言葉を尽くす また上手くいかなった。去り行く背中をただ見つめる。何が悪かったか、いつだってわからないまま終わる。強請られたものをプレゼントした。気持ちを告げた。共に時を過ごした。夜だって、幾度も。紡いだ言葉も、紡がれた言葉も甘やかだったはずなのに。あれが、――ではなかったのだろうか。少なくとも、俺は与えていたつもりだった。けれど、きっと、違かったのだ。息苦しくて、鳩尾が痛くて、この場に蹲りたい。別れを告げられこんなにも苦しいというのに。俺が与えていたものは、別の何かだったのだ。
子供の頃にやった砂場での遊びを思い出す。形はあるはずなのに、決して手には収まらない無数の砂。小さな粒は汗ばんだ手のひらにこびりつくのに、定まった形がなくて決して手に入らない。それでも頑張って、固めて、固めて。綺麗な丸ができて、見て、と渡したら叩き潰された。一瞬で壊れる脆い団子。あの時の俺は何を求めていたのか。ただ、受け取ってもらえるだけでよかったのかもしれない。
吐き気が込み上げてくる。なんで、あんな豪華なディナーを食べてしまったのか。今日まで食事制限して、久々に食べたフルコースは美味い、ように感じた。目の前で食べる恋人はどこか上の空で、脂質の高い食事に胃がどろりと濁った。舌で踊る味は鮮やかだったはずなのに、無味だった気がする。ついさっきの出来事なのに、もう、ほとんど覚えていない。喉元に込み上げてくるのは嗅ぎ慣れない香辛料の香りとすえた酸の臭い。どれだけ手が込んだものでも、口で噛み砕いて胃へ流し込んで、外に出てしまえば全部一緒だ。せめて、多少なりとも自身の血肉にしたい。そう思うのに、多分、今日の食事は俺の糧にすらならない。
外を汚くするのは嫌で、必死に唾液を飲み込む。自宅まで、いや、せめて車まで戻れば袋が常備してある。自分用ではない。車酔いしやすい彼のため、念の為準備しておいたものだ。そういや、今日の車はあいつが好きだと言っていたから買ったんだっけ。今となってはどうでいい事だ。一方的に別れを告げたヤツなんて。都合よく記憶が消えればいいのにな。
「――……」
あ、とも、う、ともつかない息をつく。気持ち悪い。それでも、この場に突っ立ったままではいられない。顔から血の気が引いて、足元がふらついた。それでも、この足を進めるしかない。誰が見ている訳でもないのに、何でもないようなふりをして駐車場へと向かった。無性に情けなくて死にたくなる。昔とは違うはずだ。幸福へのチケットも手にいれた。欲しい物は大抵手に入る。一歩ずつ上へ進んでいる確信はある。変わっているが、友人と呼べる者もできた。だというのに、この様だ。たった一人と結ぶ関係に、こんなにも振り回されている。
車までそこまで距離はない。表通りから少し離れた場所に停めてあるが、徒歩五分程度だろう。徐々に人通りも少なくなってきた頃、ふと、見慣れた背格好に特徴的な頭の男が向かいから歩いてきた。
「おー、村雨。奇遇だな」
手をあげ声をかける。病院、近くだっけか?と続ければ、別件だ、と端的に返された。何の用だったかは分からないが、別に聞くつもりもない。今日何してたかなんて、どうでもいい話だ。ただ、そうすると特に話す内容もなかった。そもそも人と話すような気分でもない。軽率に声をかけた事を後悔する。村雨に気付かないふりをして、目を逸らせばよかった。もしそうしていたら、村雨はどんな反応を返しただろうか。意図を汲み取って気付かないフリをしてくれたかもしれない。
「獅子神、私は疲れている」
「……そーかい」
「――他には?」
「オメーはよぉ……!! ――はぁ、素直に送ってくれって言えばいいだろ」
どうやら見逃された可能性はなさそうだ。むしろ、足目当てでわざわざ俺が気付くように姿を見せた可能性すらある。正直、面倒だ。今日は勘弁してほしかった。
安っぽい街頭の光が漆黒へとそそがれている。古臭く黄ばんだ色が丸眼鏡に反射してその表情はよく見えない。いつにも増して目の前の医者が何を考えてるのか分からなかった。光のせいで村雨からも俺の様子が見えないのかもしれない。平気なフリをしているとはいえ、だ。腹の中も頭の中もかき混ぜられて、色んなもん堪えてる今の俺に、普段の村雨なら気付かないはずがない。
気付いてないなら、そのままの方が都合が良い。弱いところはなるべく見せたくなかった。
