空の青さを見る「ヒーロー?」
「そう! ガンマたちはスーパーヒーローなんだ!」
ヘド博士が楽しそうに語る。ここは研究室の一角である。私たちはレッドリボン軍のために日々研究している。半年前突然社長が連れてきたこの人は、超天才らしい。
「彼らは超天才の僕が作ったなんでもできるスーパーヒーローさ! 完成すればきっとすぐに分かる」
たしかに、ポットの中で完成しつつある“ガンマたち”は無駄のない強そうな形をしている。博士は彼らが一日も早く完成するようにこの研究室にかかりっきりだ。
「博士、もう一つの方はどうなっているんでしょう?」
「あー……。セルマックス? あとは細胞の増殖を待つだけだし、特にやることはないよ」
マゼンダ社長から頼まれているもう一つの研究について聞いてみる。さっきと比べてあからさまにやる気のない返事だ。確かにセルマックスは博士の作りたいものとかけ離れているし、使用目的も明るいものではないから仕方ないのだろう。
「それより、僕は社長に途中経過を報告してくるからガンマたちをよろしく」
書類をまとめながら渋々と言った様子で研究室を出る博士を見ると、素直な人だなと思った。
博士がいなくなった研究室には“ガンマたち”と私が残された。ポットに送っている酸素マスクが培養液の中でぽこぽこと泡を立てるのみで、部屋は静かだ。その静かさを壊したくなくて、なるべく音を立てないようにそのポットに近づく。
「……博士が夢中になるわけだ」
独り言が出てしまった。完成された肉体は、ただの人間には持ち得ないものがあった。彼らが空を飛んだり、ビームなんかを出す様子が簡単に想像できた。
「早く起きてくれないかな」
今は生き物と呼んでいいか分からないけど、毎日顔を見ているので愛着が湧いていた。早く起きて、博士の理想のスーパーヒーローの姿を見せてほしい。私は手伝いをしているに過ぎないが、それでもやはり結果が分かれば誇らしいと思うだろう。
「……あれ?」
ポットの中の泡の勢いがなんの前触れもなく強くなった。2号の方だ。私は慌ててバイタルをチェックする。数値が予定以上に上がっている。博士の計画だとどんなに早くても自立的に目覚めるにはあと三日ほど必要ということだったのに、もう彼は目覚めそうである。
「嘘でしょ?」
よりによって生みの親である博士がいない時だ。どんな異常が起きるか分からないのに私一人では心許ない。というかはっきり言うと怖い。研究に想定外はつきものといっても、人造人間など作ったことも見たこともないのだ。
そんな私の焦りをよそに、ポッドの中の泡は強くなる。ガラスにヒビが入り、研究室にはプレッシャーのようなものが充満する。私は立っていられなくなり、膝をつく。
「博士ってすごいもの作ってたんだな……」
予期もしないことだらけで、そんな他人事のような言葉が出る。その時だった。甲高い音がして、ポッドが割れた。私は驚いて伏せていた顔を上げた。
「システム、異常なし。バイタル、正常。視覚情報値A、聴覚、嗅覚、触覚、ともにA……」
そこには2号が立っていて、なんかロボットっぽいこと言っている。多分、生まれた瞬間に自分の機能をスキャンするようプログラムされているんだろう。その証拠に2号の目が信号のように光っていた。言い終わるとそれがだんだん消えて、普通の光を灯した。何度かまばたきをすると、その目がこちらを向いた。おそらく生体反応をキャッチしたのだろう。
スーパーヒーローは人を助けるべき存在だ。だから、どこにどれくらい人がいるのかすぐ分かるように作ってある。
「生体反応確認。お前は……いや、君は?」
ヒーローっぽい口調だ。声も聞き取りやすい。博士はやはり超天才だ。私はさっきまでのプレッシャーがいつの間にか無くなったことに気づいて、恐るおそる2号に近づいた。博士の代わりに、彼の状態をチェックしなければならないからだ。
「私はあなたを作った博士の助手です。これ、見えます?」
