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    ザブソグル松尾

    @SUKIYAgaUMAI

    まだ助かる……
    まだ助かる……
    マダガスカルソ〜レィッ‼️‼️‼️

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    ザブソグル松尾

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    桜木へ、誕生日おめでとう、めで鯛、愛でたい、蝶のように花のようにかわいがりたい。4月なのでマダガスカルです。当日に完成させたかった〜

    全然流花してない2人と、2人の周りにいる湘北バスケ部の皆さんの話。

    無題、ジェダイ ガードレールの裏側へ立てかけるようにして置かれたロードバイクをぼんやりと見ていた。流川はその横に立ち、ひどく退屈そうにしている。俺が口を開けない間、時折眠たそうに目を擦って、ただただ俺の返事を待っている。流川はわざわざ自宅から離れた俺の住む団地へ自転車を走らせてきた。日が暮れてしまう前にさっさと話を終わらせて、この眠たそうな男を帰宅させたほうがいい。そんなこと分かってはいるけど、この複雑な感情をどう言えばいいかが思い付かない。

     流川がアメリカへ行く。年が明けたら、すぐ。

     安西先生はどうして流川の渡米を許したのだろう。流川が日本一を目指してひたすらに努力してたのは知ってる。それは日本一になることが安西先生が定めた大前提だったからだ。インターハイでは全国優勝できず、次にある冬の選抜こそは優勝した上でMVPになると意気込んでいたはずだった。冬の選抜は始まってすらいない。
    「なんで?」
     絞り出した声で発した言葉は、労いでも称賛でもなく、素朴な疑問だった。
    「行きたいから」
    「お前が行きてーのは知ってるけど……。なんで行けることになったんだよ」
    「……頑張ったから」
    「大会で結果残したわけでもねーのに?」
    「安西先生を説得するのを頑張った」
     本当に頑張ったのだと思う。安西先生が簡単に渡米を認めるとは考えられない。年明け直後に渡米するということは、冬の選抜直後に渡米するということと同義だ。年が明けた湘北バスケ部から三井さんと流川がいなくなる。あまりに致命的な戦力喪失だ。
     それに、それに。一番重く心にひっかかるもの。流川もきっと気付いているのに気付かないふりしてる。だからこそ指摘してやりたいのに、だからこそ指摘できない。他人を自分の言葉で動揺させるのが怖い。
    「流川、お前さ」
     花道と会わないつもりかよ。
    「……?」
    「いや、なんでもねぇ」
     言えなかった。会わないつもりだと頷かれてしまったら、これから俺は花道の前でどんな顔をすればいいか分からない。夏のインターハイの終わりと同時に秋が来て、秋が終わりを迎えた。11月、冬が始まった今も、花道は体育館に訪れない。



    「いなくなるんだってさ」
     俺と宮城の2人きりになった部室で、宮城はぽつりとそう呟いた。俺は軽く足首を捻ったのが気になって、テーピングをしている最中だった。何の話をしているのかが分からない。宮城の方を見る。宮城はソファに深く深く凭れ、部室点検のバインダーを片手に持っていた。
    「三井サンさあ、どうにか留年できない?」
    「はぁ?」
    「三井サンも花道も流川もいなくなったら、俺…………」
     ズルズルと背中をソファの背凭れに滑らせ、宮城は更に沈んでいく。
    「なんだよ流川って」
    「渡米するらしい。昨日本人から聞いた」
    「渡米?いつ?」
    「年明け。だから冬の選抜が最後だろうね。てかそれに参加できるかも分かんねーわ」
     訊いときゃ良かった、と軽く笑い、宮城はソファから立ち上がる。俺が頭の中で情報を整理している間に部室点検を終え、鍵を残して去っていった。
    「花道はいなくなんねーだろ」
     今はいないだけで、いずれは戻ってくる。俺がそうだったんだから、花道だってそうだ。
     なんだか膝が気になってきて、徐ろに擦ってみる。手当ては手を当てると書くように、痛い場所を手で触れるだけでもいくらかの効果があるとどこかで聞いた。どうやらデマだったらしい。擦る手まで痛覚が上ってくるように、鋭くも鈍くもある痛みが襲ってきた。復帰した今でもこうして痛みに苦しむ時がある。痛くても、辛くても、苦しくても、リングだけを見る。コートに立てない苦痛がそれ以外のなによりも大きいことを分かっているからだ。
     流川の話を聞いたってのに、頭に浮かぶのは花道のことばかりだ。昔の俺と今の花道はよく似ていて、自分と同じ境遇を辿るのではないかと不安で仕方ない。遠くからではあるが、校内で何度か花道を見かけたことがある。たしかに退院はしているのだ。それでも花道はバスケ部に復帰しない。
     少なくとも流川が去ってしまう前に、花道は復帰しなきゃいけない。なんとなくそう思った。



