最後は、ここか」
今年も、その部屋に住人が入ることはなかった部屋。施錠された扉を開けると、少し他のところよりひんやりした空気が頬に触れた。
「あれ、こんなのいつから…」
去年までは、何もなかったはずの部屋。その奥に、初めて見る金庫が置かれていた。
ところどころ、傷がついている金庫に近づく。数字入力と、ダイヤル錠がついている。当然、扉は開かない。まずは数字から。誕生日、違う。引っ越してきた日、違う。故郷の村を無くした日。……ロックが外れる音がした。ダイヤル錠は、私が知らなければ、甲しかいない。甲の部屋を漁るような真似は、したくない。壊すか……?
「よし」
ハンマーを思いっきり振り下ろすと、ダイヤル部分が思いの外簡単に取れて、扉が開いた。
中には、書類と写真が置かれていた。
写真は、遺体の写真だった。ブルーシートに横たわるソレの着衣には、見覚えがある。でもまさか、そんな。
「違う、違う、そんなはず、ない」
ホチキスで留められてる書類は、いくつかの束になっていた。それのどれにも書かれているのは、ボクたちの故郷だった村の名前、双心の文字。週刊誌の切り抜き、新聞の切り抜きのコピー、恐らく捜査資料をコピーしたと思われるものたち。紙の束を持つ手が、震え、冷たくなる。読めば読むほど、内容を理解したくないと脳が拒否する。
「違う、違う、違う、違う。生きてる、丙は、生きてる」
気づいたら写真と紙の束をビリビリに破いていて、足元には千切れたものが花びらのように散らばっていた。
急遽入れられた任務なんて、断ればよかった。朝に家を出て、帰路に着いたのは日が暮れる頃。二人でやろうねと約束した大掃除を、僕が任務になったから乙はもう始めてしまっていることだろう。あの子は、いつだって優しいから。
「ただいま!」
駅から走って来たから、吐き出した白い息が顔の周りにまとわりついてる。ドアを開けると、部屋が暗い。灯りが点いていない。
「乙?いないの〜?」
玄関に靴はあるから、家の中にいるはずだけども。名前を呼びながら家の奥に進むと、あの部屋のドアが開いていた。
「しまった……!」
部屋の鍵は僕が持っていて、乙がいる時はあの部屋にある物は見えないようにしている。二重底のように、偽の壁で隠して。昨日、その細工をしようと思って鍵を開けてそのまま任務の報が入ってしまったから。
「乙‼︎乙‼︎僕だよ、ただいま。乙、乙!」
扉が開いた金庫の前で、乙が座り込んでいた。小さな頭が震えている。違う、違う、と繰り返し呟く唇はカサカサだ。
涙の痕がある頬を撫でて、細い身体を抱きしめる。
「生きてる、丙は、丙は、生きてる、生きてる」
うん、うん、と乙の言葉に頷く。
「そうだよ、丙は生きてる。今もどこかで、僕たちと再会して暮らすのを待ってるよ。君は、何も見ていない。この部屋には、何も無かったよ」
「何も、見て、ない」
「そう、何も。乙、このライターの光を見て。そう、上手。君は、この部屋では何も見なかった。いいね?丙は、生きてる。この部屋では、何も見なかった。目を瞑って、寝て起きたら、元通り。僕と君とで、丙の帰りをまつんだよ。三、二、一」
がくん、と脱力する乙を支える。今回の暗示は、いつまで持つだろうか。回数を重ねるごとに、効きが悪くなっている気がする。
何も無かった。明日からまた、僕たちは丙の帰りを待つのだ。
同性だったからだろうか。僕と丙は、言葉に出さずともどこか通じることが多々あった。
故郷を壊す日の前夜。夜中に目が覚めてしまった僕は、縁側で月を見ていた。
「眠れないの?」
隣に丙が来る。
「ごめん、起こしちゃったかな」
「大丈夫。あ、乙はぐっすり寝てるよ」
「そっか」
「ねえ、甲」
「何?」
「多分明日、あ、日付変わったから今日か。ぼく、死ぬね」
普段の会話と変わらない調子で告げられた言葉に心臓がぎゅ、となる。
「どうして?え、三人で暮らそうって。丙もそう言ってて」
「理由は、甲ならわかるかな。乙へのぼくの気持ち、だよ」
泣きそうな顔で笑う、同じ顔。
「月が綺麗だね。……これを言っても許される関係に生まれたかったな」
僕は、乙も丙も大好き。でも、丙の乙への「好き」の種類が僕のものとは違うだろうな、とは気づいていた。