「しゃーねえな」
手でついて来るよう促す。感謝の言葉を告げ、村雨は俺と肩を並べて歩き出した。いつも思うが、自然と礼を言えるところに育ちの良さを感じる。いい家庭で育ったんだろうな。妬みなんてないが、俺とは違うのは間違いなくて。こいつは、俺が得られなかった――を受け取ってきたのだろう。
ぐるり、また胃が回った気がした。
無言のまま歩き、目的の場所へと到着する。開錠しドアを開ければ、ムスクの匂いがぶわりと鼻を刺激した。強い香りが今は辛い。くそ、何か理由をつけて断ればよかった。心の中で悪態を吐くが、時すでに遅しだ。村雨はすでに助手席へと我が物顔で座っていた。今更追い返すことも出来ない。仕方なしに車内へ体を入れる。
「獅子神」
かちり、シートベルトの音と名を呼ぶ声が重なった。首が固まったかのように、隣を向けない。聞いた事のない声だった。低く掠れ、諭すような、恐ろしいくらいの甘やかな声。鼓膜を揺らすこの響きを、俺は過去、幾度も聞いたことがある。少し前までは似たような声色で、敬一、と下の名を呼ばれていた。
こんな声だせるんだな、こいつ。そりゃそうか。村雨は、俺とは違う。
「ーー好きだ。あなたが望むものを、私は与えられる」
村雨にはきっと、全てお見通しなのだろう。俺が何を欲しがっているのかなんて。見抜かれていた事実に喉元まで込み上げてくるものがあった。すっぱいそれを、苦い気持ちで抑え込む。エンジンをかけ、クラッチを踏んで前を向き、知らないフリして相槌を返す。
「そーかよ」
俺は、愛を望んでいる。
*****
車内での会話は無かった。頭の中の地図を思い浮かべながら車を走らせていく。いつも間にやら助手席の窓が開けられていた。ヒンヤリとした風が頭を撫でていくと、吐き気が少し治る。反対側の窓も開け風通しがよくなると、夜の空気が室内の淀んだ空気を洗い替えた。
思ったよりも早く、見知った道へと出る。何度か訪れた事のある村雨の家へは15分程で到着した。自宅へ帰るよりも随分と近い。
「獅子神、少し休んでいけ」
随分と顔色が悪い。続けられた言葉には気遣う心が滲んでいた。
くそ、と声に出さず悪態をつく。最初から俺の体調は見透かされていた。わざと気付かないフリをして、俺の家より近い村雨宅へと送り届けさせたのだろう。
ささくれ立った心を村雨の優しさが逆撫でていく。
「ハッ、下心か?」
トゲトゲしい言葉はまるで子供の癇癪だった。言ってから後悔するが、口から出た音は、引っ込めることはできない。村雨の行為が善意によるものだと分かっている。こんなの、ただの八つ当たりだ、情けない。負の感情が積み重なって底へと堕ちていく。目眩が、酷い。
「医者としての診断だ。車を吐瀉物まみれにしたいのならばそのまま帰ればいい」
「……別に、普通に帰れる」
「マヌケが。私が誤診するとでも?もう一度言う。獅子神、休んでいけ」
有無を言わさぬ物言いは命令に近かった。
真紅の瞳が俺を捉える。じっと見据えるその両目からは、譲らない意志を感じる。また逆らった所でいいように言いくるめられてしまうのは、濁った頭でも分かった。
「……チッ」
「礼は朝食で構わん」
「二度とオメーの家では料理はしねーって言っただろうが」
軽口を叩きながら車から出る。泊まる気は毛頭なかったが、村雨の言葉からするに翌朝まで俺がいる事は確定なのだろう。
はぁ、ため息を一つ吐き、車を降りる。
「で、何食いたいんだ?」
借りを作るのも癪で、食材くらいはあるんだろうな、と続ければ返って来たのは無言だった。
「……まさか、冷蔵庫空じゃねーだろうな」
「……空ではない」
空ではない、ね。含みのある言い方に、米と簡単な調味料、あとは加工肉くらいしかないのだろうと予想する。一体、まとも材料が無い中で何を作れと言うのか。
とはいえ、今気を揉んでも仕方ない。明日の事は明日考えようと、玄関へと向かう村雨の背を追い家へ入った。
翌朝、起きた頃には村雨はおらず、冷蔵庫の中には食材の代わりに怪しげな薬品しか入っておらず。怒りのメッセージを入れるためアプリを開けば、『私の空いている日だ』と一方的に予定の連絡が入っていた。『デート、楽しみにしている』という一言と共に。
……いや、デートするなんて言ってねーんだけど?