     授業が終わって部活動の時間になると、そのまま教室に戻って赤木と勉強するのが習慣になった。バスケ部を引退する前は部活も終わって学校が閉まるギリギリの時間に校門を出ていたから、日が落ちて真っ暗な帰り道の方がかえって慣れていて、こんな明るいうちに帰るのは新鮮だった。専ら赤木と下校していた俺にとっては1人で帰るのも新鮮に感じる。
    「桜木!」
     校門を出る一歩手前、斜め前を歩く馴染みの後ろ姿を見つけて名前を呼ぶ。桜木が振り返って、それに続いて周りも振り返った。水戸や野間、見慣れた桜木の友人達の顔ぶれだ。俺の顔を見た水戸が手でなんらかの合図をして、桜木軍団が桜木から離れていく。桜木もそれを止めなかった。
    「声掛けないほうが良かったか?」
    「バスケットマン同士水入らずの会話があると思ったんだろ。気にするこたあない」
     帰り道を花道に合わせて歩く。花道は突き当りを右に曲がった。俺の帰り道だ。花道の家に行くならここで左に曲がるはずだった。
    「部活はどうなんだ」
    「……ぼちぼちだ。メガネくんの方は?」
    「こっちもぼちぼち。赤木も俺もバスケがしたくてウズウズしてるよ」
    「少しくらい顔出したらどうだ?」
    「俺は一昨日覗きに行ったんだが……、そういや桜木はいなかったな」
     宮城に桜木の所在を訊いたら曖昧にはぐらかされた。なんだか桜木の話を出してはいけない雰囲気があって、その日は他の部員にもきけずじまいだった。
    「び、病院だよ。定期的に検査しないとオヤジに怒られる」
    「そうだったのか。そういえば三井も言ってたな、今でも通院してるって」
    「天才は身体のケアも怠らんからな、へへ……」
     尋常じゃない量の冷や汗が出ている。不審に思って桜木を見つめていると、観念したように肩を落とした。
    「ウソデス……」
    「嘘か」
    「部活は一昨日どころかずっと行ってない」
    「いつからだ?」
    「インターハイから」
    「イッ……!?夏からじゃないか!」
    「ソウデス……」
     項垂れている桜木を横目に考えを巡らせる。部活に行かない桜木、気まずそうな部員達。違和感がさっぱり消えた。誰も、三井さえも教えてくれなかったことを一瞬不満に思ったが、すぐに納得した。自分が同じ立場にあったとしたら、たしかに言えない。桜木のことを大切な部員の1人だと思ってる人間なら、絶対。
    「どうして行けなくなったんだ」
    「それは……」
    「すまん。今のはデリカシーがなかったな。言いたくなければ言わなくていい」
    「メガネくんは良いヤツだな。でも言いたくないわけじゃねーから、聞いてくれるか?」

    ・・・

     一定の距離を保たれて、いつまでも追い付けないような感覚が嫌だった。インターハイで少し近付けた気がしたけど、また離された。今度はもっと遠くに後ろ姿がある。病室で天井を眺めている間にそれはどんどん小さくなる。
     焦ったって仕方ない、とゴリは言った。桜木君ならすぐに戻れるわよ、とハルコさんは言った。いつでも戻ってこれる場所にしておくから、とリョーちんは言った。アイツは何も言わない。静かに病室へ入ってきて、その日あった試合のスコアシートをテーブルに置いたらすぐに帰る。はじめは寝たフリをしていたが、最近はもう寝たフリをすることさえ面倒になった。
    「また来たのかよ」
    「……」
     俺が話しかけたからか流川はスコアシートをテーブルに置くことなく俺に直接差し出した。ざっと目を通して、ため息をつく。
    「大活躍ですねって褒めたらいいんか?なにがしてーんだ」
    「……じ」
    「あ?」
    「夜の9時。いつもその時間に浜辺を走ってる。文句は9時にしか受け付けねー」
     そう言い放って帰ろうとした流川の手首を掴んだ。
    「7時にしろ。うちの外出時間は8時までなんだよ」
     うんともすんとも言わずに流川は病室を去った。沈黙は肯定だと捉える。スコアシートを半分に折り曲げて引き出しの中へ放った。

     本当に7時に来やがった。砂の上に座ったまま固まっていたら流川が近付いてきて俺の額を中指で弾いた。睨みつけると俺を痛めつけたその手が再びデコピンの構えをとる。
    「なぁ、それ薬指も曲げろよ」
    「なんで」
    「いーから」
     キツネは渋々指を曲げてキツネを完成させた。なかなかコッケイな見た目だって気付いてねーのかな。
    「来ないと思ってた」
     2本指で軽く額を弾かれた。
    「どあほう、来ないと思ってたのに待ってたんか」
    「待ってたんじゃねー、散歩のついで」
    「俺もランニングのついで」
     流川は俺の隣に座らない、あくまでランニングのついでだから。上から見下されている状況が気に入らなくて立ち上がると、流川は俺の手を取った。俺の手のひらをじぃっと見つめ、ときどき感触を確かめるように親指で揉まれる。俺よりも少し低い体温がしみた。
    「な、なんだよ」
    「別に」
    「こえーって」
    「ボール、触ってんだなって思っただけ」
    「ぬ?まぁ、ハルコさんに貰ったから触ってるけど……」
    「フン」
     突然ペシンと手をはたき落とされた。
    「自分勝手すぎだろお前」
    「そっちが悪い」
    「俺が何したっていうんだよ」
    「よそ見した」
     流川は話しながらも一歩ずつ後ろに下がっていく。ランニングに戻るのだろう。
    「よそ見ィ?そもそもお前なんか見てねーわ!」
    「見てないと見失うぞ。俺に追い付くんだろ」
     追い付くんじゃなくて追い越すんだよ!そう叫んで俺は病院の方へ体を向けた。病院の入り口の前まで来たところで振り向く。遠くに小さく見える流川の後ろ姿に舌打ちがこぼれ落ちた。



     リハビリ室から戻るとテーブルにスコアシートが置いてあった。誰の仕業かなんてすぐに分かる。こんなことをするのは流川しかいない。筋肉痛で痛む身体をベッドに沈ませてスコアシートを手に取った。陵南との練習試合は湘北の勝利で終わったようだ。勝ったとはいえ、試合中は相当苦労したらしい。今の湘北バスケ部の戦力を考えれば、おそらく仙道のマークには流川が付いたのだろう。前半は流川が得点を重ねているが、後半は仙道に点を取られてばっかりだ。ふと時計を見た。午後の7時半だった。

