桜木花道がΩであることを教えても、大抵の者は驚くし簡単には信じない。恵まれた体格もバスケで活躍する姿もαにしか見えないからだろう。
それでも長年の付き合いがある洋平には納得しかない事実であった。派手な見た目に反して内向的で繊細な性格を持っており、ケンカやバスケ以外のスポーツでは特に目を引く特技はないし勉強も苦手だ。
内面を理解し深く付き合ったら見えてくるはず。いま、花道がいる場所も手に入れた栄光も、すべて持って生まれたものではなく彼自身が努力と根性で勝ち取ったものだということを。
高校三年への進級を控えたある日、洋平は花道から頼まれごとをした。
「洋平に会ってほしい人がいる」
花道の表情や言葉の端々から、番を紹介されるのであろうことは容易く察しがついた。花道が選んだ番がどんな人なのか単純に気になるし会ってみたくて、二つ返事でOKした。
顔合わせの際、いつものファミレスで花道の隣に座った男は、なぜおまえに会わねばならないのかという訝しげな瞳で洋平を睨んだ。所有欲と独占欲が入り混じる、醜い顔。こんな器の小さい男だったのかとも思ったが、だからこそまだ未成年である花道を番にしようとしているのだと合点がいく。
洋平は余裕を絶やさず穏やかな笑みを浮かべたまま挨拶を交わした。
それからは花道の口から度々ノロケが飛び出すようになった。
「オレ、ショーライ赤ちゃんほしいんだ。そう言ったらアイツ、一緒に子ども作ろうなんて言うんだぜ。まっ、いまはバスケがあるからムリだけどよう」
わはは、と明るく笑う花道につられて洋平も微笑んだ。
「よかったな、花道」
「なぁ、洋平のカノジョさん、元気か? 今度また三人で遊びに行きてえな。それか、アイツと四人でどっか行ってもいいな」
「ああ、そうだな」
ニコニコと計画を立てる花道は非常に可愛らしいが、その夢が叶うことはない。
花道の番を紹介されて数ヶ月経つころ、洋平にも番ができた。花道に彼女を紹介するがてら三人で遊んだ際、洋平が彼女より花道を大切に扱ったことでひどく怒らせてしまったのだ。もうあの人とは会わないでなんて勝手すぎる要求までぶつけられ、当然断った。
花道と会うのが嫌なら会わなくてもいい。しかし洋平と花道の関係性をどうこうできるなどなぜバカな考えを持ってしまうのか。二度とそんなこと言うな、次に言われたら別れる、そう告げたら彼女は泣いて縋りついてきた。
彼女とはいわゆる運命の番という繋がりで、身体の相性だけはよかったけど、それだけだ。
もっと大切なものは、ほかにあった。ひとつしかない。ずっと前から。
『よーへ……』
時々、花道から電話がかかってくる。甘い声で名前を呼ばれて、ヒートの最中なのだと即座に察した。
『よぉへ、オレ……巣、つくった……みにきて、ようへい』
「オレは行ってもいいけどアイツは? 今いねえの?」
『ん……でかけてる』
「電話かけてみた?」
『んーん、ようへいにだけしか、かけてねぇから……はやくこいってば』
ふうふうと息が荒い。相当しんどそうだ。番より先に連絡をしてくれたなら、その気持ちに応えねばならない。
花道の家まで急ぎ、花道から以前もらった合鍵でドアを開けた途端に飛び込んでくるΩの濃いフェロモン。部屋中が甘ったるい匂いで満たされていた。きっと普通のαが嗅いだらひとたまりもないだろう。洋平は花道のそばで長年一緒に過ごしてきたこともあり、いい匂いだとしか感じない。新鮮な空気より美味しい、花道のにおい。
部屋の隅に服のかたまりがある。ぜんぶ洋平がここに置いていた服だ。花道の番もよく来てるらしく服は置いてあるだろうに、洋平の服を使って巣作りしたのか。
「花道……?」
服のかたまりに近づいて優しく声をかけてみるともぞもぞ揺れた。
「よぉへ……からだ、あつい」
「うん、つらいな」
服の上から規則的に撫でてやると、花道が気持ち良さそうに身を委ねた。