*****
「すまない、待たせたか?」
「いや、今来たところだから」
待ち合わせ時間の十五分前。こんなデートの定番やり取りを村雨とする事になろうとは。村雨と出会った頃の俺は想像もしていなかっただろう。
約二週間前、村雨から告白まがいをされたが、正直に言えば村雨は俺の好みではなかった。俺がこれまで交際した男性は、可愛らしくて細身で、頼ってくれる甘え上手の性格の子が多い。
村雨は正直、正反対だ。鋭い目付きと恐ろしいほどの観察眼が相まって、可愛いという印象は欠片もない。恐怖、まではいかないが、怖さを感じる事の方が多かった。
すぐ振る事も考えた。しかし、あの村雨が俺を好きという事実は、我ながら最低だとは思うが……自尊心が満たされる。
一体、俺の何が村雨の琴線に触れたのか。それは分からない。一時の気の迷いの可能性もある。きっと、付き合う事はないだろうし、付き合ったとしてもいつも通り別れるに違いない。
ただ、すぐ断るには惜しいと思ってしまった。
少し悩んだ末、デートくらいならと日程を合わせ、今日がその日だった。
一応、今日はお礼という側面があるから、デートプランは全て自分で考えてある。村雨には待ち合わせ場所しか伝えていなかったからか、ここから先への期待が感じ取れた。心なしかいつもより柔らかい表情のような気がする。単に俺とのデートが楽しみ、なのかもしれない。
ーーま、この前の礼になるくらいには楽しんでもらうか。
好意を寄せられた相手とのデートは慣れている。きっと、あの人外じみた村雨といえど楽しんでもらえるだろう。
「寒かったろ?車停めてあるから、行こうぜ」
「あぁ」
何でも無い事のように村雨の手を握り、道を進んでいく。冷たい掌へと自身の熱が伝わっていくのを感じながら、村雨へと微笑みかけた。
……何もミスは無かったはずだ。
雰囲気の良い、しかし量はそれなりにあるカフェで昼食をとった後、アート型体験ミュージアムを楽しみ、暗くなる頃にはイルミネーションの綺麗な通りを並んで歩く。そうして腹が減ってきた頃、このレストランへと共に来た。
すでにメインは終わり、テーブルの上に載っているのは鮮やかな緑の彩りが美しいピスタチオのデザート。
抜群の夜景の明かりがうつす正面の顔は、最初の機嫌の良さはどこへいったのか、明らかに不満気だった。
「で、この後はスイートルームでもとっているのか?」
その通り。レストランに隣接する最上級スイートを予約してある。使うかは分からなかったが、過去のデートでは大抵、そのまま夜を過ごす事が多かったため、今日も念の為確保しておいた。
だが、不機嫌さを隠さない顰めっ面で言われれば、それがお気に召さないのは流石に分かる。
「ん?一回目のデートでとるわけないだろ」
「私に嘘が通用すると思っているとは、マヌケさに拍車がかかったようだな」
素知らぬ顔でついた嘘は当然ながら見抜かれた。
……そりゃあ化け物みたいなコイツを誤魔化そうなんて、無理に決まっていたか。
「あーうん、嘘ついたのは悪かったよ、ごめんな。ホテルもキャンセルしておく」
今日のデートの中で、何が村雨をそこまで不快にさせたのかも、ホテルくらいでなぜ不愉快そうにしているのかも分からない。
何が悪かったのか聞きたい気もするが、どうせ今日が最初で最後だろう。無理に聞き出す必要も無い。お返しとしてデートはした、もう今日はこのまま村雨を家へと送ったら解散で問題無いはずだ。
しかし、村雨から返ってきたのは予想外の言葉だった。
村雨がじと目でこちらを見据え、大きくため息を吐く。
「……なんだよ」
何も分かってないなこのマヌケ、と言わんばかりの視線の意味が理解できない。言葉を促せば最後の一口を嚥下した村雨が口を開いた。
「いや、予約してある部屋を無駄にするのも勿体無い。泊まろう」
ーーへぇ、案外積極的だな。
意外なお誘いに目を見開く。どれだけ機嫌が悪かろうと、やる事はやりたいタイプだったのか。
「何か失礼な事を考えているな?一応、明言しておく。今日はセックスはしない、文字通り寝るだけだ」
「ーーーーえ?」
「何か問題でも?」
「いや、それで構わねーけど……」
勿体無い、と村雨は言ったが、値段なんてたかが知れている。
ただ寝るだけ?何のために?
