『Spysee Crazy summer?』暑いあつ~い夏がきた。正直この時期はあんまり好きじゃない。とにかく暑いし怠いしやる気が出ねぇ。前は毎日二日酔いでフラフラしてたから余計にいつもより明るくて強い日差しが嫌いだった。汗もかくしな。
「うげぇ~……あっちぃ……」
ベッドから起き上がって近くに転がしてあったスマホを確認する。昼前。まぁ、昨日……いや、日付上じゃ今日なんだけど。遅くまで大人の運動をしてた身としちゃ早く起きた方だろ。
パンツ一丁の情けない姿。いつ履いたんだっけか?記憶がいまいちねぇけど。
「起きた……のか?」
「ん?」
か細い声に肩越しに振り返れば。埋もれた布団が暑かったのか。それを振り払うように腕を動かして……自分がどんな姿をしているのか気付いたのか。ピタリと動きを止めて、地獄のエンマサマも泣いて逃げるようなこわ~い目でオレを睨む。いや、そんなツラされてもな~……。
「なぜお前が履いていて俺は全裸なんだ」
「オレに聞くなよ」
「お前しか知らないだろうが」
「オレだってパンツいつ履いたか記憶に……あ~はいはい今持ってくっからキレるなよ!」
目で殺すってのはこういうことなんだろうな。逃げるように激おこブラッドから離れて部屋の床に……落ちてる下着を投げたら殴られそうだから、考え直して洗面所へと足を向ける。
ブラッドお泊まりコーナーから黒のボクサーをひっ掴んで部屋に戻ると、いつの間にかシャツだけ拾って上に羽織ったブラッドが、見ていたスマホから顔を上げた。
「ん」
「……間違えて、いないな?」
前に一回、寝ぼけてオレの下着を渡したらあっちも寝ぼけてて。よれたトランクスを履いたブラッドとかいう世に出ちゃならねぇ姿が爆誕しちまった。なんならちょっと興奮してヤろうとしたら、容赦の欠片もねぇ正拳突きをみぞおちに食らって撃沈した。マジで内臓飛び出るかと思った……酷くね?
「よし、大丈夫だな。感謝する」
「素直に初手でありがとうって言えねぇのかよ」
「言えるような信頼をお前が取り戻せばいくらでも?」
ベッドから何事もなく立ち上がって下着を装着すると、これまた何事もなく散らばった服をかき集めて部屋を出ていく。洗面所から聞こえる水音。次いでバタン、と扉を開く音にシャワーを浴びるのだと察する。まぁ、軽く体拭いただけだしな。
「……飯でも作るか」
くわっと出た欠伸を噛み殺し、床に落ちたよれたシャツとスラックスだけ履いていて台所へと向かった。
朝。目覚めると目の前にキースの顔がある。ゆっくりと息をして、時折酷い鼾をかくが寝顔は安らかなものが多かった。そんな朝を迎える回数が増えたと、昔を振り返って思う。前は本当に酷かった。こんな優しい朝を迎える……キースと、共に迎える日が来るなど想像もできなかった。
熱い湯を顔に体に浴びる。すっかり使い慣れたシャワールーム。目を閉じていてもシャンプーがどこにあって、どこに髭剃りが置かれているかわかる。さすがに危ないから、目を閉じたままそれらを手に取ろうとは思わないが。
体を重ねて、招かれるように眠りに落ちた俺の体は綺麗に拭われている。毎回、毎回。キースが俺の体を清めてくれているのだと。そう思うと込み上げるものがある。これも、昔なら想像もできなかったことだ。
蛇口を捻って湯を止める。洗面所へと出て、用意してあったバスタオルを手に取る。こういう、細やかな気遣いをしてくれる男なのだ。キースという男は。
顔を洗い歯を磨く。たいして生えていない髭を剃り、髪を乾かし軽く櫛を通して整える。身支度を終えて洗面所を後にする。遠くから聞こえる物音に、キースがリビングにいるとそちらに足を向ける。
「お?やっとあがったか。相変わらずなっげぇ風呂だな」
当たり前のようにキッチンに立ち……よれたシャツとスラックスが目に止まったが、今は追及するのを止める。
「目を覚ますのにちょうどいい」
「そういうもんかねぇ?まぁいいや。朝……っつーか昼か。飯さ、ちょっと重めでも食えるか?昨日ディノの奴から通販でってケイジャンスパイス貰ったんだよ」
と、少し高く上げて見せたのはオレンジと赤の中間くらいの色味の缶だ。ケイジャン、というと辛みのある料理のイメージがある。どちらかと言えば酒のつまみのイメージも。
確かに起きてすぐに食べるにしては決して軽くはない。が、部屋は先程クーラーをかけたばかりなのだろう。むっとした暑さがある。時期は夏にさしかかり……夏、熱い時期、食べる料理、スパイス、滋養のいいもの……など、多数のイメージと料理が頭を過る。
日本では暑さに負けないようにと辛いものやカレーをよく食すのだと聞いた。さすがにカレーを作るだけの食材を揃えているとは思えないし、ケイジャンスパイスなら出てくるのはチキンか、もしくは魚介か。
「構わない。お前が作るならなんでも」
「おだてたって何も出ねぇぞ~?なら決まりだな。とりあえずチキンと芋があるし、米もあっからテキトーに作るな。あと、ビール!」
にやにや笑いながら言うところを見ると、初めからそれが本命らしい。別に……オフだからとやかく言うつもりはないが、昼間から酒盛りをしようと言うのだからやはり怒るべきなのだろうか?
