グルアオワンライ:お題「海」 どんなに得意なことでも調子が悪くなることはよくある。それが長引くことも。
スノーボーダー時代からスランプとの付き合い方は心得ていたつもりだった。だというのに、今はどうだろうか?グルーシャは自分のバトルの戦績を見てため息を吐いた。
「……真っ黒だな」
もちろんジムチャレンジャーに対しては圧倒的な勝利を収めている。パルデア最強の肩書きを背負うだけの実力は確かにあった。それでも対チャンピオンとなると、ここのところ負け越しが続いている。さっきのバトルで五連敗だ。
「前までは引き分けもあったんだけど」
あと一歩で彼女から勝利を奪える。そう高揚していたのが随分と昔のように思えた。
「どうして……」
と、思わず頭を抱えてしまう。最近はチャンピオンの彼女を前にすると冷静でいられない。柄でもなく熱くなって、彼女に溶かされる間もなく自滅しているような気がした。
「ホエホエ!」
悩み続けるグルーシャを心配したのか、アルクジラが駆け寄ってきてグルーシャの周りを忙しなく動き回った。
「大丈夫。ちょっと考え事してただけだから」
「ホエエ……」
グルーシャは安心させるようにアルクジラを撫でたが、大きな瞳はまだ不安そうに伏せたままだ。が、しばらくするとアルクジラは突然グルーシャの手を取った。
「ホエッ!ホエエー!」
「ちょっ、何?どうしたの?」
アルクジラはそのままグルーシャを引っ張って外へと向かった。アルクジラを止めたくとも、手加減なしのポケモンの力は人間よりはるかに強い。辛うじて職員に出てくるとだけ伝えて、グルーシャは半ば引きずられるようにしてジムを出た。
アルクジラはなかなか止まってはくれなかった。散歩の範囲を超えて、ナッペ山を上へ上へと登っていく。
「ねぇ、どこまで行くつもり?」
そろそろパルデア最高峰まで辿り着こうとした時、アルクジラは足を止めると、もう片方のヒレをピッとかなたへ向けた。その動きにつられて目を向けてーーグルーシャは思わず息を呑んだ。太陽の光を受けて、キラキラと輝く北パルデア海が眼下に広がっている。
「すごい、綺麗……」
「ホエホエー!」
アルクジラはグルーシャの声に自慢げに応えた。
「もしかして、これを僕に見せたかったの?」
グルーシャの問いにアルクジラはヒレをパタパタ動かしながら頷いた。
そういえば、アルクジラは遥か昔は海に生息していたらしい。ホエルコに近いとも言われている。だから、思い入れがある海を見て、元気になってもらいたかったのかもしない。
「海、か……」
ずっと山に籠っていたせいか、グルーシャにとって海は縁遠い存在だった。けれどこうやって見ると、思いのほか近くにあったらしい。
「行ってみようかな」
「ホエホエ!」
グルーシャの独り言に、アルクジラはピョンと小さく跳ねた。良いアイディアだと言っているみたいだ。確かに気分転換になるかもしれない。
グルーシャはスマホロトムで空飛ぶタクシーを呼んでから、アルクジラを連れてジムへと戻った。その足取りはさっきより少し軽くなっていた。
***
そう、海に対してそんな感慨に浸りながら来たはずだった。確かに、静かに波打つ海も、吹き抜ける潮風も、どれもグルーシャにとっては新鮮で心地よい。アルクジラだって波打ち際で嬉しそうにはしゃいでいる。来て良かったと素直に思えたはずだった。
「グルーシャさんのバカぁぁぁ!!」
聞き覚えのある声が海に向かって自分を罵倒していなかったら。
「おい、そろそろ止めろって!オレまで恥ずかしいんだけど!」
そんな叫びのすぐ後に困惑した声が続く。グルーシャはその声に思わず近くの岩に隠れた。その岩場から覗くと、砂浜で叫び声の主のアオイと知らない誰かが喋っていた。
「叫ぶくらいいいじゃない。ここあんまり人いないし」
「いや、いるだろオレが!?てか、この裏がチーム・ルクバーだって知ってんだろ!?オマエがうるさいって苦情が来てんだよ!」
小柄で全身ピンクの派手な男がアオイに突っかかる。アオイは男の言葉に「ちぇっ」と小さく悪態をつくと、砂浜に座って膝を抱えた。男は俯くアオイを見ていたが、しばらくすると「あー、クソッ!」と痺れを切らして自分も隣に座った。
「オマエさ、何そんなにむしゃくしゃしてんだよ?ナッペ山のジムリーダーに負けたのか?」
「違う。ちゃんと勝ったよ」
アオイはむくれた顔で短く答えた。
「じゃあ何があったんだよ。こんな迷惑なことまでしてさ」
男の問いにアオイは目を伏せたままボソボソと話す。その声は波の音に掻き消されるほど小さく、グルーシャにはよく聞こえなかった。けれど、隣の男には十分聞こえたらしい。アオイが話を終えると男は大きな声を上げた。
「はぁ!?何だよ、そんなことかよ!?」
「そんなことって何よ!これでもスランプですっごい悩んでるのに!」
アオイは頬を膨らませて男を睨みつけたが、男の方はフンッと鼻で笑った。
「完全無敵のチャンピオン様でも苦手なことってあるんだな」
「なによ、その言い方!だったらオルティガもちょっとは考えてよ!」
「だからなんでオレが!」
と、オルティガと呼ばれた男はそう言いつつも、結局はアオイと一緒に考え込んで、そしてふと口を開いた。
「なぁ。考えたんだけど、その方法合ってないだろ。オマエらしくないし」
「えー、じゃあどうすれば……」
「いつもみたいに勢いでどうにかしろよ。ケンタロスみたいにさ」
「なっ!?誰がケンタロスよ!」
目くじら立てて怒るアオイに、オルティガは気にせず声を上げて笑った。そんな仲睦まじい二人の様子を見て、グルーシャの眉間に皺が刻まれていく。
誰だよ、アイツ。
馴れ馴れしくアオイと話すオルティガにグルーシャは冷たい視線を向けた。
だいたいスランプだなんて聞いてない。それなら僕に相談してくれたっていいのに。
グルーシャの視線は、怒りつつも楽しそうに話すアオイに移る。