彼の目の前で手を振ってみた。すると驚くことに彼は手を振り返した。しかもヒーロースマイルのおまけ付きだ。人造人間というともっと無機質なイメージだったのに、一瞬でそれを覆された。
「見える見える。それより、博士はどこ? あとヒーローのポーズ考えるから手伝ってくれない?」
むしろ平均的な人間より口数が多い気がする。博士の憧れるヒーローがこうなのか、もしくは彼本来の性格なのか。人造人間にも個性が出るのだろうか。それらの問いは科学の領域を超えていて、私に答えは出せない。
「あー! 2号! もう目覚めたのか!?」
私が困っていると、勢いよく開かれた扉から博士が現れた。社長への報告が終わったらしい。私はほっとして博士に話しかける。
「いきなり起きたんです。でも、異常はないようです」
むしろ元気すぎるので、どうしたらいいか分からないくらいだ。博士は興奮した様子で私から資料を受け取ると、2号の前でひょこひょこ跳ねた。
「すごい、もうこんなに動けるなんて! さすが僕のガンマ!」
手放しで褒められた2号は、ますます元気になった。しかし生みの親への敬意があるらしく、うやうやしく礼をした。
「ありがとうございます! ところで博士、まだ寝ているのは私の同位体ですか?」
「2号は1号を元にして作ったから、そうとも言えるような言えないような……とにかく、君と一緒にヒーローをやってもらう相棒だよ。もう少しで目覚める。絶対に仲良くなれるはずだよ」
博士の言葉に、2号は目を輝かせる。ヒーロー、相棒、仲良し。それらのキーワードが彼の中にあるヒーローの志にうまくヒットしたのかもしれなかった。
「分かりました! 必ずスーパーヒーローになって期待に応えてみせます!」
2号がそう言って膝をついた。博士から促したわけではないから、自発的にそうしているんだろう。博士も2号を見下ろすというよりはむしろ羨望の眼差しで見つめている。私はその光景を見て、博士がいつも「必ず最高のスーパーヒーローにする」と言っていたことを思い出した。その気持ちが伝わっているのかもしれない。
「でも1号はやっぱりあと三日くらいかかるみたいだね。その間2号は簡単なテストをしててもらうから、頼んだよ」
まあ僕のガンマなら大丈夫だと思うだけど。ロボットが運んできた黒いビスケットをもしゃもしゃ食べながら、博士は言った。確かに生まれたてでこれほど流暢に話すことができるのなら大丈夫だろう。彼はやはり博士の思い描いたままのヒーローなのだ。
「はい!」
2号が気合い十分といったように両手をあげてポーズを取る。青いマントがに風が起きて揺れていた。
博士の予想通り、1号は三日後に起きた。それまでの三日間、私はなぜか2号と仲良くなっていた。
たとえば、先んじて2号の飛行テスト行っていた時。博士は目覚めた1号の検査を担当していたので、その代わりに私がテストの監視をしていたのだ。
「僕は空も自由に飛べちゃう! スーパーヒーローだから!」
それまでの体力テストも全く問題はなく、むしろ予想していた数値を軽々超えていた。飛行テストも難なく、むしろ余裕いっぱいでクリアしていた。もう1時間あらゆるスピードとポーズで飛んでいる。
監視をしている私は、実はそろそろ飽きてきた。この後だってやることが全くないわけでもない。
「そろそろ降りてきてくれますかー!」
「えー? なにー? 何か言ったー!?」
私が叫ぶと、2号は飛んだまま聞き返してきた。いや、だから早く降りてほしいんですけど。私は少々げんなりしながら空を見上げる。晴れ渡る空に、少しの雲があった。後ろに隠れた太陽の光で、その雲の縁が金色に輝いていた。
2号のマントがそんな風景の上にはためいている。私のいる地上からずっと遠くに、ポーズを決めながら浮いている。その姿はやっぱり、漫画やアニメに出てくるようなスーパーヒーローそのものだった。
「君も飛びたいのー!?」
「そんなこと言ってませーん!! 早く……って、うわーっ!!」