    「ヘタクソ」
    「あ?」
     外したイヤホンから洋楽が漏れて聞こえてくる。流川がボタンを押し、その音が止んだ。階段に腰掛ける流川とその正面に立つ俺の間を自転車がすり抜けていく。自転車にはサーフボードが引っかかっていた。サーフボードの鮮やかな赤色。一瞬だけ目を惹かれて、すぐに記憶から消え去った。
    「あんな情けねー結果見せてどうすんだ」
    「こっちが勝った」
    「湘北はな。でもお前自体はセンドーに負けただろ」
    「負けてねー」
     潮風が流川の前髪を揺らす。相変わらず邪魔そうな長い黒髪だ。
    「直接見たかったな、センドーに振り回されてんの」
     そう言ったあと、ハッとして口を押さえた。これじゃあ弱音を吐いたみたいじゃねーか。早く戻りたいって言ったようなものだ。
    「別に……振り回されてねーし……」
    「顔真っ赤じゃん」
    「見んな」
     急に照れ始めたのは意味が分からないが滅多に見られない姿であることには変わりないので存分に見つめてやる。流川は必死に顔を下げるけど、俺が覗き込めば簡単にその赤くなった頬が見える。
    「なに?俺なんか変なこと言ったか?」
    「言ってねーから離せ、家帰る」
    「じゃあなんでそんな照れてんだ」
     流川は更に顔を赤らめた。俺の手を振り払い、そして俺の耳にイヤホンを差し込む。爆音でロックが流れてきて顔をしかめた。
    「安心しちまっただけだっ!どあほう!」
     聞かれたくなくて俺にイヤホンさせたんじゃねーの。聞こえるくらいの大声で叫んで、バカみてー。
    「はは、ほんとばか」
     イヤホンを外し、流川に投げて返した。
    「どれだけ時間がかかっても、俺は逃げないしやめない」
     入院が長引く、というのを流川も聞いたのだろう。だからスコアシートを置いていった。あれはバスケを忘れるなという流川なりの励ましだから。置くか置かないか最後まで迷ったはずだ。きっと納得のいかない結果だった、大した活躍がなかったから。それでも俺に見せたかった。入院が長引くと知って、もしかしたら絶望したかもしれない俺に。
    「俺を見くびるな」
     流川が思うほど俺は弱くない。



     退院してからもバスケができない日々が続いた。他の人がやってるのを見たくなくて、部活には参加しなかった。帰宅したら貰ったバスケットボールを触ってみる。ボールをリングに叩きつるあの感覚が、日に日に薄れていくのが分かった。見くびるな、なんて大口を叩いたけれど、精神が削られていくのはどうしようもない。ただひたすらに、激しい運動が許可される日を待つだけだった。しかし、そんな苦行ももう終わりを迎える。
    「やけに上機嫌だな」
    「よーへー!やっぱ分かるか?」
    「見れば分かるよ。だってお前、スキップしてるし」
    「なんだか身体が軽いからな!」
     バスケできるようになった、そう話すと洋平は安心したように笑った。
    「そっか。じゃあ今日の体育で実力試しでもするのか?」
    「ふぬ?」
    「だってほら、今日の体育はバスケだろ」
     洋平は後ろの予定黒板を指差す。そこには確かにバスケットボールと書いてある。見学をするくらいなら昼寝をしていたほうがマシかと思って、体育の時間は毎回屋上でサボっていた。今の単元はバスケだったのか。復帰して一発目のバスケが部活以外だとは思わなかった。
    「クラスメイト達に俺の天才的なプレーを見せるチャンス!」
    「……無理はすんなよ」
    「おうよ!」
     他クラスと合同で行われる体育、入念に準備体操をして、コートの真ん中に立つ。そもそもバスケをするのが久しぶりだが、体育館シューズでバスケをするのなんてもっと久しい。手のひらでシューズの裏を撫で、埃を落としていく。……よし。
    「じゃ、7組対10組、始めまーす」

    ・・・

    「その前日は定期検査で病院に行って、これからはバスケしていいって言われたんだ。当日は体育があって、しかも単元はバスケで……」
     くじ引きで選ばれた対戦相手はバスケ部の凡人達より凡人の、言葉通りのド素人だった。負けるわけがない、だからって俺は手加減しない。俺1人の力で圧勝してやるって、そう思ってた。クラスメイトからのパスを受け取るまでは、1ミリの疑いもなくそう思ってた。
    「それで?」
    「授業内の試合には勝った。でも、ギリギリだった」
     リングに当たって弾かれていくボールを何度も見た。飛べなかった。というよりも、飛ばなかった。取りに行かなきゃ、とは思った。また背中を痛めたらどうしよう、とも思った。どんな姿勢をとればいいのかを忘れた。インターハイまでの記憶を身体がすっかり忘れたようだった。その上、恐怖心まで生まれたわけだ。
     思うように動けない。動きたいとも思えない。試合終了のブザーが鳴り、ホッとした自分がいた。ようやく開放されることに安心したのだ。今までは試合がしたくてしょうがなかったのに、試合から逃げたいと思うのは初めてだった。バスケをしたくないとまで思った。
    「ヤマオーと戦ったとき、選手生命を終わらせてでも勝ちたかった。一瞬でも終わりだと思っちまったから、バチが当たったのかもな」
     一息ついてコートの範囲を示す線から出る。ふと目線を上げると流川と目が合った。その目に飲み込まれる気がして、すぐに目を逸らした。流川は試合中のずっと俺を見てた。それが俺にトドメを刺した。
    「……一昨日に三井から聞いたんだが、流川はアメリカに行くそうだ」
    「それは知ってるぞ」
    「来年の1月に行くってのは知らないだろ」
    「は?1月!?」
    「流川と出られる試合はきっと冬の選抜が最後だ。もう残ってる時間は少ない。桜木はこのままでいいのか?」