「花道が楽になるまで、こうしてような」
「うん、ようへい、オレ……すづくり、できた」
舌足らずに報告してくる花道がこどもみたいで可愛らしい。ほかに番がいるのに洋平の服で巣作りしてしまうくらい、身体に染み込んで離れないのだ。花道の魂に刻まれた、洋平という噛み跡が。
「ホントにいい巣だ。よくできたな、えらいよ、花道」
「オレ、てんさい……?」
「うん、花道は天才だよ」
「へへ……」
話しかけながら撫でてやり、どのくらい経ったろうか。すやすやと寝息を立てながら眠ってしまった。しっかり洋平の手を握って離そうとしない。力づくで解くことはできるけれど、そのまま寝顔を見つめていたら、呼び鈴が鳴る音が部屋に響いた。きっと花道の番だと思い、絡まっていた花道の指を一本一本そっと優しく離していく。
鍵を開けると、ドアが乱暴に開けられて男と目が合う。怪訝な顔を隠そうともしない。
「……なんで、おまえが」
「悪いな。花道がヒートでつらそうだったから。ここの匂いでわかるだろ?」
「なんで桜木がヒートだとおまえが出てくんだよ。関係ないやつは引っ込んでろよ」
「はぁ? おまえがちゃんとしてたらオレはここに来てねーんだよ。番がいるとΩのヒートは楽になるって聞いたけど? おまえが花道を満足さしてやれてねえってこと、わかれよ。番の務めを果たせてねぇのに口だけは立派だな」
睨みをきかせると男は言葉を呑み込んだ。
「オレはもう行くけど、花道のこと責めんなよ。そんなことしたら、どうなるなわかってるよな」
返事はなく、大きな舌打ちだけが聞こえた。
わざと大きな音を立てて鍵を閉めると、夢うつつの花道が「洋平……」と寝言を呟いたので、男は拳を握りしめることしかできなかった。
翌日、すっきりした顔で花道は学校に登校してきた。
「いやー、全快全快!」
「よかった。あのあとアイツになにも言われなかったか?」
「おう、なんか元気ねーつうか、機嫌わりーけど、なんも言われてねえぞ」
「そっか。それなら安心だ。オレ今日はバイト行くから練習見にいけねーけどムリすんなよ?」
「え……洋平、今日こねーの?」
「まぁ、そうだな……」
「昨日ブカツ行けなかったから、今日は最後まで残ろうと思ってる……洋平、バイトのあと来れねえか?」
縋るように見つめられてしまったら、断ることなんて不可能だ。
「わかった、じゃあバイトのあとな」
そう答えれば花道の顔がパッと明るくなった。
その夜、洋平のバイト先に彼女から電話がかかってきた。ヒートだから来てほしいのだという。行こうと思えば行けるが、このあと学校に戻らなければならない。約束があるから無理だと返したらひどく驚かれた。
Ωのヒートはαにとって麻薬とおなじで、ヒート中に行為に及ぶと普段と比べ物にならないくらい強い快感を得られる、いわば釣り餌のようなものだ。目の前に人参をぶら下げられても走っていかない洋平は彼女にとってさぞ奇妙に映ったことだろう。
納得できないのか受話器の向こうで騒ぎ立てる声に生返事をしてから電話を切った。早く学校に行かないと。花道が待っている。
「よーへー! 遅いぞ!」
「はは、わりぃわりぃ」
不満そうに頬を膨らませる花道を宥める、この時間が好きだ。
健康的に汗を流しながら高く跳んで器用にシュートを決める。Ωであることをものともしない、Ωだからこそ際立つ、たゆまぬ努力の輝き。世界一強くて美しい、桜木花道。
洋平は、静かに花道の練習を見つめ続けた。練習を終えたあとは花道の家まで送り、自宅へと戻る。ヒートの彼女の存在は頭の片隅にはあったが、花道と過ごした時間の余韻に浸っていたくて無視をした。
花道が番の男に振られたことを泣きながら報告してきたのは、それから数日後のことだった。
「つ、ツガイを解消するって……うちにあった荷物とか全部持ってっちまって電話も通じねーんだ……」