いつにも増して、村雨が何を考えているか分からず、訝しげに見返す。
すると、俺の考えている事なんてお見通しの村雨は、真っ直ぐにこちらを見据え、感情を一切見せずに俺の疑問へと答えをくれた。
「まだ、帰りたくないだけだ」
*****
カワイイ事を村雨が言うものだから、多少緊張しながら予約した部屋へと入る。
だが、中に入るなり村雨が発した言葉は「腹が減った」だった。
つい先ほどコースを完食したばかりだというのに、まだ足りなかったのかと思わず呆れる。色気も何も無い。いや、あっても困るが。
じゃあルームサービスでも頼むかと二人でメニューを選び、ついでに酒もあわせて注文した。
待っている間にシャワーを浴びてくる、と言われた時は少し動揺したし、バスローブ姿で出て来られて対応に悩んだ。が、村雨から再度、何もしないと釘を刺されれば、本当にただ泊まるだけのつもりなのだと分かる。
まだ、ただ泊まる事に違和感はあるが、村雨と同じようにシャワーを浴び、バスローブを着て部屋へと向かった。
「遅かったな」
俺が風呂に入っていた間に、食事が届いたらしい。テーブルの上には彩り豊かなアラカルトが並んでいる。そして、ステーキはほとんど食われていて残り二切れしかなかった。
「先食うにしても限度があるだろ!!」
「何のことだ?」
「とぼけてんじゃねぇよ、ったく……」
別に食べても構わない。構わないが、あまりの遠慮の無さに思わず突っ込んでしまった。
「はぁー…」
デートという名目なのに、いつもと変わらない村雨に気が抜ける。なんだか、村雨相手に身構えるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
どかりと荒々しく椅子へと座り、残り二切れのうち一切れの肉を口に入れる。
「お、悪くねぇな」
「そうだろう」
俺の言葉に頷きながら、最後の一つは当たり前のように村雨の口へと吸い込まれていく。遠慮が全くないその様に思わず笑った。
そういえば、村雨と二人だけで話す事はこれまで無かった。
酔いもあるかもしれないが、案外、村雨は饒舌で話は尽きない。
何でもない話から仕事の話、賭場での話、そして、恋愛の話へと話題は移っていき、驚愕の事実が判明した。
「はぁ!?お前童貞なのかよ!!」
これまでの恋愛遍歴を聞き、驚きのあまり大きな声が出る。うるさいと眉を顰めた村雨に悪い、と軽く謝るが、話が気になりすぎる。
「悪いか?」
「悪かないけど、お医者サマだろ?さぞおモテになるだろうに」
「別に、興味がなかっただけだ」
モテていた事は否定しないのか。言い寄られる村雨を想像する。女性から誘いを受ける様も、すげなく相手をあしらっている様も容易に想像できた。おそらく、童貞というのも嘘では無いだろう。
そうか、村雨はこれまで一度も経験がないのか。
「ふーん、じゃあいいのかよ?」
俺もどうやら酔いが回ってきたらしい。口角を上げ、探るように村雨を見つめる。
「今日、ヤらなくて。今は興味、あるんだろ?」
瞳に意識して色を乗せ、艶かしく笑う。数多の人を赤面させてきた微笑みに、村雨は分かりやすく固まった。
「ま、卒業するのは童貞じゃ無いけどな」
ケラケラと笑い揶揄うように続ければ、今度は不愉快そうに眉を顰めた。普段澄まし顔の男が見せる感情に気分が良い。してやったり、と思っていれば見抜かれたのか特大の溜息をつかれた。
「……あなたが振られる理由がよく分かる」
「おいおい、それは腹立つなぁ」
「デリカシーが無さすぎる」
「自己申告してんのか?一般人相手に三角関係ぶちまけてたテメェよりマシだろ」
「赤の他人にかける言葉と一緒にするな。私は、あなたに好意を持っている」
真摯に見つめられ告げられたストレートな言葉に心臓が小さく跳ねる。
「先程の言葉に私が期待しないとでも?」
「ハッ、期待したのか?」