     入院していた頃の午後7時はもう少し明るかったような気がする。メガネくんと別れて海に向かうまでの間にすっかり日は暮れた。前にここに来たときはサーフボードを引っ掛けた自転車と何度もすれ違っていたというのに、今ではひと気が全くない。季節が変わってしまった。俺が何も出来ずにいる間に時間は進んで、様々なことが変わっていく。
    「流川!」
     暗くてよく見えないけれど、こんな時間に砂浜を走る不審者はアイツくらいしかいない。シルエットは立ち止まって、こちらに近付いてきた。この距離で見れば嫌でも分かる。俺の目の前で仁王立ちしているのは紛れもなく流川だった。
    「まだこの時間に走ってんだな」
    「習慣付いたから、なんとなく」
     流川はジャージを脱ぎ、俺の隣に放り投げた。中に着ていたTシャツで額の汗を拭っている。なぁ、と声をかける。流川はじとりと俺を見つめ、無言でその先の言葉を促した。
    「今から部活に復帰して、ウィンターカップのスタメンになれると思うか?」
     流川はTシャツを掴む手を離し、今度は俺の二の腕を掴んだ。容赦ない手付きでぐにぐにと揉んだあと、今度は俺の腹に触れる。
    「お、おい!なんかお前気色悪いぞ!」
    「やらかい」
    「知らねーよ!」
     勝手に触られて勝手に感触を述べられた。
    「筋肉がだいぶ落ちてる。体重も減ったんじゃねーの?」
    「測ってないから分かんねー。つーか、お前は元の筋肉量を知らんだろ」
    「知ってる」
    「な、なぜに……?」
    「殴り合ったときに大体分かった」
    「キモ……」
     自分を守るように両腕で自らを抱きしめる。流川は不服と言わんばかりに鼻を鳴らした。
    「復帰すんのか」
    「それは分からん」
    「自分のことも分かんねーの?」
    「分からんからお前が教えろ」
     少しでも必要とされているなら、またコートへ戻れるような気がした。誰かから期待されるのが好きだ。その相手が流川だとしても、多少は。
    「……どあほうには」
     言葉を選ぶように、ゆっくりと話しはじめた。
    「どあほうにはバスケ以外の選択肢があるだろ。喧嘩とか。あと……、喧嘩とか」
    「喧嘩しかねーのかよ」
     思えば、バスケ以外で流川と共にしたことと言えば喧嘩ばかりだ。流川が喧嘩しか思い付かないのも無理はない。
    「でも俺はバスケしか知らない。だから勧められるのはバスケだけだ。……戻ってこい。お前がいないと、」
     ゴクリ、喉が鳴る。流川のことだから後に続くのはムカつく台詞なんだろうが、とはいえ緊張する。何も言われるか分からない。コイツの言葉は変に素直すぎるときがある。
    「体育館が静かだ」
     ゴン!ゴン!
    「なにしてんの」
    「あぶねー、あと少しでおかしくなるところだった……」
     階段の手すりに頭を打ち付けて正気を取り戻した。おかしくなったら、多分、泣いてた。俺がいないと体育館が静かなんだってよ。あと一ヶ月くらいでバスケ部から、終いには日本からもいなくなるくせに、一丁前に寂しがってんじゃねーよ。
    「既におかしくなってると思う」
     無表情の奥に心配の色が見える。また泣きそうになった。戻ってこい、か。アメリカに行ったお前に同じことを言ったら、お前は日本に戻ってくんのかな。絶対戻ってこないよな。俺の気持ちはゆらゆら揺れて不安定なのに、お前は馬鹿みてーに頑固だから。
    「明日、部活行く」
     砂浜からの帰り道は走って帰った。すぐに息が切れて、足がもつれた。酸欠であやふやになる頭の中、1月にはいなくなる流川のことを考える。目の敵にしてた奴がいなくなるのがたまらなく嬉しい。たまらなく最悪だ。



     赤木くん、呼ばれてるよ。クラスメイトの女子にそう言われて向かった教室の出入り口に三井はいた。居心地悪そうにしながら片側に寄せられたドアに凭れかかっている。
    「何か用か?」
    「あのさ、今日、徳男休みなんだよ」
    「だからどうした」
    「昼メシ一緒に食おうぜ。……部活の話もしてーし」
    「俺は構わんが、木暮にも「俺も構わないよ」
     いつの間にか木暮が後ろに立っていた。俺と木暮から了承されて安心したのか、三井は脱力したように微笑んだ。
    「昼休みにまた来るからな。逃げんじゃねーぞ」
    「誰が逃げるか」
    「冗談だろーが。じゃあな」
     三井が踵を返し、木暮と顔を見合わせる。
    「三井が部活以外で話しかけてくるなんて珍しいな」
     全く同じことを考えていた。

     予定通り、三井は弁当を片手に教室にやってきた。空いていた俺の隣の席につくやいなや物凄い勢いで話しはじめた。俺と木暮が部活を引退してからの積もる話を全て消化するように話し続けている。木暮が丁寧に相槌をうち、それが三井の饒舌に拍車をかけた。
    「んで、怒った宮城が外周追加したんだよ。赤木よりやべーぞアイツ。完全に鬼キャプテン」
    「まだキャプテンとしては新米だからな。大目に見てやってくれ」
    「つっても限度があるだろ限度が……、待て、違う、俺はこんな話をするために来たわけじゃない」
     正気を取り戻したかのように目が据わった。話しはじめるかと思えば弁当のおかずを口に入れ咀嚼する。その間俺達は待たされているのだ。三井の自由な態度にはいつまで経っても慣れない。噛んで、飲み込み、水筒を手に取り、蓋を開け、一口飲んで、蓋を閉め、水筒を机に置く。もう二度とコイツと昼食を共にしたくない。
    「花道が部活に戻ってきた」
    「本当か!?」
     俺が疑問を呈する前に木暮が大きな物音を立てて席から立ち上がった。数秒の沈黙が訪れたのち、顔を赤くして席に座る。
    「い、いつ?」
    「いつだっけな、先週とか?」
    「なんでもっと早く教えてくれないんだ!」
    「そんな食い付いてくると思ってなかったからな」
     戻ってきた、とはどういうことだ?今までいなかったのか?ずっと前に退院しているはずだ。再び怪我をして入院していたのか?いや、まず……、どうして木暮は知っているんだ?頭の中が疑問符で埋め尽くされる。
    「三井」
    「あ?」
    「最初から順を追ってできるだけ詳しく説明してくれ」
     三井は顔を歪めた。表情だけでめんどくさいという気持ちを俺に示した。

