10月4日(10日目)10月4日(10日目)
13時、そろそろ起きる頃合いだと思ったが、熟睡している。もう少し休ませてやろう。
20時、あえて遅く来てみた。彼は眠っているが、どうやら先程まで起きていたらしい。
フードボウルに入っていた血液で、壁に絵が描かれている。ほとんどが顔だ。あの一際大きく描かれた面々は、彼の敬愛する竜大公と竜子公、その出来損ないの息子だろうか。他にも、見知った古き血ら、竜の一族と思われる吸血鬼らが描かれている。謎のモジャモジャもいる。彼だけ人間のようだ。隅の方に目を移すと、某ニヤケ面も雑に描かれていた。これらは自我を保つ為に行なったのだろうか。実に興味深い行動だ。
「こんばんは、ノースディン。」
牢に入る。鉄格子側を向き、右を下にして横たわる彼へ静かに近づいていく。狸寝入りだ。氷水でも掛けてやるか。そう考えながら、彼の顔の真横へ足を運んだ時だった。
「おや、痛いな。」
右手で、左足首を強く掴まれた。そのまま引かれ、私としたことが、少しよろけてしまった。彼はそれを見逃さず、なかなかの速度で立ち上がり、掴んだ脚を持ち上げて私の体勢を崩そうとした。私はそれを利用して、地に着いている脚を軸に回転しつつ、彼の顎に右拳を突き上げた。
「ッ!」
「おお、すごいすごい。」
なんと、彼は首を反って避けた。続けて、右脚を払ってきた。私の脚はびくともしない。左の拳が飛んでくる。鼻先を掠めた。諦めず何度も打ち込んでくる。避け続ける。
やがて、殴るように振るわれた拳が、途中でわずかに方向を変え、頸部へと飛んできた。未だ左足首を掴まれ続けているため避けきれず、絞められることを受け入れる。
全く手加減がない。私を殺すつもりだ。息ができない。このまま数十秒もすれば意識を失うかもしれない。
この状況を生み出した彼へ拍手を送りたい。せっかくなので、このまま様子を観察しよう。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、」
殺意を剥き出しにした表情で息を切らしている。特異な瞳孔が縦にも開くのを初めて見た。余程の興奮状態らしい。汗を大量に流しているのが見て取れ、私の首を絞める手も汗でぬめるのを感じる。渾身の力を込めているのだろう、腕は小刻みに震えている。この瞬間に全てを賭けている。それが伝わってくる良い光景だ。ああ、堪能した。
次の瞬間、私は彼の後方へテレポーテーションした。
「ぁ……………………、」
もう少しで悲願が達成されると、強い希望を抱いていたであろう彼は、か細い声を上げて固まった。殺意に燃えて紅潮していた身体がサァーっと青くなる。
「主人への反逆は良くないと学んだと思っていたのですが、まだ足りなかったようですね。」
立ったまま動かない彼の背中へ向かって、静かに声を掛ける。先程とは別種の震えを起こしているのが見える。
「何故今になって?身体が作り変わっていくのが怖くなりましたか?」
耳元へ口を寄せて、恐怖を煽るように吹き込んでやる。
「……ふっ、……ふっ、……ふっ、……ふっ、」
呼吸が小さく、浅い。色を失くすほど血の気の抜けた皮膚から、罰を強く恐れているのが伝わってくる。
「安心しなさい。首を刎ねるような真似はしませんよ。貴方は私の大事な奴隷ですからね。いつも通り、鞭を打つだけです。」
それを聞いて、彼の纏う空気が多少和らいだ。
「私に背中を向けたまま、四つん這いになりなさい。」
命令に素直に従って、手脚を床につける。想像した罰より軽かったことから、抵抗が薄くなっているのだろう。
「それでは、罰を与えます。」
告げつつ、鞭を取り出した。肩がぴくりと震えたが、やはり反抗心は感じない。
彼を再び絶望に叩き落とすべく、本当の罰を告げた。
「鞭を止めて欲しければ、『ご無礼をお赦しくださいご主人様。どうか私めを従順な奴隷に調教してください』とでも言ってもらいましょうか。覚えられますか?」
「…………は?ッ、ぁッ!」
困惑を無視して打ち始める。続けて打つ。
「ぁぐッ!くそッ、殺すッ、殺すッ!」
先程までの健気さはどこへやら、暴言を吐き始めた。
「殺せないのは身に染みて解ったでしょうに。」
「ぐぁッ、ぁッ、ぁぐッ、ぅう゛ッ、」
「貴方が言うまで終わりませんからね。」
それから、言うべき台詞と、それを言わなければ終わらないことを何度も何度も伝えたというのに、彼は従わなかった。
2時間は経っただろうか。背中の皮膚は抉れ、正常な部位は失くなった。裂傷から血が溢れて床を千々に汚している。鞭を振るうたび、傷は深くなり、血が飛び散り、叫びが上がる。
「ぁーーッ!ぅっう、ぁああーーッ!!ひぐっ、ぃだいッ!いだぃいッ!!」
彼は顔中汁塗れにして泣き叫んで、床を這い、壁にぶつかっては方向を変え、ぐるぐるぐるぐると牢を四角く回り続けている。私が飽きて止めるとでも思っているのだろうか。強情な子だ。
「ほら、『ご無礼をお赦しくださいご主人様。どうか私めを従順な奴隷に調教してください』と言えば終わるのですよ。早くしなさい。」
適当に伝えた言葉だったが、教える為に何十回と誦じたためスラスラと口から出るようになってしまった。
このまま強情が続けば肉も削げて殺してしまうかもしれない。残念だが、その前には罰を取り止める必要がある。そう考え出した頃だった。
「ごッ、ぇぐっ、ごぶれぇをッ、ひッ!おっゆるしぃっ、くだしゃぃッ!ぅあッ、ごしゅじんっ、さまッ!!ぃッ、いだぃいっ……!」
泣き喚きながらも、その言葉を確かに発した。ぷるぷると震える背中に最後の鞭を振り下ろす。一際大きな叫びを上げて、背が弓形に反る。
「赦しましょう。……続けなさい。」
鞭から解放された状態。喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、彼はどうするだろうか。数秒の沈黙の後、口を開いた。
「どっ、どうかっ、私めを、従順な、ど、奴隷に……調教してっ、ください……!」
今のうちに言わなければ再び鞭が繰り返されると考えたのだろう。恥辱への怒りを滲ませながらも、彼はそれすらも言い切った。平生に近い状態でその懇願を発させることができ、私は非常に興奮した。
「ああ、ああ、いい子だ。よく言えたね。」
「……っ、う、」
床についていた彼の頭を持ち上げて、胸へ抱き寄せて、愛しむように撫でる。一瞬身を強張らせたが、後はされるがままだった。
「望み通り、従順な奴隷にしてあげようね。大丈夫。私の言葉に従っていればいい。そうすればお前は幸せになれるのだから。」
「…………。」
私の言葉に反応することはなかったが、反抗してくることもなかった。私の胸に頭を預けたまま、彼はいつしか気を失い、眠りに落ちた。