「さぁ、どうだろうな」
フフフ、と悪戯っ子みたいに笑って煙にまかれ、肩透かしを食う。きっと、本音半分揶揄い半分という所だろうが、言葉の真意は読み取れない。明らかに俺の方が恋愛面では優位なはずなのに、村雨相手では思い通りにならない事が悔しかった。
悔しさを誤魔化すように酒を煽る。ハイボールの炭酸が喉をちくちくと刺しながら胃の中へと無力感を流していってくれるようだった。
「……なんで俺、振られるんだと思う?」
ふと気になったのは、先ほどの村雨の言葉。振られる理由がよく分かる。俺は、何度繰り返しても何も分からない。だから、何度も同じ結末で終わる。
「最初は上手くいくんだよな。デートして、セックスして、相手の好きなとこ行ったりプレゼントしたり。楽しそうにしてくれてる」
誰もがそうだった。可愛らしく笑って、一緒にいる時は不快な顔は一度もされず、デートは終わる。付き合い始めてしばらくは、おだやかな日々が流れるのだ。
「でも、いっつも同じだ。別れる間際は全員、どこか線を引いて最後は別れ話」
本人は隠してるつもりだろうが、段々と雰囲気が変わって来る様は分かりやすい。別れを匂わせる笑顔を必死で見ないフリして、繋ぎ止めようと尽くすが最後は結局、振られてしまう。
「何が、悪いんだろうなぁ……」
相手の変化に気付けても、根本的な原因はずっと分からずじまいだった。
「ーー好きだったのか?」
「ん?」
「今までの相手だ。あなたは好意を寄せていたのかと聞いている」
何を当たり前のことを。
「そりゃあ、好きじゃなきゃ付き合わねぇだろ」
「本当に?」
「嘘な訳ねぇだろ、何疑ってんだ?」
意図が掴めない。まるで、これまでの自分の好きだという感情を否定されているようで不快感が募る。
「気づいてないのか」
「はぁ?意味分かんねーんだけど。言いたい事あるならハッキリ言え」
苛立ちをあらわに強い口調で問えば、村雨は言葉を選ぶような素振りを見せ、ゆっくりと口を開いた。
「……あなたは、過去の恋人を一纏めにしている」
「そりゃ、同じような別れ方したから、」
「違う。あなたは個人を見ていない、と言っているのだ」
はぁ?ますます理解できなかった。
一纏め?個人を見ていない?そんな訳がない。
確かに、似た部分があったのは事実だ。別れるまでの過程は話した通りほぼ同じだったし、見た目の特徴も似通っている面はある。好みの話なのだから、そういう事もあるだろう。
ーー本当に?ふと湧き上がった疑問へと被せるように村雨が話しかけてくる。
「元恋人のどこが好きだったんだ?」
「……今それ関係あんのか?」
「ある」
多少納得はいかないが、村雨が断言するということは必要な事なのだろう。頭の中につい最近まで恋人だったその人を思い浮かべる。
「笑顔が可愛い所は好きだったな。何しても喜んでくれて、色んな事してやりたくなった。でも、優しい面もあって、俺にサプライズとかしてくれたり。あとはセックスの相性も良かったしな」
うん、何もおかしい事は言ってないはずだ。性の話は多少下世話かもしれないが、付き合う上では重要だし。
しかし、目の前の医者は違う意見らしい。盛大にため息を吐いて、俺をじと目で睨んできた。
「……自分で言ってて分からないとは、重症だな」
「ハァ?だから何がだよ、ちゃんと好きだったに決まってんだろーが!」
「もういい。今のあなたに何を言っても無駄だ」
もう寝る、と言い残し、村雨は俺に背を向け洗面台の方へと歩いていった。
一体、質問の意図はなんだったのか。俺の答えの何が悪かったのか。何も答える気はない村雨にむしゃくしゃする。
「くそっ」
残った酒を苛立ちのまま喉へ流し込む。食事は綺麗に無くなっていた。つまむ物がない事にさえ何故か腹が立って、舌打ちをしてまた酒を注ぐ。
村雨から見たら、俺はアイツを好きじゃなかった、という事なのだろうか?