     退院はしていたが、桜木はなぜか部活に復帰しなかった。逆効果になることを恐れて部員達はみな、退院後の桜木に復帰を催促せずにいた。そして諦めていた矢先突然体育館に現れた。現在は入院前と同様、練習に参加している、
    「……ということか?」
    「つーことだ。本当に何も知らないんだな。その調子で行くと流川がア……「やめろ」
     言葉の続きを言おうとするのを手で制す。止められた三井は素っ頓狂な顔をして俺を見た。
    「これ以上情報が増えると混乱するからやめろ」
     流川がア、これだけでなんとなく内容が分かってしまう自分が憎らしい。
    「元々木暮は知ってたんだろ?なら赤木に教えてやればよかったじゃねーか。同じクラスなんだから」
     三井が尤もらしいことを言った。木暮は眉を下げる。
    「桜木の沽券に関わる話を言いふらしたくなかったんだ」
     木暮が尤もらしいことを言った。三井が背中を丸める。
    「俺が言いふらしたみたいに……」
    「すまん、言い方が悪かったな。でも俺はそう思ったから赤木に話さなかった」
     タイミングを測ったように予鈴が鳴り、三井は落ち込んだままに教室を出ていった。
    「解決したことなら話してもいいと思う」
     出ていく三井の後ろ姿を見ながら木暮がポツリと呟いた。
    「それは三井本人に言ってやれ」
    「解決したことだと思って話すけど、桜木が復帰する少し前に偶然会ったんだ」
     五限目の始まりが近付き、教室の外にいたクラスメイト達が戻ってくる。椅子を動かす物音や会話で教室が満たされる。ひとり言のように話す木暮の声はその喧騒に紛れた。紛れていても、俺にはハッキリと聞こえる。
    「そこで流川が渡米することを話した。渡米するのが1月だって桜木は知らなかったみたいだ。桜木が復帰したのはおそらくそれがきっかけだろう。もしかしたら桜木を焦らせたんじゃないかって、」
     先生が教室に入ってくる。まだ授業は始まっていないものの、教室はある程度静かになった。
    「俺のしたことが正しかったかどうか……、それが分からない」
     口を開こうとしたそのとき本鈴が鳴った。前の席に座る木暮は完全に俺から背を向けた。号令がかかり立ち上がる。
     俺と木暮と、そして三井。三人共が桜木に対して三井の二の舞いを踏んでくれるなと願っている。三井本人までもがそう考えているのだ。どうしても焦ってほしくない。三井の膝の怪我は一生物だ。完治はしない。アイツが膝という不安材料のことを忘れてプレーできる日などこの先一回もない。
     授業が終わって開口一番正しかったと言い切って木暮を安心させたかったのに、時間が経てば経つほど考えの歯切れが悪くなった。黒板に貼られた地図の上を指示棒が這う。その動きを疲労が溜まった眼球で追った。



     自転車がジーと音を立てる。その音に意識を取られながら自転車を押して歩いていると後ろから名前を呼ばれた。
    「流川!早いって」
    「さーせん」
    「ちったぁ隣見て歩けよな」
     これだから歩幅デケー奴は、と小言を言われた。他人の歩くスピードに合わせるのは意外と難しい。自分が慣れてないってのもある。思い返せば、並んで歩くというより並んで走る経験のほうが多い。走るのなら先輩は相当早いが、歩くとなると差が出るようだ。小さいと俊敏性が「おい、」
    「今失礼なこと考えただろ」
    「……考えてない」
     身長関連の話になると途端に宮城先輩は怒りの沸点が低くなる。石井が子猫の話をしていたら自分のことをからかっていると勘違いした先輩がドロップキックをおみまいしてた。
    「また早くなってんぞ」
     注意するようにそう言われ、ゆっくり歩くのを意識する。横を見ると先輩がトテトテと小走りしているのが見えた。そういえば前にも歩くのが早いって先輩に怒られたことがある。あれはちょうど陵南との練習試合があった日の翌日だった。先輩を呼び出して周辺を少しだけ歩いた。呼び出したのは、1月にバスケ部を退部するって伝えるため。
    「アメリカ行く準備は進んでんのか」
    「あんまり」
    「そんな感じで大丈夫かよ」
    「なんとかする」
     コロコロと先輩に蹴られた小石が音を立てる。
    「……バスケ留学ってやっぱり楽しみなもん?」
     楽しそうだから留学するわけじゃない。もっと強いやつとやり合いたいのと、俺自身がもっと強いやつになりたいからアメリカへ行く。どれだけ回りくどい言い方をしたところで結局はバスケだ。バスケットボールが人生の大部分を占めていて時々見失いそうになるが、バスケをしている時間が楽しいから続けられている。ってことは楽しみ、なの、かも。
    「多分楽しみ」
    「多分?なんだよそれ」
     ふ、と先輩が息を漏らす。道を逸れた小石が斜面を転がっていった。
    「俺もさ、留学ちょっと考えてて。だから気になっただけ」
    「そうスか」
    「驚かねーの?」
     首を傾げると先輩は慌てたように手を横に振った。
    「いや、えっと、三井サンに話したらあの人ひっくり返ったから!それが普通の反応だと勘違いしちまった……」
    「ひっくり返った」
    「そう、文字通りひっくり返ってた。痛ェって涙目になってた」
     光景を思い出したのか肩を震わせている。先輩と俺は他愛もない話をしながら歩き続ける。歩道橋に差し掛かり、ふと足が止まる。
    「どうした?」
     今日先輩と帰ってるのは、先輩に誘われたからだ。帰り道の方向はほぼ真逆に等しい。先輩は徒歩通学だから前と同じように自転車通学の俺が寄り道して先輩の帰り道を辿っている。わざわざそんな手間をかけてる。
    「家、もうすぐスね」
    「うん?歩道橋渡ったらすぐ着くけど」
     じっと先輩の顔を見る。先輩は不思議そうに俺を見る。眉毛が歪んだ。気まずそうにする。んーとかうーとか呻いてる。
    「お前、圧かけるの上手いな……」
     先輩が音を上げた。