だが、夏とは恐ろしいものだ。辛いケイジャンスパイスを揉み込んだ肉。部屋いっぱいに漂う刺激的な香り。芋、と言ったからつけあわせはマッシュポテトかフライドポテトか。あるいはただ茹でるだけかもしれない。米もそのままか……あるいはバターライスにしてくれるのか。
「へへっ、なんだよその顔」
「!」
カウンターに肘をついてキースがにやついている。俺の顔を見て、だ。
「腹ペコ暴君さまの腹を満足させてやるよ」
キースが言い終わるのが早いか。情けなく鳴った腹の虫を隠すようにそこを強く押さえて唸った。
腹ペコ暴君さまを助手に、キースの夏のスパイスクッキングが始まる。
冷蔵庫から取り出した鶏のもも肉にスパイスをかけようとして……『最高のスパイスを合わせた最強のドリームマッチ!どんな食材も舌が蕩ける美味しさにって謳い文句なんだ。これってすごくないか!』と鼻息荒く言ったディノのキラキラ光った目を思い出す。
あらかじめ切って、ブラッドに磨り潰してもらったニンニクと玉ねぎ、それとスパイスを振りかけて軽く揉み込む。こいつはこれでいい。
「芋はどうする?」
じゃが芋の皮を丁寧に剥きながらブラッドが問いかけてくる。本当なら、こいつにもスパイスをかけてフライドポテトにしてやりたいんだが、さすがに起き抜けに肉と揚げた芋は胃にツラそうだからやめるか。って、皮剥いちまったな……もしかしたら、オレがそのつもりだと思って剥いてくれたのか?
「うーん……揚げてもいいけど、使いたいもんがあるから茹でるわ。サイコロ目に切って鍋で茹でといてくれ。塩とか入れなくていいからな」
「……わかった」
あ、一瞬悩んだ。使いたいもんがあるのは嘘じゃねぇんだけど……きっとこいつのことだから、余計なことしたとかうじゃうじゃ考えてんだろうな。まったく。
「ほら、前にのり塩のじゃが芋食いてぇって言ってただろ?あれもビールに合うんだって。油もんだらけだとオレの胃袋が死ぬからな。これがいいんだよ」
「……」
まだ納得してなさそうなツラしてるけど、食えばご機嫌も小さいことも気にならなくなるだろ。
米は炊きたてじゃなくて冷凍しておいたやつになるから、こっちは手間をかける必要がある。ターメリックライス……なんてのはできねぇから、普通にバターライスだな。ガーリックチップがあるから入れたらさぞ酒に合いそうだけど、ちょっと我慢。この後何があるかわからねぇし?エチケットエチケット。
フライパンにバターを入れて熱して、頃合いを見て、先にレンチンして解凍しておいた米をぶっ込む。じゅわっとバターが米に染み込んでゆっくり白から薄い肌色に、ちょっとの焦げ目がつくのを眺める。
「ふ~ふふん~ん~んん~」
鼻から入る香ばしい匂いについ気分が良くなっちまって。フライパンを振りながら米を踊らせる。手首のスナップで宙に米を飛ばしてムラなく炒めあげる。全体にバターが混ざったら皿……。
「ほら」
「お、サンキュー気が利くねぇ~」
横から伸びたブラッドの手にはシンプルな皿が二つ。緑と紫色の。緑がオレで、紫はブラッドのだ。米をちょうど半分になるようにうまいこと皿に盛って、再度コンロに乗せる。同じフライパンに浸けておいた肉を皮から投入する。
本当は先に作ったのが冷めちまうから同時に作りたいんだが、うちにはフライパンが一個しかねぇからどうしてもこうなる。
「キース、芋が煮えたぞ」