トンチンカンな返事が返ってきたので、慌てて訂正した。なのにその瞬間、2号が急降下してくる。上から風が吹いてきて、あっという間に2号がすぐそばに来た。
「えっ!?」
「人ひとり抱えるくらい、僕なら簡単さ!」
ほら、と両手を差し伸べられる。返事をする間も無く、2号に抱えられていた。体が浮いて、地面が遠くなった。視界に青が広がって、その時空中に浮いていると理解した。
「2号さん! うわ、ちょっと!」
自分の状況を理解はしても、恐怖はある。文句の一つも言いたくなるものだ。
「ん、なに? 気持ちいいでしょ!?」
「いや怖い怖い怖い!」
思わず敬語が抜ける。でも2号は気にしていないみたいだった。確かにこれまでもフランクな口調だったな。現実逃避して、そんなことを思う。でも目の前に広がる空は、鮮やかな青だ。ちょうど、2号がつけているマントのように。
「ほら、怖くないよ。見て見て。すっごい向こうまで見えるよ」
2号はほら、と指を指す。他にできることもやることもないので、恐る恐るその方を見る。ずっと向こうにまで目を凝らすと、2号の言う通りいつもは見えない山が見える。その尾根は遠くから見てもとても大きくて、圧倒される。
「すごい……」
普段は外はおろか研究室から出ることもほとんどないので、思わずそう呟いてしまう。
「ね? 飛んでみてよかったでしょ!」
首を動かすと2号の子どものような笑みで視界がいっぱいになる。私はその時気づいた。彼はスーパーヒーローでありつつ、スーパーヒーローに憧れる無邪気な心を持ち合わせているのだ。博士がガンマたちに「ヒーローの心」を入れたのは、多分間違いではなかった。
さっきまでの恐怖も忘れてなぜか高揚してきた心が、そんな気持ちを抱いていた。
「おーい! 2号ー!」
地上から、声がした。それは博士の声だった。私はテストのことを思い出して、慌てた。私の気も知らず、2号はやはり笑っている。
「飛行デートは終わり。博士のところに行こう!」
「えっ!?」
また急降下するんじゃないだろうなという嫌な予感は、残念ながら的中した。私は2号に抱えられながらおよそ人間の体が耐えられるギリギリであろう速度を体験することになった。
また頭が揺れる。2号のことだから私を落とすことはないだろうけど、怖いものは怖かった。
やっと地面に降ろされて2号から離れると、妙に疲れたので少し休むことを博士に伝えた。博士は1号について2号に伝えることがあるらしく、了承してもらえた。
地面を歩けることはなんて素晴らしいことなのだろう。研究室に向かいながら、そんなことを考えた。私はスーパーヒーローではないので、空を飛ぶなんて二度とごめんだ。
「飛行デートは終わり──」
空を飛んでいたことを思い出すと、2号から飛び出した「デート」という言葉にまた混乱するはめになった。空にいるときはそれどころではなかったので聞き流していたが、何かとんでもないことを言われていた気がした。
「デートって……」
研究室の空調は適温のはずなのに、顔が熱くなった。彼だって、意味も知らずに言ったのでもないだろう。まだ会って何日も経っていないのに。英雄色を好むとは言うが、スーパーヒーローである彼もその例に漏れなかったということか。
でも、それにしては爽やかすぎる言葉だったんじゃないのか。プログラムとか、スーパーヒーローとか、そういうものを置いて考えると、あれは本当に心から出たものなのではないか。だって、あんまり真剣に聞いてなかったはずなのにこんなに心を掴まれているのだから。
「じゃあ、やっぱり本気なのかなあ……」
研究室にふにゃふにゃした声が落ちた。自分のそんな声を聞いた後、私は明日からのことを考えて更に情けない声を出した。
「明日からどうしよう……」
もっとも、この悩みはこれからかなり私を振り回すことになるのだが──その時点でそんなことを知る由もなく、私は机に突っ伏して悩むばかりだった。