     復帰した初日。花道は少し気まずそうな表情をして体育館に入ってきた。ふと過去の記憶が蘇る。まさか復帰するとか言い出すんじゃないだろうな、と隣にいる男を不審がりながら体育館に向かったときだ。体育館に入るやいなや誠実に頭を下げるものだから、気まずくなってきてそそくさとヤスの方へ逃げたことを憶えている。
    「桜木花道!」
     最初に声を掛けたのはアヤちゃんだった。アヤちゃんに続いてハルコちゃんが花道の元へ駆け寄り、花道は照れ臭そうに自身の後頭部に手をおいた。マネージャー達に囲まれている花道を見ていると真横から軽く衝撃が来た。よろけて一歩右に動く。いつの間にか三井さんが近付いてきて俺を肘で小突いたようだった。俺を気まずくさせた張本人は、今日も堂々とした態度でバスケ部に鎮座している。
    「なあ、怒んねーの?」
    「何に怒んだよ」
    「平和ボケか?花道とアヤコが親しげに話してんだぞ?」
     それはかなりムカつくけど。あのかわいい笑顔を至近距離で見れるとか羨ま、ムカつくけど。でも笑顔にさせたのは他でもない花道だから。そもそも花道が戻ってきたことで俺自身が安心を通り越して脱力してしまった。怒る気が起きない。
    「まーでも気持ち分かるぜ」
    「え?」
    「余裕のある男に見られたいんだろ」
    「……なんも分かってないじゃん」
     一層騒ぎ出した三井さんをあしらいながら目で流川を探す。流川は体育館の奥の方でシュート練習をしていた。
    「お前さ、そんなほのぼのしてたら誰かに取られちまうぞ」
    「はいはいそうですね俺はラッコですよ」
    「それはぼのぼのだろーが」
     流川は花道が戻ってきたとて、そばに走っていきその身体を抱きしめるような性格じゃない。とは言えノーリアクションを貫いているのが気になった。花道に向かって小言を言うとか、遠くからぼーっと眺めるとか、今までの流川だったらしそうなことをなぜかしない。
    「つーか宮城はラッコよりリスだ。ぼのぼのにそういうキャラいなかったか?名前なんつったかな……、リ、リスちゃ「シマリスくん」
    「詳しいな。好きなんか?」
    「妹がよく見てたんで」
    「は?妹?お前妹いんの?意外だな。兄貴してる画が思い浮かばねぇ。兄弟は妹だけかよ?ちなみに何歳差?仲良いんか?家族は大事にしろよ。俺はお袋泣かせちまったからな……。これからは親孝行しようと思ってんだ。こないだの親父の誕…………



     職員室の前に貼られた掲示を眺めていた。海外留学、奨学金、そんな言葉ばかりが目に付いて、他の言葉はスルスルと流れていく。
    「待たせちゃってごめん、先生が世間話始めちゃって……、リョータ?」
    「あ、うん、大丈夫」
    「掲示見てた?」
    「ちょっとな」
     ヤスは廊下に置いたままだった鞄を持ち上げ、肩に掛けた。掲示から目を離して部室に向かう。
    「どうなのアメリカ行きの話は。進んでる?」
    「ぜーんぜん」
     小さいことが武器になる。安西先生にそう言われ、それからぼんやりと渡米のことを考えている。体格の良い海外の選手は、小柄な選手の低いボール捌きに対応しきれないらしい。自分にしかないものを活かせる環境に行ってみたいってのと、挑戦できるならできるところまで挑みたいって気持ち。希望するのであれば力になりますよと安西先生は言った。俺はまだ、それに返事できずにいる。
    「アメリカ行くの、俺は良いと思うけどな。海外留学ってなんだかかっこいいし」
    「かっこつけるために行くんじゃねーよ」
    「分かってるけどさ、どうしてもかっこよく見えちゃうんだよ。例えば……、最近流川がやたらかっこよく見えない?」
    「流川?見えねーな」
     どうしても流川が花道のことをどう思っているのかが気になって、花道がバスケ部に戻ってきてからというもの、流川の様子を逐一確認してしまうようになった。今の俺は人一倍流川を見てる自信があるが、更にかっこよくなったとは思わない。第一、アイツは元々かっこいい。
     部室に着き、扉を開ける。中には誰もいなかった。どうやら日誌を職員室に提出しに行って遅れたヤスと、その付き添いで遅れた俺が最後のようだった。
    「そう?前より一層バスケに打ち込んでる感じがしてかっこいいんだけどな」
    「今なんて?」
    「かっこいいって言った」
    「その前」
    「バスケに打ち込んでる感じ?」
    「それだ……!」
    「どれ?」
     俺が流川に感じている違和感はまさにそれだった。ヤスに言われて初めて気付いた。流川がバスケに打ち込んでる、何かを紛らわすように夢中になってる。元々アイツはバスケのことしか考えてこなかったような奴だ。インターハイで強豪達とぶつかり、自分の実力に不安をおぼえたのもあるだろう。なんたってウィンターカップや渡米が近い。それらを踏まえたって今の流川の盲目加減は変だった。バスケ以外のものを見ないようにしているような、そんな感じがする。
    「ヤスは鋭いな」
    「かっこいいって言っただけだけど……」
     部室から出て体育館の扉を開ける。ネットで仕切られた半分の奥側、今日はバスケ部がそこを使う日だった。バドミントン部の邪魔にならないように隅に寄り、奥へ奥へと向かっていく。ネットに手をかける前にふと気付いた。
    「リョーちん、ヤス、遅い!」
     ドスドスと大きな足音を立てて近付いてくる。下げられた左手でバスケットボールを掴んでいた。ネットを手でよけて中に入る。よけたままにしていたら、ありがとうと小声で言いながらヤスがそこをくぐり抜けた。
    「お前今まで何してた」
    「練習してたぞ」
    「基礎練してたよな」
    「おう」
     これまでは微塵も気にならなかったのに、気付いた途端気になってたまらなくなる。花道が一つの文句も言わず基礎練をしてる。槍が降るどころか地球が破滅しないとおかしい。思い返せば、復帰してからの花道は入念なストレッチや基礎練を欠かさない。どんな心変わりをしたらそうなる?俺にダンクをさせろとあんなに騒ぎ立てていた男が。
    「リョーちん、どんな心変わりだ?って顔してるな」
    「マジメになっただけじゃなくてエスパーにもなったのかよ」
     ダハハハ!!と花道は大声で笑った。右手を腰に当てて、快活に笑った。
    「焦らないようにしてんだ。もう二度とやめたくねーから」
     しん、と体育館が静かになる。自然に振る舞いながら聞き耳を立てていた部員達が一斉に口を噤んだせいで不自然に静かになった。隣から女子達の声とラケットでシャトルを打つ音が聞こえてくる。
    「……お前が戻ってきてくれてすげー嬉しい」
    「リ、リョーちん……?」
    「部活でお前と顔合わせるたび安心する」
    「や、やめ、やめて……」
    「復帰するまでずっと心配だった」
    「リョーちん!」
     照れちゃうから!と耳を塞いでしゃがみこんだ。褒められて恥ずかしかったのかプルプル震えている。こんな程度で照れていたらきっと身が持たない。言わないだけだ。今ここにいる部員たちや、引退したダンナたち、みんなが言葉にしたら、震えるどころじゃ済まなくなる。花道に対して持ってる期待や不安がそれぞれにある。小さく丸まった花道の後ろを見た。
     流川と目が合って、すぐに逸らされた。