さすがに哀れんでいるのか、桜木軍団の面々も冷やかさず話を聞く。
「おーおー、かわいそうに」
「まったくαのやつは勝手だよな〜」
「じゃあ、ソイツは花道に噛み跡つけたくせに捨てたのか?」
捨てた、という言葉に泣きがさらに大きくなる。
「うう〜〜……ぐす、そ、それはダイジョーブだ……うなじを噛むのはオレが成人してからって言ってあったから……」
「えっ? 番になったって言ってたけど正式に成立したわけじゃねーのか?」
「ぬ……セーシキにヤクソクしてたぞ!」
「ひぇ……おあずけしてたのかよ。それでヒートんとき洋平のこと頼ったりしてたらフラれるのもしかたねーわな」
「ちょっと相手のヤローに同情するぜ」
「オレも」
「お、おめーら……この、裏切り者〜〜!」
花道から頭突きを受けた三人が倒れ込む様子を笑いながら見届けて、洋平がサラリと呟く。まるでなんでもないことみたいに。
「実はオレもさ、別れたんだ。彼女と」
「ふぬ……洋平もフラれたのか……!?」
「ま、そんなとこ」
正確に言えば、相手からフッてもらうよう仕向けた。彼女は恐らく自ら別れる道を選んだと思っているだろうが、なにもかも洋平の目論見通りというわけだ。
ヒートになっても放っておかれて、男友達より大切にしてもらえない。そんな日々に嫌気が差していたころ、洋平のバイト仲間であるαと引き合わせてやったらコロッと落ちた。その男とは運命の番ではないから、実るか否かは彼女の努力次第だが。
「でも洋平は彼女の、その……うなじ、噛んだんじゃねえの?」
恐る恐る聞かれて、洋平は静かに首を振った。彼女からは何度も噛んでくれと懇願されたものの、洋平はそのたびに拒んでいた。洋平の本能も彼女のうなじを噛みたがっていて、耐えるのはかなり苦しかったが、それも強固な理性で抑え込んだ。自分が高校卒業してからのほうが責任取れるとか、最もらしい理由をあげ連ねて。
もちろんそんなものは口実でしかなく、本当は責任を取る気持ちそのものがなかったのだ。Ωを自分のものにするのは、自分の一部を相手に捧げるのと同じこと。後々しつこくつきまとわれたり恨みを買うのも面倒なので、なるべく後腐れない関係を築きたかった。花道以外のすべてが、洋平には枷でしかないから。
「オレ……もう番とかいらねえかも。めんどくせーし。洋平がいるから、いいや」
まるで洋平がずっとそばにいてくれて当たり前だと疑わない、まっすぐな声。先ほどまで花道の心を支配していた悲しみは涙と一緒に流れてしまったようで、表情はすっかり明るい。
「うん、オレも。花道がいるならほかにはいらねーかも」
「ふぬ! そうだよなぁ!」
ふたりの会話を倒れたまま聞いていた大楠と高宮と野間は、顔を見合わせヒソヒソ声になる。
「なぁ、あいつらのアレって無自覚なの……?」
「残念ながらそうみてーだぞ。巻き込まれる他のΩやαが気の毒だな」
「オレたちもな」
うん、うん……と頷く。せっかくαとΩなんだから早いとこくっついてしまえばいいのに、あまりにも近くにいすぎたせいで既に関係が熟成し、完成されすぎてしまったのだ。
しかし三人が「はよくっつけ」と言ったところで二人ともキョトンとしたりケラケラ笑うだけで気にもとめない。
もしかしたら、このままずっとそんな感じで時間を重ねていくのかもしれない。番より深くて重たい関係にぬくぬくと浸かって、そのせいで番とうまくいかなくても気にせず、番よりお互いを最優先に生きていく。実に歪で純粋で、二人らしいと思う。
心底呆れ果ててしまうけれど、オレたちには関係ない。だって三人ともβだし、なにより二人は大切なダチなのだ。だから、この先ずっと見守っていく覚悟はできている。
番を解消したばかりのくせに楽しそうな二人の親友を茶化してやろうと、三人は大袈裟に囃し立てた。