手鏡「マジであと1ミリくらいでした」オクヘイマの骨董屋、【去りし日の遺宝】。
持ち込まれた品の鑑定を通して店主のシタロースと仲良くなった穹は、ある日彼から売り物ではない手鏡を一つ買い取った。
シンプルだが高貴さを感じさせる金の枠と柄、さり気なくも美しい蝶の装飾。
とある客が持ち込んだその手鏡は高級そうな見目とは裏腹にそこそこ流通の多い既製品らしく、しかも背面に大きな傷がついていて売り物にならないという。
このままならゴミとして処分されるだけだろうそれに、穹は不思議と心惹かれた。
結果、そこらの子供のお小遣いでも余裕で買えるような値段で譲ってもらい、その手鏡を手に入れたのだ。
うきうきと雲石の天宮へ戻ってきた穹は、プライベートルトロへ向かいつつ手鏡を見る。
処分されずに済み、なおかつ高名な戦士かつ美少女を写せた喜びで、鏡面がきらりと輝いた…気がする。
早く丹恒にも見せてやろう、とご満悦で顔を上げると、穹たちのルトロの前に立つファイノンの姿を見つけた。
自分たちを訪ねてきたのだろうか、そう思い『おーい』と声を出して手を振ると、穹に気付いたファイノンが満面の笑みで手を振り返しながら近付いてくる。
ああいうとこ、ちょっと大型犬ぽくて可愛いんだよなぁ。
可愛いって部分も俺たち似てるんだな。などと考えていると、近付く程にファイノンの表情が変わっていく。
彼の視線は穹の持つ手鏡に注がれているようで、早歩きから小走りに変わり駆け寄ってきたファイノンにがしりと両肩を掴まれた。
「【浪漫の写鏡】じゃないか!!それ、どこで手に入れたんだい!?」
「おわぁっ!?」
興奮した様子のファイノンに手鏡を手に入れた経緯を話すと、彼は『シタロースも流石にこれは分からなかったか 』と穹から渡された手鏡をまじまじ見ながら呟く。
既製品なんじゃないの?と聞くと、苦笑いと共に否定された。
「確かによく似た鏡は普通に売ってるよ。でもこれは違う、これは素晴らしい愛をエンドモに見せたとある人間へモネータが下賜したとされる手鏡だ。ほらこの背面の傷を見てごらん、これは手鏡を盗もうとしたザグレウスがつけたものさ」
『確か鏡面にも何か刻まれていた筈』と鏡を観察する彼につられ、穹も横から覗き込む。
その瞬間、ファイノンが焦った表情で穹の肩をぐっと抱き寄せた。
突然のことに驚き固まっていると、ファイノンは自分たちが共に写るように手鏡を掲げつつ申し訳なさそうに話し始める。
「ごめん、最初に説明するべきだった…この鏡にはまじないがかかっているんだ。人が二人並んで鏡面を覗き込み、何もせずに鏡から顔を離すと…」
「離すと?」
「二人とも蝶のエンドモになる」
「二人とも蝶のエンドモになる!?!?」
あまりに突拍子もない話にあんぐりと口を開ける穹に、少しだけ口ごもっていたファイノンは意を決したように鏡の中の穹をじっと見つめた。
綺麗な青い瞳は鏡面を通しているせいかより吸い込まれそうな美しさを纏って穹を捉える。
「エンドモになることを免れる手立てはただ一つ。…穹、このまま僕とキスしてくれ」
とてもじゃないが冗談を言っているようには思えない真剣な声色に、ごくりと唾を飲む。
鏡の中のファイノンが穹の方を向いたが、当の穹はドクドクとうるさく跳ねる心臓を落ち着かせようと必死だった。
だが『穹』ともう一度静かに、しかしこちらを向けと言わんばかりの力強い声で名前を呼ばれ、ゆっくりと横を向く。
「…キスしたら、大丈夫なのか?ならプライベートルトロに入ろう、ここだと人が来るかも」
「移動する時にうっかり鏡から顔を離したらいけない。いいよ、人に見られても君との仲をウワサされるだけさ」
「でも」
「いいんだ」
反論を許されぬままこつん、と額が合わさって穹は肩を跳ねさせた。
少し動いたくらいじゃビクともしないほど強く抱かれている。
自分を、そして穹を確実に助ける為なのだろう。
そうと分かっていても、心臓は静かにならない。
鏡越しじゃなく、直接視線が絡み合う。
ファイノンの目が細まり、唇が近付いてきた。
そして、距離が、ゼロに─────
「こら〜っ!二人とも、人も通る場所で何ちてるの!」
響き渡る叱責の声に、穹とファイノン二人してびくりと固まる。
声のした方を見れば、トリビーが両手で顔を覆って指の隙間から二人を覗き見ながら頬を赤らめていた。
いけない、とんでもない誤解が生まれる!と焦った穹は『ちょっと待って』と制止しようとするファイノンをよそに弁明を図った。
「違うんだ!こうしないと俺とファイノンがエンドモになっちゃうから!」
「ああああ待って待って相棒」
「エンドモに?どうちて…??」
「これ!えっと【浪漫の写鏡】だっけ、ファイノンが言うにはこれを二人で覗き込んだらキスしないといけないらしくて」
あぁ〜…と何か気まずそうに目を逸らすファイノンと、あたふたと状況を説明する穹。
きょとんとした表情で二人を交互に見比べたトリビーは、少ししてじとりとした目でファイノンを見た。
「…ファイちゃん」
「はい、トリビー先生…」
「いくら距離を縮めたかったとしても、でたらめを並べてグレーちゃんを困らせてはダメでしょう」
「ごめんなさい…」
え、え、と困惑する穹の横で、結構真面目な説教を受けたファイノンは素直に謝る。
要は、この手鏡が特別な手鏡だとか、エンドモになってしまうまじないだとか、全て穹をからかう為にファイノンがついた嘘だったらしい。
演技力ハンパないなとか、俺のときめきを返せだとか、まぁ色々言いたいことはあるものの。
「どうせトリビーが来なくても、キスする寸前でネタばらしするつもりだったんだろ?」
「……………………………………………もちろん!」
「グレーちゃん、しばらくファイちゃんと二人きりになっちゃダメだからね」