ーーいや、間違いなく好きだった。でなければ別れた時あんなに辛いのはおかしい。好きな所も、言っていないだけでまだ沢山ある。仕草や服装、時折小悪魔っぽくなる所……間違っているのは村雨の方だ。
しばらく一人悶々としていると、村雨が戻ってきた。今は顔を見たくなくて、声もかけずにそっぽを向く。
「一つ、ヒントをやろう」
「んなもん、いらねぇよ」
「今日のデートで、私が最も楽しかったのはいつだと思う?」
空気読まねぇなほんと。俺が話したく無いと思っている事に気付いているのに、敢えて話かけてきている。
流石に、無視をするのも大人気無い。
それに、村雨からの問いの答えが少し気になった。
相変わらず目線は合わせず、今日のデートを振り返る。
「話聞けよ、ったく……あー、カフェの食事か?食べるのに夢中になってたし」
「節穴め」
間髪入れずに与えられたシンプルな悪口に思わずイラッとした。
「おまえホンット失礼、」
「今」
「……あ?」
何と言ったのか、上手く聞き取れなかった。いや、『いま』と言われたのは分かってはいる。ただ、どういう事か理解が追いつかない。
村雨の方へと視線を向ける。
真紅の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめていた。
「獅子神。私は今、こうやって二人、ただ話している時間が最も楽しい」
石で頭を殴られたようだった。俺は今、村雨に何もしていない。本当にただ、話をしているだけだ。
今日のデートはこれまでも外した事のない場所ばかりだった。食事は量含め村雨の好みに合った店、二人で歩く場所は他の奴にも好評だった男同士でくっ付いていても目立たないような施設を選んだ。あまり疲れないように車での移動だったし、エスコート自体は完璧だったと自負している。
過去、同じようなデートをして喜ばれなかった事はない。今日だって抜かりはなかったはず。
なのに、村雨が楽しいと言ったのは、予想外に生まれたこの時間。今、何の気も使っていない俺との会話が最も楽しいと、そう言った。
「……他は?」
自分が考えたデートを楽しんで貰えなかったという事実が受け入れられず、何かないかと聞いてしまう。
「他か。食事は確かに美味しかった。が、あのデートコースは頂けなかったな」
「なんで、」
「ヒントはここまでだ。後は自分で考えろ」
結局、肝心のところは教えて貰えずじまいだった。
寝る、そう言いさっさと寝室へと向かう村雨を引き止めたかったが、上手く言葉が出ない。
本当に、ただ話をしただけだった。セックスも無しに。
自覚は無かったが、身体の関係を持つ事になるだろうと思っていた自分に気付く。したい、という意思はなかったのに、なぜそう思い込んでいたのだろう。
分からない。言いようの無い鬱屈した気持ちに心が澱む。
『ーー好きだ』
村雨からの告白は聞き間違いでは無かったはずだ。なら、なぜいつもと変わらないままでいられるのか。そう見せているだけなのか。
『後は自分で考えろ』
憐憫と期待が込められた村雨の声が、鼓膜の奥でずっと揺れている。俺の好きと村雨の好きは、何かが違うのだろうか。考えても考えても、何も纏まらない。
視界がぐらりと揺れる。いつの間にか、結構な量の酒を飲んでいた。明日の帰りは車だ。アルコールを残す訳にはいかない。
冷蔵庫から水を出し、一気に煽る。冷たい液体は身体の体温だけを僅かに下げた。