「りょうか~い。湯切りしてそこの引き出しに……そう、それそれ。それかけてさっきの皿に盛っといてくれ」
引き出しに入ってた青のりを見た瞬間、オレの意図を察して頷くブラッドの目がきらりと光った気がした。ザルにあけた芋を鍋に戻して、そこに少しだけ塩を振り、青のりはたっぷりとかけて軽く揺する。
「これでいいか?」
不安だったのか。オレに向けて鍋の中身を見せてくるのがブラッドらしい。作り手のそういうのは料理に反映される……らしい。鍋の中には均等にのりがついた旨そうな芋がある。つまみ食い……したら殴られるな、やめとこ。オレが頷くと、ブラッドは満足そうに息を吐くとさっきの皿に丁寧に盛り付けていく。
……昔は不器用で、芋の皮ひとつ剥くこともできなくて。指切ったり、剥けても皮に身がつきすぎてやたら歪で小さかったりと散々だったのが、今はお手本みたいに綺麗にやりやがる。盛り付けに気なんか回らなくて、ただ皿に乗せるので精一杯だったってのに。いつの間にか上手くなってた。その背中を、オレはこうして遠くから眺めてる。嬉しそうに、ちょっと誇らしげに。拘りなんかあるんだろうな。芋ひとつ盛るだけだってのに大袈裟な奴。でも、すげぇブラッドって感じだった。
「よ~し、いい色~」
こんがり焼けた肉を返す。蓋をして蒸し焼きにして、じっくり火を通す。先にあげた米と芋が冷めちまうな……やっぱり今度フライパンもう一個買い足すか。
パリパリの皮。刺激的だとわかる香ばしさとつんと鼻をつつくスパイスの匂いに腹が鳴るのを止められない。包丁で食べやすい大きさに切り分け、まな板ごとカウンターの向こう……ブラッドがメイクしたテーブル、その皿の上に恭しく乗せる。並べられたフォーク、ブラッドの前には箸が並んでる。お前、これもそれで食うわけ?バターライス掴めんの?
「ビールどうする?」
「いただこう。今日は缶のままで構わない」
冷蔵庫から冷え冷えのビールを二本取り出す。ブラッドはいつもグラスに移して飲んでるけど、確かに今日は冷やしてなかったのを思い出す。どうせ夜も飲みそうだし、後で入れとこ。
キンキンに冷えたビールをサイドに、メインにはスパイシーで最高にビールに合うキチン。添えられたのり塩の芋。冷めちまったけど、それでも美味しそうなバターライス。朝飯兼昼飯……兼、つまみ飯だ。
「いただきます」
「先にカンパイしようぜ」
「カンパイ?なにに」
「えぇ……そこ気にするとこか?」
プルタブをあげて、缶を掴む。ブラッドも同じようにして、何の間なんだか。二人してバカみたいに見つめ合う。自分で言い出したくせに、何にカンパイすんのか思い付かないらしい。
「……じゃあ、ビール最高!にカンパイ」
「は?そんなことに……こら!」
ごつり、と。合わせたビール缶が鈍い音を鳴らす。神妙なツラしてたブラッドも、オレがぐびぐびビールを飲み始めたら諦めもついたのか。自分も珍しく一気に喉に流し込むから。なんか、いい時間だな、なんて。感慨深くなんかなったりして。
「いい、朝だな」
つい口からそんな言葉が出ちまって。しかも聞こえちまったらしい。口にチキンを頬張ったまま一瞬固まってこくり、とそれを噛み砕いて飲み込む。少しだけ視線を迷わせて……すぐオレの方に向けた。
「そうだな。朝ではないが、いい日になる」
部屋を満たす太陽の光に透けたブラッドの目が、そう言って柔らかく笑った。