    「お前、圧かけるの上手いな…」
     どっからどう話せばいいんだ。流川を俺の帰り道に付き合わせたのは花道の話をしたかったからだけど、具体的にどんな話をしたいってのは決まってなかった。
     嫌いの究極形は無関心で、流川の花道に対する態度はその無関心であるように思えた。でも流川の振る舞いには違和感があった。無関心であるというより、無関心になろうとしているようだった。つまり何が言いたいかというと、流川は花道が嫌いなんじゃない。嫌いじゃなくて、なんだ?
    「先輩?」
    「んあ、ごめん。ボーッとしてた」
    「早く帰りたいっス」
    「そうだよな、早く帰って寝たいよな」
     ふと地面を見ると、右足の方の靴紐が解けているのに気付いた。しゃがんで靴紐を結ぶ。
    「流川さ、花道のこと嫌い?」
     ぐっと力を入れて蝶々結びを完成させた。
    「ちがう」
    「そっか、ならいいわ」
     流川の顔を見ないままに立ち上がり、背を向けて歩き出した。なんだかいたたまれなくなったのだ。いたたまれなくなった理由は流川の声が震えていたからだと気付いたのは、家に着いて布団の上に寝転がったあとだった。



     きっかけは小さなことだった。全日本ジュニアの合宿から帰ってきて、部活で体育館を走っていたとき。足音が少ないと思った、アイツは無駄にデカい足音を立てて走るから。ただそれだけ。
     静かな体育館は居心地が悪い。だから桜木を早く復帰させたいと思った。いつも通りの体育館にするためなら何事も厭わなかった。毎日病院近くの海岸へ走りに行く。そのついでにスコアシートを桜木の病室に置いていく。練習試合終わりの疲弊しきった足で病院に向かった日は少し大変だったけど、それくらいの価値があったと思ってる。今でもそう思っている。
     見舞いの常連になっていたからか、看護師から桜木の退院日はあらかじめ伝えられていた。退院日を過ぎても部活に来なかったのは別に不思議じゃなかった。退院してすぐ元通りに動けるわけじゃない。しばらくは見学、とでも言われたんだろう。見学なんかするような奴じゃない。動きを見て憶えてきたほど要領も良くない。見たあとはすぐ身体を動かす、そうやって憶えてきた奴だ。
     長期間入院して長期間部活にも来なかった桜木のプレーが入部直後と同レベルになっていても驚きはしない。驚いたというか心臓が止まりかけたのは、それを自覚した桜木の表情を見たときだった。体育の授業中、ブザーが鳴って桜木と視線がかち合った。その瞳はゆらゆら揺れていた。視線が合ったあとは見てられなかった。それまではずっと桜木から目を離さずにいたけど、不安そうに立ちすくむ姿を見てられなくなった。痛いくらい本人の困惑が伝わってきた。俺の性格上、同情や共感はできない。同情や共感じゃなくて、ただ俺自身の胸が痛かった。
     静かな体育館がどうこうなんて言ってられなくなった。ウィンターカップで良い成績を残して高校在学中には渡米したいなんて言ってられなくなった。今の俺にできるのは桜木のずっと前を走ること。桜木の対抗心に火をつけることだけだった。俺を追い越すと言っていたから、きっとそのために走り出す。実際に口に出すことはないけど、桜木は多分俺の渡米を知ってる。しかもそれを意識しまくってる。結果として桜木は部活に復帰したのだから、俺の博打は大当たりだった。
     桜木がまたバスケをしてる、それだけでいい。そうやって納得するしかない。去る選択をしたのは自分だ。