「乙は、賢いし可愛いからね。まあこれは君もぼくも同じこと言えるけど。ふふっ。……この村を出て、三人で暮らして。乙が誰かと愛し合って、夫婦になって、ぼくら以外の、ぼく以外の誰かと家族になる。それを一番近くで見せつけられるのが耐えられそうにないんだ。考えただけで相手を、乙を殺したくなる。まだ相手もいないのにだよ?だから、この気持ちを文字通り墓場まで持っていこうかなって。墓に入れるかわからないけども」
「僕は、僕は…、乙にも丙にも死んでほしくない、よ」
「ありがとう。甲ならそう言うと思ってた。ぼくも、正直死ぬのはちょっと怖いよ。知らないことだから。でも、ぼくの恋は、生きてる限り叶わないから、ね。ぼくの最後のわがまま、きいてほしいな。お兄ちゃん」
縁側の木板に、僕の目から落ちた雫が染み込んでいく。
「ずるいよ、こんな時だけ兄扱いして…」
「ごめんね、ごめん。今日からは、ぼくの分まで甲が乙を愛してね」
コロン、と何かが床に落ちる音がする。
「あっは、今このタイミングで?ねえ見て、前歯抜けたんだけど」
数週間前からぐらついていた乳歯が抜けたようだ。に、と隙間の空いた歯列を見せながら、手に抜けた歯を乗せてくる。
「ちょうどいいや、これ遺骨代わり」
手の中の小さな小さな白は、月の光を浴びて真珠のようだった。
「専門外な私が言うのもなんですが、彼女の精神を安定させるにはやはり事実を知って、受容していくのが一番だと思いますよ。まあ、そう言ったところで君は考えを変えないでしょうけれど」
すみません、と形だけの謝罪をする桃色の髪の少年。今、隣の部屋ではそれと同じ顔をした少女がグレイスの健診という名目で、とある暗示をかけられていた。いつもは兄がかけているが、今回は少々強めに。
私の家業、巳波総合病院は聖ギャリス協会の信者たちから表立っては頼めないような医療ケアを請け負うことが少なくない。双心兄妹も、入信して間もない頃に、兄の甲から相談を受けた。
妹の、記憶を消したい。
協会内のグレイスの能力でできないこともなかったが、副作用が強すぎる。協会の貴重な戦力を壊したのなんだのと責任を負うのも避けたい。そこで私は、定期的に催眠をかける方法を提案した。優秀な頭脳も持つ彼は、難なくその方法を習得し、今までずっと、妹を騙してきている。
彼らの生い立ちについては、本人達の口からも聞いているし、少しばかり突っ込んで調べたら裏付けも取れた。これ以上、私としては踏み込む気もない。そもそも精神科は、私の専門外だ。
「まあ、身体的には今回も、あなた方は問題ないですね。また次回、三ヶ月後にでも来てください」
ただ、最近は。
「分かった。ありがとう、巳波せんせ」
時折、年不相応な幼い言動が見られるようになってきている。一瞬でそれは消えてしまうから、中々周りには気づかれていないだろう。しかし、今日は少しばかり長いようだ。ふと浮かんだ自分の仮説を証明したくて、質問をしてみる。
「ところで、君の名前は何かな」
す、と細められた目。リップグロスが塗られ、ツヤのある唇が弧を描く。
「……どう、答えたらせんせは満足かな」
「その答えが聞けたら、満足だよ。……恐らく君も賢いだろうから、わかってると思うけど、飽くまでその身体と心は甲くんのものだからね。消えろとは言わない。ほどほどに」
「わかってる。今のところ気づいてるのせんせだけっぽいから、『ぼく』が出るのはここだけにするよ。乙のこと、よろしくね。壊したら、」
──殺してやるから。
そう言い放つやいなや、少年の表情がパッと変わる。
「ごめんなさい!僕……」
「大丈夫、少し目眩がしたようだね。年末にバタバタして君も疲れてるんだろう。ゆっくり休みなさい」
こちらに会釈をし、去る背中は二つ。心は恐らく、三つ。
生まれて初めてみた生身の炎は、故郷が燃える火だった。
家が崩れる音と、人が叫ぶ声と一緒に、色んなものが焦げている匂いが漂ってくる。
「丙、遅いね」
見下ろしてる道に、人影は見えない。
「時間だ。行こう」
「でも、もう少しだけ…!」
「じゃあ乙、あと三分だけいようか」
揺らめく炎を見続けてたら、思考がぼうっとしてきた。
「時間だ。乙、行こう。丙はきっと、大丈夫。いつかまた、会えるよ。僕達はこの世でたった三人の兄弟なんだから」
三、二、一。
丙はきっと、大丈夫。