     ウィンターカップが終わった。結果は準決勝敗退だった。引退する部員をそれ以外の部員が囲んで、最後の言葉を待つ。大号泣するミッチーの隣に流川も立っていた。ミッチーは泣きすぎてて終始なにを言ってるか分からなかった。流川は台本を書いてきたかと思うくらいスラスラと典型文を述べた。耳障りの良い言葉達は頭に入ってこなくて、結局一文字も憶えていない。鼻水を垂らして泣いているミッチーを見たリョーちんが『二年もいなかったくせに情けねー』って呆れてたのは憶えているのに。流川がどんな表情をしていたかも忘れた。どうせいつもの無表情だったんだろうけど、その奥の感情が見えたはずだ。さっぱり忘れた。思い出したくないわけじゃない。
     息が弾む。弾んだ息でリズムをつくる。砂浜の端に着いて、砂の上に腰を下ろす。肩が触れそうなほど近くに座った気配がした。真っ直ぐ前を向いていると真横は見えない。ヒトの能力の欠陥だ。
    「明日、か」
     横を向く。流川はさっきまでの俺みたいに真っ直ぐ前を見てる。まるで目の前に広がる海を見てるみたいだ。日が沈みきって真っ暗で、何も見えないのに。
    「ん」
     明日は平日だが今は冬休み中で、学校も部活もない。バスケ部全員で流川を見送る予定となっている。俺は行かないことにしていた。
    「貸し一つだからな」
     ウィンターカップ予選、最後の試合。流川がフリースローを外したからリバウンドを取って俺が入れた。
    「ん」
    「忘れんなよ」
    「ん」
    「流川、」
     こっちみろ。
    「言いたいことがあんなら言え」
    「……もう二度と、バスケしたくないなんて思うな」
    「分かった」
    「明日早いし、もう行く」
    「おう」
    「どあほうは言いたいこと、ねーの?」
     例えば2年や3年で俺とお前が同じクラスになる。寝ぼけた流川を引き摺って移動教室へ行く羽目になるだろう。例えば俺がキャプテンになってお前が副キャプテン。逆でもいい、どうせ叶わないのだから、お前がキャプテンになる世界線も許容してやろう。例えば2人で同じ大学へ進む。きっと大学までも一緒なら仲も幾らか良くなって、ある程度の連携は取れるようになっている。例えば、2人でアメリカへ。
     流川からパスを貰って、俺がシュートを打って、それが入ったあの時、すごく気持ちよかった。またパスを貰いたいと思った。しかもだ、一番パスが欲しい相手はよりによってお前、お前から貰いたいと思ったんだ。これって相当なことだ。入院してる間、色んな未来を考えた。一つ残らず全ての未来で、俺の隣にはお前がいた。結局、ただの空想に過ぎなかったわけだが。それが、少しだけ、ほんの少しだけ、悲しい。
    「ねーよ」
     本当の気持ちはお前に言いたくない。
    「これっぽっちもねーから、さっさと家帰れ」
     俺の言葉に不満そうな顔をしながらも頷いた。流川がいなくなった場所で一人、砂を握る。
    『頑張ってこいよ』
     違う。
    『俺も頑張るから、お前も頑張れ』
     これも違う。気の利いた言葉を添えて送り出してやりたかったけど、最後まで減らず口をたたいてばっかりだ。
    「どあほう」
    「るっ、流川!?お、おま、まだいたのかよ!」
    「今戻ってきた」
    「戻ってくんな……」
    「一つ忘れてたから、戻ってきた」
     流川は俺の手に触れた。それを怒ろうとしたのに、できなかった。流川は俺の唇にも触れた。流川の唇で、触れた。
     触れたのは数秒だった。でも永遠に感じた。他人の唇は生ぬるい。ありきたりな感想しか出てこない。キスってこんなあっけらかんとしたものなのか。ありきたりで、あっけらかんとしていて、こんなに胸が痛くなったのは初めてだ。息ができないくらいに、苦しくて、もどかしい。
     餞別ではないと思う。流川の行動のほとんどは理由がない。このキスだって、きっと理由はない。なんとなくって言って、そのあとはまた無表情に戻る。その切なげな表情から、いつもの表情に。お願いだからなんとなくと言ってくれ。流川楓は最悪な野郎だったと笑い話にしたい。
    「好きだ」
     笑えない。一つも笑いどころがない。面白くない。ファーストキスを奪われた。大事に大事にしてた俺のファーストキス。明日にはどっか行く奴に奪われた。ムカつく。アメリカ行ったらもう日本に帰国してくんな。二度と俺に顔を見せるな。ここから逃げ出したい。今すぐここじゃないどっかへ行かなきゃいけない。おかしくなる。
    「ぅ、ぐ」
     唇を手の甲で拭った。ついでに頬も拭った。
    「うぅ」
     俺が部活に復帰して、流川はなぜか俺を避けた。ときどき流川が一方的に俺を見てることは分かってた。でも俺が近付くことは許してくれなかった。最後はお前から近付いてきて、こんなことして。
    「一生恨んでやる」
    「本望だ」
     触れられる距離に流川がいる。手を伸ばせばその冷たい肌に触れた。それでも遠くにいるように感じて、さみしかった。
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    ザブソグル松尾

    DOODLE桜木へ、誕生日おめでとう、めで鯛、愛でたい、蝶のように花のようにかわいがりたい。4月なのでマダガスカルです。当日に完成させたかった〜

    全然流花してない2人と、2人の周りにいる湘北バスケ部の皆さんの話。
    無題、ジェダイ ガードレールの裏側へ立てかけるようにして置かれたロードバイクをぼんやりと見ていた。流川はその横に立ち、ひどく退屈そうにしている。俺が口を開けない間、時折眠たそうに目を擦って、ただただ俺の返事を待っている。流川はわざわざ自宅から離れた俺の住む団地へ自転車を走らせてきた。日が暮れてしまう前にさっさと話を終わらせて、この眠たそうな男を帰宅させたほうがいい。そんなこと分かってはいるけど、この複雑な感情をどう言えばいいかが思い付かない。

     流川がアメリカへ行く。年が明けたら、すぐ。

     安西先生はどうして流川の渡米を許したのだろう。流川が日本一を目指してひたすらに努力してたのは知ってる。それは日本一になることが安西先生が定めた大前提だったからだ。インターハイでは全国優勝できず、次にある冬の選抜こそは優勝した上でMVPになると意気込んでいたはずだった。冬の選抜は始まってすらいない。
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